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・すべての物語は「ご都合」で成り立っている

どのようなジャンル・作品であれ、物語があればそこには必ず「ご都合」が存在することはわかるだろうか。

生まれてこの方、「ご都合」が本当になかった作品を皆さんは見たことがあるだろうか。


ありません。

断言できます。


「ご都合」はなろうにあり、ラノベにもなく、アニメにもあり、ドラマや劇、その他あらゆるものに「ご都合」はある。


その理由は簡単。


古今東西あらゆる作品はすべて作者の意図=「ご都合」によって作られるものであるからだ。


作者の「ご都合」が混ざっている以上、読者は必ずその「ご都合」に付き合わされる。

だから読んでいる最中は気付かずとも『振り返って何か「ご都合的な展開」はありませんでしたか?』と聞かれれば必ずどこかに「ご都合的な展開」があったことに気付くのである。


言葉だけで言っても果たしてそうなのか、と思う人もいるだろう。


そこでこのエッセイでは、できる限り具体例を用いて文章を説明したいと思う。


例)

「なろう」らしく人気のファンタジーのジャンルを例えに用いたい。


となればやはり『ファンタジー』そして『異世界転生・転移』だろう。


なろうの「異世界転生・転移」といえば、言うまでもないとは思うが「主人公が最初から強い能力を持っている」ことがよくある展開だ。


特によくあるのは「弱い能力と言われているけど実は強かった」というものだ。


仲間に裏切られたり、家族に見捨てられたりして、強い魔物がいる場所へと放り出される。

「あぁ、死んだ!」と思ったところで、弱いと思われていた能力が開花して、強い敵をあっという間に倒す。


それを序章に、未来の仲間、ヒロイン達を助ける物語が始まっていく。


ザ・なろう作品と言われる展開だ。


展開をまとめると。


異世界転生・転移して弱いと思われる能力を手にした主人公。

身近な人達に騙され、強い敵と戦わされ、真の能力が開花する。

そうして手に入れた力でヒロインを助けて惚れられる。


ざっとこんなものだが、見るからに「ご都合」でまとまっている。


「弱い能力と思われていたけど、本当は強い能力だった」というのは言うまでもなく「ご都合」である。


ほかにも、「弱い能力が強い能力へと進化する」ということももちろん「ご都合」である。


ヒロインを助けて「惚れられる」ことも「ご都合」にも思う人もいるだろう。




このように、物語には「ご都合」ばかり存在している。




……なんて言っても、半分以上の方はおそらく納得しない。


納得しない人達の言い分はおそらくこんなこと。




『いかにも「ご都合主義」と呼ばれている作品の展開を持ってきて、「ご都合」があると言われても……』




その通り。グゥの音もでない正論。


しかし、どうだろう?


私は先ほどの例の中からこんな「ご都合」を引き出してみる。


『ヒロインと会う』


これも「ご都合」なんです。


皆さんどうでしょう。


町を歩いていて、頻繁にヒロインに会いますか?


結婚なさっている方は自分のパートナーに会った瞬間があるはずだ。


では「その瞬間に描写をあてる」ということは「ご都合」ではないだろうか?


主人公達をランダムの時間で見ることはできますか?


戦闘中にいきなり寝顔のシーンを見せられたり、重大な話をしていた次の瞬間、食事シーンを見せられたり。


作品に出てきた()()()()キャラが物語の展開に対して何の意味もなさず、それ以降出てこない作品をあなたは知っていますか。


ない。あるはずがない。


例)

十五歳の若い青年は「いってきます」と家を出た。

デパートで働いている女性はおばあさんに声をかけられた。

会社で今週の業績をまとめている渋めの男は「今日は何を食べよう」と考えながら仕事をしている。

高校生くらいの男女が手を繋いで町を歩いている。彼らはそれだけで幸せだった。



さて、このようなものが延々と続いて、「完」となったものは物語でしょうか?

ただし「すべてのキャラが関わることのないただの文字の羅列」であることは言っておきます。


これは物語ですか?

物語ではないですよね。


そうなんです。


しかし、ここに一つの「ご都合」を入れてみます。


『これら文章はすべて時系列はバラバラですが、二人の男女の人生の羅列である』


という情報の「ご都合」を入れてみると、なんとなく物語のようにも思えるのではないでしょうか。


このように、物語の中に「ご都合」が含まれているというよりは、「ご都合」が存在して物語は作られる、といえるのである。


したがって、すべての作品はある意味で「ご都合主義」の塊と言えるだろう。


長々と説明してきたが、要は、すべての作品を「ご都合主義」として捉えることもできる、ということさえわかれば充分である。



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