・すべての物語は「ご都合」で成り立っている
どのようなジャンル・作品であれ、物語があればそこには必ず「ご都合」が存在することはわかるだろうか。
生まれてこの方、「ご都合」が本当になかった作品を皆さんは見たことがあるだろうか。
ありません。
断言できます。
「ご都合」はなろうにあり、ラノベにもなく、アニメにもあり、ドラマや劇、その他あらゆるものに「ご都合」はある。
その理由は簡単。
古今東西あらゆる作品はすべて作者の意図=「ご都合」によって作られるものであるからだ。
作者の「ご都合」が混ざっている以上、読者は必ずその「ご都合」に付き合わされる。
だから読んでいる最中は気付かずとも『振り返って何か「ご都合的な展開」はありませんでしたか?』と聞かれれば必ずどこかに「ご都合的な展開」があったことに気付くのである。
言葉だけで言っても果たしてそうなのか、と思う人もいるだろう。
そこでこのエッセイでは、できる限り具体例を用いて文章を説明したいと思う。
例)
「なろう」らしく人気のファンタジーのジャンルを例えに用いたい。
となればやはり『ファンタジー』そして『異世界転生・転移』だろう。
なろうの「異世界転生・転移」といえば、言うまでもないとは思うが「主人公が最初から強い能力を持っている」ことがよくある展開だ。
特によくあるのは「弱い能力と言われているけど実は強かった」というものだ。
仲間に裏切られたり、家族に見捨てられたりして、強い魔物がいる場所へと放り出される。
「あぁ、死んだ!」と思ったところで、弱いと思われていた能力が開花して、強い敵をあっという間に倒す。
それを序章に、未来の仲間、ヒロイン達を助ける物語が始まっていく。
ザ・なろう作品と言われる展開だ。
展開をまとめると。
★
異世界転生・転移して弱いと思われる能力を手にした主人公。
↓
身近な人達に騙され、強い敵と戦わされ、真の能力が開花する。
↓
そうして手に入れた力でヒロインを助けて惚れられる。
★
ざっとこんなものだが、見るからに「ご都合」でまとまっている。
「弱い能力と思われていたけど、本当は強い能力だった」というのは言うまでもなく「ご都合」である。
ほかにも、「弱い能力が強い能力へと進化する」ということももちろん「ご都合」である。
ヒロインを助けて「惚れられる」ことも「ご都合」にも思う人もいるだろう。
このように、物語には「ご都合」ばかり存在している。
……なんて言っても、半分以上の方はおそらく納得しない。
納得しない人達の言い分はおそらくこんなこと。
『いかにも「ご都合主義」と呼ばれている作品の展開を持ってきて、「ご都合」があると言われても……』
その通り。グゥの音もでない正論。
しかし、どうだろう?
私は先ほどの例の中からこんな「ご都合」を引き出してみる。
『ヒロインと会う』
これも「ご都合」なんです。
皆さんどうでしょう。
町を歩いていて、頻繁にヒロインに会いますか?
結婚なさっている方は自分のパートナーに会った瞬間があるはずだ。
では「その瞬間に描写をあてる」ということは「ご都合」ではないだろうか?
主人公達をランダムの時間で見ることはできますか?
戦闘中にいきなり寝顔のシーンを見せられたり、重大な話をしていた次の瞬間、食事シーンを見せられたり。
作品に出てきたすべてのキャラが物語の展開に対して何の意味もなさず、それ以降出てこない作品をあなたは知っていますか。
ない。あるはずがない。
例)
十五歳の若い青年は「いってきます」と家を出た。
デパートで働いている女性はおばあさんに声をかけられた。
会社で今週の業績をまとめている渋めの男は「今日は何を食べよう」と考えながら仕事をしている。
高校生くらいの男女が手を繋いで町を歩いている。彼らはそれだけで幸せだった。
さて、このようなものが延々と続いて、「完」となったものは物語でしょうか?
ただし「すべてのキャラが関わることのないただの文字の羅列」であることは言っておきます。
これは物語ですか?
物語ではないですよね。
そうなんです。
しかし、ここに一つの「ご都合」を入れてみます。
『これら文章はすべて時系列はバラバラですが、二人の男女の人生の羅列である』
という情報の「ご都合」を入れてみると、なんとなく物語のようにも思えるのではないでしょうか。
このように、物語の中に「ご都合」が含まれているというよりは、「ご都合」が存在して物語は作られる、といえるのである。
したがって、すべての作品はある意味で「ご都合主義」の塊と言えるだろう。
長々と説明してきたが、要は、すべての作品を「ご都合主義」として捉えることもできる、ということさえわかれば充分である。