まずは賃貸の契約を。
その日、俺は不動産屋に賃貸の契約に来ていた。
散々迷ってはみたが、結局あそこに決めた。
敷金礼金1。不動産手数料1。家賃前払い1ヶ月分。火災保険2万円。ドア鍵交換代4,600円合計60,100円。
2年後の更新時の再契約は無い。火災保険のみの再契約になる。つまりは、俺が住む限りこの値段が続くのだ。
提示された金額を机の上のトレーに出す。
おお。賃貸契約時の金額じゃないよ。
「よろしいのですか?」
小林さんが眼鏡のつるに指を添えて聞いてくる。
「まあ、第二の犠牲者にならないように気を付けて見ていてくださいよ」
俺の軽口に、怒ったように
「気を付けなければならないのは、アナタでしょうが!まったく、何を他人事のように言っているんですか」
小林さんは、心配が怒るという表現になる人なのだな。
怒られたが、その奥の心に気遣ってもらえているのが分かって何だかモゾモゾとした気分になる。
さて、契約が終わった。
鍵を2本貰う。あと1本不動産屋が管理している。
手渡す小林さんの眉が寄っている。あれじゃあ眉間にしわが入っちゃうよ。
不動産屋としても、借り手が付くのは良い事のはずなのに。善良な人だ。
ありがとさん。
と心で呟くが、俺は今から引っ越しなのだ。
皆の視線を背中で感じながら不動産屋を後にする。
小林さんだけでなく、店に居る店員全部が俺を見ていた。好奇か心配か。まあ、純粋な心配は小林さんだけのようだったな。
どうせ店内では賭け事になっているだろう。3カ月以上に賭けた人が居たら、稼げると良いね。
まあ、それを一番願っているのは俺なんだけれどもさ。
俺は、とりあえず1年頑張れないかなぁ~と希望的観測。って、まだ観測も出来てはいないけれども。
車のない俺にワンボックスカーを上司が貸してくれた。
段ボールが二つになった服とスーツ、その他で合わせて段ボール9つと掛布団に毛布、枕の袋ひとつ。
引っ越し費用も掛からなかった。
しかも不用の家具などがあれば、そのまま置いて行ってもリフォームの際に処分してくれる。
持っていく必要のない敷布団や本棚に衣装ケースは置いていくことにした。
さあ、荷物を積んで出発だ。
車のあるうちに買う物を考える。
まずは、ベッドシーツだな。食器はあったけれど、カラトリーはたしかあったはず。箸はあっても新しく買おう。箸は自分のじゃなきゃダメだけれど、フォークとかは他人のでも平気な不思議。
先に部屋に行って荷物を置いて、必要なものを確認しよう。今見ないうちから考えても無駄だ。
マンションの前の車道に車をハザードを点けて横付けする。
何も言っていなかったが、上司が車の中に台車を入れていてくれた。お陰でたった3往復で荷物が全部入った。
リビングに続くドアの前に立つ。玄関には段ボールが積まれている。
さあ。今日から俺の家になるんだぜ?
どう出る?
ドアの奥に居るかもしれない人だったものに思いを馳せる。
ドアを開けると、そこには明るく金のかかった趣味の良い部屋が広がっていた。
不穏な人影も嫌な雰囲気もない。
真っすぐ入り部屋で宣言をする。
「今日からこの部屋の主だ。俺が家賃を払う。だから、俺の邪魔はするな」
広い部屋に言葉は広がり隅々まで溶け込んでいった。
さあ、奴は何を思うかな?
これから、どう出るだろう?
持ってきた荷物の箱を開け靴を出す。
玄関の隣の扉を開ければ天井までのシュークローク。前の住人はどこまで靴が入っていたん
だ?
自分の靴は3足だけだ。仕事用の革靴2足に休日のシューズ。一応仕事用の靴は良いものを履いている。
天井までの靴棚に3足だけが胸の高さに置かれた。
入り口から俺と違う生活スタイルを主張される。
なに、負けるもんか。
全部が違う人間の生活空間に入るんだ。
この生活空間に、家電なんかも使い倒してやろうじゃないか。




