第35話 ここは『炎の剣亭』。王都随一の定食屋なのだ
おっちゃん、こんな時間からお酒なんて飲んじゃって大丈夫なのか。
ちゃんと料理できるのかな? お客さんの相手ができるのかな? 心配だよ。
「飲み過ぎではないですか?」
「オレは、この程度じゃ酔わん。心配するな」
うん。見てる限り大丈夫そうだ。でも、なんでだ? いつの間にか厨房の中に剣を持ってきたのは? それ、包丁じゃないですよね。
「気にするな。まあ、お守りみたいなものだ」
ふーん、日本人が神棚を祀るみたいなものかな。だったら、ルドルフさんの贈ってくれた『炎の剣』を飾っとけば良かったのに。
「あれだと威力が高過ぎる。『炎の剣亭』ごと吹っ飛ばしたんじゃ元も子もないだろう」
うわー。なんだか物騒なことをさらりと言ったな。ホントに飾っておくだけなんですよね? それ。
おっちゃんは、口元だけ歪めてニヒルに笑う。今時ニヒルな笑いが似合う人なんて滅多に見かけない。というより初めて見たかも。
「それより、お前。読み書きと計算もできるんだったな」
おっ、なんだ。早くも“お前”呼ばわりか。失礼なヤツだな。
いえ、わたしも“おっちゃん”呼ばわりしてました。ごめんなさい。
でも、これでおあいこってことで。で、なんだっけ。読み書きと計算かい? できるとも!
もっとも、この世界の言葉と文字が理解できるのは、あのお姫様のおかげなんだけど。
お姫様、しばらく会ってないけど、お元気かしら。
マティアスくんが教えてくれるには、あの魔法は王族だけが使える特殊なものだとか。
その昔、言葉の通じない、他国の方々との外交を深めるために開発されたんだそうだ。
お金の価値は、お城にいた時にネーナさんが教えてくれたのだ。
この国に流通している通貨は、硬貨のみ。紙幣はないらしい。
銅貨と銀貨、そして金貨が大小二種類。
銅貨は10枚で、銀貨1枚と同じ価値。
銀貨は100枚で、小金貨1枚と同じ価値。
小金貨も10枚で、大金貨1枚と同じ価値となる。
うん、シンプルで良いね。
大金貨ってのは、あんまり見かけないらしい。高価だからね。一番多いのは銅貨、次いで銀貨らしい。
だからお客さんが持ってくるのは、たいてい銅貨か銀貨。たまに金貨で払うお金持ちがいるがいるくらいだと聞いた。
こちらの相場が良く分からないんで、なんとも言えないけど、銅貨って100円玉くらいなのかな。すると銀貨が1000円くらい?
わたしがお城から御餞別の名目で貰った革袋の中身は、一つは大金貨と小金貨ばかり、もう一つは銀貨ばかりだった。しかもその袋、かなり大きい。
ってことは、実はわたしは大金持ちだったのか。無理に働かんでも良かったのか。当分は左うちわで優雅に暮らせたんじゃないのか。
いやいや、それでも一生は遊んで暮らすことなんてできない。だから働くところ住むところを見つけたかったんじゃないか。しっかりしろ、わたし。
一瞬、どこか遥か彼方へ飛んでいってしまった正気を取り戻して、おっちゃんの話の続きだ。
今夜のメニューは、店長のおススメの三品だけ。
要するに茹でたジャガイモ、焼いたジャガイモ、茹でたジャガイモを潰して酢と香辛料で和えたもの。
全部ジャガイモばっかりじゃねーか。そんなんでいいのか、おっちゃん。
と思いながらも、実際に食べて見ると——。
茹でたジャガイモってのは、わたしたちがお昼に食べたものだよね。
焼いたジャガイモは……、ああ、この前のジャーマンポテトか。
茹でたジャガイモを潰して、というのはなんじゃろう。
ふむふむ。さっき、大量に刻んだタマネギと、やっぱり小さく刻んだベーコンも加えるのか。
それらを、酢と香辛料で和える……と。おー、これはポテトサラダの一種か?!
意外に美味しいな。酸味と香辛料の辛みの配分が絶妙だ。やるな、おっちゃん。
どの品も味は上出来。実際に食べてみた、わたしが言うんだから間違いない。
でも、おっちゃん。少し安すぎないか。どれもこれも銅貨数枚で済んじゃう値段だよ。
一番の売りだっていう『炎の剣亭』でしか飲めないエールだって、ちょっとお高いってくらいで例外じゃないし。
けど、価格設定にまで新米のわたしが口を挟むことではない。
あんまり手間ひまの掛かる料理ではないし、第一仕入れの値段も知らないしね。
とかなんとか、やってるうちに、夜の営業の開店時間だよ。
といっても店の扉には鍵がかかっていないらしくて、いつでもお客さんは入ってくることができるそうで。
なんて不用心なんだ。夜とか、出掛ける時は鍵を掛けとこうよ。泥棒が入ったらどうするんだよ。
「店の中は、出入り自由なんだが、二階と地下には、マティアスに頼んで結界を張って貰ってある」
なんとマティアスくん、そんなことまで。おっちゃんにこき使われ……、いや、重用されてるね。
あっちの部屋の魔道具やら武器、防具やらはどうすんだ? 持っていき放題じゃないか。
「あの部屋に置いてある物はオレ以外が使うと呪われるようになっている」
なにそれ、怖い。それもマティアスくんの仕業?
「それはオレ自身が仕掛けた」
なにそれ、もっと怖い。おっちゃん、呪術まで使えるのか。
じゃあ、強盗が来た時はどうするんだ。武器をちらつかせて脅してきたりしたら危ないじゃないか。
「そういう手合いが実は一番簡単だ。その場で返り討ちにすればいいだけの話だ」
おっちゃん、再びニヒルに笑う。そこは元騎士様なんだから、もっとこうなんというか町を守る人の目、とかになろうよ。
なんだか『炎の剣亭』に入った泥棒や強盗に同情しちゃうよ。
どんなに生活が困っても、犯罪に走っちゃいけないよ。
特に『炎の剣亭』を狙っちゃいけない。
これはフリじゃないよ。警告だよ、警告。




