第98話 なんと、事件なのだ その八
うひゃー、またまたやっちゃった!
こんなところで、長居をし過ぎだよ。
とっとと部屋を出てゆくべきだったんだ。
自分の迂闊さにムキーっとなりそうだったけど、とっさに外の景色を眺めていた窓を開けてみる。
ここから、なんとか出られないかな。
ダメだ。高過ぎる。ここは二階だった。
身の軽さを誇るわたしでも、さすがに、ここからじゃ飛び降りることはできないよ。
諦めよう。これはもう、やつらの隙を伺って逃げるしかない。
幸いなことに、ヤツらの目的は分からないけれど、監禁されているって訳ではないみたいだし。
不本意ながら、とりあえず、このままマチルダ姫の振りを続けて、ようすを伺うことにしましょう。
「どうぞ」
わたしは、精一杯のお嬢様っぽい表情と声で返事をした。
「おはようございます。マチルダ様」
入って来たのは黒服2号……、だよね。
今日は黒尽くめじゃないんだね。ちょっと見じゃ分からなかった。
しかし、なんだね、その服の配色センスは。
真っ緑のジャケットに、揃いの色のパンツ。
白いシャツは、まあ良いとしてしても、そこに真っ赤なネクタイ。
派手過ぎないか。目がチカチカするぞ。
「今朝もご機嫌麗しいようで、私も嬉しい限りでございます」
うわー、明るいところで見ると、キミって本当にウサン臭いな。
その笑顔も、その持って回ったキザッたらしい物言いも。
黒服……じゃ、もうないけど2号の、その佇まいは、着ている服の趣味の悪さと相まって、怪しいこと甚だしい。
「朝食……の前に、もしよろしければ、その珍妙な変装はやめて、お召し替えはいかがですか」
なんだと! このジャージは、わたしの大のお気に入りなんだぞ。
珍妙な変装とは、なんだ。失礼しちゃうなー。
もーっ! ぷんすか、ぷんすか。
「お望みならば、お風呂の用意もいたしますよ」
お風呂? こんな朝っぱらから贅沢な。
でも、ちょっといいかも。
お風呂に入る振りをしながら、逃げ出すって手もあるしな。
わたしは、珍妙と言われたジャージを見下ろしながら、しばし考える。
確かに、昨日から着っ放しのジャージは、そのまま寝込んでしまったせいで、心なしかよれよれに見えた。
うーん、どうしようかなー。
その時である。
く〜、きゅるきゅる〜、と妙な物音がしたのだ。
黒服2号(もう黒服じゃないけれど、名前を知らないから便宜的に、お前は黒服2号だ)は、何だ? この音? みたいな顔をして、わたしを見つめている。
途端に、わたしは、かぁっと顔が赤くなった。
こっち見んな。今のは、わたしのお腹がなった音なんだよ。
「承知しました。まずは朝食といたしましょう。取り敢えずは、お履きものをご用意させますね」
何かを察したような表情となった黒服2号が、パチンと指を鳴らせば、お部屋の中に続々と入って来る侍女の方々。
あー、なんか、この光景には見覚えがある。
この世界に呼ばれた初めての朝、とっかえひっかえドレス選びをさせられた時のようだ。
侍女の方々が、手に手に捧げ持っているのは、ドレスに合わせるような踵の高いフォーマルなものばかり。
わたしは、思わずため息をつく。
あのー、見ていただいている通り、わたしの格好はジャージなんですが。
あなた方が日頃履いている、その底の平らな、いかにも歩きやすそうなやつはないんですか?
黒服2号と侍女の方々は、目を丸くして、顔を見合わせるのだった。
まあ、しかしなんだね。それでもちゃんと用意してくれたよ、メイド靴。
ものは試しで、言ってみるものだな。
思った通りの履き心地が良さ。しかも、とっても歩きやすい。
さすがは、働くご婦人御用達。サイズだって、ピッタリだ。
わたしは少々機嫌を良くしながら、黒服2号に連れられて食堂へと向かう。
ここは件の古民家と比べれば、この世界らしい正統派な洋式なお屋敷のようだね。
さっきまでいた部屋も、お城でお世話になっていた客間に近いものがあったしさ。
さりげなく辺りを観察して、脳内で逃走ルートを組み立ててみる。こういうのは、事前のイメージトレーニングが大切なのだよ。
とは言っても、隙を見て窓から抜け出し、あとはひたすら走って、あの広い庭を駆け抜ける——、という極めてシンプルかつ体力勝負な作戦になりそうなのだけど。
今はおとなしく食事に呼ばれて、隙を伺おう。
そうして辿り着くのは、これまた立派な食堂。
映画かなんかでしか見たことのない、長ーいテーブル。
その上には、ゴテッとした無駄に豪華な燭台なんぞが並んでいる。
しかも天井からぶら下がっているのは、またもや豪華なシャンデリア。
この食堂を掃除する時のことを想像したら目眩がしてきたよ。
いやー、良かった、庶民で。ビバ、庶民! 万歳、庶民!
しっかし、何人掛けなんだろう、この食卓は?
どこに座れば良いのだ? 上座はどっちだ? わたしは一応ゲスト扱いなのかな?
いろいろと迷う間もなく黒服2号に促されて、引いてくれたイスのひとつに腰掛けるわたし。
ここは、えーとお誕生日席?
あんまりきょろきょろと辺りを見回すのも恥ずかしいので、何食わぬ顔をしているけど、内心はどきどきだったりする。
さてさて、お箸の使い方には自信があっても、洋式のテーブルマナーは今ひとつな、わたしの運命やいかに。
「おはようございます、マチルダ様。初めましてですかな。本日は私の招きに応じていただいて、光栄の至りでございます」
わたしの不安など、お構いなしに聞こえてくる声。
誰だよ? そして、どこだよ?
どうやら、同じテーブルの向こう側に座っているみたいだ。
大きな燭台が邪魔をして、お相手の顔も良く見えはしませんが。
「申し遅れました。私、この国の宰相の末席に籍を置きます、ジェイムズと申します」




