第131話 止まらないのはロマンティックだけど、ペシミスティックは止まるのだ その五
「なかなか目を覚まさないからな。随分と心配したんだ」
おっちゃんは、わたしからさりげなく目をそらすと、窓の向こうを見ながら独り言のように言った。
わたしも、なにか言わなきゃ。
むー。先ほどはお見苦しいところをお見せして、なんか申し訳なし。
でもって、三日も眠り込んでいたのか、わたしときたら。
なんかホントに、重ね重ね申し訳なし。——とか。
いえいえ、言いたいことは、こんなことばかりではなかったはず。
人違いとはいえ、急にさらわれちゃったおかげで行方不明になっちゃったこととか、迎えに来てもらった上に、ファイヤーボール騒ぎを起こしちゃって、それをまた助けてもらったことであるとか。
謝らなくてはいけないこと、お礼しなくちゃいけないこと、いっぱいあるはずなんだけど言葉がうまく出てこない。
それから、もっと他にも伝えなきゃいけないこともあったと思うんだけど、それもなんだったのか思い出せない。
なんて、ホントは思い出してる。ちゃんと分かってる。
でもね、あれから三日も経っちゃったんだよ。
あの時の勢いなんて、夢の中へ置いてきちゃったよ。
残っているのは、おっちゃんへの気持ちだけなのだ。
それを今、改まって告げるのは、とっても恥ずかしい。
ああ、もう既にあの盛り上がりが懐かしいぜ……。
「あのさ……」
「あのな……」
それでも勇気を出して発した呼び掛けに、おっちゃんの声が重なる。
なによ、間が悪い。二人で同時に何か言おうとするなんて。
「お、なんだ。話しがあるなら、先に言ってみろ」
ずるいよ、おっちゃん。わたしに先に言わせるなんて。
こういう時は、男の人からでしょ。
しかもおっちゃんは、大人なんだし。
おっちゃんの視線が、真っすぐにわたしを捉える。
わたしも負けじと、おっちゃんを見つめる。
ときにおっちゃん、眼鏡はどうした?
前みたいに、鋭い目付きに戻っちゃってるぞ。
しかも、その無精髭はなんだ?
でも、髭があるとおっちゃんらしくて、それはそれでカッコいいぜ。
……って、違うよ。今は、そんなこと考えている時じゃないってば。
よ、よし言うぞ。
今度こそ、ちゃんと言うぞ。
——わたしは。
そう言おうとした、その時。
——きゅ〜、くるくるくる。
どこからか、妙な音が聞こえてきた。
どこから? そんなことは決まっている。
あろうことか、その音は、わたしのお腹から聞こえてきたのだ。
こんな大切な時に限って、なんでまた。
つくずく間の悪い女なんだな、わたしって。
もじもじと、うつむくばかりのわたしの耳に、おっちゃんの快活な笑い声が届く。
「はっはっはっはっは。やっぱり腹がへってたんだな。神妙な顔してるから何かと思ったぞ」
もー、おっちゃんったらー。
違うんだよー。そうじゃなくってさー。
でも、おっちゃんのこういう朴念仁っぽいところ。今は、妙にうれしい。
じゃなかったら、どんな顔したらいいのか分からないもの。経験値が足りないなー、わたし。
つられて「てへへ」と笑うと、今度は、急におっちゃんが真面目な表情となる。
「笑ってしまってすまない。だが心配していたのは本当だ」
真面目な顔のおっちゃん。かっこいいなー。
「今度の件は、オレがもっと気を配らなければいけなかったんだ」
——悪かったな。
居住まいを正して、わたしに頭を下げるおっちゃん。
なんなんだ、おっちゃん?!
いつものおっちゃんらしくないぞ。
謝らなくてはいけないのは、わたしの方なんだよ。
苦労をかけて、心配もかけて、ホントにごめんね。
心持ち涙目になったわたしの頭を、おっちゃんはわしわしと撫でる。
乱暴そうに見えるけど、その手の動きは、なんだかとっても優しい。
どうしたんだ、おっちゃん?!
急に優しくなっちゃって。ホントにらしくないぞ。
でも知っている。
急に優しくなった訳じゃない。
初めて出会った時から、おっちゃんは優しかった。
手違いで召喚されたわたしを守ろうとしてくれた。
「それでな、みんなとも相談したんだけど、お前、ここで一緒に住まないか?」
えええーーーっ?!
いきなり同棲の提案っ?!
それって、早すぎないっ?!
わたし、まだ学生だし……って、今は違うけど。
でも、まあ、愛する二人だったら、当たり前のことなのかな。
うー、けど、そんなに速攻でOKしちゃいけない気もする。
どうする? どうする? どうする?
なんちゃって。
迷うまでもない。
おっちゃんと一緒に住むなんて夢のよう。
うっとり。
急に心臓の音が気になる。
早鐘の如く打ち出したその音。
おっちゃんにまで聞こえてないかな。
心の内の動揺を隠すように、わたしは小さくこくりと頷いた。
「お、ありがとな。オレも弟子と一緒に住んでた方がなにかと都合がいいんでな」
弟子?!
都合がいい?!
なによ、それ。
要するに、住み込みの店員ってこと?
もー、そんなことだろうと思ってたよ。
分かってた。分かっていました。
おっちゃんのことだから、きっとそんなことだろうと分かってました。
まったく、もー。ちょっと期待しちゃったじゃない。
おっちゃんもわたしのこと好きなのかな、なんてね。
「これで、オレもお前のことが守りやすくなったってものさ」
うん?
守りやすくなった?
それって、いったい、どういう意味?
やっぱり、おっちゃんも、わたしのこと……。
まあ、いいか。深読みしたってキリがないのだ。
曖昧に笑うわたしに、その一瞬、耳まで赤くなった顔をそらしたおっちゃんは、そのまま部屋の一角を視線で示す。
「実は、荷物なんかは、もうこの部屋に運んであるんだ」
おっちゃんの視線を辿れば、そこには壁一面大きな引き戸。
やっぱりあれってクローゼットだったんだ。
すぐにでも駆け寄って、中に収められているであろう、わたしの全財産を確認したいけれど、ちょっとばかり躊躇する。
荷物を全部って言ったよね。
下着とかも……かな?
わたしの考えていることが分かっているかのような、おっちゃんのワザとらしい咳払い。
「あー、衣服の類いを運んだのは、オレじゃないぞ。ネーナさんたちだ」
またもや、視線をわたしから外し、窓の外を見るような素振りのおっちゃん。
「オレが運んだのは、お前本体だけだよ」
あはは。わたしを、ここまで運んでくれたのは、やっぱりおっちゃんだったんだ。
わたしの笑顔を見て、おっちゃんもどこか安堵のこもったため息をひとつ。
「着替えたら、飯にしよう。下で用意して待ってる」
今度は、笑顔で大きく頷くわたしなのでした。




