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第164話 というか最終話 夢幻の如く……すべて世はこともなし! なのだ

 こうして、嵐のように来襲したマチルダ姫様。

 などと勝手に思っていたのは、わたしだけなのでした。

 実際は、嵐どころか、雲の切れ間から顔を覗かせたお日様みたいな方だったお姫様は、「またね」と手を振りながら、ちょっとだけ名残惜しそうに帰っていかれたのだ。


 案内役兼護衛役のルドルフさんとマティアスくんも、お世話係のネーナさんも、当たり前のようにお姫様と共に去っていく。

 だというのに、おっちゃん、何故(なにゆえ)わたしと並んで、『炎の剣亭』の店先で御一行様をお見送りなんぞしていたりするのだ? 


「一緒に行かなくて良かったの? おっちゃん」


「ああ、オレの持ち場は『炎の剣亭(ここ)』だからな」


 ——あれからずっと。これからもずっと、だ。


 そう呟くおっちゃんの横顔には、もう迷いだとか、心配だとか、なにか憂いのようなものは一切感じられなかった。

 長年のお姫様に関した心のしこりや、わだかまりってやつ、今日の出来事で、きれいさっぱり消えちゃったらしい。


 良かったね、良かったね、良かったね。


「さあ、面倒な客も帰ったことだし、一杯いっとくか」


 大きく伸びをしながら、お店の中に戻っていくおっちゃん。


 なんだよ、おっちゃん! あの表情って、結局そういうこと?


 けれども、そうでもないことは、その後ろ姿から伺える。

 気のせいか、微妙に、本当に微妙に、どこかしら照れ隠しみたいなものが感じられるのだ。


 いえ、それはきっと、気のせいではない。

 わたしだって、この世界に来てから、短いながらも、ずっとおっちゃんと共に過ごしたのだ。


 ——そのくらい、わかるよ。


 わかってる……と思う。わかってるはずだ。わかっている、ということにしたい。


 気がつけばわたしは、ドンッとぶつかるように、おっちゃんの広い背中に、ひっしと抱きついていた。


「おっ、どうした? 疲れで足がもつれたか?」


 うひゃー、勢い余って抱きついちゃったよ。

 だけどもさ、そこは黙って、抱きしめ返したりするところじゃないの?


 けど、そうか。後ろからホールドしちゃったからね。

 おっちゃんだって、身動き取れないのか。失敗しちゃったな。


 恐る恐る、その背中に埋めていた顔を、そっと上げてみれば、おっちゃん、いつもの無愛想な横顔なんだけど、耳の辺りまで真っ赤だ。

 それを目にした途端、再びわたしの頬も熱を持つ。きっと熟したトマトみたいに真っ赤になっているに違いない。


「そ、そうなんです。朝からいろいろあったので、疲れが出ちゃったかな、なんて」


 急に照れ臭さ、みたいなものが込み上げてきて、パッと身体を離しながら、とっさにそう言ってしまうわたし。


「そうか。朝から、妙なことに巻き込んじまってすまなかった。上で横になるといい」


 そう言うが早いか、おっちゃんは、わたしをさっと抱き抱えると二階へ向かった。既に、その顔からは赤みが消え、真剣な眼差しとなっている。

 我が人生三回目のお姫様だっこ。もうジタバタ暴れたりしないよ。おとなしく抱き上げられたまま、ベッドに向かうのだ。


 とかいう言い方だと、なんだか、ちょっぴりいやらしい。

 でもその後には、なにもなかった。なんにも起こらなかった。

 わたしは、ベッドに寝かし付けられた途端に爆睡してしまったのだ。


 爆睡してなかったとしても、なにもなかったんだろうとは思っているけど。

 いや、そんなことないかな。やっぱり、なにか起こったりしたんだろうか。


 なーんて思ってみたり、みなかったり。

 むー、これ以上は秘密だ。乙女心は、そうやすやすと開示したりはしないものなのだ。




 そしてそれから幾星霜……ってほどでもないや。

 数週間後、すっかり長雨も上がって、ここ王都にも暑い季節がやって来た頃。


 わたし達は、旅の準備をしていた。

 今日は、お姫様のお招きで隣国へとお出掛けすることになった、その出発の日なのだ。


 結局、あの日のお誘いには乗らなかったおっちゃん。

 仕入れの旅、特にお酒の仕入れなんかには嬉々として出かけるくせに。意外にデブ症、もとい出不精なんだな。


 なーんて思っていたら、なんとちゃんと了承してました。

 やや、いつの間に?! 実は、お姫様が訪ねて来たあの日、その当日に。


 そういえばおっちゃん、お姫様に耳を引っ張られて、なにか言われてたっけ。

 諸々の“お話し”のひとつに、今回のお招きの件も入っていたのだろう。

 きっと、そうだ。そうに違いない。


 なぜわたしが、そんなことまで知っているかといえば、お手紙をもらったのだ。マチルダ姫、当のご本人様から。


 あのあと届いた一通のお手紙。

 王族であるお姫様による、庶民のわたしに宛てられた非公式な書簡には、いろんなことが書かれていた。


 あの日のお礼、ご自身や、ご家族の近況、そしてもちろん、あの日には語りきれなかったおっちゃんとのあれこれ。

 プライバシーに関わることなので、詳しくは内緒だけれど、その内容から、おっちゃんに対して、そしてお姫様への好感度も、ますます爆上がりなのだ。


 そんなお手紙の文末に、お誘いを受けてくれたことへのお礼だとか、日程の確認なんかも書かれていたのだ。

 それによれば、「新婚旅行の代わりだと思って、いらっしゃい」みたいなことが書かれてあって、思わず赤面してしまったのは言うまでもない。


 直ちに、おっちゃんに問いただしてみれば、


「おお、いくぞ」


 などと、何事もなかったかのように答えるではないか。


「報告、連絡、相談は、素早く、手短に」


 なんて、とりあえず言ってはみたんだけど、おっちゃんは別のことを気にしてたみたい。


「ああ、まあ、そうだな」


 なんて、その返事には、いつものキレがなかった。


 たぶん、わたしと同じように、お姫様に言われた“新婚旅行”なる言葉に、何やら思うところがあったらしい。

 わたしとしては、“新婚旅行”というより、“修学旅行”っぽいものだと自分に言い聞かせて、なんとか気持ちを落ち着かせたのだけれど。


 そんなこんなで、この度、この旅、初めてのおっちゃんとの二人旅! へと出ることになったのだ。


 比較的近いとはいえ、お姫様の待つ隣国の都に辿り着くまでは数日掛かるらしい。

 今までは、ご近所さんをウロチョロとしていただけのわたしにとっては、初めての旅、いえ、これはもう冒険と言っても過言ではない。


 おっちゃんだって、その準備には余念がない。かと思いきや。


「おや、おっちゃん、荷物はそれだけなの?」


「ああ、隣の国にいくだけだろう。遠征で僻地へゆく訳でもあるまい。旅慣れた者ほど手荷物は少ないものさ」


 わたしの荷物は、着替えがほとんどだ。毎日、同じものなんて着ていられないじゃない。

 今は、動きやすい服装ということでジャージ着用なんだけど。実は、あのドレス一式も、そっと荷物の一部に忍ばせてあるのだ。

 自分ひとりで着用できるかどうは、自信ないんだけどね。ま、念のためってやつさ。お姫様とご一緒する時に着る服ってことで。


 でも、おっちゃん、随分と大きな馬車を調達したんだな。

 後部の荷室には、いったい、どんな物が入っているんだ。


 こっそり覗いてみれば、コーヒー豆が入っていると思わしき大きな袋。

 それにコーヒーを淹れるための用具一式。今回は、ウル翁から魔導式焙煎機も借りてきたんだよ。

 これで、煎りたて挽きたての美味しいコーヒーを、隣国のみなさんにもご披露できるって訳さ。


 実はウル翁にも、この旅に同行してもらえるようにお願いしてみたのだけれど、


「ふたりの旅にお邪魔するほど野暮ではないわ。それに儂も旅に出ようと思っておったところじゃ」


 と、丁重にお断りされてしまったのだ。


 あと乗っていたのは、大ぶりな樽が幾つか。


 おっちゃーん、これって、よもや酒樽なんじゃないでしょうね?


 わたしのジト目による、無言の問いかけに、


「水分補給は大切だからな」


 とかなんとか、言い訳のように呟くおっちゃん。


 ——もう、おっちゃんったら相変わらずだなあ。


 相変わらず、騎士ではない、素のおっちゃんを見せてくれる。

 だからこそ、わたしは、そんなおっちゃんのことを大好きになったのだ。


 もう、本当にあれやこれやとあったのにも関わらず、おっちゃんとわたしとの関係は相変わらずだ。特に進展なんて、なにもしていない。

 お姫様だっこだって、あれからされてはいないし、それ以外にも、あんなコトも、こんなコトなんて、全くもって気配すら感じられない。


 まあ、要するに、“全て世は事もなし”ってやつだね、これは。


「ミヅキ、そろそろ出掛けるぞ」


 あ、でも最近は名字じゃなくて、名前で呼ばれることが多くなったかな。


「はーい、今いきます」


 わたしも、元気良くお返事しちゃったりなんかして。


 先に馬車に乗り込んでいたおっちゃんが、わたしの手を取って引き上げてくれる。

 こんな時だとか、お姫様だっこしてくれた時なんかも、おっちゃん、顔色ひとつ変えないんだよな。


 こっちは、なんかかの拍子で、ふいに手と手が触れ合っちゃりすると、思わずドキッとしてしまうっていうのに。

 今だって、ぎゅっと強く握られた手を意識して、顔が赤くなるのを悟られないようするのに一生懸命だっていうのに。


 おっちゃん、ズルーい。

 でも、いいさ。おっちゃんが、ドキドキするようないい女になるのは、きっとこれからなのだ。


 そう、この旅の間にも、わたしが成長するかもしれないのだし……。

 今度こそ、なにかが起こってしまう! のかもしれないのだし……。


 きゃー、これって、やっぱり新婚旅行?!


 などと、いつものように益体のないことを考えつつも、馬車に乗り込んでみれば、そこには既に先客がいらっしゃった。


「遅かったじゃないですか、ミヅキさん」


「いや、我々が早く着き過ぎただけではないか」


「そうですよ。主賓のお二人を急かすものではありません」


 マティアスくんに、ルドルフさん?! それにネーナさんまで?!


「どうなさったのですか、みなさん揃って」


 予想を超えた先客の登場に、思わず間抜けな質問をしてしまうわたしなのだ。


「言っておくが、オレが呼んだんじゃあないぞ」


 おっちゃんが、いまいましそうな表情で、ぼそりと(ひと)()ちた。


「こいつらが、勝手についてきたんだ、勝手に」


 今度は、はっきりと、お三方にも聞こえるように、というか聞かせたのかな、これは。

 ことさら「勝手に」のところを、強調するおっちゃんである。


「先輩たちだけで出かけるなんて、寂しいじゃないですか。僕たちも連れていってくださいよ」


「まあ、俺の場合はミヒャエルたちの旅の安全を図る護衛役としてだな、同行することにしたのだが」


「私、この旅の間、ミヅキ様の身の回りのお世話をさせていただこうと、こうして馳せ参じた次第ですわ」


 ニコニコと楽し毛を盛大に生やすお三方を前に、おっちゃんは「やれやれ」といった風に額に手を当てて首を振った。

 けれども、その仕草とは裏腹に、意外にも、おっちゃんの口元には、うっすらとした笑みが浮かんでいるのが見てとれる。


 わたしだって、おっちゃんとの二人っきりの旅という目論見が外れたのは、確かに少しばかり残念に思わなくもなかった。

 でも、旅は大人数でいった方が断然楽しいと思うのだ。修学旅行なんかに行く機会は、もうないだろうし、こんな旅も悪くはない。


 ところで、みなさん。そちらの席はきつくないですか。


 お互いに向かい合わせになっている座席、わたし達の正面に座るお三方。

 痩身なマティアスくんは、さらに細くなっているし、ネーナさんも女性らしく、コンパクトに収まっている。

 ことに、お二人に挟まれたルドルフさんに至っては、まさにその身を縮めて、無理矢理座っているように見えるのだ。


 いつもの重装備じゃなくって、もっけの幸い。

 だとしても、大きめな馬車とはいえ、その座席に大人三人が並ぶのは、少し狭い気がするのですが。


「あの、どなたか、こちら方にお座りになりませんか」


「いいえ、お構いなくっ!」


 みなさん、一斉にお顔の前で手を左右に振る。


「まあ、ついて来ちまったものはしかたがない。その調子で、頼むからおとなしくしていてくれよ」


 うむ、としたり顔で頷くおっちゃん。

 みなさんの表情も、楽しそうな笑顔に溢れている。

 そういうわたしだって、さっきから頬と口元の緩みが止まらない。




 動き始める馬車。

 揺られるわたし。


 ふと車窓から空を見上げれば、まさに天下泰平な青空がドーンと広がっていた。


 ここ王都の夏は始まったばかり。

 わたしの旅も、始まったばかりなのだ。

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