宴の家。宴の終焉。
いつも有り難うございます
よろしくお願いします
実家は宴の家だった。
実家と言うか、母方の本家の話。
(過去のエッセイで出てきた叔父の家です)
地元では、少し大きいのかな?
親戚を、本家と分家と呼んで「ちょっと本家行ってくる」みたいな言い方をしていました。
ちなみにうちは分家。
分家は本家からそう遠くないところに数軒ずつまとまって点在していました。
本家では正月と、お盆の集まり、それと餅つき、大晦日など大きな集まりがあります。
年末の餅つきと大晦日の集まりは、本家と分家だけで集まります。
大人と子供、40人近い大人数です。
大晦日より少し前の日が餅つきの日です。
家々が浸水した餅米をバケツに入れ、本家に持ち寄ります。
それぞれのバケツに「餅米用」と「名前」が書いてありました。
餅米用と書くのは、正月以外で間違えて雑巾絞ったりしない為。
本家の台所にずらりと餅米入りのバケツが並びます。
庭では、ドラム缶を半分に切っただけの物に薪を焚べて暖をとれる場を作ります。
年末なので寒いですからね。
他に、小さい一斗缶に穴を開けたものに鍋を乗せ、里芋やにんじん、こんにゃくなどの煮物だったり、おでんだったりを準備をしながら、二口ある外の窯にも火を入れ大鍋に湯を沸かします。
その上に大きな蒸籠を三段ほど重ね、餅米をどんどん蒸していきます。
蒸しあがった餅米を軽くついてくれる機械を通してから、杵と臼でぺったんぺったんとついて行きます。
あれって、力任せについちゃいけないんですよ。
ぺったんくらいの優しい気持ちでつかないと、伸びが悪い餅になるんです。
ついた餅をカビさせずに年越しさせ、長く楽しむには?
熱いうちに餅米が入っていた米のビニール袋に入れ、空気を入れないように平たく伸ばし真空パックののし餅にします。
そうすると1ヶ月くらいはカビずに食べる事ができました。
それが出来ない鏡餅。
床の間や、ブラウン管テレビの上の鏡餅は、鏡開きの前に色とりどりのカラフルな衣を纏っていましたが…
あ、そうそう。
酔っ払う前にしめ縄を作ります。
藁を手のひらで撚りながら、大小たくさんのしめ縄を作ります。
本家の玄関用は一番大きくて、叔父たちが数人で作っていました。
餅つきが終われば、大人たちは飲めや歌えの宴会です。
庭に生えてる笹の枝を斜めにスパッと切り竹串ならぬ笹串を作り、用意したおでんなどをつつきます。
マイクとスピーカーを出して、本当にカラオケ大会がはじまります。
叔父、叔母たちはそれぞれ十八番があり、皆は自分の持ち歌を歌う。
…まあ、そんな感じで正月用の餅を用意しながら、大晦日は同じように飲んで過ごし、年を越し、新年を迎えます。
新年の集まりは大忙しです。
近所の人たちも入れ替わり立ち替わりで挨拶に来ます。客だけで50人くらい。
もちろん親戚もいるので相当な人数です。
本家の叔母さんや、分家の叔母さんがてんやわんやでご馳走を用意します。
そんな忙しい時、お手伝いをすると、本家の叔母さんがお年玉を多めにくれるので、私は頑張ってお皿を洗ったりしました。
正月は忙し過ぎて、楽しむ感じではありませんでした。
お盆は、きゅうりの馬に茄子の牛を玄関先に置きます。
そして泥で小さなお屋敷を作り、そこに線香を立ててご先祖さまをお迎えします。
皆、それぞれの家でご先祖さまをお迎えするのでお客様は少な目。
親戚と挨拶のお客様くらいで過ぎていきます。
盆と正月、餅つきと大晦日。
それは本家での集まり。
他にだいたい毎週末、みんなが酒やつまみを持ち寄り、昼過ぎあたりから夜10時くらいまで飲む。
数軒が点在しているので、どこかの庭で必ず宴が始まり、みんながそこに集まる感じでした。
庭に瓶ビール用のケースをひっくり返してテーブルに。座布団を敷いて椅子に。
冬はやっぱりドラム缶に焚き火。
スルメを焼いたり、練り物を焼いたり。
それでずっと庭で飲んでいる。
ちびちび…ではない。
酔うと喧嘩が始まる事もあった。
叔母たちが自分の旦那を諌め、しらけムードでお開きに。
なのにまた翌週は宴がはじまる。
ほぼ毎週末それ。
本家は畑も持っていたので、親戚が皆畑で色々作っていました。
ジャガイモ掘りや、麦刈り、枝豆など、そういう美味しい物は畑から。
そんな子ども時代でした。
宴の終焉。
叔父たちが一人減り、二人減り…
母方の叔父は全滅しています。
今の平均年齢よりずっと早くに居なくなるのは叔父ばかりで、母や叔母は皆健在。
その宴に付き合っていたはずの父も健在。
なので、一般的に言われる飲酒の害は、お酒の量より、持って生まれた体質が大きく作用するのだろうと思っています。
あまり飲まない叔父も早くに亡くなっていましたし。
そして私は…
子どもの頃に酔っ払う叔父たちを見てきたので、呑兵衛が嫌いでした。
何より、大人になってお酒を飲んでも美味しいと思えなかったんです。
それがさらに大人になってから、ある日突然、お酒が美味しいと思えるようになり…
あちこちからお酒を取り寄せ、山梨のワインのカーヴに行ったりしました。
そのうちワインよりも日本酒の方が良いと、京都へ日本酒目的の旅などしたり、冷蔵庫に入りきれないくらいお酒を買っていた時期がありました。
それまでお酒を飲んでいなかったので、どれくらいかの予想が出来ない。
生酒を一升瓶で六本頼んで冷蔵庫が一升瓶だらけになったりしました。(結局実家に持って行った)
毎晩と、毎週末、美味しいお酒と美味しいおつまみを用意して、楽しく過ごす…
だったのに…
数年前に何故か飲みたくなくなり…
今はほとんど飲みません。
飲むならグラス一杯で充分。
私の宴は三年間。
一生分を三年で飲んだ…と、思っています。
拙い文章、最後までお読み下さりありがとうございました。