散弾銃で心臓を撃たれた後に五十メートル走れたら異世界転生
今日、僕は死んだ。
僕はまだ、大学生になったばかりだった。
けれど、僕は死ぬことになった。
トラックに轢かれたのだ。
母親に昔、道路を横断する時は「立ち止まって、右見て、左見て、もう一度右を見てから渡れ」と教わったことがあった。
面倒でもそれを実行していれば、僕は死ぬことはなかっただろう。
悪いのは、遅刻しそうだからといって道を急に飛び出した僕の方だ。
今、僕は、うつ伏せに倒れていた。
病院を思わせる冷たく硬い床の上。道路のアスファルトの感触ではない。
僕は驚愕で息を吸い込み、両目を開いた。
「こ、ここは……?」
そこにあったのは、未知の景色。
家具も何もない殺風景な、高校の体育館くらいの広さの白い立方体の部屋。
状況が理解できず、まず立ち上がって自分の身体を調べてみるが、服には怪我どころか血ひとつ付いていない。
「いったい何が、起こって……」
今の僕は、死んでいるわけでもなく、かと言って一命を取り留めて治療を受けているという雰囲気でもない。
トラックに轢かれた記憶には間違いがない。あの一瞬の猛烈な痛みと恐怖を、忘れるわけがない。
ここは現実世界では無いのか。
……まさか。
僕は、好んで読んでいたライトノベルのジャンルを思い出した。
それは【異世界転生】。
現世で死んだ人間が、神の力によってファンタジー・パラレルワールド、いわゆる【異世界】に転生し、そこで第二の人生を歩むという趣旨の物語だ。
その主人公たちは、まさしくロールプレイングゲームのような剣と魔法の世界で、めきめきと頭角を現し、絶世の美女たちに囲われながら世界を救っていくというお約束があり、僕も常々それに大きな憧れを持っていた。
「もしや……僕も転生して、勇者に……!?」
この現実離れした現状に、恐怖よりも『ライトノベル脳』からくる好奇心や期待が勝った。
ひょっとするとここで、よくある異世界転生物語の序盤のシーン──異世界の神によって啓示を授かる展開が始まるのではないか。
「ハーレム、無双……まさか僕も転生する時が来たのか……現実はつまらないし、僕には合わない。ファンタジー世界こそ、僕の生きるべき世界だからね……」
ブツブツと独り言を言いながら、白い部屋の中をうろうろと歩く。
「ん……?」
そこで、気になるものを見つけた。
床の一部に、黒いペンキのようなものが撒かれている。
バケツ一杯の黒ペンキを、その場でビチャッとひっくり返したかのような。
よく見回してみると、あちこちに同様のペンキ痕がいくつも点在している。
床を塗ろうとしたというより、同じくらいの量の黒ペンキを無差別にこぼしていったような雰囲気だ。
これはどういう意味があるのだろう。
僕は、その場にしゃがみ込んで、そのペンキに触れてみようと右手の人差し指を差し出そうとして、ふと止めた。
人差し指の先に、絆創膏が巻いてあるのだ。
これは今朝、ライトノベルの新刊を読んでいた時に、興奮から紙の縁で切ってしまったものだった。
触ると、まだチクリと痛む。
「事故で負った傷は消えても、この傷は消えないんだね……」
溜息をついて、傷の具合を見ようと絆創膏を剥いてみた。
「あれ……」
傷口が、黒い。
絆創膏の裏にも、黒い染みがついている。
痛みを覚悟して指先の傷を左手でぐっと絞ってみると、どういうわけか、黒い血が湧きだした。
「僕の身体……どうしちゃったんだろう。まぁ……そもそも本当の僕は轢かれて死んでいるはずなんだけど……」
血が黒くなったからといって身体の感覚に異常があるわけでもない。
ひょっとすると、異世界へ転生したら、この黒い血のおかげで魔法が使えるようになるのかもしれない。
僕は、とりあえず心配はしないことにした。
続けて僕は、その側に小さい赤いゴミが落ちているのに気付いて、つまみ上げた。
電池のような円筒形。筒部分は赤いプラスチックで、底の部分は金属だ。
中には何も入っていないが、かなり黒く汚れている。
何かの飲料の蓋か、お菓子の包装かと思ったが、どれでもない。
裏返して見ると、金属部分には『12GA』と刻印が打ってある。
あ……。
この物体の正体に、思考が思い当たった。
詳しくはないが、映画で見たことがある。
「──────────────散弾銃の、弾」
背後で急に人の気配を感じ、咄嗟に僕は振り返った。
「おはようございます、ご主人様」
すぐそこに、黒いメイド服を纏った少女が立っていた。
猫のような瞳が、僕を見据えている。
僕は驚きで短く叫び、腰を抜かす。
いつから背後に居たのか。
「だ……誰……?」
メイドの少女は、左右の手でスカートの裾を広げて持ち上げ、恭しく頭を下げる。
「私は、セタと申します……お見知りおきを。ご主人様」
僕は、ゆっくりと立ち上がりながら、そのセタと名乗ったメイドの少女を観察した。
落ち着き払っているが可愛らしい顔立ち。清楚な黒髪。ふくよかな胸。……そして、こんな僕を「ご主人様」と呼んでくれるメイド。
彼女は、僕の普段の好みを真正面から貫いていた。一目惚れだった。
僕は巧く回らない舌を何とか動かして、照れながら軽くおじぎする。
「あっ、えっと、よ、よろしく! ぼっ、僕の名前は……」
「それは既に存じております、ご主人様」
機械的に遮られてしまった。
僕は気まずさを笑って誤魔化す。
まあ、僕をいきなり『ご主人様』と呼んでくる優秀なメイドなら、それくらい当然のことだろうか。
きっと彼女は、僕の異世界ハーレム無双生活をサポートしてくれる遣いのメイドに違いない。実に、それっぽい展開になってきた。
「えーと、君が、僕の異世界転生をサポートしてくれるメイドかな? そうだよね」
そう尋ねると、セタは僕を淡々と見据えながら、事務的に答えた。
「それは正解であり、間違いでもあります。今のところは」
「え……?」
「私の仕事は、『ご主人様たち』が、異世界へと転生させるに足る充分な資質を持つ人材かどうか、試験を行い選定することです。
これから行うことは、不慮の事故で亡くなり、尚且つ、現世とは異なる世界への転生を強く志望する方を対象にした、至極簡単な試験です。
この試験に合格すれば、ご主人様が望んでいる異世界へと転生できる確率が上がります」
「試験……? 試験って…?」
妙な展開になってきた。
ファンタジー世界についての知識テストなら、大好きだし少しは自信がある。
忠実の世界史や、海外のファンタジー作品については、正直言うとよく知らないが、ファンタジーや異世界転生への興味や愛は人一倍強いという自負がある。
とにかく面白そうだ。ぜひ挑戦したい。
セタは、足元に置いていた横長の黒い箱に手を掛けながら言う。
「そう……今のご主人様が望まれているようなことを志望する『ご主人様たち』は、無数に存在するのですよ。
異世界もまた無数に存在していますが、そうした尊大な欲望を叶えてくれるような都合の宜しい世界は、ほんの一握りしかありません。
ご主人様が生きていた世界よりも、熾烈で過酷な世界の方が、むしろ多い。
一方で、どの異世界も、転生してくる新しい人材を常々求めています。
世界を変え、成長させてくれるような、優秀な人材を。
だから私たちは、それを選りすぐる使命を帯びているのです」
黒い箱の錠を外したセタは、その中のものを僕に見せつけるように、蓋を開いた。
僕は言葉を失い、その場に膝をついた。
「山のように来る志望者たちを、短時間で効率的に選定していく必要があります。
一人一人の今までの人生をじっくり見返して吟味する時間は無い。
それに、いくら今までが良くても、この先がどうなるかなんてものは未知数ですからね。
どの異世界も、『死力を尽くせる人間』を欲しています。
どんな地獄に置かれても、生き抜ける人間です。
だから、この試験が考案されました。
これを使えば、短時間でそれを選ぶことが出来る」
箱に納められていたもの、それは一挺の散弾銃だった。
怯える僕をよそに、セタは無表情に散弾銃を持ち上げて、慣れた手つきで銃身をカキンと曲げて、12GAと刻印された赤い弾を込めた。
逃げないと。早く。
僕は必死に右を見て、左を見て、また右を見た。
壁に、今までには無かったはずの通路が出現していた。
通路は真っ直ぐで、遠くに出口のような眩しい光が見える。
距離は、およそ……五十メートル。
あそこまで走れば、きっと助かる。
……しかし、通路には大量の黒いペンキ汚れがこびりついていた。
床にべちゃりと広がったものもあれば、壁に手をついてそのままずるりと倒れたような手形も残っている。
僕は絶望に襲われ、どくどくと激しい動悸に苛まれ始めた自分の左胸を、ぎゅっと掴んだ。
これから、僕がやるべき事は……。
セタが、弾を込めた銃身をジャキッと戻して、僕を無表情で見下ろした。
「さあ、立ってください、ご主人様。
今から私が散弾銃でご主人様を撃ちますから、あの光に向かって、走るのです。
人間は、心臓を撃たれ完全に破壊されても、三十秒は行動可能です。
あの光に辿り着けば、ご主人様が望む異世界に転生できる、確率が上がります。
それでは、時間がないので……始めましょう。ご武運を」
僕には、選択肢はなかった。
銃で撃たれたらどんな痛みが伴うのか。
もし辿り着けなかった場合、僕にはどんな運命が待ち受けているのか。
それを尋ねる猶予はなかった。
死にたくない一心で、僕は走り出した。
そして、一発の銃声が轟いた。
【終】
はじめまして、あるいは、いつもお世話になっております、相山たつやです。
「ハーレム無双世界に往きたい僕の異世界転生試験! <散弾銃で心臓を撃たれた後に五十メートル走れたら異世界転生>」をお読みいただき有難うございました。
もし楽しめたら、感想、評価いただけると大変励みになります。
本作は、「これだけみんな気軽に異世界転生していたら、異世界は満員になるんじゃないか?」とかいう謎の発想から生まれた作品です。
どの異世界の神も「新しい人材は欲しいけど、自分の世界にとって都合いい奴だけ入れたい」と意思の元で、このような効率的選考という名の身勝手な【間引き】を行うようになったら、夢と現実の理不尽な落差で、倍は怖いよなぁと考え、書いてみました。
作者自身、主人公の「僕」が、ハーレム無双ができる自分の望む世界に往けることを祈るばかりです。
『異世界が楽園とは限らない』という共通テーマで、【東京バトルフィールド】というホラーサバイバル長編を書いています。
こちらもお口に合えば、お楽しみいただければ幸いです。
この度は誠にありがとうございました。
東京バトルフィールド <東京を奪還せよ。異世界の魔法使いの手から>
https://ncode.syosetu.com/n1512du/
【異世界】 VS 警視庁特殊部隊。
一人の少女を護り、異世界に侵略された東京を奪還せよ。