第91話 なんと、事件なのだ その一
なによー、もう一人いたのー。
聞いてないよー。そりゃま、当たり前なんだけどさ。
今度の方は、なんだかやけに体格がよろしい。
「ご、ごめんなさい」
でもとりあえず、再び頭をちょこんと下げるわたし。
そして、またもや、ぶつかったお相手からの返事はない。
そおっと、ぶつかってしまった方々を、上目遣いで伺えば、いかにも怪し気な風体。
黒尽くめの、スーツと良く似た服装に身を包み、サングラスというよりは黒眼鏡といった方がぴったりとくるもので目を隠している。
こんなに暗くなった夕暮れに、あんなもの掛けていて、ちゃんと周りが見えるのかしら。
いらない心配をしながら、さらによくよく観察すれば、なんだろう? この香り?
トイレの芳香剤のような香りが、どなたからか、ほんのりと漂ってくる。
なんだっけ? これは? なんかのハーブ? お花の香り?
どれにしたって、わたしの苦手な香りだ。
いえいえ、彼らの香水の趣味が悪いなどとは申し上げませんよ。
あくまでも、わたしの好みというか、個人の感想ですから。
わたしも、早いところお暇してしまえば良いのに、なんとなくの好奇心からか、黒尽くめの男たちから目が離せないでいた。
それにしても、なに? このメン in ブラックな方々は?
わたしは、違法滞在している宇宙人ではありませんよ。
ただの、魔法陣から来た異邦人なんです。
同じような格好しているけれど、片方の方はひょろりと背が高く、もうお一方は、少し背は低いけれども、いかにも筋肉質そうな体型。
面倒なので、がっちりさんは黒服1号。ひょろりさんの方は黒服2号とでも呼ぶとしましょう。
彼らは、何かA4サイズくらいの書類のようなものを広げ、ボソボソと話している。
時折、わたしに視線を投げると、手許の紙切れと見比べているようだ。
なんだか、少しばかりハラが立ってきたぞ。
勝手に、ここへ入ってしまったことは、確かに申し訳ないとは思うよ。
けど、わたしはちゃんと謝罪したじゃあないか。
一言の返事も返さないで、なにやら人を値踏みするような目で見ないでほしいな。
実際には、彼らの視線は黒眼鏡のせいで、これっぽっちも計れないんだけどさ。
そもそもなんだ、その紙切れは?
そこに、なにが書いてあるんだ?
どれ、見せてみなさい! わたしにも!
話に夢中になっている二人に近づいたわたしは、そっとその紙を覗き見た。
そこに描かれていたのは、あろうことか、わたしっぽい人物の似顔絵。
似顔絵?
手配書かなんかなの、それって?
デッド or アライブ、とは書かれてはいないようだけれど。
わたしって、いつの間にか指名手配にでもなってたのか?!
ちょっと待ってよ。
確かにわたしは、手違いで呼び出された、聖女には及第点を貰えなかった残念な子だ。
でも、指名手配されるようなワルいことは、なんにもしてないよ。
急に、二人の姿が恐ろしいもののように見えたわたしは、スタコラと彼らの脇をすり抜け逃げようとする。
逃げようとしたんだけれど、素早く体を入れ替えた二人に行く手を阻まれた。
わたしは、逃げようとした。
しかし周りを囲まれてしまった。
昔やったファミコンゲームの名作RPGでは、死亡フラグに近い場面。
ああ、こんなところで、わたしの異世界ライフは終わりを告げてしまうのか。
と思ったけれども、どうも二人のようすがおかしい。
なにやら恭しい態度で、わたしの前にひざまずいたのだ。
おお、なんだいなんだい、それは。
あなた方は、いったい何者なのですか。
わたしは、ただの善良な一般市民ですよ。
聖女にはなれなかったけれど、王様は客分として扱ってくれるって言ってたし、ルドルフさんや、マティアスくんは、後見人になってくれるって言ってたよ。
おっちゃんだって、身寄りのないわたしを弟子として『炎の剣亭』に雇い入れてくれたし、これはもう、市民権を得ていると言ったら言い過ぎだろうか。いや言い過ぎではない。
そんな訳で、もうこの場を失礼したい。
本当に、勘弁してください。
わたしは、そんなご大層な者じゃないんです。
ご用事があるのなら、後日『炎の剣亭』までお願いします。
お城に通じている通りを、真っすぐ商店街の方へ下ってきたところにありますから。
でも、彼らの目は真剣だった。
あ、いや、黒眼鏡で、相変わらず表情は分からないんだけど。
真剣なように思えた。本気と書いて、マジみたいな。
困惑しているわたしに、彼らはさらに追い打ちを掛ける。
「姫様、あまり我がままをおっしゃられては困ります」
「今宵は、お付き合いいただけると聞き及んでおりますよ」
ええっ? 姫様?
姫様って、今言った?
「ええええええええええーーーーーっ?!」
この世界にやってきて、『聖女』様と呼ばれた時以来の衝撃だよ。
なんちゅう方と、人違いされているんだ、わたしときたら。
違います、違います。
それは、あなた方の勘違いというものです。
わたしは、お姫様じゃないです。
ほんっとうに、ただの定食屋兼居酒屋兼、近頃では、この世界ではちょっと珍しい喫茶店、いえカフェの店員なんです。
それでも、彼らは諦めるようすはない。
何が何でも、わたしを姫様に仕立てあげたいらしい。
尚も激しく食い下がる。
「いえいえ、お迎えにきた我々には、あなたを連れて帰る義務があるのです」
「それに、あなたは姫で間違いありません。もう正体を隠さなくても良いのですよ」
彼らは、先ほどまで見ていた手配書らしきものを、わたしの目の前に突きつけた。
それには、確かにわたしと良く似た方の似顔絵が描かれていた。
でも、よーく見れば、別人であることが分かる。
本人である、わたしが言っているのだ。間違いない。
ほら、良く見てよ。髪型とか全然違うじゃない。
しかも、端っこに書いてあるお名前は……。
『マチルダ姫』とある。
違うよ、人違いだよ。
わたしは、マチルダ姫じゃなーい。
しかし、わたしの魂の叫びは、終ぞ彼らに届くことはなかったのでした。




