第151話 対決! vs.お姫様! なのだ その七
だがしかし、打ちひしがれてばかりはいられない。
お姫様はお客様。そのお客様がお呼びなのだ。素早く向かわないと。
だいたい、さっきまでは、お姫様を迎え撃て! くらいの意気込みだったじゃないの。
おっちゃんが、おっちゃんらしい、いつもの一杯でお姫様をお迎えしたのだ。
わたしだって負けていられない。どんな注文だって受けて立ってみせようではないか。
お姫様に屈すまいと、にっこりと自分最大級の微笑みを返し、二人のいるテーブルに歩みを進める。
と、自分では、そんな風にできてるって思っていたんだけど、実際は微笑みは引きつり、足元だって、ほら、なんだかおぼつかない。
同じ方の手と足がいっぺんに出ちゃう、みたいなぎこちない動きしかできないよ。なんだかなあ、まったくもう。
わたしがジタバタとやっていると、それまで背を向けていたおっちゃんは、おもむろに立ち上がって呆れたような顔で振り向いた。
「ホズミ、お前なにやってんだ」
なにをやっているんだ、じゃあないよ。
わたしだって、あれこれと思うところはあるんだよ。
心の中で、乙女らしからぬ悪態をついてしまう。
けれども、おっちゃんの顔を見たら、途端に安心してしまったぞ。
緊張感から解放されたわたしの動きは、急に軽快になったりして。
ちぇっ、なんだか悔しいなあ——。
結局は、おっちゃん次第なのか? わたしとしたことが!
だがだがしかーし、めげてばかりじゃいられない。
お姫様のご注文をお伺いしなければ、それこそホントの役立たずになってしまう。
「ご、ご注文でしょうか?」
ははっ、かんじゃったよ。
でも、笑顔は自然だった……、はず。
さあ、なんでも、どんと来ーい。
メニューに載ってるものだったら、どれでも作っちゃう。
って、あれ? そのメニューはドコいった?
そもそも持って来てなかったっけ?
うわっ、カウンターの上に置きっぱなしだった。
しーかーもーだ。メニューがあったとしても、今日はまだ在庫の確認だってしてない。
このまんまじゃ、載ってるものなら、なんでも作っちゃうどころの騒ぎじゃないよ。
——終わった。
今度こそ、終わった。
思わず大きなため息が出そうになった、その時。
「マチルダ様は、冷たいコーヒーをご所望だ」
おっちゃんは、ブラックのコーヒーに、ほんのちょっとだけガムシロップを垂らしたような笑顔を見せる。
「御意っ!」
わたしは、もうその言葉に従うしかなかった。
あれこれと考えていたことなんて、もうどうでも良くなった。
二人に向かってペコリと頭を下げると、クルリと踵を返して厨房に向かう。
これからが本領発揮だ。ようやく戦闘開始だ。わたし渾身のアイスコーヒーを淹れてしんぜよう。
意気込みも新たに歩き出せば、どうしてだか誰かが後ろからついてくる気配。
なんだよ、おっちゃん。心配するなよ、おっちゃん。この一杯だけは、わたしに任せてよ。
「まずは、アイスコーヒー用の豆を用意して、と」
「ふーん、それが、この国で使っているコーヒー豆なの?」
「はい、さるところより、さるお方から譲っていただいた秘伝の……」
って、えええーーーっ!
なんでお姫様が、厨房にいるのよ?
「お客様、ここは関係者以外は立ち入り禁止ですのよ」
なーんて言えるはずもない。
虚をつかれ、ボーゼンと立ち尽くしていると、お姫様の後ろからぬっと顔を出すおっちゃん。
その笑顔はなんというか、ブラックコーヒーに、ふんだんにミルクを注いだかのようだ。
その心は白黒曖昧ってことで、ひとつよろしく。
お後がよろしいようで。
じゃ、なーいっ!
これって、いったいどういうことよ?
「すまんな。止める間もなく来ちまったんだ」
件のお姫様はといえば、ノンシュガーなブラックコーヒーみたいな笑顔で、珍しそうに厨房の中を見回している。
かと思っていたら、電光石火の素早さで、わたしが立っている真ん前に位置するカウンター席を陣取ってしまったよ。
「そういうわけで、よろしくね」
その表情は、もはやエスプレッソをダブルで淹れたくらいに真っ黒だ。
ちょっと待ってよ。
いきなりさしの勝負だなんて、聞いてないよ。
助けを求めるようにカウンター席の末端を伺えば、既にそこにはルドルフさんもマティアスくんも座っていない。
ご自分のカップを持ったまま、お姫様とは入れ違うようにフロアのテーブルへと避難……いえ、席をお移りになっていた。
「これは貰っていくぞ」
ああー、それはさっきわたしが淹れたコーヒーじゃないか。
こんな場面だというのに、美味しそうに淹れてしまったコーヒーは、おっちゃんの手によって無情にも器ごとテーブルへ運ばれてゆく。
こちらをテーブルから伺うお二人に、おっちゃんはお代わりとして、それぞれのマグカップにコーヒーを注いで回る。
お三方の顔は、なんでだかミルクも砂糖もてんこ盛りのコーヒー牛乳みたいな甘い笑顔となっていた。
まったくもー、人の気も知らないでー。
まあ、冷めないうちに、皆さんに召し上がっていただけたら、それはそれで本望というものですけれど。
気を取り直して、お姫様と勝負だ。
じゃなかった、渾身の一杯を淹れるのだ。
これは、ある意味チャンスってやつじゃないか。
慎重に豆を挽き始めたわたしに、お姫様からの思わぬご注文が加わる。
「その冷たいコーヒーも二つお願いね」
むーっ! アイスコーヒーもダブルなの?
「冷たいコーヒーなんて初めてよ。とっても楽しみだわ」
でもでも、お一人で二杯も飲んだらお腹が危険だぞ。
というか、先ほどの例を上げるまでもなく、これって……?
「せっかくだから、二人で楽しみましょう。隣へいらっしゃい」
ふえーっ! やっぱりだ。やっぱり、お姫様との直接対決は避けられないらしい。
浅煎りのアメリカンコーヒーみたいな笑顔を返すので精一杯なわたしなのでした。




