第138話 お姫様を迎え撃て! なのだ その二
なんの話してたんだっけ?
お水?
そうそう、お水だよ、お水。
おっちゃん、おしぼりは知らなかったけど、お水は知っていた。
当たり前か。
あ、いや、そういうことではなくて、飲食店によっては、お水を出してるトコもあるってことは知っていた。
ここ王都じゃ、飲食店自体あまり見かけないのと、地下水が豊富なんだか水源が近いんだか、町中のそこいら中に井戸があるせいで飲み水にも生活水にも困らないみたいなのだ。なので、わざわざお店で買ってまでお水を飲む習慣もないらしい。
そう、お水は貴重品なのだ。本来ならば。この世界でも。
しかしだね、王都じゃ誰もが水のありがたみってやつを語ったりはしないっぽい。
町のあちらこちらに公共の井戸があって、庶民のみなさんも自由に水を使っている。
町を訪れた旅人やら商人の方々やらが、自由に使っても文句を言う人は誰もいない。
多分、上流階級の貴族様のお屋敷なんかは、お庭に幾つも井戸を掘ってあることだろう。
現に『炎の剣亭』には、裏庭にひとつ、それから厨房の中にまで手押し式のポンプが備えられていて、料理に使うお水も顔や手を洗ったりお水もそれらで賄っている。
何年も前からそうであったらしいし、今も、この先もまた井戸の水が涸れてしまうようすはないらしい。それは、町中や貴族様のお屋敷にある井戸だって同じことみたいだ。
日本には古来より無駄遣いの慣用句として、湯水の如く〜なんていう言葉があってだね。
昔の偉い方々が治水に努めてくれたお陰で水には困らず、そんな言葉が生まれてきたと思うのだが。
王都でも似たような歴史があったのだろう。過去、治水に尽力してくれた聖人様にリスペクトなのだ。
でも、おっちゃんは知っている。
お水が、とても貴重な物であることを。
おっちゃん、昔は騎士団の魔獣討伐隊で国中に遠征して回ってたみたいだからね。
この国も存外広いみたいだし、どこの町でも王都のように水が豊富な訳じゃない。
それこそ、砂漠であるとか山の中であるとか、そういうトコロでは飲み水どころか傷口を洗う水にも手に入れるのは至難の業だったに違いないのだ。
で、お水の代わりに重宝したのがアルコール。即ちお酒な訳だ。
水分補給に良し、傷口の手当にだって使えるスグレモノ。
さすがに、お酒で顔を洗ったりはしなかっただろうけど。
いんや、そうとも言い切れないかな。
おっちゃんなら、お酒で顔を洗ったりしたのかもしれない……。
「貴重な酒で顔を洗うなんてとんでもない」
「そーだ、そーだ」
「酒は飲むものと相場は決まっている」
「そーだ、そーだ」
「というわけで、飲んじまえ飲んじまえ」
「もったいない、もったいない」
……やっぱり、おっちゃんなら飲む方を選びそうだな。
ま、そんなやりとりが、おっちゃんの率いる小隊の中であったかどうかはともかく。
まだ少年だった頃から冒険者をやってたおっちゃんにとって、水は貴重なものだったに違いないのだ。
仲間に美味しいものを腹一杯食べさせたい、っていうのと同じようにお水も飲ませたいって思っていたらしい。
ただ、ここは水の豊富な王都。砂漠の町ではお水はお金を出さないと手に入らないけれど、ここでは文字通り湯水の如く水が使える。
ありゃ、言い方が変だな。
危険が危ない、みたいな物言いになってしまった。
ははっ、まあ良しとしよう。してほしい。してください。
食事中に水を所望されたら、タダで何杯でも出すことはヤブサカではない。
しかも、お酒の味にウルサいおっちゃんは、水の味にもウルサかったのだ。
王都の水は、煮炊きするには良いけれど、そのままだとちょっと美味しくはないらしい。もちろん衛生上のことも考えてるだろうけれど。
そのために、ちゃんと一度沸騰させたお水、通常それを人はお湯と呼ぶが、それを鍋いっぱいに用意して冷ましたものを仕込んでいたらしい。
けれど、あんまりお水を欲しがるお客さんって、今までいなかったらしいんだよね。
みなさん揃いも揃って、食事の前にも、最中にも、食後の〆でもお酒を所望される。
お水なんてお家に帰れば、いやいや帰らずとも、町中の公共井戸に立ち寄れば簡単に手に入るし、幾らでも飲み放題。
川の水と違って井戸の水はきれいだとはいえ、煮沸してない生水なんてお腹壊しそうで怖いけれど、飲み水には不自由していない。
だからなのか、お食事のお供は、せっかく美味しいと評判のお酒があるならば、とお酒になってしまうのだ。
お酒だったら、飲んでもお腹が痛くなることもないっていうのもあるのかもしれない。酔っぱらっちゃうけれど。
そんなこんなで『炎の剣亭』では、お客さんにお水を出すこと自体少なくなっていき、今では出すこともめったにないようだ。
それでも、わたしは知っている。おっちゃんが、料理用のお水とは別に、お鍋でお湯を沸かしたら別鍋に取っておいてあるのを。
最初は、わざわざなんのためにそんなことをしているのか、ちょっと分からなかったのだけれど。
お茶を淹れたりする時には、そこから汲んできて使っているのを見て、なるほど飲料水用なのかと思った次第。
だから、おっちゃんもお客さんも食事と共に摂る水分はお酒派なのだけど、お水が嫌いなのでも必要ないのでもない。
美味しいお水だったら、みんな飲みたいに決まっているのだ。それが、この町のどこあっても手に入るものだとしても。
でもって、昼営業ですよ。お酒ではなく、コーヒーを求めてやって来るお客さんも増えつつある昨今。
これはもう、席に着いたお客さんに、おしぼりと共にお水を出さない道理があるだろうか。いやない。
ならば、と実際におっちゃんに試してみたのさ。
この前の、ある天気の良い朝。長雨の合間、少しだけ暑くなってきた朝。
わたしは前日から準備しておいた、おしぼりとお水を手におっちゃんに挑むのでした。




