第162話 聖女及第! ということにしてほしい! のだ
はっ!? 後ろを取られるなんて!? わたしとしたことが、なんたる不覚!!
じゃなくって、どこへいってたんですか、ネーナさん?
準備? なんの? 衣装替え? えっ、わたしの?
ふと気づけば、ルドルフさんもマティアスくんも公的な執務服に着替えている。
ネーナさんの執務服といえば、それはもう、いつものメイド服に決まっている。
もちろんお姫様は、始めから簡素ながらも王族らしい上品な装いで、記念写真を撮るのに相応しい身なりだ。
いつもの恰好なのは、おっちゃんとわたしだけ。
ってことは、やっぱりお着替えしなくっちゃいけないらしい。
「ミヒャエル、あなたも身なりを整えてらっしゃい」
マチルダ姫様にも、そう言われてしまったおっちゃん。渋々、面倒そうに階上へ着替えに戻る。その後に続くわたし。
わたしに至っては、お部屋着のジャージだからな。
かといって、お姫様と一緒に写真を撮ることを想定した服なんか持ってない。
お召し替えっていったって、いったいなにを着れば良いというのだ。
けれども、わたしの正装と言ったならば、それはかつて愛用していた学校の制服一択と相場は決まっている。
うむ。あれはわたしの一張羅であり、勝負服でもあり、お姫様と共に写真に写ろうとも恥ずかしくはない唯一の衣装。と思う。
などと考えながら、自分の部屋のある二階への階段を昇る。
おっちゃんが自室と思わしき部屋に消える、その背中を見送りながら、扉に手をかけようとしたその時。
いつの間にかわたしの後にいたネーナさんが、素早く前方へと回ったかと思ったら、恭しく部屋の扉を開く。
「さあ、どうぞ。私が責任を持って、ミヅキ様をマチルダ様と並ぶに相応しい、レディの装いにしてさしあげますわ」
ネーナさんの有無を言わさぬ迫力に促されるまま、部屋に押し込まれるように入るわたし。
「心配はご無用です。幸い、ドレスは新調せずとも、以前差し上げたものがありますもの。安心して私にお任せあれ」
ドレス……? って、あのドレスのことですか!
この世界にお招きされたばかりの頃、王様と謁見するために用立てていただいた、お見合いドレス。
わたしには似つかわしくない、大人のフォーマルな衣装。着るというよりも、着られてしまいそうな衣装。
正直、あんまり気乗りがしない。
「あのう……、そのドレス、わたしには少々早い気が……」
「いいえ、このドレスをお召しになるのは、今日という、この日しかございません」
でも、あれは、あればかりは、ちょっとばかり恥ずかしい。入れ物だけが立派で、全然中身が伴っていない気がするのだ。
あれを着るくらいだったら、日頃気慣れているメイド服の方が数段良いかと思うんだけど、そんな提案もネーナさんには速攻却下されてしまったよ。
ならばサイズ関係で、やんわりとお断りしてみることにいたしましょう。
それだったら、折角のお気持ちも無駄にしていない……、かのように思われるに違いない。
「でも、確かサイズも、わたしの体型とは合っていなかったような……」
「ご安心ください。こんなこともあろうかと、ミヅキ様に合わせてお直ししてございますよ」
ああ、いつの間に。
きっと、力尽きて寝ていた、この2、3日の間かな?
いえ、もしやお城からお引っ越しした時には、もう既に?
どちらにしても、もうあのドレスからは逃れられない気がするよ。
ふーっ。分かりました。
こうまでしていただいた以上、もう覚悟を決めましょう。
「よろしくお願いします」
という訳で、ミヅキ in ドレスだ。
in ドレスなんだけど、ここには姿見なんてないからね。
自分がどんな風になっているかなんて、ほとんど分からないのだ。
果たして、本当に似合っているんだか、いないんだか。どうなんだろ?
ネーナさんのウレシ毛わしゃわゃな顔を見る限り、そう悪くはなさそうなんだけど……。
「あらあら、すっごく似合っているじゃない」
そこへ現れたのは、マチルダ姫様。
お姫様ときたら、いつでも突然現れるんだな。やはり、侮り難し。
——あの、まだ仕込み中でして、化粧まではしなくても、お髪くらいは整えたい所存なんですけど。
なーんていう、わたしの心の声なんて、もちろんお姫様はガン無視だ。
「ネーナ、ブラシを」
「はい」
抜群のコンビネーションで取り出されるヘアブラシ。
促されるままに、部屋の片隅に置かれていた可愛らしいイスへ、ちょこんと座ってみる。
「それにしても、殺風景なお部屋ね。女の子のものとは、思えないのだけれど」
「ええ、その辺りのことは任せてくれ、とミヒャエル様が申すものですから、同居の許可を出したのですけれど」
おや? そうですか? お二人の会話を後頭部辺りで耳にしながら、わたしは思う。
わたしとしては、この部屋っていかにも『炎の剣亭』の一部っぽくて、つまるところ、おっちゃんらしくって良いと感じているのですが。
無駄なものが置いてなくて、こう、なんと申しましょうか、シツジツ・ゴーケン? みたいなとこなんかも、とっても気に入っているわけでありますし。
でもまあ、確かに元いた世界の、元いたお部屋に比べると、なんにもないかな。
前に住んでいた宿舎にだって、共同の洗面所には、大きな鏡が据え付けてあったというのに。
姿見どころか、手鏡のひとつも置いてないっていうのは、女子の部屋としてどんなもんなんだろう。
もともとお化粧なんてしないから、ドレッサーなんて大げさなものはいらないけれど、髪を梳かしたりするのに鏡は必要かも。
でないと寝起きのボサボサ頭のまま、一日過ごさなくてはいけない。寝癖なんかがひどい朝なんか、目も当てられない姿になるのは必至。
うーん、次のお給料が出たら、お部屋の備品を買いに行こうかしら。
なんてことを考えつつも、しゅっ、しゅっと、髪を梳る音だけが響く部屋。
「貴女の髪、艶も張りもあって、素晴らしく美しい黒髪なのね」
その沈黙を破る者あり。
それは、やっぱりお姫様。
うわー、なんて恐れ多い。
てっきり、さっきから髪を整えてくれていたのはネーナさんかとばかり思っていたよ。
でも、頭の少し上の方から聞こえてくるのは、お姫様その人のお声で間違いなかった。
ははは……、なんの罰ゲームだろ、これ。でも、お姫様に髪をすいていただくなんて良い記念かも。
「貴女、本当は聖女様として召喚されたのですって?」
ぐはっ。忘れていた過去の古傷を突いてくるなんて。もう、そのことは時効にしてくださいよー。
「けれども、それは手違いだったという結果となった」
ううっ、ホントにもう許してください。一番驚いたのは、わたしだったんです。
「相変わらず見る目がないのね、この国のお偉方は」
おおっ、この国の元王女様がなんてことを仰るのでしょう。って、えっ?
「わたしだったら、貴女を聖女様として認定してさしあげましたのに」
わわっ、なんてもったいないお言葉。もうそれだけで十分です。
「貴女は、そうね……、差し詰め『コーヒーの聖女様』かしら」
てへっ、『コーヒーの聖女』。うれしいけれど、史上最も庶民的な聖女様みたいだなー。
「それとも、やっぱり『花火求婚の聖女様』の方が相応しいかしら」
うひゃー、『コーヒーの聖女』の方がいいです。これからも美味しいコーヒーを淹れられるよう頑張りますから。
「さあ、仕上がったわ。我ながら上出来ね。とっても可愛いわ、ミヅキ」
お姫様は、最後になにか髪留めのようなもので、わたしの髪をまとめると、そう仰せになられるのでした。




