第60話 バリスタなのだ
我に返ったわたしたち。
ウル翁直々に、道具の使い方からお湯の注ぎ方まで、手取り足取り教えていただく。
だいたいのところ、わたしの知っているネルドリップ方式の淹れ方なんだけど、一杯分に必要な豆の量であるとか、最適な豆の挽き具合であるとか、こと細かに研究されていることに驚いた。
特に驚いたのは豆の計量だった。
「どれ、三杯ほど淹れてみるかの」
そう言ったウル翁は、どう見ても軍手にしか見えない手袋をはめると、焙煎済の豆を保管する容器に手を入れて、無造作にひと掴みふた掴み取り出す。
ウル翁、豆の量は計らないの? とか思いながら見ていたんだけど心配は無用でした。
「初心者は、この升を使うと良いのじゃ」
手渡された升に、ウル翁が掴み出した豆を入れてみれば、あら不思議。ぴったりと、すり切り一杯に収まったのだ。
むー、ウル翁、指先だけの感覚で豆の分量が分かるなんて、どこの職人さんかしら。
さらに驚いたのは、コーヒーミル。
わたしが使ったことがあったのは、ブレード式と呼ばれる庶民的なお値段である代わりに挽きムラの多いタイプのものなのだ。
いわゆるフードプロセッサーと同じような仕組みのそれは、経験や勘の必要なものであるようで、正直初心者のわたしには手に余る代物。
ただ、稼働している時の、いかにも「ただ今豆を挽いてまっせー」的な感触と振動は楽しいものがありましたけど。
電気で動かす、わたしが使っていたミルと違って、ウル翁が用意したのはハンドルを回して豆を挽く手動タイプ。
「この中には小さな臼が入っておってのう。それで豆を挽いとるんじゃ」
ゴリゴリと楽し気にハンドルを回し、豆を挽くウル翁。
小さな手回し式の臼で挽かれた豆は、下にセットされたガラスの器に落ちてゆく。
まるで砂時計のように、さらさらと落ちてゆく挽かれたコーヒー豆のかけらは均一で、挽きムラも見当たらない。
これって、あれじゃない? 名前が出てこないけど、ナントカ式のお高いやつ。手動だけど。
むふー、なんか鼻息が荒くなっちゃった。
コーヒーを美味しく淹れるためのお湯の量や最適な温度なんかは、マティアスくんが熱心に聞いていた。
どうやら『炎の剣亭』に、お湯を沸かすためだけの小さな魔導式の炉を作りたいらしい。
おー、またもや欲しいと思ってるものを作ってくれるのか。任せたぜ、マティアスくん。
お湯の注ぎ方やフィルターのお手入れなんかの、細かいところもいろいろと教わる。
フィルターについては、わたしはなんとなくネルドリップ? と思ってたんだけど、どうやらフランネル製でもないみたいだ。
フランネルに良く似た謎生地。でも、ありがたいことにお手入れ方法はネルフィルターと殆ど変わらない。これはうれしい。
そう言えば、わたしの着ているメイド服も、木綿とか絹とかに似ているけど、謎の素材だ。
謎生地としか言えないのは、しょうがないじゃない。だって製糸しているところを見たことないんだから。
木綿っぽく、絹っぽく見える、この生地が、ワタやおカイコさんから作られている確証なんて、どこにもないのだ。
むふー、再び、なんか鼻息が荒くなっちゃった。
そのあとは、ひとしきりコーヒーにまつわるウル翁のお話を聞いて、今日はお開き。
わたしとマティアスくんは、ウル翁に良くお礼をして『炎の剣亭』に帰る。
お借りした台車には、譲っていただいた焙煎済みの豆の詰まった袋や、コーヒーを淹れるための道具一式が満載されていた。
それにしてもウル翁の貸してくれた台車。どう見てもショッピングカートにしか見えない。
なんだろう? この世界の、わたしの元いた世界との親和性は?
はい。それはもう、かつてご活躍された聖人の皆様のお陰なのです。
そして、それ以上に謎めいたウル翁という存在って、いったい……?
わたしは、振り返ると足を止めて、店の前で笑顔で手を振るウル翁に向かって、もう一度深々とお辞儀をしたのでした。




