捨てられた赤の王子は甘い香りに包まれる
『捨てられた王子』 陰でそう呼ばれるようになったのは、つい最近の事だ。
私は、この国の第一王子ユーグリッド、二十歳。
私はついこの間まで結婚していた。
そう……今はしていない。
私の元妻は『番』と出会い、相手と一緒に、とある国へ行ってしまったのだ。
この国には、人族、獣人族、魔人族がいるのだ。獣人族には『番』という唯一無二の相手がいる、と言われている。
それは…ああ、もう考えたくもない。
とにかく、彼女は『番』に出会ってしまった。
出会うのは稀だと云われる、番にだ。
『番』は何に置いても優先される。
例え結婚していようとも……。
彼女と、愛はあった、と思っていたが、仕方ない。
私は王族だ。理解している。
だから直ぐに離縁した。するしかなかった……。
番に出会った獣人は、もう番しか見えなくなるのだから……。
……決して、私は、捨てられてなどいないのだ……。
だが、まだ新婚だった彼女との、甘い思い出いっぱいの王宮にいるのは辛すぎた。
辛すぎた私は、何処か遠くへ行きたいと思った。
よし、今まで第三王子に任せていた戦地に行こう!
指揮をとるだけだ、私にも出来る。
私に何かあれば、第二王子レーリックがいる。
大丈夫…だろう…。
レーリックは王都を決して離れようとしない。
婚約者の義弟とやらを警戒しているからだ。
あんなに出来の良さそうな義弟を何故? とは思うが、これは私には計り知れぬ事だ。
*****
国境には魔物が溢れていた。
「はあっ……はあっ……」
私は剣を一振りすると鞘に収める。
「凄いです! さすが、猛る炎獅子‼︎」
「見事です! 猛る炎獅子様‼︎」
手を叩き褒め称える部下たちは戦う私を後方から応援していた。
「その名で呼ぶな‼︎」
ここに来て付けられた二つ名はなんとも恥ずかしいものだ。やめて欲しい。
戦地に赴いた私は、本来、前線にいるはずはなかったのだ。私は、後方から指揮をとるはずだった。
王子なのだ、私は。
****
「兄上、お久しぶりです!」
「おっおお…」
私の弟である第三王子ローレッドは、十三になった年に「私はこの国を、兄上達を守る為に、戦地へと向かいます‼︎」と、声高らかに宣言して王宮を出た。
王宮で閉じ込められて暮らす事が嫌だったのだろう。
ローレッドは勉学よりも、体を動かす方が好きだったから、あの日からもう四年、十七歳になったローレッドは、立派に育ったようだ、いや育った。
大柄な私よりも更にひと回りも大きな体躯。精悍な顔立ちの、父に似た黒髪の弟。
隣に立つと、まるで私の方が弟のようだ。
「兄上、話は聞いております、何といってよいか」
「もう、よいのだ」 仕方のないことだから……。
「はい! 気持ちを変えるには体を動かす事が一番良いと思われます! 戦ってすべて忘れてしまいしょう‼︎」
ローレッドは満面の笑みを浮かべている。
「戦う⁈」
「これをどうぞ! 兄上の為、作らせました! きっと、いえ、すばらしく似合うと思います‼︎」
「……?」
私の前に差し出されたのは、私の髪色と同じ真紅の鎧? マント? 黒地に金の装飾の派手な剣だった。
「ローレッド、これは 一体」
まさかとは思うが、こんな目立つ物を着ろ、というのではないだろう⁈
そう思い目を向ければ、弟は満面の笑みを浮かべていた。
「兄上の活躍を期待しております‼︎」
ガッと騎士の礼をされてしまい、それ以上私は何も言えなくなった。
渡された真紅の鎧にマントは、それはそれは戦場で目立つものだった。
まるで標的になったかのようだ。
いや、標的でしかないのでは⁈
何故なら、全ての魔物が私に向かってくるのだから。
私は、とにかく我武者羅に戦った。
獣人の母の血のおかげか、人族にしては丈夫な方だった私は、剣の才能も有ったようでかなり強かった。
無心で戦っていたおかげか、確かに気持ちは楽になった気がする。
そして付いた名が『猛る炎獅子』
……母が獅子の獣人だからか。
******
最近やっと戦地が落ち着いてきた、そんな頃。
「兄上、レーリック兄上が結婚されるそうです」
「ああ、そうか……」
婚約者はアリシア・ニーズベルグ侯爵令嬢だったな。
美しい女性だった。
よかったな、レーリック、幸せになれよ…。
私は、しばらく会っていない弟を想った。
「何でも兄上に『番』が現れたらしいですよ!」
「番⁉︎」 一瞬体が震えた。
私にとってその言葉は毒でしかない。
「そうか……レーリックの婚約者だった令嬢はどう思われただろうか……」
たしかレーリックとアリシア嬢は大変仲が良かった。
番が現れ、愛する者から離れなければならなくなった私と、同じ立場になってしまった彼女が不憫に思えた。
レーリックは王族なのだ、受け入れるしかない。
「それが、ニーズベルグ侯爵令嬢の詳細は誰も分からないらしいのです」
「分からない? どういう事だ?」
「レーリック兄上に頼まれて、ニーズベルグ侯爵邸に行った者達は皆、御子息のレイ様と話しが出来て幸せだった、と口にするばかりで、他の事は何一つ覚えていないらしいのです。それに、元婚約者様になられるのでこれ以上は」
「そうか」私が何か言える立場ではないしな。
「レーリック兄上の結婚式に、兄上は参加されますか?」
爽やかな笑顔で弟は尋ねてきた。
「私は出ない。私が行けば皆が変に気を遣うだろう?」
何故なら私は『捨てられた王子』なのだから。
少し哀しげに言った私に、何も考えていないのか弟は和かに言った。
「そうですね! では、欠席すると伝えておきます!」
弟に悪気は無いのだ……そう信じたい。
「では 兄上には森へ行ってもらいます!」
「はっ?」
唐突もなく話し出すローレッド。
行ってもらう? 私はいつから弟の部下になったのだ⁈
「国境沿いの森に魔物がいるらしいのです。大きな蛇のようだと報告を受けています。兄上なら大丈夫! 俺が保証します‼︎」
「なんの保証だよ⁈」
******
何度も言う。私は王子だ。それも第一王子。
それがどうして一人で、国境沿いの森で、魔物を退治しなければならないのだ⁈
「あーっくそっ!」私は持っていた荷物を、ドカッと地面に投げ落とす。
真紅の鎧は重いから着ない、と言うと、またも弟は満面の笑みを浮かべ、今度は隊服を差し出してきた。
隊服は軽く丈夫に作られている。
私は、密かに皆の着ている服が気に入っていた。
濃紺地に黒色の少ない装飾、実に戦いの場に合っている。
同じ物でよかった。同じ物がよかった。
なのに、私にと渡されたそれは、真紅の生地に金の装飾
いや、目立つだろう‼︎ そして、赤いマント。
「王子にマントは必要です!」 本当か⁈
「すばらしくお似合いです‼︎」
皆にそう言われては、嫌だとは言えなかった。
*******
向かう様に言われ着いた森は、魔物がいる様な感じは全く無かった。
聞こえて来る鳥の声。木々の間を抜けてくる、爽やかな風。
その風に乗って漂う花の香り。
「あのっ……」
一昼夜 馬を走らせて森までやって来た私は、疲れていたのか、腰を下ろした所でそのまま寝てしまった。
「あの……」
「……!」
声に目を開くと、少女が立っていた。
「君は 誰だ……?」
波打つ黄金の髪に緑色の瞳のとても美しい少女……。
「私はアナといいます。こんな所で寝ていると風邪をひいてしまいますよ、王子様」
「なぜ、私が王子だと!」
「……だって、マント着ていらっしゃるから、王子様みたいだと思って……言ってみただけです」
少女 アナはちょこんと首を傾げる。
「あっ…ああ、そうだったか……私は……」
何となく、王子という身分を隠しておきたくなった。
「おっ俺はユー……ユーリだ」
アナは一瞬、驚いた様な表情を見せた気がした。
「ユーリ様、もう夜になります、夜の森は危ないわ、この先に私の家があるから、一緒にいきましょう」
ニッコリ笑ってそう言うと、アナは手を握ってきた。
女性から手を握ってくるなど……いや、別に構わないが。
……気がつけば、辺りは薄暗くなっている。こんなに時間が経っていたのか
程なくアナの家に案内された。私が寝ていたあの場所から、木々で見えにくくなっていた様で、他にも数軒の家があった。
「ここが君の家?」
「そうよ 入って!」
石を積み重ねた様な作りの家の中は、小さな台所とテーブル、浴室と寝室が一つ……。
「すまないが……ここには まさか君一人で住んでいるのか?」
アナは台所で食事の支度を始めている。
「そうよ、私一人で暮らしてるの」
ダメだ。
「なっならば、わ……俺は外へ行く、女性一人の家にいる訳にはいかない」
私は荷物を持って、外へ出ようと扉に手をかけた。
その手を上から、水に濡れたままの小さな手が押し止める。
「行かないで!」
「もう外は危険よ、大丈夫、私あなたに何もしないわ、ね、だから今夜はここに泊まって、食事だってあるわ」
お願い。アナに懇願され、私は仕方なく留まることにした。
ーーいや……アナが何かするとは全く思っていない。
出て行こうとしたのは、自分に自信が無かったからだ。
ここに来るまでも感じていたのだが、アナから花のような香りがする。
はじめは、何処かに咲いている花の香りが、風に乗ってきているのだと思っていた。しかし、花は咲いておらず、次にアナに聞いてみた。香水を使っているのか?と。アナは、そんな贅沢な物は使っていない、と言った。
では、何だ? この家に入ると、香りはさらに強くなった。決して嫌な香りでは無い。
むしろ、ずっと香りの中にいたくなるような。
「ユーリ様?」
考え事をしていた私の目の前のテーブルには、すでに美味しそうなスープとパンが用意されていた。
「君が作ったのか?」
「あまり上手ではないの、ごめんなさい。お口に合えばいいけど」
私は王宮でしか暮らしたことがなかった。
ここ数年は戦地だったが。
女性が料理を作るのを、みたことがなかったのだ。
「いや、ありがとう」
私は遠慮なく頂くことにした。
アナの作ったスープは、今まで食べてきた何よりも美味しかった。
「うまいな」
「本当? うれしいっ!」
褒められて素直に喜んでるアナがかーーいかん! 私は何を考えているんだ。
煩悩を振り払うように頭をブンブン振っていると、アナが不思議そうに見ていた。
*****
湯を借りて汗を流した。
大丈夫だ、問題はない。私は王子だ。
そうだ、玄関前の床で寝よう。アナから離れていれば。
「ユーリ様はここで寝てください」
アナはそう言うと、寝台をポンポンと叩く。
「いや、それは出来ない」
もちろん新しい隊服に着替えている。不潔では無い。
「私はそこで寝るから大丈夫ですよ?」
そう言われて指差す方を見れば、寝室の窓辺に二人掛けのベンチが置いてある。
「ならば、私がそこで寝よう、アナ、君は寝台で」
「寝台」
「ーー!」もしや寝台なんて普通は言わないのか⁈
「ユーリ様は大きいです。椅子では無理です、だから私がこっちに寝ます」
「いや、ダメだ、家主に、女性にそんな事は、させる訳には」
「大丈夫って言っているじゃないですか、気にしないで、ほら!」
アナは私の腕を引いて寝台へと連れて行こうとする
「ダメだ! 君はこっちに!」
「ユーリ様がこっちで!」
ーーどうして こうなったのか。
私は今、妻でもない女性と、寝台を共にしている。
決して何もしていない。端の方で外側を向き、ジッとしているだけなのだ。
あの後「じゃあ一緒に寝ましょう!」「わかった!」
と、流される様に言ってしまった手前、もうどうしようもなかった。
……嫌ではなかったからだ。 しかし。
……私は一度結婚している。女性を知らない訳ではない。
……何を考えているのだ! 私は王子だ。相手は少女だぞ…
……違う!
ああっ 私はどうしてしまったのだ。
「ユーリ様」
アナが話しかけてきた。寝ていなかったのか。
「なんだ?」
「ユーリ様は、この森になぜ来たんですか?」
私は彼女に背を向けたまま話す。
「魔物を退治するよう、上から言われて来た…君は…ずっと、此処に住んでいるのか?」
ギシッと寝台の音がする。
「いえ、お恥ずかしい話しですが、私はここへ逃げて来たのです」
「逃げて?」
「はい、聞いて頂けますか?」
ぽつりぽつりと彼女が話した内容はこうだ。
子供の頃から決まっていた婚約者に、番が現れた。
……よくある話しなのか?……。
けれどそれは 嘘だった。
獣人だった婚約者は、アナの姉を好きになっていた。
二人は愛しあっていた、しかし、妹の婚約者なのだ。
二人は考えた。そこで、番は何に置いても優先されるあの制度を利用したのだ。アナの姉を番と偽って。
二人は、何事もなかったように結婚する事となる。
彼と姉の幸せそうな顔…。
偶然、その真実を知ってしまったアナは、家にいる事が辛くなっていた。この場所から逃げ出したかった。
そんな時、レイ・ニーズベルグ侯爵子息と出会った。
「レイ・ニーズベルグ⁈」
驚いて振り返ると、アナと目が合った。
彼女はこちらを向いていたのだ。
「…はい?お知り合いですか?」
「いっいや、…噂、そう、凄く美しい少年だと聞いた事が…」
そうなんですね…と、アナは話しを続けた。
「レイ様は、父に用事があったそうなのです。メイド達が騒いでいて、何事かと思って見てみると、レイ様が来ておられて、私と目が合うと……本当に素敵なお方で…あ、それで私に言われたのです」
……いや、何故かは分からないが…私は、レイ・ニーズベルグにイラついている。
彼女がレイ様と呼ぶ度に、嫌な気持ちになるのはなぜだ⁈
「ユーリ様…お疲れですか?…今日はもう寝た方が…」
私は気持ちが顔に出ていたのだろう。王子たるもの感情は面に出さぬようにしていたのに…
「いや、大丈夫だ、気にせず続けて欲しい」
どうせ眠る事など出来ないのだから…。
「では…」と、アナは話しを続けた。
レイ・ニーズベルグはアナに、君の気持ちはよく分かる、辛かったね、と優しい言葉を掛けてくれた。家にいる事が辛いと漏らすと、この森の家を使うといいと言ってくれたらしい。この家にいる限り、絶対安全であると。
「そして…」
アナは私を見つめている。
吸い込まれるような緑の瞳…アナの香り…
急にアナは目を閉じた、そして「ユーリ様はいい香りがしますね」と言った。
「えっ」
すると今度はスッと首筋に鼻を寄せてきた。
クンクンと匂うと嬉しそうに笑う。
「すごく好きです…あっ香りです!ユーリ様の…」
「私も、アナの香りが好きだ」
思わず言ってしまった。
「「えっ」 」二人で見つめ合ってしまう。
……寝台の上で、向き合って、〈香りが〉好きだとお互いに言って……
長い…長い沈黙の後 アナは言った。
「もう、寝ましょう…おやすみなさい」
「……あ、ああ」
ね、寝てしまうのか……
アナは目を閉じてしまった。
「…………。」
……どうやら、動揺しているのは私だけの様だ。
少し…かなり残念な気持ちがする
スゥスゥとアナの寝息が胸元でする
私はアナの体にそっと布を掛けた。
……信用には 応えねば……
「………」
ユーグリッドは、一晩中アナの寝顔を見て、幸せな、眠れぬ夜を過ごした。
*******
朝がきて、ユーグリッドは森へと出た。魔物を探さねばならないのだ。
しかし…此処に来るまでに出会った人々は、魔物は見ていないという。確かに、被害も無さそうだ。
…しかし、ローレッドは国境沿いの森へと…はっ
私は今更ながら気が付いた。
ローレッドは、一度も退治せよとは言っていなかった事に…。
いや、…とりあえず探してみよう、魔物?大蛇?
もし、そんな物がいたら、アナが危ない…
私は、森の奥へと入って行った。
*****
「私は…どうして、何も持って来なかったのか…」
しつこい様だが、私は王子、たとえ戦地に居ようとも前線に立とうとも、周りには誰かがついている。
私は必要最低限の物さえ持っていれば良かったのだ。
荷物は…アナの家に置いてきてしまった。
…帰るつもりだったのか…私は…アナのいるあの家へ
とにかく、今、手に持っているのは剣だけだ。
「何か、飲み物を探さねば…」
朝から飲まず食わずで歩いていた。
辺りを見回す、すると、森の奥から水音が聞こえた。
私は音のする方へ足を向けた。
木々の間を抜けて行くと、清んだ小川が流れていた。
私は喉を潤した。
「はあっ…」
近くの倒木に腰を下ろす。
その時ふっとアナの香りがした。
香りのする方へ目を向ける
「アナ⁈」
「ユーリ様!」
籠を下げたアナが、こちらへ来ている。
「一人なのか?どうして此処へ」
少女が一人で森を歩くなど、危険極まりない。
「ユーリ様が、お腹が空いているのではないかと思って、来てしまいました」
ちょっと遠かったです、と、首筋の汗を左手の甲で拭いながら私に微笑む。
「しかし、こんな森の中でよく、…俺の居場所が分かったな」
…うっ、アナからすごく良い香りがする
「その…遠くから…木々の間から、ユーリ様の赤い服が見えて…近づいたら、ユーリ様の香りもしたので…わかったのです」
「赤い服…」
目立つから嫌だ、と思っていたこの服が、役に立つとは…
アナは、私を見てニコニコ笑っている。かわいい。
「とにかく、無事でよかった、それに腹も減っていた、来てくれてありがとう」
私は礼を言い、隣へと座るよう促した。
敷物が無かったのでマントを敷く。マント、役に立った。
アナは嬉しそうに微笑むと、隣に座った。
持って来てくれたパンに、肉とチーズを挟んで食べる。
「美味しいよ」 正直なところ、味はしなかった。
何故か、隣に座るアナの香りが強くなってきて、食事どころでは無くなってしまったのだ。
アナの隣にいると感じる…この胸の高鳴りは何なのだ……
ーー私は 獣人では無いーー
『番』も分からないはずだ。
しかし…これは、話に聞いたことのある、番と出会った時と似ていないか⁈
何とか食べ終えると、アナが私を見つめているのに気づいた。
「どうかしたか?」
何故だろうアナから熱っぽい視線を向けられている気がする。
…そんな目で見つめられると…
「ユーリ様からとても良い香りがするのです」
「…俺も…アナから香る香りが好ましい」
また、思わず言ってしまった。
アナは私の手をとった。白くて小さなかわいい手だ。
「レイ様が仰ったのです」
手を握られて嬉しかったのが、また『レイ様』と聞きムッとする
「森へ行って、赤い服の、互いに好きな香りの人が現れたら、それは私の運命の人だと」
運命の人…? それは番のようなものか?
「…俺は…」
アナは私の目を見つめて言う
「ユーリ様…ユーグリッド王子様」
はっとした私は、思わず手を…握り直してしまった。
「気が付いていたのか?」
いつから…
「もちろん分かります、最初にお見掛けした時から気が付いていました」
そっそうなのか…
「この国の者なら皆、知っています、真紅の髪、夜の瞳の中に、輝く星を持つ…心優しきユーグリッド王子様」
私はそんな風にも呼ばれていたのか…。
アナは、私を見ている、私も、アナを見つめている。
どれくらいの時が過ぎているのか…森の中で、二人きり…
アナの香りと私の香りが混ざり合い 甘い、甘い香りになる。もっと触れたいという衝動に駆られる。
獣人は、番を見つけると、本能の赴くままに求めるのだという
私も…獣人では無い私も、本能の赴くまま求めても、構わないだろうか…
「私は、一度結婚している」
「はい、知っています」
アナはコクリと頷く
私は自分の気持ちを素直に伝えることにした。
「私は…アナ、君を…どうやら、好きになってしまったようだ」
「…はい、私もです」
アナは嬉しそうに笑う。
とても良い、甘い香りがする。花の香りとも果物の香りとも違う、私達の香り。
私は心を決める
「アナ…君の本当の名は?君は貴族なのだろう?アナという名前の者はいなかったはずだ」
貴族の名は全て覚えている。私は王子なのだから。
「アナスタシアです」
そうか、私はスッと立ち、アナスタシアの前に跪く、手を取り彼女を見上げる。
「アナスタシア・キャンベル伯爵令嬢、どうか私、ユーグリッド・ド・カルテアと結婚して欲しい」
正式な名前を告げ、結婚を申し込んだ。
アナスタシアは嬉しそうに微笑んで、「はい、喜んで!」と返事をしてくれた。
出会ってすぐに、結婚を申し込む私を、人はどう思うだろう
いや、昔語りや、本の中の王子達は、会って直ぐ結婚を申し込むのだ。だから、大丈夫だろう
ーー私は、王子なのだからーー
*****
私とアナスタシアは、あの森で出会ってから一年半の後に、結婚した。
隣に立つ、純白のドレスを身に纏ったアナスタシアは眩しい程に美しかった、可愛かった。
「綺麗だ、アナ」
私は彼女の手を取り、口付ける
「ユーリ様も素敵です」
二人の時は、ユーリ、アナと呼ぶようになった。
愛する人を手に入れた私のことを『捨てられた王子』と呼ぶ者はいなくなった。
恥ずかしいことに、『猛る炎獅子』の方は未だに健在なのだが…
*****
あの時ローレッドが言っていた魔物は「ははっ!場所が間違っていてね、俺が行ってきたよ、ほら」そう、弟が、軽く言って見せてきた魔物の大蛇は…かなりの大物だった。…私一人では危なかったのでは⁈
*****
私達は人族だ。
本来なら王族は、獣人族と人族とで婚姻するのが慣わしだった。
番なら尚更良い。それは、強い優秀な子を成すためだ。
しかし、番と結婚した第二王子レーリックの子供は、人族であった。それにより、番と結婚しても、必ずしも獣人が生まれてくる訳ではない、と皆が知ることとなった。
よって、私達の結婚は許されることとなったのだ
*****
誓いの言葉を二人で唱える
「アナスタシア、私は永遠にあなたを愛すると誓う」
「ユーグリッド様、私も永遠にあなたを愛します」
二人は近づき、誓いの口付けを交わす
私達だけが感じ合える、甘い香りが二人を包み込む
たくさんの人々が、私達の結婚を祝福してくれている
同じ種族同士の私達の結婚により、これから、この国も少しずつ変わっていくだろう
皆が、本当に愛する人と 一緒になれる
幸せな国を 私は作ろう
隣に立つ、私の、美しく愛おしい妻 アナスタシアと共に
ーー私は 今 とても 幸せだーー