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第85話 みなさん、たいへんなのだ その一

「ああ、いや、なんでもない。今の言葉は忘れてくれ」


 なんだよ、そこが一番いいところじゃないか。うやむやにしちゃダメだろう。

 そう言いたかったけど、さすがにおっちゃんの気持ちだ。そうそう無理に言わせるなんてことなんて、やっちゃあいけないよね。


 それでも、おっちゃんの気持ちは、なんとなーく分かる。

 だって、耳が赤くなっているんだもん。


「なんと、そんなことが……」


 ルドルフさんは、絶句する。


「ようやく、そこで自覚したんですね」


 マティアスくんは、やれやれと首を横に振った。


「あの笑顔を、もう一度だけでも見たい。そう思ったオレは、そのあとに現れた街道の怪物討伐を頑張ったんだ」


 あー、やっぱり。噂通り、というか噂以上じゃないか、これじゃあ。


 お三方の前に、ことり、ことり、と淹れたてのコーヒーを置いてまわる。


 わたしも一杯いただきたい。なんでだか、喉が渇いてしかたないのだ。


 自分の分を淹れようと、厨房へと踵を返したわたしの背中に、おっちゃんの苦々し気な呟きが届いた。


「だが、それ以降、二度とあの笑顔を見ることはなかったんだ」


 見事に街道の怪物をも討ち取って、魔獣災害を終息へと導いたというのに、どういうことなのかな。

 そのあとのことでしょう? 毎週のようにお隣の国へデートに出掛けるようになるのは?


「国境に現れた怪物を、この国のミヒャエルが討伐したおかげで、隣国とのやりとりは一層良好になったと聞くぞ」


「ええ、外交上、優位に立てたと聞きます。しかし隣国に無茶な要求をするでもなく、両国の関係は深まったように見えましたが」


 ルドルフさんと、マティアスくんも首を傾げる。


 そうそう、ようするに安心してデートし放題。姫様の笑顔も見放題。ってやつ……なんじゃあないのかな。


「いや、それからは毎週のように出掛けることになって、毎回同じ質問を繰り返され、同じ答えをオレは返し、姫は笑い返してくれたんだが……」


 おやおや、それだったら良かったんでないの。なーにが、いけなかったのさ。

 わたしは、自分のために淹れてあったコーヒーをマグカップへと注ぎ込む。


「姫が見せる、どの笑顔も、あの時とは微妙に違っているように思えてならないんだ」


 うーん、そうか。おっちゃんの方に心境の変化があったのか、それとも……。

 おおっと、いけない。考え事をしていたせいで、注いでいたコーヒーが溢れそうになってしまった。


「そして、最後に見せた姫の笑顔。それは、あの時の笑顔以上に頭から離れない」


 なんぞ、それは。最後の笑顔って、いったいどんな笑顔なんだよ。

 少しだけぬるくなって飲みやすくなったコーヒーが溢れそうになっているマグカップに、唇を寄せながら考え込んだ。


「ちょっと待て、ミヒャエル。ではマチルダ様は、いつ隣国の王子と知り合ったんだ」


「そうですよ、ミヒャエル先輩。最後の笑顔というのは、いったい、いつの話ですか」


 それだ! わたしの引っ掛かっていたのは!

 ごくりとコーヒーを飲み、ついでに固唾も飲んで、おっちゃんの返事を待つ。


「いつって。だから、最後に姫のお供をした日の少し前のことさ」


 それは、最後のお供の旅に至る、何回か前のことだったらしい。

 毎週のように、隣国へと遊びに行きたがるマチルダ姫。

 その日も、普段と変わらずに出掛けていったそうだ。


 ただ違っていたのは、国境付近に近づいた頃に賜ったお言葉。


 ——今日は、婚約者の振りはしなくても良くてよ。


 その一言。


 そして、隣国の都にて待っていたのは隣国の王子。


「いつも都の入ると、必ず立ち寄る店があるんだ。まずは、そこでお茶をいただくというのが、姫の習わしだった」


 おっちゃんも、おかしいとは思ったそうだ。

 都への道では、すれ違う馬車が妙に少ない。

 都に入ってみれば、人々の往来が、またも妙に少ない。


 いつも立ち寄る店というのは、お茶を飲んだり軽食を摂ったりできる店。


 ふむ、この国にはない喫茶店のようなものが、お隣の国にはあるみたいだね。


 日頃は、多くの来客で賑わいを見せているみたいなんだけど、そこもガラガラで貸し切り状態だったそうな。


「オレは通常の護衛任務の時のように、姫の後ろに付き従っていたんだ」


 どうやら、かの王子様、お忍びという体であるものの、周りはその筋の方々に囲まれていたようで、おっちゃんには彼らが何者であるかすぐにピンときたらしい。


「一応は、公務ではなく王子個人としての外出。とはなっちゃいるが、当然のことだと思う」


 マチルダ姫が特殊過ぎるんだな、きっと。

 おっちゃんも、またやっかいな方と……。


「王子とはいっても、末っ子らしいからな。王位の継承権は、ずっと下位だとは思うんだが、なにしろ王族の一員だ。オレも少々緊張したよ」


 その王子様、眼鏡を掛け、知性派を思わせる風貌の爽やかな好青年。将来は王となる兄様の片腕となり活躍が見込まれる、有望な人材であったそうな。


「相手が王子ともなれば、国同士の付き合いになるからな。どこでどう話が通じたのかは知らないが、その先拗れでもしたら大問題だろう」


 どうして、その場に王子様がいたのかも、またいつの間にマチルダ姫と王子様が、お知り合いになられたのかも分からないままだったそうなんだけど、その日以来、おっちゃんは一人の護衛騎士として、職務に徹することにしたらしい。


 うむ、賢明な判断だね。

 でも……。


 そうやって、マチルダ姫と王子様が、密会というより、おおっぴらにデートを重ねている間、おっちゃんは、まさに影の如く付き従う護衛騎士としての仕事を全うしたという。


 うう、立派だよ、おっちゃん。


 でも、やがてやって来るのは、『運命の日』。

 つまりは、おっちゃんの言う『最後の笑顔の日』なのでした。

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