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第47話 わたしには秘密など何もないのだ【蛇足編】

 わたしは、久し振りに『炎の剣亭』の前に立っている。

 久し振りと言っても、たったの二日ぶりなだけ……なんだけど。


 だけ、なんだけど、ちょっとお店には入りにくい。

 結局、昨日はあの客室で、だらだらごろごろとモラトリアムな一日を過ごしてしまったっていうのもあるんだけれど。


 入りにくいのは、それだけが理由ではないのです。

 本当の気持ちを言ってしまえば、おっちゃんと、どんな顔で会えば良いのか分からなくなっているのです。




 「定食屋に、オレはなる!!」と言って、かつて騎士団をドンッと飛び出したおっちゃん。


 「オレたちの戦いは、まだ始まったばかりだ!!」とか言って、一昨日『炎の剣亭』をドンッと飛び出したわたし。


 しかるのち、おっちゃんと『炎の剣亭』を巡って、秘密の緊急対策会議を開いたのだ。


 開いたんだけど、何故だか分からないけど、その席で気を失ってしまったわたしなのでした。




 無断欠勤かー。


 あれだけ会議の席で、おっちゃんのことをあれこれと言っておきながら、なんだ、このていたらく。

 ホント、お店に入りにくい。おっちゃんにも、顔を合わせずらい。


 最悪、解雇も覚悟しているよ。


 いっそのこと、こっちから、バックレちまうか……。

 いやいやいやいや、ないないないない。それだけはダメだ。


 やっぱりここで働きたいし、おっちゃんにだって、もう一度会いたいのだ。




 『炎の剣亭』の店先で、うだうだと逡巡していると、ふいに店の扉が開かれる。

 そこから姿を現したのは、おっちゃんその人である。

 『炎の剣亭』の真ん前なんだから、当たり前なんだけど。


「お前、こんなとこで、なにやってんだ。とっとと店に入らないか」


 おっちゃんは、少しだけ怒っているような、でも呆れたような仏頂面でわたしに言った。

 わたしが店の前で立ち尽くしているのが良くわかったな。それとも、ただの偶然かな。


「店の前で辛気くさい気配を撒き散らされんじゃ、商売にならんからな」


 ごめんなさい。わたしの負のオーラ、そんなに酷かったですか。


「まあ、思ったより元気そうで、良かったよ」


 店に入ると、おっちゃんはカウンターの一角をわたしに勧め、自分は厨房に入ってゆく。


「今、お茶を淹れてやる。そこでおとなしくしてろよ」


 さすがのわたしも昨日の今日で、いきなり店を飛び出したりはしないよ。


「お前は感情が顔に出にくいやつだからな。心配してたんだ」


 昨日の無断欠勤のこと咎めないのか、おっちゃん。


「昨日、一昨日の話は、ルドルフたちから聞いたよ」


 勝手に店を飛び出した挙げ句、無断欠勤したのにルドルフさんたちはどんな風に連絡してくれたのかな。

 ともあれ、わたしに悪くないように連絡してくれたみたいで、どうもありがとう。おっちゃんも、そんなに怒ってないみたいだし。


「ああ、お前の気持ち、気付いてやれなくて悪かったな」


 おっちゃんは日頃エールを注いでいるであろう、大きなマグカップにたっぷりとお茶を注ぐ。


「まあ、これでも飲んで、今日のところはゆっくり休んでおけ」


 おっちゃん、ダメなわたしに、そんなに優しくしないでくれ。


「もうお前は来ないかと思っていたんだ。また来てくれて、その……うれしいよ」


 なんだ、なんだ? ホントに急に優しいじゃないか。涙が出そうだよ。


「これでも弟子の面倒見は良いほうだと思ってる」


 ——弟子に逃げられるなんて、師匠落第だからな。


 おっちゃんは自分のマグカップにもお茶を注ぎながら、誰に聞かせるでもないように、ぼそっと呟く。


「そんな訳でな、明日から10日ばかり店も閉めるから。その間、お前も休暇だ」


 なにその、いきなりの休業要請。わたしか?! わたしのせいなのか?!


「そんなんじゃない。仕入れに行って来るだけだ」


 この王都辺りは、大陸でもかなり南寄りに位置しているらしい。

 春が来るのも早く、これから暖かく過ごしやすい季節が長く続くらしい。


 そのあとにやってくる暑い季節もまた長くて、この先、飲食店はどこも昼営業に力を入れるというのだ。


 おー、お昼の営業。いいね、いいね。健全、健全。

 だったら、その仕入れの旅にわたしをお供に連れていってよ。


「今回仕入れるのは、主にエールと果実酒だ。お前の出番はない」


 うーん、そうか。確かに、エールの詰まった樽とか重そうだしな。

 それにわたし、未成年だからね。お酒は二十歳になってから。


「何と言っても、大切なのは現地に行ってからの試飲だ。この冬に仕込んだ酒の出来映えを、確認しなくては」


 なんだろう? またもや嫌な予感が。

 そりゃ、おっちゃんが、今年の新作を飲み歩きしたいってだけじゃないのか?


「そんなことはない。これからの昼営業には欠かせない、大切な仕入れだ」


 ——明るい日差しの下、傾けるエールは最高なんだ。


 どこかしら遠くを見ながら、夏のエールに想いを馳せるおっちゃん。


 やっぱり仕入れの旅どころか、昼営業の最中に自ら飲む気まんまんじゃねーか。

 くそーっ、さっきの溢れそうになった涙を返せっ。


 おや、でも待てよ。この休暇を利用して正しいお昼の営業戦略を練るっていうのも悪くないな。


 内緒であれこれ考えて、吞み歩きの旅、いや仕入れの旅から帰ってきたおっちゃんをびっくりさせてやろう。


 ふっふっふ、おっちゃんよ、首を洗って待っているのだ。(何日振り? 何回目? 通算3回目くらい?)

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