第46話 わたしには秘密など何もないのだ【後編】
ネーナさんは、わたしの顔を見るなり駆け寄ってきた。それはもう、とても優雅な動きで。あんなにバタバタとしない駆け寄り方、初めて見た。
「お目覚めになられましたか、ミヅキ様」
自分では目覚めていたつもりだったんだけど、よっぽどぼんやりとした顔だったのでしょう。彼女の表情はとても心配そうだ。
「まだお加減が優れないごようすですが、大丈夫ですか」
大丈夫です。きっと起き抜けなので珍妙な顔になっているだけなんです。
「どういたしましょう。まだ横になったいた方がよろしいのでは?」
いえいえ、もう起きます。どこも痛くないし。
でも、その瞬間、胸のどこかがチクリと痛む。
物理的にじゃなくて、心象的に。
それはほんの微かなもので、わたし自身でさえ、ともすれば気付かないほどの痛み。
でも、そんな痛みもネーナさんの気遣わし気な顔を見ていたら、すっとどこかへいってしまう。
「お召しものを変えて、お顔も洗った方がよろしいかと」
ややっ、わたし、そんなにひどい顔してる?
それとなく顔に手をやれば、口元にはよだれの跡。
そして目元には、涙の跡らしきものが。
やだな、もう。お恥ずかしい限りです。
なんか、怖い夢でも見たのかな。
そう言えば、前にも起きぬけの醜態をネーナさんの前で晒したんだっけ
照れ隠しに、にへっと笑うと、ようやくネーナさんも笑ってくれた。
ネーナさんの笑顔を見たとたん、わたしの笑顔も照れ隠しから本物に変わる。
さっきまで見ていた、悪い夢のことなんてどうでもいいや。もう忘れちゃおう。
顔を洗って、着替えも済んで、やっと一息。
聞けば、やっぱり今は明け方でした。
でもって、ここは騎士団用の客室だそうで。
遠方からいらしたお客様が、お泊まりになる部屋らしい。
そんな大それたお部屋で寝ていたのか、わたしは。
昨日、確かお昼頃に『炎の剣亭』やら、おっちゃんのことを相談しに来ていたんだった。
話の途中で倒れてしまったわたしは、ルドルフさんに抱えられて、このお部屋に。
取り急ぎベッドに寝かせたところ、突然むくっと起き上がり、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎだしたそうだ。
そのあと、セパレートタイプになっていた、メイド服のスカートをおもむろに脱ぎ出し……。
ルドルフさんたちは部屋から追い出され、わたしはブラウスのボタンを外しかけたまま寝てしまったらしい。
なんという不覚。またもやネーナさんたちにお世話になってしまった。
しょんぼりと肩を落とすわたしに、ネーナさんは聖女のような笑顔でお茶を入れてくれる。
そういう訳で、朝日も昇らないうちからネーナさんと二人でお茶会だ。
カーテンを開けてもらったお部屋は、夜明け前の光がうっすらと入って、なんだかまだ夢の中にいるみたい。
いや、起きてます。ちゃんと起きてますよ。
「昨日は、それはもう心配いたしましたのよ」
ネーナさんの言葉に、わたしもいろいろと思い出す。
あんまり思い出したくないんだけど、何だか情報量が多過ぎて、目を回しちゃったってことなんだね。
……うん、そういうことにしておこう。
ってことは、わたし、昨日のお昼過ぎくらいから、ずうっと寝てたってことかい。
なにやってんだ、わたし。情けないぞ、わたし。頑張れ、わたし。
などと自戒的なことを、心では思いつつも、わたしの手には、お茶請けのスコーンが。
スコーンだけに、すっこーんと、わたしの口に入ってきたしまったのだから、仕方のないことよね。
ごめんなさい。つまらない冗談を言ってしまいました。
こういう、駄洒落が好きなのは、きっと父ちゃんの影響だ。
うちの父ちゃんは駄洒落が好きで、家にいる時には突然駄洒落を言う人だったのだ。
銀縁の眼鏡越しの目付きも鋭かった、どちらかと言えば強面の部類に入るであろう、うちの父。
余所様にしてみれば、寒い親父ギャグを言う寒い人だったのかもしれない。
でもわたしの家では、いつでも父の駄洒落で和んできたのだ。
駄洒落をぼそっと言ったあとの、心なしか恥ずかしそうな表情をするのが、またなんとも堪らないのだ。
父のことを思い出しながら、スコーンをもぎゅっと頬張るわたしを、ネーナさんは安心したように見つめる。
折しも顔を出した太陽が、窓から明るい日差しをわたしたちに届け始めた。
太陽さん、まだ眠たいよう……。なんちって。




