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第92話 なんと、事件なのだ その二

「おい、よさないか。この方をどなたと心得ている。かのマチルダ姫だぞ」


「ええ、それはもう、じゅうじゅう承知しておりますよ。マチルダ姫だからこそ、私はこの魔法を使うのです」


 だから、さっきから違うって言ってるのに……。


 心では、そう思っているのだけれど、なかなか言い出せないわたしって小心者。


 あの雨宿りからの一連の出来事のあと、わたしは何処いずことも知れない、この屋敷へ連れ去られたのだ。

 ——連れ去られた。というのは、少々言い過ぎかもしれない。だからって積極的に、自分からついていった覚えもない。


 彼らは、乱暴にも、わたしを無理に拉致したなどということもない。

 我ながら、今現在、なんでこんなところにいるのか良く分かってない。


 あの倉庫のような場所で、黒尽くめの男たちと話しているうちに、何故だかほんわかとした気分になり、心では拒否していたはずなのに、まんまとついてきてしまったのだ。


 本当に何故か促されるままに馬車に乗り込み、心地良い揺れと共にしばらくうとうとしていたら、いつ間にやら不思議なことに、このお屋敷の一室にいた。というのが実際のところ。


 いえいえ、決して、目の前に並べられたご馳走に釣られたっていう訳じゃないってば。

 出された料理を、片っ端から、もっきゅもっきゅと頬張りながら言っても説得力はないけどもさ。


 だがしかし、お出しいただいたものは、自分の好き嫌いに関わらず残らずいただく。それは、我が家の家訓のようなものなのだ。

 特に、どなたかが自分のために用意してくれたものであれば、それは尚更のこと、張り切っていただかなくてはいけない。


 故にわたしは、並んだご馳走をもっきゅと頬張る。

 実際、とっても美味しい。この味付けは、実に好みだと言っても過言ではない。


 いただいているのは、この国ではありふれた料理なんだと思う。

 でも、食材のひとつひとつが、選び抜かれたお高そうなものばかりなのだ。


 このおイモひとつとっても、長期に渡って風乾熟成させたような、どこかのブランド野菜のような味わい。

 それは、お出しするお相手が本来はマチルダ姫だからなんだろうと思える。お姫様仕様ってやつ?


 それにつけても不思議なのは、この味の深み。調味料はお塩がメインなんだろうけど、隠し味、あるいは出汁に何か特別なものでも使われているのでしょう。

 お味噌も、お醤油も、マヨネーズも入ってはいないのに、わたしの、というより日本人の舌に合うような風味付け。とでも言えば良いのでしょうか。


 これでも、駆け出しとはいえ、料理人の端くれ。

 料理に関しては、ちょっとうるさいよ。


 わあああああーっ!

 あー、いえ、そのうるさいではなく。


 わたしの、最初の料理の師匠。

 どの家庭でもそうであるように、それは母親だった。


 うちの母親は、派手な料理を作ってSNSに上げるタイプではないけれど、地味に毎日食べても飽きない料理を作る人だった。

 かといって家庭の味とか、母の味とかいうのとも違う。どこのご家庭でも、そういうものなのかもしれないけれど。


 一方、うちの父親も料理好きな人だったのだけれど、こちらは少々凝り性だったのだ。

 カレーを、スパイスの調合から始めるタイプと言えば分かりやすいかも。

 しかも、できる限り、安い値段で作る縛りまで設けていたような。


 細かいことを言えば、今は亡きお婆ちゃんから受け継いだレシピとか、バイト先で仕入れた技術なんかもあるけれど、次の師匠はなんといってもおっちゃん、その人だ。


 おっちゃんの料理は、いかにもな漢飯っ! と思わせておいて、どちらかといえば、職人気質な感じ。

 いちいち、食材や調味料の計量なんかしてはいないのに、ばさっと塩を振れば、一発で味が決まるという。

 なんだか、不思議なセンスとテクニックで成り立っている料理を作る方なのだ。


 いつぞやの雇用を賭けた大勝負では、わたしの勝ちとなったんだけど、眼鏡を装着して、繊細さを取り戻したおっちゃんには、やっぱり敵わないと密かに思っていたりもする。


 そんなこんなで、すっかり満腹なわたしは、食後にハーブティーなどいただいている。


 でも、この香りって、なんだったっけ?

 トイレの芳香剤を思わせる香り。

 正直苦手。


 わたしは、お茶だったら断然日本茶。

 高級な玉露でなくても、安物でも良いのです。

 紅茶でさえ、スタンダードなダージリンは好きだけれど、始めはアールグレイの独特の風味が苦手だった。

 今は飲めるよ。大人だもん。


 あと夏になったら麦茶。

 パックの水出しのものでも良いのだけれど、できれば焙煎されて香ばしくなった麦を煮出して作りたい。


 そして近頃だったら、もうコーヒー一択。

 あー、早く帰って『炎の剣亭』でコーヒーを飲みたいな。


 自分で淹れるも良し。おっちゃんに淹れてもらうのも、またいとおかし。

 おっちゃん、わたしがコーヒーの淹れ方を教えたら、独自に研究し始めて、とっても上手に淹れるようになったのだ。


 ……そうだよ。なんでわたしは、こんなところにいるんだ?

 早く帰らなきゃ。


 誤解を解こうと、辺りをきょろきょろと見渡せば、わたしがご馳走に目がくらんで、いえ食事をしている最中に出掛けてしまわれたのか、件の黒服さんたちの気配もしません。


 ……困ったな。と思いながらも、どうしてだ。とっても眠くなってきたよ。

 食べ過ぎたかな。お腹いっぱいで、気持ちがいい。


 ……ダメだ。こんなところで寝てしまっては。

 そう思いながらも、瞼が重くなるのは止められない。


 ……おお、あんなところに都合良く、寝心地の良さそうなソファが。

 わたしは、ふらふらとソファに近づくと、お行儀が悪いとは思いながらも、ごろりと寝転んでしまった。


 ……ああ、思ったとおり、とっても寝心地が良い。

 これはもう、寝てしまうしかない。ごめんなさい。人違いのことは、起きたら説明します。


 そして、ついに寝落ちしてしまうのかという瞬間。

 それまで人の気配がなかった、このお部屋に、どなたかが近づいてくる気配を感じるのでした。

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