第156話 対決! vs.おっちゃん! なのだ その二
「今さら帰って来て、わたしの大切な人を連れてかないでよっ!」
そう伝えたかった思いは、でも、声にはならなくて、お姫様の笑い声と共に、どこかへ消えていってしまった。
ああ、痛恨の一撃。
がっくりと項垂れるわたしに向かって、お姫様は笑い続ける。
まさに、破顔一笑。
それはもう、嬉しそうに、楽しそうに、普通の若い町娘のように笑っていた。
なによ、もうっ。そんなに笑わなくったっていいじゃない。
溢れそうになっていた涙を、ぐいっと拭うとお姫様を睨み返す。
でも、腹を抱えて笑い転げていたお姫様の視線は、わたしにではなく、傍らで律儀に正座を続けていたおっちゃんに注がれていた。
その笑顔とは裏腹の、妙にじっとりとした視線の先にいたおっちゃんの表情ときたら……。
わははっ。なんだ、おっちゃん、その顔。
いつもならキリリと上がっている眉は、だらりとだらしなく八の字を描き、自信たっぷりに上がっているはずの口元も、やっぱりだらりと下がっている。
「ということなのですけれど……」
ようやく笑いが収まったお姫様。けれどもなぜだか、その瞳のじっとり具合は、ことさらに深まっていた。
「ミヒャエル、あなたはどうするつもりなの」
お姫様にジト目で、そう問われたおっちゃん、立ち上がって答えようとするも、その足はもつれる。
どうした、おっちゃん。もしかして足がシビれちゃったのか。
先ほどまでの張り詰めた雰囲気は、いつしか緩やかに解けて、なんだか和やかな空気に包まれるのが感じられた。
どれどれ、大丈夫かな、おっちゃん。
よろけるおっちゃんを助け起こそうと、席を立ちかけたわたしを、お姫様は手で制する。
「いいのよ、しばらく放っておきなさい。それより、もっとお話ししましょう」
にっこりと微笑むお姫様。その威力は絶大だ。
わたしは、素直に浮かせた腰をストンと落とした。
「ミヒャエル、あなたはまだそこに正座。この子と私が言ったこと、きちんと考えなさい」
おっちゃんは、下がった眉と口元をより一層下げると、大人しく座り直す。
よし、という風に頷いたお姫様は、わたしの方へ向き直ると居住まいを正した。
つられて、わたしも背筋を伸ばす。
これは、お説教タイムの始まりかなあ。
わたし、かなりぶっちゃけちゃったからね。
「ごめんなさいね」
けれどもお姫様ときたら、わたしの両手を取ると、開口一番に謝り始めたじゃないか。
しかもその瞳には、まるで恋する乙女のように、真剣で情熱的な炎を宿しているのだ。
えっ? なになに? どういうことよ、これ?
いったい、なにが起こっているっていうの、今?
「私に間違われたせいで、いろいろと危ない目にあったり、嫌なことがあったりしたのでしょう?」
ああ、その件は、やっぱりお姫様のお耳にも入っていたんですね。
それはそのー、確かにそうだったんですけど……、いまだに、なんでわたしなんかが、お姫様と間違われたのか分からないんですよ。
どう答えたら良いものかしら。
返事ができないままのわたしをよそに、お姫様に握られた手には、より一層の力が込められるのが感じられた。
「あなた、可愛いいんですもの、私に似て。久しぶりに会った者たちが、間違えるのも無理はないわ」
ええーっ! わたしごときが、お姫様に似ているだなんて滅相もないっ!
「ふふっ、そうかしら。あのファイヤーボールの求婚を見たら、私と同じようなこと考えている人っているんだなって思えたのだけれど」
えええーっ! あの時のアレ、見てたんですか? うわっ、お恥ずかしい。
「ええ、女性からの求婚だなんて、はしたないという声も一部から上がったようですが、私は断固支持いたします」
お姫様は、さらに握る手をぎゅっと強めると、目を輝かせてわたしを見つめる。
「なにより、ミヒャエルを選んだこと。その判断は、きっと間違っていないわ」
そして、わたしの手を握ったまま、あのとびっきりの笑顔で何度も頷いていた。
思ってもみなかったお姫様のリアクション。なんだか照れちゃうね。そう言われると……、ってそうじゃなーい!
わたしの寝ていた間に、いったいなにがあったんだ? お姫様的には、あの一件、あれで良かったってこと?
ルドルフさんとマティアスくんの笑顔。それが、全てを物語っていた気がする。
わたしのしでかしたコトは、もう既に丸く収まっていたのだ。
ううん、収まってなんかいない。
特に、最後のファイヤーボールの件。あれは収まってない。
世間では、わたしから求婚したってことになっている?
それで収まっているなんて……、ああ、なんてコトになっているんだ!
——うう、なんだっていうの、この気持ち……。
断固、言い訳したい。それは誤解です。とかなんとか。
あ、いえ、好きだっていう、この気持ちを告白しようしてたので、あながち誤解とは言い切れないのですが。
それはともかく、いろいろと大切な途中経過をすっ飛ばして、いきなり結婚を申し込んだりなんかした覚えはないのです。
けれども、さっきまで饒舌だったわたしなのに、思っていることを上手く口にできそうにない。
真相をどう説明したものか。言葉を選んで迷っているわたしの手を、やっと離してくれたお姫様。
いい感じに氷が溶けて、涼しげに汗をかいたコーヒーに視線を落とせば、その指先はマグカップについた水滴をなぞる。
「それから、ありがとう。私の思っていたことをミヒャエルに伝えてくれて」
——私の思っていたこと……?
「あの頃のこと……、少々思い出話しをしたかっただけなのですけれど。あの人は、また同じことを繰り返そうとしていましたから」
——それって、もしかして……!
「あの人の朴念仁っぷりときたら、あの頃から度し難いものがありましたわ。なので、軽く糺して差し上げました。軽く、ね」
お姫様は、再び視線をわたしに戻すと、不敵とも思えるような、それはそれは美しい笑みを浮かべるのでした。




