第126話 萌えよ、ファイヤーボール! なのだ その八
ふっしゅ〜。
目を閉じて、少しだけ唇をとがらせてみる。
その瞬間、わたしの顔からは湯気が出た……気がする。
それはもう、まるでお湯が沸いた時のケトルばりに激しく。
気がするだけ。ホントは出てない。と思う。たぶん。
いや、出てはいないと思いたい。そう、願いたい。
——出てないよね?
しばしの沈黙、静かに流れる時間。
刹那にも、永劫にも感じられる時間。
——なにも起こらない?
閉じていた目を、うっすらと開けてみる。
すると、さらにドアップになったおっちゃんの顔。
——うわわわわわーっ!
なんて間が悪い。
目まで合っちゃった気がするぞ、今。
慌てて、もう一度ぎゅっと目を閉じて、おっちゃんの唇を待つ。
……こつん。
次の瞬間、額に頭突きをくらわす者在りき。
その者は、しばらく額に額を重ねていた。
その者ったって、そんなコトするのはおっちゃんしかいないんだけど。
なにやってんだ、おっちゃん。そこは唇じゃないぞ。
しかも、おっちゃんの方だって、当てているのは唇じゃない。
重なる額と額。
なんだ、こりゃ?!
「ふむ、熱はないようだな」
離れてゆく額。聞こえてくる、お馴染みのおっちゃんの声。
「やけに顔が赤かったからな。それに鼻血も出ているようだし、魔力熱でも出したかと焦ったぜ」
うおー、そうだった。鼻水どころか鼻血まで出してたんだっけ。
決まらないなー、わたしってヤツは。こんな時にみっともない顔をさらしちゃって。
我ながら、がっかりだよ。
ところで魔力熱? なんだ、それ? 知恵熱みたいなもの?
おっちゃんは、別にわたしにキスをしようとしていた訳ではなかったのか?
やっぱり、今のはお熱を計っただけ?
親が子どもに良くやるように?
むー、せっかく覚悟を決めたのにー。
相手が、おっちゃんだったらって思ったのにー。
返せっ! わたしの気持ちを返せっ!
記念すべきファーストキスの瞬間。
期待や不安や、その他よく分からない、その気持ち。
返してよっ!
威勢の良い心の声とは裏腹に、何故だかわたしの目からは涙が溢れる。
ぽとり。
一粒落ちてしまえば、あとからあとから止めどなく流れる涙。
本当はキスなんてどうだっていい。
鼻血に塗れたみっともない顔してたって構わない。
おっちゃんの顔を、またこうして見ることができただけでいい。
おっちゃん、おっちゃん、おっちゃん。
この世界にやってきて、初めて出会った時も。
それから、わたしはもうダメだと思っていた今も。
おっちゃんは、わたしを救ってくれた。
その顔を見ているだけで、安心してしまう。
心の奥に隠していた、本当の気持ちが溢れてしまう。
心細かったんだよ、本当は。
怖かったんだよ、本当は。
この世界にやってきた時から、ずーっと、ずーっと……。
おまけに近頃じゃ、違うって言ってるのに、お姫様と間違えられて。
しかも人気のないところから、妙なお屋敷に連れて行かれて。
ご馳走になったお夕飯は、確かに美味しかったけれど。
わたしの大切な、なんでもバッグは置いてきちゃったし。
変な人たちの、妙な争いに巻き込まれたらしくって。
さらに一人で、こんなところにまで連れ来られて。
いただいた朝食には、感想不能なミートボールが出てきたし。
そう言えば、ここからの脱出ミッションも頓挫したままだった。
しまいには、おっちゃんたちを助けようとしたら、とんでもないことになっちゃた。
もう本当に、どうしたらいいのか分からなかったんだよっ!
いつしかわたしは、子どものようにわんわんと泣きじゃくり、おっちゃんの首ったまに抱きついていたのだ。
おっちゃんは、少しだけ困ったような、それでも安心したような妙な顔で、黙ってわたしの頭をわしゃわしゃと撫でる。
そこはもっと優しく髪を撫でる……とか、優しくぎゅっと抱きしめる……とか、いろいろあるだろっ。
それに黙ってないで、なにか言ってよっ。本当に朴念仁ってやつだな、おっちゃんときたらっ。
わたしは、勢いで大号泣しちゃったから、泣き止むタイミングが見当たらないんだぞ。
大々的にその心情を開陳した乙女を前に、もうちょっとは気を使っったらどうなのよ。
と言っても、思わず溢れてしまった気持ちの数々は、やっぱり心の中でだけなんだけど。
だから気づくはずはないよね。届くはずもないよね。わたしの気持ちのあれやこれや。
「ああ、まあ、なんと言うか」
しかし、おおっ! わたしの心中を察したかのように、おっちゃんがなんか言うぞ。
「いろいろとお説教したいところなんだが」
わたしは、しゃくり上げながらもおっちゃんの言葉に耳を澄ます。
「お前が無事で良かった。本当に良かった」
おっちゃんは、わしゃわしゃしていた手を止めると、ぼそりとそう呟いた。
なんだかんだで、それですか。
でも、そこがいい。それがいい。
おっちゃんらしくて、とってもいい。
わたしたちにロマンティックは似合わない。
ずびずびと鼻をすすり上げて、何度も頷くわたし。
なんだか段々盛り上がってきちゃったぞ。
今なら、ちゃんとおっちゃんに、自分の気持ちを伝えられる気がする。
例えるなら、おっちゃんのファイヤーボールを上回るような、メラメラと燃え上がる炎の玉を作れるような気がする。
わたし渾身の、愛のこもったファイヤーボール。
見てよ、この輝き。さっきのヤツよりずっとちっちゃいけれど、形も色も段違い。
そんなのを空に向かって打ち上げたら、それは、さぞや奇跡的に美しい光景に違いない。
わたしは想像する。
自分の気持ちを込めたファイヤーボールが、見事に空を舞い上がり、遥か上空で花火のように花開くのを。
ファイヤーボールに愛を込めて。
萌えよ、わたしのファイヤーボール!
なんちゃって。
いやいや、ホントはやらないけどね。
さっき自作の火の玉で、みんなに迷惑をかけたばかりだというのにさ。
もうこれ以上、おっちゃんにだって心配はかけられないってものさ。
わたしだって、乙女の端くれ。
そうそう自分の気持ちひとつで、周りにご迷惑をおかけしないくらいの分別はあるのだ。
とか言って、実は魔力切れなわたし。
火の玉だなんて、ビー玉くらいのものでも出せやしない。
あー、愛を込めたファイヤーボール。
赤々と燃え盛る火の玉に乗せて愛の告白。
「おっちゃん、愛してるぜーっ!」
とかなんとか、叫んじゃったりなんかして。
てへへ。自分で想像して照れちゃったよ。
今のはナシ。
絶対ナシ。
……ナシだってば。
「ミヅキ、なんだアレは……?」
やだなー、おっちゃん。今のはナシって言ってるでしょ。なんだって言われても……。
焦っている、というより驚いて空を見上げているおっちゃん。
文字通り目を丸くして、さっきまでわたしへ向けられていた視線は宙を彷徨っている。
うーん? なにがあるんだ?
まさか、この世界にもUFOなんかが飛んできてるとか?
おっちゃんの視線を辿った空の上。
見上げてみれば、確かにそこには、信じられないくらいに奇跡的なものが浮かんでいたのでした。




