第45話 わたしには秘密など何もないのだ【前編】
おおーっ、おっちゃん、わたしを置いて行かないでくれーっ。
同じ朴念仁同士、一緒に『炎の剣亭』を盛り立てて行こうって約束したばかりじゃないかっ。
ああーっ、マチルダ姫っ。おっちゃんを、連れてかないでーっ。
おっちゃんと手に手を取って去ってゆくマチルダ姫。
わたしは追いすがるように膝を付き、二人に向かって手を伸ばす。
顔を知らないはずのマチルダ姫が、わたしを振り返って、どことなく悪い笑みを返した。
マチルダ姫の顔を知らないので、その顔は妹君のソフィア姫のものに取って変わる。
いやーっ、あのゆるふわで優しい美少女のソフィアちゃんに、そんな表情させないでーっ。
……って、これは夢かな……?
よくよく考えれば、おっちゃんとはそんな約束したことはなかった……かな?
朴念仁同士で、お互い色恋沙汰とは縁遠い。とか思ってたのもわたしの勝手な想いなのかもしれないし……ね。
でも、日頃のおっちゃんを見てたら、おっちゃんにそんな素敵な想い出があるなんて思わないじゃないか。
マチルダ姫にだって、顔も知らない相手なのにヤキモチなんて妬いてないんだからっ。
あれ? なんだか夢の中なんだけど段々ハラが立ってきたぞ。
くっそーっ、荒くれてやるっ! がるるるるーっ!
わたし、荒くれる。
ワタシ・ア・ラ・クレール。
とか言うと、フランスの高級スイーツみたいで美味しそうだな。
スイーツ。と言えば、『ぷっつんプリン』。
学校から帰って来たら食べようと思って、お家の冷蔵庫に取っておいたのだ。
淹れたてのコーヒーと一緒にいただくと最高なのだよ。
あー、コーヒーはブラックでね。
見栄はってないです。大人ぶってないです。
甘いものと、ブラックコーヒーは合うのです。
今となっては、もう味わえないあの味は元の世界における唯一の心残り……。
「おなか、すいた……」
目を覚ましたわたしは、開口一番、そう呟いた。
うーん、なにか、もっと悪い夢を見ていた気がするのだけど。
のん気に『ぷっつんプリン』の夢など見ている場合ではなかった気もするのだけど。
いろいろなことを夢の世界に置いてきてしまったらしいな、わたしときたら。
なにしろ、今のわたしは腹ぺこな青虫ちゃんな気分だ。
なんでもいー。じゃんじゃん持って来い。血が足りねー。
たくさん食べたからといって美しい蝶に成長できるかは定かではないが。
でもって食べたからって寝直さないよ。ホントに、もう起きなくちゃ。
むっくりと起き上がる、わたし。
うーん、ここはどこだろう。
見覚えがあるような、ないような。
ああ、そうか。この前までいたお城の、お客様用のお部屋に似てるんだな。
はっ?! ってことは?! まさか??
わたしは、慌てて自分の上半身を確認する。
ふーっ、大丈夫でした。あの時みたいに、またもやすっぽんぽんだったらどうしようかと思ったぜ。
エプロンとヘッドドレスはなくなっていたけど、メイド服はちゃんと着ていました。
それにしても、なーんでわたしはこんなトコで寝てたんだ?
そもそも、いつの間にわたしは寝たんだっけ?
ぼんやりとお部屋の中を見渡せば、明るくも、暗くもない。
朝早いのか、それとも夕方なのかもさっぱりだ。
とりあえず、窓のカーテンを開けてみましょう。
腰から下に掛かっていたブランケットを、えいっと引き剥がす。
そしてその勢いで、ベッドから飛び降りるように窓へと歩き出した。
あれ? なんだか妙に足が、すーすーするな。
何気なく、自分の足下を見れば、靴下を履いてない。
だけじゃなく、スカートも履いてない。
念のため、言っておくけど下着は履いているぞ。
きゃーっ! なんだ、これっ?
慌ててベッドまで舞い戻って、ブランケットを頭から被る。
よくよく見れば、上に着けているブラウスも胸元までボタンが外されていた。
すっぽんぽんじゃなかったからって油断してた。いったい、どういう状況だろう。
わたしの目は一気に開いて、ブランケット越しに辺りのようすを伺った。
脱がされた服の数々は、どこにも見当たらない。
そっとベッドサイドを覗いて見たけど、愛用のスニーカーさえ見つけられなかった。
さてさて、どうしたものかしら。
取り敢えず、ブランケットを被ったまま、お部屋の探索でも……。
そう思った時、がちゃりとドアノブを回す音が響き、静かに扉が開かれる。
扉から現れたのは……。
ネーナさんだ、ネーナさんだ、ネーナさんだっ。
きゃーっ、今すぐ飛んでいって、抱き付きたいっ。
とはいえ、わたしだって子どもじゃない。
いろいろと弁えている、大人のつもりだ。
なので、お目覚めの時には、まずご挨拶。
「おはようございます」




