赤い髪の婚約者
シュガーと初めて会ったのは俺たちがまだ8歳の頃だった。
僅か8歳にして、
【黒い瞳と精霊操術の関連性】という論文を書き上げた少女がどのような子なのか知りたくて、彼女が王宮に来る日に合わせて会いに行ったのだ。
鮮やかな赤い髪に黒真珠を思わせるような瞳。
父親に手を引かれピョンピョン跳ねながら歩くその姿が印象的だった。
偶然を装って回廊で行き交い、その時に父を介して挨拶を受ける。
「はじめまして!ドルチェ伯爵ツッカー=ハイトの娘、シュガーにございます!年齢は8歳、身長は130センチ、好きなコトは東方の漢字の勉強、好きな食べ物はプリンです!」
頼んでもないのにつらつらと自己紹介をする少女に目が釘付けになる。
こんなに可愛くて元気な女の子が、あの大人顔負けの論文を……?
その論文を8歳で理解しながら読破した俺もどうかとは思うが、とにかく彼女の事をもっと良く知りたいと思った。
それからは理由を付けては公爵家に来てもらい、親交を深めた。
シュガーと一緒にいると本当に楽しくて退屈しない。
明るくころころとよく変わる表情が愛らしくて堪らなかった。
だけどそれが恋心だと気付いた切っ掛けは、シュガーが一時行方不明になった時だった。
いつも通りに公爵邸に来て、届いたばかりの東方の本を一緒に読む予定だったのに、約束の時間になってもシュガーは来ない。
心配になって家令にハイト伯爵家へ連絡するように告げていた時に、彼女が自邸の裏庭で突如消えたと知らせを受た。
彼女が居た筈の場所には見た事もないような形のぬいぐるみが落ちていたという。
俺は居ても立っても居られず、直ぐに伯爵邸へと向かった。
騎士団の力も借り、捜索の範囲を一気に広げて短時間で見つけ出そうと彼女の父親が決断したその時、面識のない一人の男性が現れた。
誰なんだろう……
でも不思議な既視感がある。
そうだ、シュガーと髪や瞳の色が一緒なのだ。
赤い髪に黒い瞳。
高位な魔術師のみに着る事が許される漆黒のローブを纏っている。
見た目は年若い男の人なのに、何故か目は老練な眼差しをしていた。
「お爺様っ!!」
シュガーの母親がその青年を見るなり駆け寄った。
お……お爺様……?
聞き間違いだろうか。
どう見てもシュガーの母親よりも若い青年だ。
二人は何やら長く話し込んでいて、やがて知らせを受けて駆け戻ったハイト伯爵も交えて話し合っていた。
日もすっかり暮れていたので俺は自邸に戻されたが、事の一部始終を父を経由して知らされる。
シュガーは7歳くらいの頃に魔力欠乏症という魔力障害の病に罹り、一時生死を彷徨った事があるのだそうだ。
魔力欠乏症は他者から魔力を分けてもらい、体内に魔力を輸力すれば完治する病だが、輸力する為には同じ性質の魔力でなくてはならないらしい。
シュガーの魔力は独特で、家族の誰にも当てはまらない。
彼女の両親が親類縁者全てを当たり、ようやく見つけた適合者がシュガーの曽祖母だったというわけなのだ。
事情を知ったシュガーの曽祖母は転移魔法を用いて、文字通り一瞬で飛んで来てくれたらしい。
そして直ぐに自身の魔力をシュガーに分けてくれたそうだ。
おかげでシュガーは意識を取り戻し、元気に平癒した。
が、シュガーに魔力を与えてくれたその曽祖母という人は普通の人間ではなかった。
いや、元は普通の人間だったのだが、若い頃に“精霊王の愛し子”になったという異色の経歴と体質を持つ人だったのだ。
“精霊王の愛し子”になると、エルフや精霊と同じ不老長寿になるという。
魔力を輸力した事でシュガーも“愛し子”になってしまったのかと思ったが、それはないらしい。
しかしかつて異界の悪魔の臓器を体内に宿し、
長い期間その魔力に触れて来た曽祖母と同じ魔力を持つ事になったシュガーは、その悪魔と同じ異界の者たちから目を付けられ易くなってしまったそうなのだ。
その最たる者が、異世界の精霊だ。
元々も精霊使いの血が8分の1流れているシュガーが、異世界の精霊を引きつけるのは無理もないのかもしれない。
あちらの世界では“妖精”、
“フェアリー”や“ニンフ”と呼ばれているそうだ。
その異世界の精霊……妖精は特に子どもを好み、ちょっかいを掛けたり悪戯して意地悪したり、下手すれば取って食らう事もあるらしい。
それを防ぐ為に、シュガーはしばらく曹祖父母の家で精霊魔術を学んだという。
その時にかの高名な大賢者の個人レッスンも受けたというのだから驚きだ。
そのおかげもあり、少々の雑魚妖精や魔物ならシュガーは自分で退治出来るようになった。
しかし今回、シュガーはかなり高位な妖精により“チェンジリング”されてしまったというのだ。
“チェンジリング”とは
妖精が人間の子どもと妖精の子ども、もしくは人間の子どもと何かの物体を入れ替わらせて連れ去ってしまう現象だそうだ。
シュガーは裏庭に落ちていた、異世界のぬいぐるみとチェンジリングされて向こうの世界へと連れて行かれそうになったらしいらしい。
しかし異界の妖精がこの世界に転移して来た気配をいち早く察知したシュガーの曾祖父により、直ぐに救い出されて事なきを得た。
今はハイラムにある曽祖父母の家に居るという。
良かった……本当に良かった。
シュガーが無事で。何事もなくて。
直ぐに彼女に会いたかった。
屈託なく笑うシュガーの笑顔が見たかった。
そうか……俺はシュガーの事が大好きなんだ。
他の誰もシュガーの代わりにはなれない。
シュガーだから、俺はこんな気持ちになれるんだ。
これが初恋と銘打たれるものであると確信した俺の、それからの行動は早かった。
将来、シュガーを妻に迎えたいと父親に頼み込む。
公爵家からの縁談の打診だ、伯爵家であるハイト家は断らないだろう。
そしてシュガーは大陸史に名が刻まれる、あのアルト=ジ=コルベールの曾孫なのだ。
加えて聡明で魔力保有量も高い。
我が家門にとっても不足のない相手だ。
それに何より、俺たちの仲は良好で両母親から「お似合いだ」「微笑ましい」「ロマンスが生まれそうだ」などと前々から騒がれていたくらいだ。
これはもう、将来は結婚するしかないだろう。
俺がそう熱心に父にプレゼンすると、父は若干可笑しそうに吹き出しながらもハイト家へと縁談の話を繋いでくれた。
案の定、向こうからは「少々、いやかなり変な娘ですがそれでもよろしいのなら……」と承諾の返事を直ぐに貰えた。
そしてシュガーがハイラムから戻り次第、俺たちの婚約は結ばれたのだ。
それが俺たちが10歳の時だ。
以来、俺とシュガーは婚約者同士、互いに想い合い、共に成長し、一緒に歩んで来た。
ようやく来年、成人と同時に入籍して婚儀を挙げる。
それをどれだけ待ち望んで来たか、他の奴には分かるまい。
それなのに今、この時期に、この期に及んで邪魔が入り出した。
第二王女ケイティ。
庶子であり、長く市井で暮らし漸く王族として認められた彼女の嫁ぎ先は、それは容易には決まらないだろう。
いくら王女といえど、彼女は庶子だ。
しかも側妃でもない平民女性が産んだ子だ。
今は父王が後ろ盾となり王族として振る舞っていられるが、嫁ぎ先一つで今後の王女の人生が左右されるのは間違いない。
そんな王女が伴侶として最も望む相手……
王弟であり、我が国の筆頭公爵である父の息子、つまり俺だ。
俺の中にも流れる王族の血筋を婚姻を結ぶ事により取り入れ、自分がクルシオ王家の者だという地位を盤石なものにしたいのだろう。
学園内に勝手に広まる妄想染みた噂を流したのも、王女と王女を崇拝する下位貴族、または平民富裕層の生徒達だろう。
自分たちが理想とするストーリー性のある事柄を信じたがる集団心理を利用しての行為だ。
“長く市井にて苦労した美しき王女と公爵家の令息”
いかにも大衆が好む三文芝居のお題になりそうな組み合わせだ。
それを巧みに用いてくるところがタチが悪い。
しかし幻影は……アレは王女達の仕業ではないだろう。
同時刻に複数の場所で同じ人間の幻影を見せるなんて迂闊過ぎる。
まるでイタズラをしているような……。
「…………」
呼び鈴を鳴らし、家令のジャワを部屋に呼ぶ。
ややあって、ジャワが俺の元へとやって来た。
「お呼びでございましょうか」
俺はローブを羽織りながらジャワに告げた。
「今から出かけてくる。転移魔法で行くので馬車は不要だ。少々帰りが遅くなると思うので夕食も要らない」
「かしこまりました。
……どちらへ行かれるのがお聞きしてもよろしゅうございましょうか?」
「ハイラムへ」
「それはまた、久々でございますね」
「ああ。ちょっと相談したい事が出来たんだ。では後は頼む」
俺はそう言ってから転移魔法の魔法陣を顕現させ、目的地へと飛んだ。
転移する瞬間、こちらに頭を下げて礼を取るジャワの姿を視界の端に捉える。
ジャワの声だけが追いかけるように耳に残った。
「いってらっしゃいませ」
シュガーがチェンジリングされた時に落ちていたぬいぐるみは、“アヒルドダック”という異世界では人気のキャラクターなのだそうだ☆