第87話 みなさん、たいへんなのだ その三
おっちゃんのバカっ! 朴念仁っ!
これじゃあ、まるで、ホントにどこかのラノベ主人公みたいじゃないか。
マチルダ姫はさ、きっと、ずーっと、おっちゃんのことが好きだったんだよ。
いつ頃から姫様がおっちゃんのことを好きになったのかなんて、わかりはしないけれど。
でも好きになったから専属に取り立てたんだし、好きになってほしくて弟子入り志願もしたんじゃないのかな。
お隣の国の王子様のことだって、始めから結婚するつもりだった訳じゃないのかもしれないよ。
実は、おっちゃんにヤキモチを焼かせたいだけ。だったりする可能性まであると思えるぞ。
最後は、おっちゃんが騎士と姫という立場を乗り越えて、いえ騎士様だからこそ、姫様を一生お守りする覚悟ってヤツを見せて欲しかったんじゃないの?
けれど帰ってきたのは、おっちゃんの気持ちを、これっぽっちも映してはいない、一介の騎士としての模範的な答え。
それが、おっちゃんらしいといえば、すっごくおっちゃんらしい返事だとは思うよ。
でも姫様が聞きたかったのは、そんなんじゃあないっての!!
こんなことは、わたしには初めからわかっていたのだ。
いいえ、わかっていたというよりも、なんとなーく、そんな予感がしていたというか。
それでも、なんとかおっちゃんの気持ちに寄り添って、おっちゃんの立場を理解して、おっちゃんの味方になろうとはしてたんだよ。
はあ、やっぱり、それはムリだった。
これはもう、おっちゃんが朴念仁過ぎるが故の悲劇。と言わざるをえない。
わたしは、今度はマチルダ姫の気持ちを考え、思わず大きなため息をついた。
「うーん、お前らが何を言いたいのか、さっぱり分からんぞ」
あー、おっちゃん。この期に及んで、まーだそんなことを。
さー、ルドルフさん、マティアスくん。ガツンと言ってやってください。
「なあ、マティアス。ミヒャエルのやつは本当に分かっていないのか。どう思う?」
「さあ、先輩のことですから、本当は分かっているのかもしれませんが、なんともいえませんね」
おっちゃんは立ち上がると、お二人に向かって、ことさら明るい笑顔を見せる。
「お前ら、何をこそこそと言っているんだ」
お互いの顔を見合わせる、お二人。
「つまらない話はもうやめにしよう。そんなことより、一杯やるから、お前らもつきあえよ」
おっちゃんは、すっかり一人居酒屋モードに突入しているようで、その足取りは浮かれたようすで地下の貯蔵庫へ向かっていた。
ダメだ、こりゃ。
わたしは、ルドルフさんとマティアスくんに、こっそりと近づく。
「それで、どう思われます、お二人とも?」
苦笑いを浮かべる、お二方。
「あの調子では、ミヒャエルのやつ、未だに本気で分かっていないのかもしれん」
「そうですね、先輩の朴念仁っぷりは、昔から筋金入りですから」
ガツンもなにも、どうやら、おっちゃんの女心のわからなさ加減は絶望的なものらしい。
「下手すると、ミヒャエルときたら、自分の気持ちにも気付いてはいないのかもしれんな」
「あの反応を見るにつけ、僕も今までは、まさかと思っていましたが、それはありえますね」
うーん。おっちゃんは、弟子であるマチルダ姫に逃げられたのが、ショックであるように感じているみたいなんだけど、本当にそうなんだろうか。
わたしには、なんとなく、本当になんとなくなんだけれど、おっちゃんは自分の気持ちに気付いていて、敢えてそっちの方に意識が向かわないようにしているようにも思えるのだ。
自分では、姫のお相手には力不足だと言わんばかりに……。
そんな風に思ってしまう根拠。それは女のカンとかいう当てにならないものなのだけれど。
秘蔵のエールを地下から抱えてきた、おっちゃんの姿を見ているお二方は、諦めとも安堵ともつかない微妙な表情をしている。
「だが、あのようすならば、この仕事も、なんとか引き受けてもらえそうだな」
「ええ、昔のわだかまりが残っているかと心配していましたが、大丈夫なようですね」
ふむ、おっちゃんに仕事の依頼かな。
それとなくお二方の元を離れ、厨房へと向かうわたし。
「今日は、オレの奢りだ。一杯と言わず、遠慮なく飲んでくれ」
お二人の、そして、わたしの心中を察しているのか、いないのか。
おっちゃんの表情は、先ほどまでとは打って変わって、明るくなっていた。
その笑顔が、なんだか憎たらしい。
そんな風に思っちゃいけないのは、よーく分かってるんだけど、やっぱり憎たらしい。
あー、もう今日は上がっちゃおうかなあ。
みなさん、なんだか仕事っぽいし。
わたし、席を外した方が良いでしょうか。
試しに伺ってみれば、ルドルフさんも、マティアスくんも、「済まない」といった顔で頷く。
厨房のいつもの場所に、樽を設置しているおっちゃんに声を掛けると、二つ返事で本日のお仕事は終了となった。
奥の部屋に置いてあった仕事の時はいつでも持ち歩いている、なんでもバッグを肩に掛けると、三人に一礼してお店を出る。
外では、すっかり雨が上がっていた。
夕暮れの近づいた空を見上げ、このあとのことを考える。
いつもの上がりと比べると、だいぶ早い時間なのだ。
まっすぐ宿舎に帰るのも、なにかつまらない気がする。
わたしは、元いた世界でのことを思い出す。
部活がなくなって、急に放課後に時間ができた時はどうしてたんだろう。
あー、そうだ。
一人、図書室にいっていつもそこにいる友達を探してみたり、同じように帰宅部の友達と、お茶してみたりしてたんだっけ。
『炎の剣亭』の看板娘(と自分では思っている)として、少しだけお馴染みさんも増えた。
買い出しに良く伺う商店街のおじさんやおばさんにも、やっぱり少しだけ顔を憶えてもらった。
でも、唯一の友達であるミヒャエルくんとルドルフさんは、おっちゃんとお仕事の打ち合わせ中だし、ネーナさんだって、きっとまだお仕事の最中なのでしょう。
そう考えると、わたしって友達少ないな。
なにを今さら、と思いながらも、真実を悟ってしまったような気がする。
少し、さみしい気持ちになってしまった。
しかし、わたしはめげない、負けない、くじけない。
どうしてって、突然、ウル翁の顔が思い出されたからね。
——そうだ、ウル翁のところに寄ってから帰ろう。
なあんて、思いついてしまったのさ。
気を取り直しすことに成功したわたしは、少しばかりウキウキとした足取りで、まだ明るい町の中、ウル翁の店へと向かうのでした。




