第152話 対決! vs.お姫様! なのだ その八
カリカリと、コーヒー豆を挽く音だけが『炎の剣亭』の中に響きわたる。
おっちゃんたちも、いつもみたいな大騒ぎのひとつでもしてくれたらいいのに。
こんな時に限って、なにやら男三人額を付き合わせて、小声でひそひそと話し込んでいる。
静謐を好み、また自らも無口であると自認しているわたしでも、この沈黙には耐えられない。
お姫様は、きっとじっと黙ったまま、しかし微笑みを絶やさぬままに、わたしを見つめているに違いない。
違いない……というのは、わたしは厨房の中、彼らに背を向けたまま作業に没頭しているからなのだ。
いつもだったら、コーヒーを淹れる作業は水場の隣、つまりはカウンター席にいるお客さんと向き合うかたちでやっているんだけど。
今回ばかりは、お姫様の撒き散らす、というかわたしに向けて放たれているなにかしらのなにかに負けそうになって、ついつい防御態勢に入ってしまったのだ。
そうこうしているうちに、火にかけておいたケトルがしゅうしゅうと騒ぎ始めた。
それをきっかけに次の工程へと移る。くべられた薪を引っ張り出して、弱火に調節するのだ。
ファイヤーボールの一件が関係しているのかいないのか、竈の火をつけるくらいは確実にできるようになった気がする。
といっても、そんな気がしているだけで、実際は魔導器の扱いが上手くなったからなので、火の魔法が自由自在となっているってことでもないのだけれど。
さてと、ここからが問題よね。
まあ、その、いろいろと。
幸い、というかなんというか、竈はわたしの隣に位置するところにある。
手にした豆を挽き切ると、そっと反復横飛びのような動きで竈の前に移動した。
——なにを気にしているんだろう。
自問自答。
この後の作業工程のこと、美味しいアイスコーヒーを淹れるための工程のこと。
氷を製氷機から取ってくるのは良いとして、コーヒーをドリップする作業は、お姫様と対面するかたちになるのは避けられないこと。
——なんだか、気まずいなー。
いやあ、違うでしょ。
わたしが気まずさなんか感じる理由なんてないよ。
——なにをビビってるのよ。
こっちが正しい。
それは、決して彼女がお姫様で、こっちはただの一般庶民で、肩書きやら、社会的評価やらが違いすぎて、大いに恐れ入っているという点ばかりじゃない。
ましてや、お姫様の発するお姫様オーラに当てられて、至って普通の元女子高生、現定食屋なんだか居酒屋なんだか喫茶店なんだかの店員でしかない自分が萎縮してしまったってことでもない。
なんだか、元カノが今カノを視察に来た! みたいなコトを、勝手に想像してしまったのだ。
しかも、わたしは自分の気持ちに気づいてしまったけれど、おっちゃんもわたしのことを好きなんだかどうかなんて、今もって不明だ。
——ええいっ、ままよっ!
まるで江戸時代の講談に出てくるお侍さんみたいな気合いを入れて、お湯の入ったケトルを片手に、お姫様の方へ振り返る。
でも……、そこにお姫様はいなかった。
あ、いえいえ、ちゃんと同じところに座っていらっしゃるのだけれど、その視線はテーブルの方向、つまりはおっちゃんたちのいる方へ注がれていたのだ。
少し肩透かしを食らったような、それでいて安心したような。けれども、お姫様があっちを向いている、今がチャンス!
ケトルのお湯を手早くポットに移し替え、アイスコーヒー用のマグカップを用意して、おもむろに地下の製氷機に走り出す。
業務用とも言える大きなサーバーにいっぱいの氷を持って上がると、お姫様は再びこちらを、というよりわたしの手元を見つめていた。
お姫様の表情には、ほんの少しだけれど驚いているのが見て取れる。
ふっふっふ。驚いたかね。『炎の剣亭』には、この季節なのに、こんなにたくさんの氷があるのだよ。
大きなサーバーも、大量の氷も、自分で作った訳でもないのに、なぜだか誇らしい。
焦らない、焦らない。
こんなところでマウントをとっても仕方がない。
勝負は、まだまだこれからなのだ。
サーバーの中から、用意してあったマグカップに、二つ三つと氷を放り込む。
カランカランと鳴る、涼しげな氷の音が、既に美味しく仕上がりそうな予感を知らせてくれた。
大きなサーバーに相応しい、大きな濾し袋。その中には、さっき挽いたばかりの豆で一杯に満たされている。
そこへ注ぐお湯の量とそのペースが大切。慎重に慎重を期して調節しなくては、美味しく淹れることはできないのだ。
少しずつ、少しずつ。
始めは、コーヒー豆全体にお湯が染み渡るように、ゆっくりと注ぐのだ。
慌てない、慌てない。
豆にお湯が行き渡ったら、最初の一滴が落ちて来るのを待つ。
一滴、また一滴と氷の上へ落ちてゆくコーヒー。
それを見守っている、その瞬間が、とても好きだ。
無我の境地とでも言おうか……。
えへへっ、そんなご大層なものでもないか。
けれども、その時だけは、お姫様との勝負のことなんて忘れている自分が確かにいた。
あっ、いえ、勝負なんてしてはおりませんけれど。力いっぱいのおもてなし、渾身のアイスコーヒーを淹れているだけですけれど。
わたしだって、乙女の端くれ。
お姫様相手にだって、少しも引けを取らない。
と、本気でそう願いたい。
ほんのちょびっとだけど、余裕ってやつを見せたいのだ。
充分にコーヒー豆が蒸らされたら、今度は真ん中辺りから「の」の字を描くようにお湯を注ぐ。
お湯は粉となった豆に染み込み、盛大に泡立つ。まるで美味しさへの期待に高鳴るこの胸のように、その泡は膨らんでゆくのだ。
「私……」
お姫様の声に、思わずお湯を注ぐ手を止める。
ちらりとそちらを伺えば、彼女はテーブルの上、指で「の」の字を描きながら、その顔は朱に染まっていた。
その表情を見た途端、わたしのなけなしの余裕なんてものは、木っ端微塵になって吹っ飛んでゆくのを感じてしまうのでした。




