じっくり考えよう
寮に入る。俺の部屋は2階廊下の突き当り。どんどん引っ越して空き部屋になっている。
残っているのは俺と数人だ。
カップ麺とインスタントコーヒーのためにヤカンで湯を沸かすだけの一口の電気コンロとシャワーだけで湯舟に入ることがなかったユニットバス。
そして敷きっぱなしの布団と家具は本棚に洋服ダンスだけの6畳の部屋を見る。
夕飯は寮で出る。大きな風呂も寮の1階にある。洗濯機も乾燥機もあった。
俺は、この狭い空間で十分だったんだ。
身軽に生きてきた。頼れる肉親が居ないというのは柵もないということ。この年になれば、保護者の庇護も必要としない。逆に家族との不和や問題を抱えている人も多くて、俺はそれなりに幸せなのだと自覚している。
小林さんの言った「背負う準備」が「大人の自覚」や「社会人としての責任」と言われているような気もしている。
それらと向き合えば、もう少し人に対する考え方とかも変わってくるのかな?
俺は昔から「優しい」「いい人」と言われる一方で「薄情」とも言われる。自分でも執着というものがないのは知っている。
今まで生きてきて、やり難さを感じたことはないが、自分にはどこか欠陥がある。という事実には気づいている。家族との関係が薄いせいもあるだろうか。人に期待をしていない。
会社の同僚に言われた言葉がある。「お前は結局、誰も信用していないんだよな」って。
丁寧に部下に教える。正しく伝えるために穏やかな表情と分かりやすい言葉を心掛けていたので、部下から慕われていた。
しかし何かが起こったときに、俺一人で無理しても終わらせてしまう事に、手伝いを言って来たが断って終わらせた事があり、その際に言われた。
その時気付かされた。俺は誰も信じていない。信用していない。誰もが通り過ぎて消える人だと思っていると。
知らなかったのだ。他の人は当たり前に人を信用しているのが。
知らなかったのだ。他に人は当たり前に人の善意を受け入れているのを。
俺は善意を「借り」とし、それを返すまではなんでもやった。その行為は同僚から「友達」と思われていない。と判断されたようだ。
取り繕っていたものがはがされて、未熟で独りよがりな幼稚さが暴露された気分だった。
もし、幽霊の居る物件その居住空間そのまま俺が譲り受ければ、俺の中の何かが変わるのかも知れない。というよりも、誰かの人生を借り受けたいのかも知れない。
社会的に成功して、ボディービルの大会に出るほどの努力家で、亡くなって2日で探しに来てくれる友人のいる人望のある人。
屈折しているなぁ。改めて思う。
でも、自殺行為かもしれない。
変に理由をつけても、経済面と自分の不完全さを補える。という気持ちでのプラスと運や幽霊と同じ空間に居るというマイナスを考えてマイナスが大きければ意味がない。
あの部屋に乗り気なのは、すでにあの部屋の影響を受けていて正しい判断が出来なくなっている可能性もある。
客観性というのは、自分自身では分からないものだ。
さあ、今の俺は正常なのか?
敷きっぱなしの万年床に寝転がり思いを馳せる。
結局、服を着たまま寝てしまった。
翌日、引っ越しをする後輩を見送る。荷物の梱包を手伝ったら洋服をもらった。私服は下着も部屋着のスェットを入れても段ボール一つで済んでしまう。そんな話を以前にしたら、後輩が覚えてくれていたようだ。
お礼に夕飯を奢るといったが、
「いつも奢ってもらっていますし、今日は彼女が部屋で料理を作ってくれているんです」
って良い笑顔で去っていった。
彼女の手作り飯は羨ましいが、もう一つ増えた服の段ボールに少しワクワクしている。
中を開ける。黒のシャツ。白のシャツ。黒のとっくりセーター。グレーのロングTシャツ。黒のロングジャケット。濃いグレーのチノパン。濃紺のデニム。
おお!俺の好みをよくわかっている。というか、合わせるのとか分からないので、適当にモノクロで済ませているだけなのだが。
ハイブランドではないが、ちゃんとした服だ。ありがたい。しかも、俺が普段着るものよりも格好がいい。やっぱり彼女が居る奴はセンスが良いのかなぁ。
一昨年、彼女が居た時は確かに服を選んでくれたりした。
まあ、さっさと同僚がかっさらって行ったが。
俺も昇進して部下が増えたから、いろいろと時間に追われて彼女を後回しにしてしまったので仕方のないことだと納得は出来た。
もっとも、同僚の男も彼女も変に俺を気にして仕事に支障をきたすようになったので、俺自身の部署の移動を上司に打診したら、彼らのほうが移動させられてしまった。
俺はフラれた腹いせに元恋人と親友を更迭させたと一時噂になっていた。
事実俺の行動が招いた結果だから何も弁解もしなかったが、あの時を思い出すと未だに感情的に未消化な部分がある。
なんで俺は、あんなにあっさりと彼女も親友も諦められたんだろう。
ぼんやりとだが、日常の中でずっと頭の中に引っ掛かっていた。
なぜなら自分は欠陥品で、それを取り繕っているために、身近な人間は離れていく。
仕方がないのだ。
自分は何かが足りないのだ。
普通の人の顔をしても、違和感を感じさせる何かがあるのだ。




