始まりは終わり。リストラされました。
柏木裕也27歳。
まーまー仕事が出来る方だと自負していたが、リストラに合う。
仕方ないか。
リストラをされた。
業務が縮小されて従業員の半数が解雇になった。
仕方のない事とは言え、俺が一番困ったのは会社の独身寮に入っていたのだ。
要は寮の維持費を何とかしようって事で、そこに入っている奴らから優先的に解雇になった。
会社側の言い分を要約すると
「お前らまだ若いじゃん。再雇用が難しジジイは辞めさせるの辛いけれど、お前らの年齢なら何とかなりそうじゃん?」
って感じかな。
まあ、世話になった爺さん連中がその後、謝って来たりしたけれど、このご時世だもんな。
退社してから2か月後から改装工事が入り、ワンルームのマンションになるそうだ。
会社を辞めてから2カ月家賃なしで猶予をくれるのは、素直に有難い。
俺みたいに保証人になってもらえる家族が居ない。仕事もない。となると住む部屋探しが難航しそうだった。
送別会で、柳部長が泣きながら
「お前、保証人で困ってどうしようもなかったら、俺の所へ来い。俺もいつまで、この会社に居れるか分からないが、ハンコくらい付いてやるから」
って言ってくれた。
「駄目ですよ~。大事な事、そんなに簡単に言っちゃあ~」
って、笑って言えた俺を褒めて欲しい。
そりゃー、保証人は欲しいけれど、それって、「俺」という枷が部長やその家族に付くって事じゃないのかな。それは、多分血のつながった間じゃないと重すぎる「枷」だ。
それが理由で奥さんと険悪にもなりかねないしな。
でも、俺はすごく嬉しかった。すごーーく嬉しかったから、部長には絶対に世話にならないと決めた。
その会は、オッサン連中が俺等若い連中に酌をしてくれる傍から見たら珍しい飲み会だった。
俺は、結構上司や部長に可愛がられていたんだ。
去年、課長になって、オッサンを抜いちゃったけれど、その時に普通にお祝いをしてくれた。それもプライドなんだと思うけれど、俺の部下として年下なのに敬語を使って、俺を認めていると外にも示してくれた。それが杉本さんだ。
俺が外れたら課長になるので、引継ぎでギリギリまで一緒に居た。でも、最後まで敬語だった。引継ぎの時に俺から
「もう敬語は使わないで下さいよ~」
と言ってみたが杉本さんは、
「いえ、単なる平社員の私に、少しずつ上の仕事を回してくれて育ててくれたのは、柏木課長です。その時間は、惰性で諦めていた私の考え方を改める機会になりました。柏木さんが抜けた後に私が後釜として課長になれたのも、柏木さんのご指導のたまものです」
って、最後まで敬語だったなぁ。
杉本さんは、不器用だし要領が悪いけれど仕事が丁寧だから、そこを伸ばして、後は優先順位の付け方を教えただけだ。それで随分と仕事の出来る人になった。
俺の教育の賜物だなんて杉本さんは謙遜して言っていたけれど、あの人の仕事をよく見て指示を出せば、あの歳まで平社員だなんてあり得なかったんだ。
杉本さんも神妙な顔をして酌をしに来てくれた。
「これから、頑張ってくださいね~。部下も居るんですから」
と俺が言うと
「柏木さんの様に、この会社に尽力した方を放り出すなんて、間違っています。・・・しかし、私は保身のためにそれを進言することが出来ません。柏木さんの恩を一つたりとも返せないなんて・・・」
杉本さんは、小さくなっていた。
「ああ、俺は幸せだなぁ~。若造なのに、そこまで言われちゃうなんて、男冥利ってやつですかね」
持っていたグラスをチンと相手に当てた。
お別れ会は、想像以上に湿っぽいものだった。
でも、会社での集まり以上に俺個人を慕ってくれたもので、その湿り気は俺のカサついた心を少しだけ潤してくれた。
同時期に会社を辞める奴らとは、彼らだけで明後日の飲み会がある。
俺は同期より少し早く出世して、妙な嫉妬もあったから、同期との飲み会よりも今夜の飲み会の方が意義のあるものかもしれない。
まだ行っていないけれど、どうせ会社の悪口になってしまうのだったら行かなくても良いかな。とも思っている。
気分良く二次会が終わり、三次会まで連れて行こうとするオッサンたちを笑顔で送り出し家路につく。
ああ、月が丸くなってきているなぁ。夜の道をとぼとぼ歩く。
明日から2カ月は住まいがあるけれど、一応今から探しておかないとな。
失業手当が11カ月付くけれど、このご時世だ。いつ就職できるか分からない。
貯金も結構あるんだけれどね~。
なるべくなら手を付けたくはない。
まあ、この時期だからこそ国から多少でもお金が降りるのは有難い。
そんな事を思いながら、帰り道を遠回りしながら不動産屋の張り出された広告を見ながら帰った。
これから、ネットで賃貸物件を探すか。
と思うけれど、少し寝る。
引継ぎで休みなかったもんな。
少しばかり、ゆっくりしても悪くないよな。




