第120話 萌えよ、ファイヤーボール! なのだ その二
「ホズミッ! なにやってんだ、お前っ!」
意識を集中するため、閉じていた目を開いて、キョロキョロと首だけを動かして声の主を探す。
裏門付近で、衛兵もどきの皆さんと揉めていたはずのおっちゃんが、一人こちらに向かって走りながら大声で叫んでいるのが見えた。
なにって、おっちゃん。
待っていておくれよ、すぐに助けてあげるからね。
今、わたし史上最上級のファイヤーボールを、あそこ見える泉に投げ込んで……。
って、おっちゃん、もう衛兵もどきの皆さんを振り切っちゃったの?
それにしては、今までに見たことのないような表情じゃないか。
どうしたんだ、おっちゃん? なにがあったんだ、おっちゃん?
裏門付近のようすも、なんだかおかしい。
おっちゃんとは一触即発、というより、すでに相手方の衛兵もどきの皆さんとはコトを構えかけていたはずなんだけれど。
おっちゃんを追い掛けることもせず、一様にこちらを指差して、口をぽかんとあけたまま、なにかを見つめているようだ。
「ミヅキ様ーっ!」
おや、今度はネーナさんの声がする。
ありゃー、ネーナさんの方も間に合わなかったかな?
裏門に向かって走っていたはずのネーナさんは、舗道を外れ、裏庭の樹々の間を縫うように真っすぐこちらに向かっていた。
ネーナさんを追い掛けていた派手な制服の特殊侍従たちも追うのをやめて、その場に立ち止まったまま、やっぱりこっちを見上げて口々になにかを叫んでいる。
「ミヅキ様、上です、うえーっ!」
ネーナさんもまた、こちらに向かって走りながら、わたしの方を指差してなにかを叫んでいた。
まだ少し距離があるせいか、なにを言っているのか分からないけれど、おっちゃんと同じようにとっても焦っているみたいだ。
「ホズミーッ! 頭の上だーっ!」
いつの間にか、わたしが屋根の上に立っている建物の、割とすぐ近くにまで走り込んで来たおっちゃん。
いったん立ち止まると、大きく手を振りながら、わたしに向かって大声を張り上げる。
その表情は、やっぱり焦っているような、それだけじゃなくて心配もしているような微妙な顔をしていた。
やや?! なんだ、なんだ?!
おっちゃんも、ネーナさんも、自力でなんとかしちゃったのか?!
ちょっと残念な気もするけど、それもまたイタシカタナシ。
でも見てよ、この特大のファイヤーボール。どうよ、これ。
あー、おっちゃんから見れば小さいのかもしれないけどさ。
教えてもらったことを生かして、わたしなりに頑張ったんだよ。
だから、そんなに心配そうな顔をしないでよ。
「そうじゃないっ! 頭の上を見ろっ! 頭の上だーっ!」
いつしか、しんと静まりかえっている裏庭。
おっちゃんの声だけが、やけにはっきりと響き渡る。
へっ? 頭の上?
頭の上には、わたしの作り上げたファイヤーボールがあるだけだよ。
わたし的には、良く頑張った方だと我ながら思うけれど、そんなに心配するような大きさじゃないんじゃない?
せいぜいが、スイカっくらいのものでしょ。そのうえ今ひとつ、理想の燃え具合にはまだまだ至ってないという……。
でも、そうまで言われたら、頭の上を見上げてみるしかないよね。
どれどれ、今までイメージの中だけで育てたファイヤーボールだからね。実際には、もっともっとショボいのかもしれない。
…………!!
なんじゃあ、こりゃあああっ!!!!
びっくりだよっ! 驚きだよっ! 驚異の世界だよっ!
そこには、わたしの想像を遥かに超えた大きさのファイヤーボールが、ぽっかりと浮かんでいたのだ。
うわわわわっ!!
なんだ?! なんだ?! なんだ?!
こんなに大きなファイヤーボールを作った覚えはないよ。
みんな、オラにちょっとずつ元気を分けてくれ! ってなお願いしたりもしていない。
それなのに雨上がりの青空の中、もう一つの太陽が現れたような超特大の火の玉。
ファイヤーボールどころか、これを天から落としたら、メテオストライクが決まるんじゃないっかて程の大きさ。
はっきり言って、こんなものを裏庭に投げ込んだら大惨事必至。
そんな、はた迷惑なシロモノが、自分の頭の上に浮かんでいたのだ。
あー、なんでこんなことになったんだ?!
心の中のイメージの中では、もっと可愛いものだったのに?!
こんなものが、頭の上にあると知ったら、なんだか段々暑くなってきちゃったよ。
ファイヤーボールの発する熱気のせいか、それとも、とんでもないことをしでかしたための冷や汗か。
わたしの額からは、マンガみたいに一気に汗が噴き出す。
ああー、なんだか目眩までしてきたよ。
なんだか鼻水まで垂れてきそうだ。
いや、そんなもの垂らさないけれど。
思わず上げていた両手の力が抜けて、だらりと降ろしそうになった瞬間。
その手の動きと連動するように、大きなファイヤーボールもぐらりと揺れた。
「危ないっ!」
わたしと、おっちゃんと、まだ少し距離のあるところにいるネーナさんの声がハモる。
そいやっ!
わたしは、渾身の力を振り絞って、その場に踏みとどまる。
ぐらりと傾いたファイヤーボールも、ちゃんと元の位置に戻った。
ふぃー、危なかったー。
一瞬、どうなることかと思ったよ。
さっきまでは、なんともなかったはずの火の玉の重みを感じて、わたしも焦りを隠せない。
道理でおっちゃんが、あんな表情をしてたわけだよ。
それにしても、どうしよう、これ?
わたしがファイヤーボールをイメージするのを止めたら消えるんじゃないのか?
試しに、心に浮かんでいた火の玉をイメージし続けていたのをやめてみた。
しかし、なにも起こらない。
もちろん、魔力なんて全然送り込んでない。
なのに、超特大のファイヤーボールは、そこに存在し続けている。
それどころか、心なしか大きくなっているような気がする。
「バカ野郎っ! 気を抜くなっ! 火元から目を離すなと、いつも言ってるだろうがっ!」
途端に、おっちゃんからの怒号が届く。
ファイヤーボールは、大きくなったのではない。
わたしがイメージするのをやめたせいで、少しずつ落ち始めたのだ。
うおおっ! 絶体絶命の大ピンチッ!
わたしは、両手両足、そして全身に力を込めて踏ん張る。
しかしながら、わたしにだって自ずと限界ってやつがあるのだ。
やっぱり鼻水垂らしてもいいかな。
ホントにお鼻の奥から垂れてくるものを感じるのだ。
「頑張れっ! 今、そこにいくっ!」
おっちゃんの声が、なんだか、ばかに遠くの方から聞こえるような気がする。
その瞬間、つつーっとお鼻の奥から流れてくる生暖かい液体。
なんじゃあ、こりゃ?!
足下にポタリと落ちた雫。それは鼻水なんかじゃなかった。
鼻血じゃないかっ?!
それを目にした瞬間、力を込めたはずの両腕から、踏ん張っているはずの両足から、急に力が抜けてしまったように、わたしの全身は大きく傾いてしまうのでした。




