第一話 母が詐欺師だった件
母親は酒場で、俺を女手一人で育てていた。
「ウィルター。アンタのお父ちゃんは、貴族様だよ。アンタは領主様の子どもでさ、あの方もご存知さ。絶対、迎えに来てくれる」
確かに俺は、見目の良い子どもだった。
とはいえ、母親の見目も良かった。
娼婦のような仕事もしていた。
そして、どうやら若い頃の客の一人が、領主様だったらしい。
母は美しくて下品で強欲な人だったが人気があった。そして俺で夢を見ていた。
俺が12歳になったころだ。
ついに、夢は現実になった。
ご領主様の使いが、迎えに来たのだ。
ただし、俺一人だけを。
「どうしてっ! アタシはこの子の母親だよっ! この子を産んだのはアタシだっ! アタシも連れていけ! ねぇ、連れていっておくれよ!!」
母は迎えに来た者たちに喚き、様子が変わらないと打って変わって懇願した。
俺は迎えと母親を交互に何度も見遣っていた。
「あの、母ちゃんも一緒に」
「いいえ。ご子息だけをお迎えにあがりました。血を引いておられるのはご子息のみで、私どもはご子息のみをお迎えするよう命じられております」
「わぁあああああ!!!」
母は頭を両手で抱えて喚き崩れ、オロオロする俺の足首を涙で濡れた手で掴んだ。
「いいや、アタシもだ。あんただけなんて無い」
俺の足首を掴み俺を見上げた母の顔は、化け物のように恐ろしかった。
初めて見る様子に俺は怯え、身を離そうとしたが足首を捕まれている事で動けない。無理に引っ張られて、俺は腰を抜かすように尻もちをついた。
「ご子息の幸せを願うのが母親というものでしょう。あなたには当面のお金をお渡しします。よくここまで育てられた。あとはご子息の立派な成長を祈り陰から見守り、決して邪魔にならないようにする、それが母親というものではありませんか」
冷たさのある態度で迎えの一人は立ったまま、母を見降ろしながらそう告げた。
「どうして、アンタだけ、アンタだけ、嫌よ、だってアタシが領主様の寵愛を受けたのに、アタシが受けたのに!」
「冷静なご判断を。さて、そろそろ別れのご挨拶をしていただきたい。今生の別れとなりますから。後で悔いのないよう、母子らしい会話を交わされることをお勧めします」
「嫌です、母ちゃんも一緒でないと、俺は行かない」
こんな状態の母を残すなんてあり得なかった。
良い母親かと言われればそうでもなく、男をとっかえひっかえして、色々困ったことも多いけれど、俺を愛してくれていた。引き離されるのを抵抗して当然だ。
「いいえ。そんな自由はあなたにはありません。迎えがあった幸運のみ喜ぶべきです。私たちについてきてくださいますように。食べるもの、住むところに不自由はありません。ただし、仕事をお願いします」
「仕事?」
「仕事」
俺は尋ね、母はただ繰り返して顔を上げた。
「えぇ。ご子息は、使用人として屋敷に迎え入れられます。態度によって、お立場は変わるとも聞いております。努めて殊勝な態度であるほうが、よろしいかと。これは私の個人的な意見ですが」
仕事、と母親がまた呟いた。
そして尋ねた。
「あんたたちは、本当に、本当に、このアタシを、置いていくの。連れていかないっていうの」
「その通りです。ですから、別れの言葉の時間だけ、お待ちいたしましょう」
母は震え、相手を睨み、そのまま俺を睨んだ。そしてまた相手を睨んだ。
「出て行って」
「それは叶いません」
「いいや、別れの言葉ってのの時間をくれるっていうなら、その間、出ていきな!」
「秘密の会話ですか。・・・まぁ良いでしょう。20秒だけ、待ちましょう」
20秒。恐ろしく短い時間に驚いた。
そして、直後に言葉通りに迎えの人たちが家を出て行く。
俺は即座に、母に詰め寄った。
「どうしよう、母ちゃん、俺」
「・・・」
母は俺を凝視していた。睨んでいた。
「母ちゃんも一緒に行こう、絶対領主様がなんとかしてくれる、俺の父親なんだろ、なぁ」
母の喉がゴクリ、と動いた。
何を言うのかと俺は口をつぐんだ。真剣に母を見つめ返した。
「アンタだけ、なんてね。はは、やってられないわ」
母の顔が歪んだ。笑ったのだ。
「20秒。入ります」
外からの声がした。
俺の顔が引きつる。
母が俺の耳元に口を寄せた。
- アンタ、ほんとは領主様の子じゃないんだ -
聞こえた言葉に、思考が停止する。
母の顔を見つめる事しかできない。
俺をあざ笑っている。見下している。
その表情に、悟った。
母の長年の嘘だったのだ。騙していたのだ。
母がこんな顔で見下すなら。俺に貴族の血など流れていない。
母は今、俺に向けても怒っている。
俺だけが母の嘘の恩恵を受け、一方の母自身は報われない事に。
扉が開く音がした。足音が近づいてくる。
母は、ニコリと美しい笑みを見せた。商売で客に見せる顔だった。
「うまくおやり」
絡みつくような女っぽい声で。
それが別離の言葉になった。
重くて冷たいものが、俺の心の中に埋め込まれた。