十番勝負 その十
第十七章 六番勝負 明智仙堂との勝負
白河に入った。
白河には剣術の師、今川四郎左衛門の弟である今川五郎兵衛道隆が道場を開いていた。幸い、道場はすぐに見つかった。川が流れており、川端には柳の木が植えられており、涼しげにサワサワと風に揺れていた。その川端に今川道場がひっそりと建っていた。
川端に沿って、道場の脇を通り、玄関にまわろうとした時だった。道場の中から裂帛の気合がかかり、何やらどさりと音がした。三郎は立ち止まり、格子の窓から道場の中を覗いた。
人が抱えられ、奥の室に連れて行かれるところだった。
中央に肥った男が仁王立ちに立っていた。
「次の方。お願い申す」
と、その肥った男は声高に言った。三郎は静かに玄関口に廻った。
「次は、おられぬのか。・・・。何だ、不甲斐ない。では、今川殿、直々にそれがしのお相手をお願いしたい」
奥の一段高いところに座っていた男が黙って立ち上がった時であった。
「しばらく、お待ちを」
と、言いながら、道場に入ってきた者が居た。奥の男が入ってきた者を一瞥して言った。
「三郎、南郷三郎ではないか」
三郎は今川五郎兵衛に目礼しながら、道場の中央に居る者に向かって、高らかに言った。
「ここは、今川先生の代わりにそれがしがお相手致そう」
「何じゃ、お主は」
「それがしは、ここに居られる今川先生にかつて教えをうけた者でござる」
「お主が、わしとの立ち合いを受けて立つと言われるのか」
「まさしく、さようでござる」
「ふん。して、ご尊名を承ろう」
「岩城の郷士、南郷三郎正清でござる。流儀は当道場と同じく影流でござる」
「拙者は、伊達の住人、一刀流の明智仙堂。いざ、得物を取られよ」
三郎は道場の壁に掛かっている木刀を手に取り、振りながら、何本か、調子を見ていたが、少し太めの木刀を手に取って、引き返し、明智仙堂と対峙した。
「いざ、ご教授方、お願い致す」
三郎の言葉が終わるのを待ち兼ねたように、明智が撃ちかかってきた。
それからの闘いは甚だ珍妙なものであった。明智が撃ち込み、三郎が防ぐ、また、明智が撃ち込み、三郎が防ぐ、といった闘いで、三郎は徹底して受けにまわった。
明智はいろいろな技を駆使して、三郎の防御を打ち崩そうとしたが、全て徒労に終わった。
勝負は果てしなく続いたが、決着を見ることは無かった。途中で、明智仙堂の息が上がり、攻撃の腕が止まってしまったのだ。仙堂の肩が大きく上下に波打ち、あたかも喘いでいるように思われた。二人は対峙しながら、睨みあうだけだった。
「それまで。ご両人、それまで。お見事な闘いでござった」
今川五郎兵衛が立ち上がり、中央に出て、二人の闘いを止めた。
明智仙堂の荒い息遣いだけが目立った。
「ご両者、この試合は引き分けでござるな」
今川の言葉に、明智が激昂した。
「冗談ではござらぬ。明らかに、それがしの勝ちでござろう。南郷殿は失礼ながら、受けが精一杯でござった。誰が見ても、それがしの優勢勝ちでござろうよ」
この明智の言葉に対して、三郎は笑みを含んだ顔で、このように答えた。
「待たれよ、明智殿。立ち合いに、優勢勝ちなどと云う言葉は無いものと存ずるが。今川先生はいかにお考えで?」
「確かに、優勢勝ちとか劣勢負けという言葉はござらぬな。では、もう一度、立ち合われたらいかが、かと存ずるが」
「これは、たわけたことを、仰せられるものかな。それがしは再度の闘いは無用と存ずる。なれど、南郷殿がお望みであれば、今度は真剣での立ち合いを所望致すが、いかに、南郷殿」
「真剣試合でござるか。木太刀での再度の試合を望まぬとあれば、致し方もござらぬ。日を改めて、真剣での試合を行うことと致そう」
試合は、明後日に行うことと決め、時刻、場所に関しては検分役を務める今川五郎兵衛から明日、連絡するものとした。
「三郎、迷惑を掛けたな」
「いえ、先生、お気にやまないで戴きたく。それにしても、不穏な他流試合でありましたな。道場破りでござったか?」
「生国は伊達と申したであろう。伊達殿に滅ぼされた家中の侍よ。食い詰めて、この白河に流れてきた者と思われる。道場を荒らし、金品をせびる輩の一人よ。だが、腕は立つ。わしの門弟も二人ほど、あばらを折られたわ。相当の腕をした門弟であったがのう」
三郎は道隆の茶室に座り、抹茶を服していた。
「腕は立ちますが、惜しむらくは、あの肥満ぶり。闘いが長びけば、息があがりまする」
「先刻の道場での立ち合いで、十分に承知したであろう」
「さようでござる。あの肥満ぶりを見て、それがしは、これは受けていれば、必ず勝つものと思った所存でござる」
「三郎は随分と、からい勝負をするものぞ」
五郎兵衛が笑いながら言った。
「時に、南郷殿、兄者は息災であるか」
「はい、お元気でいらせられまする。この頃は、生け花に凝っておられて、花を切る際にも鋏は使わず、小刀で斬り、その斬り口を人に見せて、まあ、自慢をしておりまする。ちと、悪い癖かと」
「いかにも、兄者らしいのう。斬り口の見事さを人に見せて自慢をしておるのか」
と言いながら、床の間の花に手を伸ばし、手に持つや否や、腰の小刀を電光石火の早業で抜いて、その花の茎を斬り落とした。それを三郎に渡した。
三郎も一瞥して、見事な斬り口でござる、と言いながら、こちらも腰の小刀で茎を抜き打ちに斬った。やはり、黙って、その斬り口を五郎兵衛に見せた。
五郎兵衛は静かにその斬り口を見て、にっこりと頷き、不憫なるかな、明智仙堂、はや死を急ぐか、と呟いた。
「時に、先生。明後日の試合の場所でござるが、一里ほど離れた場所ではあるものの、道としては分かり易いという場所はござらぬか。つまり、距離としては遠いが、分かり易い道なので、つい歩いてしまうという場所を知りたいと思っているのでござるが」
五郎兵衛は三郎の意図を察し、ニヤリとしながら、うってつけの場所があるということで、三郎に教えた。
三郎は旅籠に帰るや否や、明智仙堂宛に果し合いの書状をしたためた。
そして、翌日、弥兵衛に持たせ、明智が泊まっている旅籠に書状を届けさせた。
弥兵衛が戻ってきた。
「あのお侍はこのところ、ひるまから酒をのんでいるというはなしだべ。きのうのだんなさまとのしあいでも途中から息がきれておりやしたなし。だんなさまのひごろのせっせいをみならわなくてはだめだっぺ。だんなさまのつめのあかでも、のませてやりたいもんだなし」
「時に、その旅籠は混んでいるか?」
「いんや、がんらがんらだっぺよ。いまどき、混んでいるはたごはなかっぺ」
それならば、と正清は弥兵衛を近くに呼び寄せ、何やら耳打ちをした。
弥兵衛はニヤッと笑い、がってんしょうちのすけ、とばかり頷いた。
隣の室がやたらうるさくなった。どうも、隣の客が娼妓でも呼んで宴会でも始めたらしい。
それも、結構な数の女たちを呼んだようだ。三味線も始まったし、太鼓まで叩き始めた。
その内、民謡まで唄い始めやがった。めでた、めでたの・・・、何がめでたいものか、困ったものだ、これでは眠ることが出来ない。命懸けの決闘の前夜だ。
眠れないのは分かっているが、それにしても、少しは静かにしてくれないと困る、気持ちを安らかにして、明日の決闘を迎えたいのに。
明智仙堂は焦った。少し、大きく咳払いをしてみた。
隣の客が聞いて、静かにしてくれれば幸い、という咳払いであった。
が、明智の考えは浅はかであったようだ。
隣の客は全然気付かず、相変わらず、というか、益々声高な宴会となった。
これはもう、どんちゃん騒ぎといってよいほどの宴会だ。
人の気も知らないで、本当に無神経な客であることよ、と明智ははらわたが煮えくり返った。
これでは、眠るどころか、決闘に向けた精神の統一すら出来ない。
いらいらは益々募るばかりであった。旅籠での明智の憤懣は続いた。結局、その宴会は朝方まで続いた。明智仙堂は一睡も出来ずに、決闘の朝を迎えることとなった。
決闘の場所と決められた宿場はずれの草原には南郷三郎が恐ろしげな顔をして立っていた。
明智は寝不足でふらつく足を叱咤激励して、ようやく辿り着いた。随分と歩いたものよ。
とても長い道に感じた。駕籠を頼めば良かったな、しかし、分かり易い道であったので、つい歩いてしまった、と明智仙堂は苦々しく思った。
「遅かったでござるな。随分と待ち申したぞ。それでは、いざ、尋常に勝負致そう」
刀を抜くなり、三郎が走って駆け寄って来た。
遅れじとばかり、明智も刀を抜き合わせ、迎えうった。それからは、まことに奇妙な闘いになった。三郎は刀を突き刺すように繰り出し、明智がその刀を払うという闘いになった。
刀が突き出される、その刀を払う、といった単調であるが激しい闘いが繰り広げられた。
刀の斬り合いの間合いとはならず、三郎は常に斬り合いの間合いから離れた安全な距離に身を置きながら、刀を前方に突き刺すように繰り出す動作を続けた。
とにかく、三郎の動きは素早く、その鋭い切っ先を払いのける明智も必死であった。
いわば、どちらもほとんど疵を受けることも無く、ただひたすら体力を使う、体力勝負の試合となった。 明智はだんだん疲れてきた。
斬り合いならば、日頃修得した技が出せるが、このような突き合いでは技はほとんど関係無く、突かれる、瞬間的に払う、また、突かれる、また、払うという動作の繰り返しが無限に続くのだ。手がだんだんと重く、痺れてきた。
この南郷という男の体力は無限なのか、勢いは少しも衰えない、恐ろしい体力だと明智は荒い息を吐きながら思った。やはり、昨夜の寝不足が祟ってきたのである。
もう、駄目だ、疲れた、手が動かなくなってきた、と思った途端、足がもつれ、明智は後ろにどすんと倒れた。三郎が刀を振りかぶって、斬りかかってきた。
思わず、刀を前方に出した。その刀目掛けて、三郎の雷神丸が襲いかかった。
カン、という音が鳴り響いた。明智の刀は雷神丸の横からの斬撃を受け、脆くも折れてしまったのである。折れた刀で次の斬撃を防ごうとする明智に、雷神丸を頭上高く振りかぶった三郎が大音声を発して鋭く叫んだ。
「勝負あったと見た。いかに、明智殿!」
三郎の恐ろし気な顔が眼前にあった。明智は恐怖に駆られた声で叫んだ。
「参った。参ってござる。命、命ばかりは助けてくれっちゃ」
「弥兵衛よ、昨夜はご苦労であった。明智仙堂、寝不足でふらふらとしていたわ」
「だんなさま、まずは第六番勝負、ぶじにおかちあそばされ、いがったなし」
「汝も久し振りに大酒を呑んで楽しかったであろう」
「ええ、おかげさまでのう。のめや、うたえのどんちゃんさわぎ、えらいひさしぶりだったのう。おんなもなかなかきれいどころがおおく、目のほようもできたっぺし。白河、よいとこ、いちどはおいで、だっぺよ」