第145話 対決! vs.お姫様! なのだ その一
ある朝の、突然のお姫様の襲来。
それを迎え撃たんとする、わたし。
あたふた、あたふた。
でも心の準備も物資の準備も、いろんなものが不足しているわたしは、うまいこと、それができない。
けれどもメニューは、メニューだけは、どうあっても自分自身の手で、お姫様のところへ持ってゆきたいのだ。
だってほら、メニューってやつは、この近辺のお店、どころか、この世界初のものかもしれない訳だし。
そういう意味では、お水もおしぼりも珍しいサービスなのかもしれないけれど、メニューには、また個人的には格別の思い入れもあるのだし。
それまで、おっちゃんに持ってかれちゃったら、発案者としてのわたしのプライドが……。
——うーっ!
そうじゃない、そうじゃないんだ。
お水も、おしぼりも、なんだったら、発案者のプライドだなんてものは、ホントはどうだって良いことなのだ。
白状しましょう。
きっとわたしは、お姫様にヤキモチ焼いているのだ。
新しいサービスを取り入れたあと、一番最初にお客様としておっちゃんが接待するのは、わたしであって欲しかったんだよ。
特にメニュー。
恭しくメニューを渡されて、「本日のおススメは、こちらになっております」とかなんとか。
そういうのを、おっちゃんにやって欲しかったんだ。しかも、メニュー導入後、真っ先に。
だから、お水やおしぼりの出し方勧め方と共に、メニューの使い方なんかも教えるついでに、わたしで試してもらって、まんまとおっちゃんのサービス一番乗りを企てていたのだ。
しかし、その野望は、今この瞬間見事に崩れ去った。お水、おしぼり、そしてメニューまで、わたしがおっちゃんに提案した段階で、その使い方や効果なんかは理解されていたに違いない。
おっちゃんは、まるで何回も練習したかのように、卒なくお姫様に的確なサービスを提供している。
それもまた致し方なし。
それが出来るのがおっちゃんなんだし、そんな風にさりげなくこなしてしまうおっちゃんが、わたしは好きなのだ。
しかもマチルダ姫様は、本日一番に訪れたお客様。
一方、わたしは弟子。おっちゃんにとっては、ただの弟子なのだ。
わかってる。わかってるけど、なんか悔しい。
だって相手は、あのマチルダ姫様。
紛うかたなき、正真正銘の「お姫様」。
その昔、おっちゃんに心を寄せ、おっちゃんが心を寄せた「お姫様」。
数々のヤンチャなエピソードの持ち主だったとは思えないような、お姫様然とした気品のある大人の女性。
姿形が少しばかり似ていると言われようとも、わたしみたいな小娘なんかじゃ、とっても相手にならないのだ。
そんな当たり前のことに、今さらながら気づいて、なんだか涙が溢れそうだよ。
「本日、ただ今の時間、お出しできるのは、こちらとなっております」
低いけれども、落ち着いた響きのある、良く通る声が聞こえてくる。
おっちゃんの声がする方向から、わたしは、思わず目を逸らす。
けれど、こんな時こそ顔を上げよう。涙が溢れないように。
でも、気持ちとは裏腹に顔は上がってくれない。俯いて、視線を二人から反らすばかり。
「ミヅキ殿、お気持ちはお察しする。だが今は、黙ってあの二人を見守っていただけぬか」
いつの間にか、傍らにやって来たのはルドルフさん。
「マチルダ様、久々なる今回の突然な来訪は、ただのお忍びではないようなのです」
マティアスくんも心配そうに、わたしを見て頷く。
「それは……いったい、どういうことなのでしょう?」
おっちゃんとお姫様へは、できるだけ目をやらないように、お二方と向き合った。
あの日——。
わたしが、恐れ多くもマチルダ姫様と間違えられて、誰だったかの手の者に連れ去られた日。
聞き違えていなければ、あの怪しい場末の倉庫で、姫様は誰かと密会する予定だったようだ。
そして見間違っていなければ、あの場にはルドルフさんとマティアスくんだって現れたのだ。
いったい、どーゆーことよ——?
先ほどまでの悔しさに沈んだ気持ちは、早々とどこかへいってしまい、持ち前の好奇心が頭をもたげ始める。
「うむ。ミヅキ殿には話しておいた方が良いのかもしれない」
「ですね。ミヅキさんにも深く関わっていることも多いですし」
おー、なんでしょ?! その気になる言い方は?!
わたしには話しておいた方がいい、わたしに関わっていることって、いったいなんなんだ?!
謎は深まるばかりなのでございます——。
思い起こせば、あの事件は、このお二方が『炎の剣亭』を尋ねてきた時に始まったと言っても良いのではないか。
まさかとは思うけれど、ルドルフさんもマティアスくんも、実は、あのわたしを連れて行った一味とグルだったんじゃあないだろうね。
はっ?! よもや、おっちゃんまでもが一枚も二枚も噛んでいたりするんじゃ……。
ふるふるふるっ。
頭を振って、いけない考えを追い出そうとするわたし。
「なにやってんだ、お前は」
久々に妄想を暴走させかけていたわたし。その背後から聞こえしは謎の声。
謎ったって、そんなこと言うのは、おっちゃんしかいないのだけれど。
振り向けば、訝し気な顔のおっちゃんが、こちらに向かってコーヒーを淹れるジェスチャーをしていた。
「コーヒーを一杯頼む。少し濃いめに淹れてくれないか」
そのご注文、確かに承りました。
よーし、お水、おしぼり、メニュー、そしてご注文——、と幾つか遅れをとったけれど、これは名誉挽回のチャンスだ。
渾身の一杯を淹れてやるぜっ! 今度こそ、とくと味わうがいいっ! わたしの自慢のコーヒーをっ!
千載一遇の機会を見逃すまいと、意を決して厨房へ向かうわたし。
でもその刹那、そんなわたしの意気込みを削ぐような悪魔の一言が、いやに大きく耳に届いた。
「コーヒーは二杯お願いね。それからミヒャエル、貴男が淹れてくれたものが飲みたいわ」




