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第14話 大和の光陰 前編 ~キトラ古墳古代天文図殺人事件~

作者: 目賀見勝利

第11話から第13話の『越の風華』でのブラッククロスの後継活動を絡めた展開をお愉しみください。

    《大和太郎事件簿・第14話/大和の光陰》

      〜キトラ古墳・古代天文図殺人事件〜 

  ※本小説はフィクションであり登場する主な組織・団体・個人は架空のものです。

            =前編=


『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也』 (松尾芭蕉・奥の細道序文より)


※キトラ古墳;

 奈良県高市郡明日香村阿部山の麓に所在(高松塚古墳の4Km南)し、藤原京の真南にある。

 GPS測定による位置情報では北緯34度27分、東経135度48分にある古墳。

 直径13.8m、高さ3.3mの円墳で七世紀末から八世紀初頭の墳墓とされる。

 石室の大きさは、幅1m、高さ1.2m、奥行き2.4mで大人ひとりのひつぎ1台が入る程度である。

 

 昭和58年(1983年)、地元の青年団が古墳ではないかと考古学者に連絡して再発見された。大正5年(1916年)の奈良県による調査の古墳一覧表にはすでに『キトラ古墳』と記されているらしい。

昭和58年、石室内部のファイバースコープによる探査で北側の内壁に亀に蛇が巻きついた玄武が描かれているのが確認された。しかし、諸般の事情で石室内部の本格的な調査は平成9年(1997年)から平成13年にかけてデジタルカメラにより行われた。

そして、石室内天井部に、内規円、外規円、天球の赤道、黄道(天球上の太陽の通り道)、二十八宿(古代中国で黄道に沿って天球を二十八に区分し、そこにある星座の名を表現した)を含む68個の星官(古代中国で名付けられた星座のこと)が描かれているのが発見された。

内規円内の星は一年中その場所で見ることができる。

外規円と内規円の間にある星は季節によっては見えなくなる。

内規の中心部には紫微垣しびえん二星(紫微垣左垣墳、紫微垣右垣墳)と天極五星(北極六星)、北斗(七星)、輔、文昌、八穀が描かれている。

また、外規円外部の東側壁と天井をつなぐ傾斜部には金箔で日像が、外規円外部の西側壁と天井をつなぐ傾斜部には銀箔で月像が描かれている。

特に、金箔で描かれた丸い日像、すなわち太陽の中には三本足の黒いからすが、銀箔で描かれた丸い月像の中には白いウサギが描かれている。俗に云う金鵜きんう玉兎ぎょくとである。

そして、東壁には青龍、寅・卯・辰の十二支獣頭人身像、西壁には白虎、申・酉・戌の獣頭人身像、南壁には朱雀、巳・午・未の十二支獣頭人身像、北壁には玄武、亥・子・丑の十二支獣頭人身像が描かれている。


『キトラ』 に相当する漢字は『亀虎』、又は『北浦』の二つの説がある。『北浦』はこの地方にあった集落の地名であるらしい。江戸・明治時代には『きたうら』がなまった表現で『きとら』と発音していたようである。古代文化圏の奈良・大阪地域には漢字を現代語読み表現しない地名がよくある。たとえば「水走みずはしり」と書いて「みずはい」と発音する。

古代の明日香村地域や奈良盆地は、まだ血沼海ちぬのうみ茅沼海ちぬのうみと呼ばれていた大阪湾と繋がる入り江であった。『北浦』はその北辺の海浦であったのかもしれない。


2014年10月から2015年2月にかけて奈良文化財研究所の考古学者や東京国立天文台の天文博士などが合同で研究した結果、キトラ古墳天文図は北緯34度〜35度にある古代中国の長安(BC200年ころ創建の前漢時代の都市・現在の西安)か洛陽(北魏時代の都市・現在も同名)で見られる天文図であると推定された。

なお、長安の場合なら時代は紀元前88年頃、洛陽の場合ならば西暦400年ころの天文図であるだろうと推定された。

この推論の決め手となったのは内規円内に描かれている天体星座と外規円近傍にある老人星であった。老人星は古代中国での呼称であり、南極老人星とも云い、七福神の寿老人に比定とされる。現在の天文学での呼称はカノープスと云う星であった。

因みに、カノープスは星座の竜骨座にある一番明るい星(α星)で、東京では地平線の少し上に見られる星である。


なお、ある考古学者の推理によると、阿倍山の麓にあるキトラ古墳に埋葬されている人物は、安倍御主人あべのみうしか天武天皇の子である高市皇子たけちのおうじであるらしい。

安倍御主人は天皇や神様の食事を作る大膳職を司る豪族の家系の人物で、藤原京時代には右大臣でもあった。また、唐時代の中国人商人との親交があり、唐からの輸入品を手に入れることが可能であった人物らしい。輸入品の中に古代天文図があった可能性もある。

日本書紀によると、602年、百済の僧侶が暦本と天文地理書、遁甲とんこう方術書を朝廷に献上したとある。

因みに、陰陽師・安倍晴明を輩出した安倍一族は陰陽師や天文博士などの陰陽寮に勤める人物を輩出している氏族でもある。

なお、天武天皇による陰陽寮の設置は675年であり、安倍御主人以前の系図の中で陰陽寮に努めた人物はいない。安倍御主人は703年没、高市皇子は696年没である。

安倍御主人の2代後(孫)の安倍吉人と3代後(ひ孫)の安倍大家が陰陽師となっている。

安倍晴明は大家から4代後、御主人からは7代後の人物であり、大膳大夫や陰陽寮では天文博士の職を務めた。

中国から日本に陰陽道をもたらした元祖・吉備真備の7代後の子孫・賀茂保憲から陰陽寮の天文道職を譲り受けた土御門家の初代当主でもある。その後、天文道を譲った賀茂家は暦道職を受け持った。


因みに、薄葬令(646年発布)によって巨大な古墳の建造が禁止されために、簡素なものとなったキトラ古墳の建造は646年以降で、藤原京時代の風習からして藤原宮のある中心線(東径135度48分の聖なるゾーン)と関係する墳墓と推理すれば694年から710年までの間に建造されたものと考えられているらしい。

また、キトラ古墳には石棺ではなく木棺が納められていた痕跡があり、安倍御主人と同じ703年没の持統天皇が初めて火葬された天皇であることを踏まえると、696年没の高市皇子ではなく、安倍御主人が埋葬されていた可能性が高い。(著者の意見)


ところで、キトラ古墳と高松塚古墳の天井に描かれている古代天文図には大きな違いがある。

高松塚古墳の天井に描かれている天文図は、天極(天頂中心部)に北極五星と四輔四星のみが描かれ、その外側周辺に二十八星宿図(東西南北に7宿図づつの合計28宿図)が描かれているだけで象徴的な図柄である。

一方、キトラ天文図は内規円、外規円、赤道、黄道などを描いた本格的な天体観測図になっている。また、高松塚古墳の北極五星は太子、帝、庶子、後宮、極と呼ばれる5つの星がほぼ直線上に連なって描かれているが、キトラ古墳では6つの星が少し湾曲して連なっている図になっている。また、金箔で造られた総数350個の星が描かれ、それらの星を赤い線で結んだ星座の数は68個である。

なお、高松塚古墳の四輔四星はケフェウス座にある4つの星を表しているとされる。

また、北極五星(六星)はこぐま座の背骨から尻尾を形成する北極星を含む5つの星であるとされている。

しかし、高松塚古墳に描かれている四輔四星と北極五星の位置関係は実際の天体配置ではない。

著者の私見では、高松塚の四輔四星は北斗七星の柄杓の杓の部分ではないかと思っている。




大和の光陰 プロローグ;デルフィの神託

2015年11月12日(木)  午前2時ころ   ギリシア国デルフィ遺跡

(日本時間 11月12日(木) 午前9時ころ)


アテネ市から西北西へ178km、中部ギリシアにデルフィの町がある。パルナッソス連山に囲まれた山の斜面に石の基台と石柱だけが残っているアポロン神殿遺跡がこの町ある。紀元前6世紀ころ、古代ギリシア時代にはアポロンの神託が下される神殿であった。アポロン、それは音楽と弓矢の神。そして、予言の神でもある。

古代ギリシア時代、神託を下すアポロン神が憑依する巫女ピュティアの座る三脚椅子アディトンが置かれた床の割れ目から、すなわち二つの地下断層が交差する地点の割れ目を通じて地底から立ち昇ってきたエチレンガスが噴き出していたと謂われている。

エチレン系ガスは甘い香りがあり、人間をトランス状態にする作用があるらしい。ガス濃度が濃い場合には死に至ることもあったようだ。


黒塗りの高級乗用車が3台、とワンボックス車が1台、神殿遺跡近くの道路に停まっている。

朔・新月のため、月は出ていない。暗闇をこばむかのように神殿の石床が残っている部分の四隅に置かれた大きな篝火かがりびが床石や石柱をオレンジ色に照らしている。

黒い色で薄く足もとまであるキトンと呼ばれる布衣を着た10人の男が等間隔に立って半円形の円弧『月の半分』を造り、その円弧の中心点を見ている。円弧の中心点には白いキトンを着た女性が一人、三脚の肘掛椅子に座っている。女性は頭に月桂樹の冠をかぶっている。また、この男女11人は肩からヒマティオンと呼ばれる紫色のマントを垂らしている。

白い衣を着た女性の足元には、乳香と大麻が焚かれている大きな赤い皿が二つ置かれており、緩やかな風にあおられ、そこからは薄白い煙が篝火の明かりに照らされてオレンジ色にたなびいている。女性の後方から緩やかなメロディをかなでる弦楽器・竪琴ハープの音が聞こえてくる。

女性の顔は大麻の煙を吸っている為か、うつろな表情を浮かべて、肘掛椅子に座っている。


「アポロン神にお訊ねいたします。」と一人の男がギリシア語で女に向かって言った。

救世主メシアの法を引き継ぐ者となるための手段を我等にお教え下さい。」とその男は続けた。

「メシアの法は太陽によってすでに引き継がれた。」と白いキトンを着た女が男声のギリシア語で言った。

「それでは、メシアの法を取り戻すすべを我等にお教えください。」と男が言った。

「プトレマイオスのカノープスを手に入れよ。」と女が言った。

「カノープスを手に入れて何を行えば良いのでしょうか?」と男が訊いた。

「アンゴルモアの大王を甦らせよ。アンゴルモアの大王が世界を変える。その時、メシアの法は太陽から離れ、暗黒の冥府に落ちる。そのメシアの法を拾い出した者が新しい世界を継ぐことになる。」と女が男の声で言った。

「暗黒の冥府からメシアの法を拾い出す術をお教え下さい。」と男が言った。

「『トコトノカジリ』の言霊を破るすべを自分で考えよ。」と女が言った。

「『トコトノカジリ』とは?」と男が訊いた。

「そこのもの陰に居る男に訊いてみよ。」と女が言った。


その言葉を聞いて驚いた10人の男が辺りを見回した。


そして、かがり火の淡い光に映し出されている石の基台の陰から神託の様子を窺っていたひとりの男を発見した。

その男があわてて逃げだしていく足音が暗闇の中に響いている。

その男をアポロン神殿遺跡近くの道路で控えていた三人の運転手兼ボディガードが追いかけた。



大和の光陰1;

2015年11月12日(木)  午前2時半ころ   ギリシア国デルフィ市街のホテル前


「火事だ!」と山小屋風のホテル前まで走ってきた男が大声を出して叫んだ。

そして、近燐の家々の窓に明りが点いた。

そして、3発の銃声が闇夜の街中に響いた。


血を流した一人の東洋人がホテルのフロントに現れ、メモ用紙とボールペンを手に取った。

『プトレマイオス、カノープス、トコトノカジ―』と日本語のカタカナ文字でメモ用紙に書いたところで男は息絶えて倒れた。



大和の光陰2;

2015年11月19日(木)  午前10時半ころ  大和探偵事務所


事務所の電話のベルが鳴っている。

ソファーから事務机に歩いて行って太郎が電話を取った。

「はい。大和探偵事務所でございます。」

「自衛隊本部統合幕僚長の竹下です。」

「お久しぶりです。」と太郎が言った。

「若井良夫君が死んだ。いや、殺された。」と竹下が言った。

「ええっ。」と太郎は思わずに叫んだ。



大和の光陰3;

2015年11月25日(水)  午前11時ころ  東京都港区高輪地域


大和太郎と竹下統合幕僚長は東京都港区高輪にある若井邸での葬儀参列を終え、若井邸近くにある、以前には電機メーカーS社の本社建物群があった御殿山地域に来ていた。

高輪地域からの下り坂のT字路の一角にS社本社の敷地であった傾斜地がある。そこには品川区が管理している草木の植栽が植えられている小さな傾斜公園がある。その公園には1m幅の石畳が階段状に敷かれた短い散策路があり、その散策路の頂上に直径4mくらいのモダンな円形のあずま家がある。

壁は無く、屋根は平坦で細長い木片を平行に並べたスリット状の円形であり、太陽光が漏れている。

床面には4mの円周に沿って木製のベンチが設置されている。ベンチからの視界には、S社本館の跡地に建てられた御殿山レジデンスなどの高級マンションがそびえている。


喪服に身を包んだ太郎と竹下があずま家のベンチに腰かけて話している。


「若井良夫君は統合幕僚長の個人的依頼を遂行する役割で、情報収集活動をしていました。香港で諜報活動をしている的場史朗と同じ様な役割ですが、一か所に居住して活動している訳ではなかったのです。特種外交官として世界各国の経済支援調査活動をすると云うのが表向きの名目でした。」と竹下が言った。

「誰に殺されたのですか?」と太郎が訊いた。

「さあ、判りません。ただ、アメリカ海軍情報部から自衛隊に要請があり、ブラッククロスの一員であるマカオのホテル・リスボンのオーナーであるフランシスコ・ペドロをマークしていました。マカオと云う土地柄から、東洋人が監視するほうが怪しまれないと云うことでした。フランシスコ・ペドロは香港のビクトリア湾海上で死体が発見されたクルト・ボルマンの後を継いでブラッククロスの十人会議のナンバーファイブに最近、任命されたのではないかとの未確認情報がCIAより海軍情報部に入っていた人物です。ブラッククロスに関してはCIAとアメリカ海軍情報部は共同監視調査を行っているようです。」と竹下が言った。

「若井良夫さんはフランシスコ・ペドロを追ってギリシアのデルフィへ行き、そこで殺されたと云う事ですかね。」と太郎が言った。

「たぶん、その可能性は高いですが、若井君からは何の情報も入っていませんでした。ブラッククロスの急な動きだったのでしょうかね・・・。」と竹下が考えるように言った。

「ああ、それから、若井君はホテルのフロントで死ぬ間際にメモを残しています。」と竹下が付け加えて言った。

「ダイイング・メッセージですか。」

「『プトレマイオス、カノープス、トコトノカジ―』とカタカナで書かれていました。」

「『トコトノカジ―』とは?」と太郎が訊いた。

「最後まで書ききれずに終わったみたいですね。」と竹下言った。


「『トコトノカジ―』とは、英語ではないのか・・・? 日本語なら『床との火事、鍛冶、家事、舵・・・?』、カノープスが星として、竜骨座のアルファ星だったな。竜骨とは船床の背骨にあたる部分のことだから、船のかじのことなのか?確か、カノープスとはミイラにされる死体の心臓以外の内臓を入れる壺のことでもあったな。 しかし、日本語でいいのか?カタカナでメモは書かれていたのだったなら、日本語と解釈していいのかもしれないか・・・。プトレマイオスの意味は・・?エジプト共和国を樹立したアレキサンダー大王の部下で会ったプトレマイオス将軍のことなのか・・・? それとも『十言とことかじり』の事か・・・・。若井さんは何を伝えたかったのだろう?デルフィのホテルの前で銃撃され殺されたのだったな。神託を下すアポロン神殿のあった町、ギリシアのデルフィか・・・。」と太郎は推理をめぐらした。



大和の光陰4;リオの殺人

2016年1月9日(土) 正午ころ  ブラジル リオ・デ・ジャネイロのコルコバード丘

(日本時間 1月10日(日) 午前0時ころ)


南半球の真夏の日差しが照り付ける中、白い巨大な十字架を象ったイエス・キリスト像の周辺には世界中から来た多くの観光客がいる。

海抜709mのコルコバードの丘からはリオの街が一望できる。

『リオ・デ・ジャネイロ』とはポルトガル語で『1月の川』と云う意味らしい。1502年1月、リオにあるグアナバラ湾を発見したポルトガルの探検隊がこの湾を川と間違えたのが町の名前の由来らしい。1567年1月20日の聖セバスチャンの祭日にちなみ、正式名称はサン・セバスチャン・ド・リオ・デ・ジャネイロと云い、リオの守護聖人であるカトリック教徒・聖セバスチャンの名前が付けられている。1月20日はリオの休日である。


1931年(昭和6年)に建造されたキリスト像の高さは30m(台座を含めて38m)、重さは1145トンである。

キリスト像にはミナス・ジェライス州で産出される白色ろう石が全身に貼られている。

キリスト像は東を向いて、両腕を横一文字に水平に広げており、十字架を意味している。

キリスト像の背中の下側にある台座部には像の内部への入口がある。


その入口横に半袖アロハを着た一人の東洋人と思われる男性が腕時計を見ながら立っている。

そこへ、サングラスを掛けた一人の白人女性が近づいて話かけ、小さな白い石板を男性に差し出した。

その時、キリスト像の頭上10mくらいの高さを、北から南に向かって一機の小型ジェット機が轟音と共に来て、一瞬のうちに飛び去った。

『ゴウォーキューン』

キリスト像の周辺に居た人々はみんな、その小型ジェット機を見詰めた。

そして、ジェット機が飛び去った後、キリスト像台座背後にある入口横にアロハ姿の男性が頭から血を流して倒れているのが発見された。その男性は拳銃で額を打ち抜かれていた。死体の右手には白い小さな石板が握られている。そこには、白人女性の姿はすでに無かった。


男の右手にある白い石板の表側には『YOU ONLY LIVE TWICE』、裏側には『泰山府君祭たいざんふくんさい』と彫られていた。



大和の光陰5;古代天文図殺人事件

2016年1月14日(木) 三重県伊勢市二見町の二見が浦海岸にある時間貸し有料駐車場 


午前6時過ぎ、二見が浦海岸にある観光者向けの駐車場に停まっている白い乗用車の横で男性が倒れているのが早朝の散歩をしていた近隣住民によって発見された。


警察による臨検によれば、被害者は後頭部を強打され意識を失いうつ伏せに倒れた。その時、お酒を飲んでいて、意識不明のまま倒れていので凍死したと判定された。頭部からの流血は少し出ている程度で、警察が来た時には血は止まっていた。倒れた時に顔面を地面に打ち付けた為に前歯が2本折れていた。死亡推定時刻は14日の午前5時前後1時間の範囲とされた。そこから推定して午前0時の前後1時間の範囲内で後頭部を強打され、意識不明になり、体温が下がり始めたと考えられた。

人体の血管は睡眠時に膨張して血流が増加し、体温の放熱が促進される。雪山で遭難した時に眠ってはいけないと謂われる理由である。


男性が倒れていた横に駐車してあった車中から手提げ鞄とその中から免許証が見つかり、男性の名前は中村健一郎、55歳、東京都三鷹市に在住と判明した。

また、携帯出来る口径100mmのニュートン式反射型天体望遠鏡とモータドライブ式の赤道儀付三脚、望遠鏡に取り付けられるビデオカメラ類も車内の後部座席から発見された。

その後の警察の調べで、中村健一郎は東京三鷹にあるキリスト教精神を基本理念とするK大学で天文学を教えている客員教授と判明した。また、国立T天文台に所属する著名な星座研究者でもあった。

また、教授の手提げ鞄の中には4つ折りされたA2サイズの『キトラ古墳・古代天文図』の修正された明確な写し図とB4サイズの『世界・日本地図帳』、及び赤い色をした手帳サイズの飛鳥王国パスポートが入っていた。このパスポートは石舞台古墳などの入場券売り場にて100円で購入できるもので、訪問史跡のスタンプを押すためのノートである。

安倍文殊院の拝観券の半券とパンフレットも残されていた。

そして、世界・日本地図帳に鉛筆で水平線ラインが引かれ、その線上に北緯34度27分と書かれていた。

その水平線の近傍にある奈良県の菟田野うたのと明日香、三重県の伊勢、淡路島の一宮、瀬戸内海の播磨灘、岡山県の玉野、そして、中国の西安シーアンの地名に鉛筆で丸印が施されていた。

また、飛鳥王国パスポートのスタンプ欄のページにはボールペンで『陰陽師の神道秘符・発露』の手書き文字が残されていた。


「中村教授は何を研究していたのだろうか? 天文学者だから北緯34度27分で見られる星座の観察でもしていたのだろうか・・・。単なる障害致死事件なのかどうかだな・・・。被害者の財布の中には現金とカードは残されていた訳だが・・・。物取りの筋はないとして、殺人事件として帳場(捜査本部)を開くかどうかだが・・・。明日の午後4時からの県警本部長ほんぶちょうへの報告会までにどれだけの情報を集められるかだな・・・。」と三重県警察本部の矢倉刑事は考えを巡らせた。



大和の光陰6;聞き込み

2016年1月14日(木) 夕刻 伊勢市二見町の和風旅館『潮花ちょうか』の玄関受付付近


「三重県警の矢倉です。」と警察の身分証明証を示しながら矢倉隆刑事が言った。

「ああ、矢倉酒店の隆ちゃんですね。お父さんから刑事になったと聞いています。立派になったね。」と旅館『潮花』の主人が言った。


その時、鮫島姫子が旅館の玄関に入ってきた。

「ただ今、お父さん。」と姫子が言った。

今年は正月の出勤当番で年末から年始にかけて毎朝新聞社に出社していたため、遅い目の正月連休を取った姫子が実家に帰省してきたのであった。


「あれ、姫子ちゃん?」と矢倉刑事が訊いた。

「何方ですか?」と姫子が訊いた。

「酒屋の隆です。」

「やーだ。隆くんなの。中学校を卒業して以来だわね。」

「そんなに会っていなかったっけ?」と矢倉刑事が言った。

「そうよ。高等学校は別々になったから、中学を卒業して以来だわ。もう15年くらい会っていなかった計算になるわね。」

「姫子ちゃんは頭が良くて、成績が良かったからな。俺はあまり勉強が得意じゃなかったし好きじゃなかった。」

「でも、隆くんは社会科が得意じゃなかったかしら?」

「地理と歴史は得意だったな。何故だか判らないが、地名や年代が映像になって記憶することが出来たからね。今でも、それが役に立っているよ。」

「隆ちゃんは記憶力が良いのを見込まれて刑事に抜擢されたと、おさんから聞いているよ。」と姫子の父親が言った。


姫子と隆は同じ年齢としで、同じ小学校・中学校に通っていたのであった。中学一年の時は同じクラスでもあった。

旅館「潮花」にお酒を納めているのが矢倉酒店で、小・中学校時代はお酒の納品の手伝いで矢倉隆は時々「潮花」に来ていたので、姫子とも時々、世間話をした間柄であった。

「もう、あれから15年になるか・・・。お互い30歳だからな・・・。」と矢倉刑事が言った。

としのことは言わないの。ところで、今日は何しに私のうちへ来たの? お客さん?」と姫子が訊いた。

「いや、事件の聞き込みでね、ちょっと。」

「聞き込み?隆くん、刑事なの?」

「まあ、そんなとこ。」

「殺人事件?」

「姫子ちゃん、やけに訊いてくるね・・・。」と矢倉刑事が姫子を見詰めた。

「娘は、事件記者なんですよ。」と姫子の父親が言った。

「ええっ、事件記者なの。それは、やばいな。」と矢倉刑事がつぶやいた。

「まっ、いいじゃないの。東京本社の記者だから、地方の事件には顔を突っ込まないから、安心して頂戴。」と云って、姫子は肩をすくめながら舌を出した。

「まあ、いいか。おじさん、今日の朝、二見が浦の海岸にある観光客用の駐車場での死体発見事件はご存知ですか?」と矢倉刑事が言った。

「ええ。男性が死んでいたそうですね。」

「中村健一郎と云う東京の人なんですが、この旅館に宿泊していませんでしたか?」

「中村健一郎さんね・・。ああ、大学の先生ですね。11日と12日に宿泊され、昨日きのう13日の朝にチェックアウトされましたよ。『これから東京に帰る。』と仰って、旅館の駐車場から自家用車で出て行かれました。今日も二見が浦に居られたのですか?それも、死体となって・・・。」と旅館の主人が言った。

昨日きのうの朝、1月13日に東京へ帰って行ったはずの人が、伊勢近辺を巡っていた訳ですか・・・。」と姫子が呟いた。

「伊勢の近くのどこかで誰かに会っていたのかな? おじさん、そんな話は聞いていませんか?」と矢倉刑事が訊いた。

「いえ、聞いていませんね。それに、お1人での宿泊でしたよ。」

「中村健一郎さんについて何か覚えていることがありますか?」と矢倉が訊いた。

「さて、何かあったかな? ああ、中村様の宿泊予約は1月12日だけだったのですが、1月11日の夜も宿泊したいとのお電話が1月11日の朝、午前8時ころにありました。その他は思い当たることはありませんね。あと、中村様を担当した仲居さんを呼んでみます。ちょっと、お待ちください。」


竹田豊子という中年の仲居が呼ばれ、しばらくして玄関受付に現れた。

「朝日の間にお泊りだった中村様のことですね。」と仲居が言った。

「何か覚えていることはありますか?何でも良いのですが・・。」と矢倉が訊いた。

「11日の月曜日の夜8時30分ころですかね、お部屋でお食事を終えられた後、私が寝床のこしらえをしている時に携帯電話が掛かってきていました。そのとき、『夜空の星座がどうとかこうとか』、『鳥羽の真珠がどうとかこうとか』仰っていました。」

「星座の名前などは覚えていますか?」

「いえ、星空にはあまり興味はありませんので、話の内容はよく判りませんでした。」

「そうですか。真珠の話で何か覚えていることはありますか?」

「いいえ。覚えているのはそれだけです。」

「他に何か覚えていることはありますか?」

「確か近鉄の宇治山田駅で会う約束をされていたと思います。」

「誰と会うとか言っていませんでしたか?」

「いえ、名前までは聞いていません。それほど耳をそばだてて聴いていた訳ではないので、そこまでは。」

「会う日時は聞きましたか?」

「確か、明日あしたとか仰っていたように思いますから12日火曜日だと思いますが・・・。時刻までは覚えていません。」

「そうですか。確かに宇治山田駅ですね。」と矢倉が確認した。

「ええ、確か、そうです。改札口で会うとかどうとかの話をされてましたから・・・。」と記憶をたどる様に仲居が言った。

「宇治山田駅の改札口か・・・。駅に監視カメラがあればいいのだが・・・。」と矢倉は思った。



大和の光陰7;

2016年1月15日(金) 午後4時過ぎ 津市の三重県警察本部


三重県警察本部の本部長会議室で二見が浦の事件現場を確認し、概略調査をした捜査一課の担当刑事4人が説明をしている。他の出席者は高城本部長、山科副本部長、立川刑事部長、秋山捜査一課長、吉井警務部長、である。


「被害者のズボンのポケットには携帯電話と財布とハンカチが残されていました。財布には12万3千円と、小銭入には423円が残されていました。クレジットカードはなかったですね。ご家族の話ではカードは持たない主義だったそうです。」と寺山刑事が言った。

「金銭目的の物取りではないと云うことか。」と高城本部長が呟いた。

「なお、1月11日月曜日の夕方8時ころに旅館の仲居が聞いたという被害者の携帯電話に掛って来た電話は公衆電話からでした。携帯の表示によると時刻は午後8時32分です。公衆の場所の特定はまだ出来ていません。」と矢倉刑事が付け加えた。

「早急に確認するように。」と本部長が言った。

「なお、旅館の仲居の証言にあった1月12日火曜日、宇治山田駅の改札の監視カメラの録画映像には中村建一郎の姿は映っていませんでした。仲居の聞き間違いか、記憶違いだったと思われます。被害者は翌々日の1月13日水曜日の午前11時18分に電車から下りてきたと思われる正体不明の男性2人と宇治山田駅の改札で会い、どこかに立ち去っています。たぶん、被害者・中村建一郎の乗用車に同乗して移動したのでしょうが、行き先などは判明しておりません。お手元にお配りした写真が駅の監視カメラから取り出した二人の男の顔写真です。ふたりともサングラスに野球帽をかぶっていて顔はよく判りませんが、中村氏が身長170センチですから、それよりも背が高い人物たちです。二人とも身長は180センチくらいですかね。」と矢倉刑事が説明した。

「この二人、明らかに監視カメラを意識して顔をかくしているな。悪事を起こす奴等が良くやる格好だ。国道に設置してあるNシステムの監視カメラに被害者の車の写真は写っていなかったのか? 」と山科副本部長が訊いた。

「1月13日以降に関しては、Nシステムの記録において中村氏の自家用車の写真は見つかっていません。」と矢倉刑事が言った。

「財布の中味は残っていたので物取りではないとして、ビデオカメラで撮影した映像は星空だったのか?」と副本部長が訊いた。

「いえ、それが記録映像は残っておりませんでした。まだ撮影前だったのか、犯人によって消去されたのかは判断できませんが、映像は一つも撮影されていませんでした。」と沖山刑事が言った。

「ビデオカメラの映像はSDカードに記録されるタイプか?」

「そうです。」

「撮影後のSDカードを抜いて、新しいSDカードと差し替えた可能性もあるな。SDカードの指紋は検査したのか?」

「はい。望遠鏡とビデオカメラ関係の物品からは中村氏本人の指紋しか検出されていません。」

「そうか・・。」

「ところで、先ほど遺体確認に来署した被害者の奥様に確認した話と旅館の主人の話から、被害者は1月9日早朝に東京を自家用車で出発し、奈良の明日香村に向かったという事だったな。奈良での宿泊先は現在、未確認。そして、1月11日の夕方に二見が浦の旅館にチェックインし、1月13日の午前9時頃にチェックアウトしたのだったな。そして、後頭部を殴られたのが1月14日午前0時ころで、死亡時刻が午前5時ころだったな。君たちの概略調査の内容から推察すると、被害者は明日香村にあるキトラ古墳に描かれていた古代天文図に関係がある旅行をしていた可能性が強いな。」と本部長が確認した。

「そうなりますかね・・・。」と捜査一課長の秋山が言った。

「判った。殺人事件として捜査本部を置くことにする。帳場を開く場所は県警本部の大会議室とする。話の内容からこの殺人は天文図に関係がある可能性が強い。本部の表札は『天文博士殺人事件捜査本部』とする。吉井警務部長、手配をよろしく。」と高城本部長が独断で宣言した。

「おい矢倉、被害者の奈良での動きを早急に調査するように。」と秋山課長があわてて矢倉刑事に言った。

「まったく、帳場(捜査本部)を開くのかよ・・・。」と矢倉刑事は思った。



大和の光陰8;

2016年1月16日(土)  東京溜池のアメリカ大使館会議室


私立探偵の大和太郎とCIAのジョージ・ハンコックの二人が会議机を前にして横並びに座り、日本語で話している。

ハンコックが写真や資料を太郎に見せながら説明している。


「リオ・デ・ジャネイロのキリスト像の傍で東洋人の男が殺された。手には白い小さな石板を握っていた。」とハンコックが言った。

「情報部員か?」と太郎が訊いた。

「それは不明だ。しかし、頭を打ち抜かれていたらしい。」

「それで、その石板には何と書かれていたのだ、ジョージ。」と太郎が訊いた。

「『You only live twice(君だけが2度生きる)』の英語と『泰山府君祭たいざんふくんさい』の漢字五文字だ。」

「君はその漢字の意味を知っているのか?」

「ああ。インターネットで調べた。人間の寿命を交換する呪法と理解した。」

「そうか。」と太郎が呟いた。

「死んだ男が情報部員なら、これで、11人目だ。白い石板を持たされて殺された世界中の情報部員や諜報機関員の数は11人になる。」とジョージが言った。

「やはり、ロシアの情報部員なども殺されていたのか?」と太郎が訊いた。

「その通りだ。ブラッククロスの狙いは失われたアークから別のものに変わったと考えるべきだろう。しかし、11の意味が判らない。太郎、何か思い当たることはないか?」とジョージが訊いた。

「『泰山府君祭』と十一が関係する事柄か・・・?さて、何だろう、ふーむ。」と太郎は腕組みをした。


※注記:『泰山府君祭』

陰陽師によって行われた、天地自然を神格化した神と冥界の神を祀る祭祀儀式のこと。

『泰山府君祭』を行うことで、あの世から死者の魂を呼び戻したり、異なる人間の寿命を祈祷によって取り替えたりしたようである。

『泰山府君』とは中国山東省にある泰山にます神霊のことで、その山には死者の霊が赴く世界があると考えられていた。泰山で死者の帳簿を管理していたのが『泰山府君』である。

仏教と結び付いた道教では地獄において使者を裁く十人の王の一人と考えられている。

政府機関の陰陽師・安倍晴明が弟子となった播磨出身の民間陰陽師・芦屋道満によって殺されたのを『泰山府君』の法で知った晴明の師匠である中国の伯道上人が、『生活続命しょうかつぞくみょうの法』の呪術を使って安倍晴明を蘇らせたとされる説話は有名である(事実かどうかは不明)。

泰山府君とは中国の道教で云うところの冥府(死後の世界)の神の名である。道教では閻魔大王の次の位にランクされる神である。

安倍晴明も『泰山府君』の儀式を執行して、ある父親とその息子の寿命を交換する延命呪法を行った説話も存在する。

『泰山府君祭』では閻羅えんら天子・天官・地官・水官・五道大神・泰山府君・司命君・本命君・開路将軍・土地霊祇・家親丈人の十二の冥道神々を祀る。

また、陰陽師による『天曹地府祭』では、天曹・地府・水官・北帝大王・五道大王・泰山府君・司命君・司録君・六曹判官・南斗好星・北斗七星・家親丈人の十二の神々を延命除災の目的で祀る。

特に、『泰山府君祭』で唱える「都状」と云う冥府神への手紙では、北斗七星が司る「死籍」から寿命を削って、南斗好星が司る「生籍」に寿命を付け替えるとされる。

南斗好星とは現在の星座・射て座にある柄杓ひしゃくの形をした南斗六星の事で、古代中国の星座・二十八宿の斗宿のことでもある。



「ところで、パレルモの屋敷に潜入しているナンシーから情報が入った。」とハンコックが言った。


※ナンシー・イーストウッド中尉;

アメリカ海軍の潜入調査官。諜報員ではなく、海軍に関係する事件解決にむけ、現地に潜入して情報収集活動を行う海軍特殊捜査官。第12話に登場した女性で、合気道の達人。

イタリア国籍のビットリオ・ルッジェーロと云う人物の邸宅へ庭師として潜入している。この邸宅は庸兵組織『春雷』の本部と思われ、『春雷』はブラッククロスと関係する組織と考えられている。その邸宅は地中海に浮かぶシシリー島の都市・パレルモにあるアラブ風の大邸宅で、邸宅内の地中海に面した場所に大桟橋も構築されている。



「どんな情報だ?」

「どうも、ブラッククロスらしき組織が日本で何か事を起こすらしい。」

「いつ、どこで?」

「それが不明だ。だが、デルフィの神託を受けて何かを計画した模様とのことだ。」

「デルフィの神託?」と太郎が呟いた。

「太郎、何か心当たりがあるのか?」

「ああ。知り合いが昨年の11月にデルフィで殺された。死の間際に残したメッセージがある。」

「どんな?」

「『プトレマイオス、カノープス、トコトノカジ―』と云うカタカナ文字だったようだ。」

「『プトレマイオス、カノープス』は判るが、その『トコトノカジ―』とは何だ?」

「その事だが、数字の11と関係するとすれば、『十言とことかじり』と云うことになる。」

「『十言の咒』とは?」とハンコックが訊いた。

「『アマテラスオオミカミ』を11回唱えることを意味する。」

「どういう意味があるのだ?」

「太陽からのパワーを全身に浴びることができるパワーコールだ。」

「具体的にどんな効果があるのだ?」

「それはよく知らない。まあ、太陽のパワー、すなわち天照大御神から授かるさまざまな恩恵だろう。元気がでる。作物がよく育つ。太陽の気を受けて人体などの生命体が躍動することが出来ると云うことだろうか?」と、やや自信なさそうに太郎が言った。

「人体が躍動するのか・・・。」とハンコックが考えるように言った。

「そう云えば、火継神事の時で青山深雪神官が太陽に向かって『十言の咒』を唱えていたな。あの、火継神事は三ぜん世界を新しい時代に導くための神事と云うことであったな。とすると、現実界だけではなく、霊界、神界にも影響があるはずか・・・。」と太郎は考えを巡らせた。


「太郎、何か思い当たることでもあるのか?」と、太郎の表情を読み取ったハンコックが訊いた。

「いや。このパワーコールは死者の魂にも元気を与えるのかもしれないな、と思っただけだ。」

「死者の魂を呼び起こすのか・・・?」とハンコックが呟いた。


「まあ、そんなところだ。ところで、『プトレマイオス、カノープス』の意味は何と考える、ジョージ」と太郎が訊いた。

「それだが、カノープスを竜骨座のアルファ星と考えると、プトレマイオスは2世紀に48種類の星座を命名し定めたギリシア人のプトレマイオス、あるいはプトレマイオス星座と云うことになるが・・。」

「他に何か?」と太郎が訊いた。

「『プトレマイオス』がアレキサンダー大王の部下で会ったプトレマイオス将軍を意味するなら、『カノープス』はミイラにされたアレキサンダー大王の内臓を入れたカノープスの壺と云う事になるかもしれないな。」とハンコックが言った。

「アレキサンダー大王の内臓・・・。そして、霊を呼び起こすパワーコール・・・。」と太郎が考えるように呟いた。

「ブラッククロスの狙いはアレキサンダー大王の復活か?」とハンコックが叫んだ。

「それが冥界に働きかける『泰山府君祭』の意味か。リオ・デ・ジャネイロで殺した東洋人男性の命をアレキサンダー大王に与える、と云う事なのだろうか・・・。そんな事が本当に出来るのか・・・?」と太郎が呟いた。

「ブラッククロスは日本の何処かで、アレキサンダー大王を甦らせる神事を行うつもりだろう。その場所に心当たりはないか、太郎?」

「さて、そんな場所が日本にあるのか・・・?」

「考えろ、太郎。」とハンコックが強く言った。

「『泰山府君祭』と云えば陰陽師の世界。陰陽師と云えば、陰陽寮の役人。その発生は飛鳥時代。とすると、奈良県の明日香村か・・・。あそこには石舞台古墳をはじめ、酒船石丘陵とその北裾にある亀型石槽を含む亀型石造物、吉備姫王墓の猿石、光永寺の顔石、石神遺跡の噴水須弥山しゅみせん石や噴水道祖神像、漏刻ろうこくと呼ばれる水で時を刻む遺構など、様々な古墳、祭祀遺跡がある。」と太郎がハンコックに説明するように言った。

「奈良県の明日香村ですか。飛鳥時代、それは、確か7世紀のことでしたね。」とハンコックが長年日本に居る間に勉強した知識を披露した。


「しかし、アレキサンダー大王のミイラや内臓を納めたカノープス壺は何処にあるのか知っているのか?」と太郎が訊いた。

「私の知る範囲では、それは不明です。子供のころからのアレキサンダー大王の友人であったプトレマイオス将軍がシリアのダマスカスでマケドニアに向けて運搬中のアレキサンダー大王の棺とカノープスの壺を奪って何処かに運んだとされています。エジプトのシワにあるゼウス・アモン神殿に運んだと云う説もあるようですが、最終的にはエジプトのアレキサンドリアに大王の霊廟を造り安置したとされている。しかし、現在のところ、エジプト北部海岸沿いのアレキサンドリアに建造されたプトレマイオス王朝の霊廟の地下に安置されたと謂われている大王のミイラは行方不明です。なお、プトレマイオス十世が在位期間の紀元前107年から紀元前88年の間にその霊廟に安置されていたアレキサンダー大王の黄金の棺を盗み、雪花石膏アラバスターの棺に置き変えてどこかに運び去った云う伝説が残されているようです。そして、そのプトレマイオス王朝の霊廟は紀元273年頃、アレキサンドリア市内に起きた内乱で破壊されたと云う事です。」とハンコックが言った。

「プトレマイオス将軍はエジプトの地を領土として支配した人物ですよね。」と太郎が言った。

「そうです。ギリシア北部のマケドニア人である彼がエジプト・プトレマイオス王朝の1世です。だからと云ってミイラや壺がエジプトにあるとは限りませんが・・・。なお、カノープスの壺は少なくとも二個あるはずです。一つは魂が宿るとされる心臓を入れた壺。もう一つは心臓以外の内臓や目玉を入れた壺です。アレキサンダー大王のカノープスの壺には兜を被った戦士の顔を象った蓋が付いていたはずです。」とハンコックが言った。

「ジョージはいろいろな事を知っているのですね。」と太郎は感心しながら言った。

「ブラッククロスがミイラやカノープスの壺をすでに発見しているのかどうかです。未発見でもその在り処を知っている可能性もあります。彼らの目的は世界のリーダーとなる事です。そのために神の計画を横取りする事がブラッククロスの狙いです。我々も早急に体制を整えて彼らの動きを阻止する必要がありますね。太郎、協力をよろしく。」


「それで、何を協力すればいいのですか?」と太郎が訊いた。

「まずは、アレキサンダー大王のミイラとカノープスの壺の在り場所を見つけてください。あなたの知識と推理力と駆使すれば、きっと見つかるだろう。」とハンコックが太郎を持ち上げた。

「はあ・・・。」と太郎はため息をつきながら、

「エジプトや地中海の島々の古代史やギリシア神話などを研究している藤原教授と鞍地研究員の知識と推理力が必要だな。今回も京都のD大学へ行かねばならないかな・・・。うーむ。」と思った。



大和の光陰9;

2016年1月19日(火) 午後4時過ぎ  津市の三重県警察本部・天文博士殺人事件捜査本部


捜査会議が行われている。

会議室内の100インチの大型スクリーンには被害者・中村天文博士の顔写真が映し出されている。

「矢倉刑事、被害者のご家族と同僚の天文博士などから確認してきた事を含めて、判っていることを報告してください。」と東京出張から帰ってきた矢倉刑事に秋山捜査一課長が言った。


「はい。ご家族の話では、被害者は1月9日土曜日の午前4時ころに東京三鷹の自宅を自家用車で出発し、奈良の明日香村に向かいました。旅行の目的は明日香村での学術研究の為の調査だったようです。そして、午前4時35分に三鷹インターから中央高速自動車道に入りました。そして、午後1時に三重県の東名阪自動車道の亀山インターを出て国道25号線の名阪自動車道を走り、奈良県天理市内設置のオービスシステムのカメラには午後4時4分通過で記録映像が残っていました。そして、奈良県橿原市内のホテル『神武』にチェクインしたのが9日の午後6時15分でした。1月9日の土曜日夜と10日の日曜日夜はそのホテルに宿泊し、ロビーに置いてあるテレビを見たりしている姿が監視カメラ映像に記録されています。そして、1月12日火曜日まで滞在予定を変更して、1月11日月曜日の朝9時10分にチェクアウトしています。現在のところ、1月9日の夜と10日の行動の詳細は不明です。そして、1月11日夕方に二見が浦の旅館にチェックインし、11日、12日と宿泊し、翌13日の午前9時頃にチェックアウトしました。そして、1月14日木曜日午前0時ころに二見観光駐車場で後頭部を強打されて意識不明になり、体温低下が始まり、午前5時ころに低体温で死亡したものと推定。1月13日水曜日午前11時18分には近鉄宇治山田駅改札で二人の男性と会い、何処かへ移動しました。現在のところ、1月12日、13日の被害者の行動先は不明です。1月12日は午前11時ころまで旅館で寝ていたそうです。1月10日夜から11日の午前2時頃までは甘樫丘で天体観測をしており、睡眠不足で眠たかったそうです。午後12時ころに旅館の食堂で昼食を取ったと午後1時ころに出かけていたそうです。行く先は判っていません。


被害者の同僚の相良天文博士の話では、被害者はキトラ古墳天井に天文図が描かれていることから、埋葬されていた人物は飛鳥時代の陰陽寮の陰陽師か天文博士だろうと推理していたそうです。その確認のために明日香村か何処かで誰か、人に会う予定だと言っていたそうです。誰に会うのか、名前や場所などは教えてもらえなかったそうです。9月に開館する予定の明日香村『キトラ古墳壁画体験館・四神の館』の工事現場へも立ち寄ったのではないかと云う話でした。四神の館の裏手にあるキトラ古墳も整備される予定なので、中村博士は立ち寄るはずだと、相良博士は言っていました。研究論文発表まではその内容は秘密で明かさないのが普通だそうです。その人物から飛鳥時代の陰陽寮の天文観察の資料を見せてもらえるような事を言っていたそうです。なお、被害者の自家用車内にあった地図帳には北緯34度27分に水平線が引かれていましたが、これはキトラ古墳のある緯度だそうです。以上です。」と矢倉刑事が報告した。


「では、次に中井刑事に公衆電話の件を報告してもらいます。」と秋山捜査一課長が言った。


「被害者が旅館で受けた携帯電話への発信公衆電話は奈良市下三条の三条通りに面した『ホテル・ワシントン』のロビーに設置されたものでした。ホテルの監視カメラの記録映像から1月11日月曜日の夜8時32分に電話を掛けた可能性がある人物の姿を確認しました。お手元に配布した3枚の人物写真を見てください。監視カメラのビデオ映像から拡大したものなので顔がぼけていますが、ご了承ください。一人はホテルには宿泊していない男性ですから名前や素性は不明です。7時過ぎから8時過ぎ頃まで、その男はホテル内の和風レストラン『金座』で食事をしたそうです。常連客ではなくて、はじめて見る顔だったとフロント係りやレストランの従業員は証言しました。接客を担当した従業員の話では40歳くらいの日本人だったそうです。当時、ホテルの宿泊客である白人の男女二人もその男の隣の席で食事をしていたそうです。その写真の白人の男女二人も電話をかけた可能性がありますが、日本語が喋れるかは不明です。フロント係りとレストランの従業員は英語で応対したそうです。とりあえず名前と国籍を確認しておきました。白人女性はキャサリン・ヘイワードでカナダ国籍です。白人男性の方はイタリア国籍のビットリオ・ルッジェーロと云う人物です。男女二人は知り合いで、一緒に食事をしていたそうです。宿泊の部屋は別々でしたが・・。」と中井刑事が報告した。

「被害者は日本語で話していたのだから、白人の男女は関係ないだろう。この日本人男性に絞って早急に素性を明らかにするように努めること。」と立川刑事部長が男の写った写真を捜査員に示しながら言った。



大和の光陰10;

2016年1月20日(水) 午後3時過ぎ  京都のD大学・藤原研究室


研究室内の会議室で、会議テーブルを挟んで藤原教授、大和太郎、鞍地大悟の3人が話している。


「アレキサンダー大王のミイラとそのカノープス壺の行方を知りたいのでしたね、大和君。」と藤原教授が確認した。

「はい、そうです。教授と鞍地さんの見解をお聞かせ願えませんか。」と大和太郎が言った。

「その件については、鞍地君が適任です。鞍地君、お願いします。」

「はい、承知しました。」と鞍地大悟が言って、話を続けた。

「結論を先に言います。私の推理ではアレキサンダー大王のミイラはエジプト・ギーザにあるクフ王のピラミッドの地下玄室付近に眠っているはずです。」


「クフ王のピラミッドですか。その理由は?」と太郎が以外と云った表情で訊いた。

「大和君。まあ、面白い推理ですよ。」と藤原教授が言った。

「紀元前107年から紀元前88年に在位したプトレマイオス王朝のプトレマイオス十世がエジプトのアレキサンドリアの霊廟に安置されていたアレクサンドロス大王の黄金の棺を何処かに運び出したと云う言い伝えがあります。その霊廟にカノープス壺はあったかどうかは不明です。カノープス壺についての文献や伝説が無いからです。カノープス壺については後でお話します。まずミイラの件ですが、プトレマイオス十世は何故に、何処へ運ぶ必要があったのかを推理しなければなりません。」と鞍地研究員が言った。

「プトレマイオス十世が黄金の棺を雪花石膏アラバスターの棺に置き変えたことは聞いています。」と太郎が言った。

「昨年4月の朝読新聞の世界の事件コーナーに次のような記事が載りました。これがその記事のスクラップです。この記事によると、4月21日午後10時ころ、クフ王ピラミッドの北面の龍座に向いた通気孔と思しき場所から赤い火の玉が3個、地中海方面に飛び出して行ったようです。そして、同じ時刻ころに、地中海沿岸の三つの都市でその火の玉が目撃されています。一つの火玉はギリシアのアテネのパルテノン神殿近くのアクロポリスの丘に。一つはギリシア北部にある古代マケドニアのペラ遺跡近く。ここにはアレクサンドロスの先祖の墓があります。あと一つはギリシアのトルコ国境近くにあるアレクサンドロポリの港近くの海上に落ちたそうです。」とスクラップ記事を太郎に示しながら鞍地が言った。

「そう云えば、日本にも3つの火の玉が飛んだ伝説があります。」と太郎が言った。

「岡山県玉野市の玉比口羊神社にあるピラミッドのような四角錐形をした巨岩から飛び出した火の玉の事ですね。神社の後に迫っている臥龍山の中腹にある稲荷神社奥宮と西大寺観音様と牛窓にそれぞれ飛んで行ったのでしたね。」と鞍地が言った。

「日本は世界の縮図説に従がえば、玉比口羊神社はギリシアのパルテノン神殿、西大寺はギリシア北部のペラ遺跡、牛窓はアレクサンドロポリに相当します。それらの場所は、いずれもアレキサンダー大王と関係する場所です。また、神仏習合時代に石川県能登にある気多大社の神宮寺であった正覚院に残されている『気多古縁起』に『そうはちぼん伝説』と云う話があります。気多大社近くの眉丈山に夜になると赤い火の玉が飛んでいたそうです。正八坊そうはちぼんと呼ばれた僧侶が持っていた『潮干珠しおひるたま』を気多大社の神様が奪い、その珠の効力で邑知潟おうちがたの水を引かせて田んぼが作れるようにして村人の幸福を導いた。その潮干珠を取り返すために正八坊の魂が火の玉となって気多大社に向かって飛んでいるという話です。この能登半島には宝達山・石動山・円山というギーザの三大ピラミッドに相当する三つの山があります。気多大社の奥宮にはスサノオ命が祀られています。スサノオ命すなわちアレキサンダー大王です。さしずめ、気多大社はエジプト海岸にあるアレキサンドリアと云う事になりますかね。」と藤原教授が言った。

「この新聞記事を読んで、5月にクフ王ピラミッドを見学に行ってきました。内部回廊に繋がる現在の見学者用の入口通路は盗掘者によって彫られたとされていますが、私の見解は違います。あれだけの規模で石を削るにはそれなりの準備と道具が必要です。夜間に人目を避けて削ったとしても大きな音が夜空に響き、盗掘者が居ることを外部の人間に判ってしまいます。あれは、時の権力者が自らの目的のために石工たちに掘らせたものです。」と鞍地大悟が言った。

「その権力者がプトレマイオス十世と云うことですか・・・。」と太郎が言った。

「そうです。私の推理では、その目的はアレクサンドロス大王の黄金の棺をクフ王ピラミッドの地下に安置することです。その指示は神託によるものでしょう。」

「誰による神託ですか?」と太郎が訊いた。

「その確定は難しいです。エジプットのシワにあるアモン神殿に祀られているゼウス。当初、ペルシアのバビロンにあるゼウスの神託所で『エジプトのメンフィスの地にアレキサンダー大王を祀れ』と神託されていました。しかし、プトレマイオス将軍がメンフィス町(現在の三大ピラミッド・ギーザ南方50kmのナイル川沿いの町、BC1350年頃のツタンカーメン王時代の首都)へミイラ遺体を運んだ時、メンフィスの神官はアレキサンドリアで弔うのが良いと言ったのです。その結果、アレキサンドロスのミイラはアレキサンドリアに運ばれ埋葬されたのです。ゼウスでなければ、地中海のサントリニ島に坐ますポセイドン神かもしれません。あるいは、パルテノン神殿に祀られているアテナ女神。そして、ギリシアのデルフィにあるアポロン神殿に祀られている予言神アポロン。その神々のいずれかではないかと思います。」

「シワのアモン神殿でゼウスの子であると神託を請けたアレキサンダー大王自身の霊と云う可能性はありませんか?」と太郎が訊いた。

「その場合は神託ではなく、プトレマイオス十世の夢枕に現れたのでしょうね。その可能性もありますね。しかし、十世と云う点に私は留意する必要があると思います。」

「十世ですか。十字架の十の字ですね。」と太郎が言った。

「そうです。だから神の意志が働いている。そうか・・・。十字架に磔にされたイエスキリストの父神はゼウス。と云うことは、アレクサンドロス大王もエジプトのアモン神ことギリシアのゼウス神の息子であるとのアモン神殿での神託があったのでしたね。私としたことが、うかつでした」と鞍地が気づいて言った。

「天空の支配者ゼウス。それが救世主キリストと父神。またアレキサンダー大王の父神ですか。」と教授が呟いた。


「それで。カノープス壺のあり場所はどこですか?」と太郎が鞍地に訊いた。

「聖武天皇の時代、陰陽道を日本に導入した東宮学士の吉備真備が瀬戸内海の播磨灘でスサノオ命の夢を見ました。吉備真備は唐に留学していた時、唐で死んだ阿部仲麻呂の幽霊と話をしている霊能者です。すなわち、スサノオ命を見た夢とは白日夢であり、スサノオ命を霊視したと理解できます。何故にスサノオ命の神霊が播磨灘に現れたのかです。」

「藤原教授の説では、陰陽師が創作した『三国相伝陰陽?轄・??(ほき)内伝ないでん金烏玉兎きんうぎょくと集』での牛頭ごず天王、すなわちスサノオ命とはスーサの王であったアレキサンダー大王の事でしたね。スサノオ命は巨旦大王を破りその支配地を蘇民将来に与えたのでしたね。」と太郎が言った。

「そうです。日本列島は世界の縮図説に従えば、吉備真備が見た夢の意味は、アレキサンダー大王の魂が播磨灘に相当する地中海の場所に現れることを意味しています。理由は判りませんが、アレクサンドロス大王の内臓を納めたカノープス壺は地中海に沈められていると推理出来ます。カノープス壺の中身はアレキサンダー大王の心臓や目玉が入っているのですから、魂はカノープス壺に宿っています。ミイラは魂の抜け殻ですが、身体ですのでエネルギーが宿っています。そのエネルギーが、ピラミッドから飛び出した赤い火の玉です。ただ、エネルギーは地中海に沈んでいる筈のカノープスの壺に向かっていません。現在はカノープスの壺は誰かの手によって地中海から引き揚げられているのかも知れませんが・・・。赤い火の玉がカノープスの壺と合体すれば何かが起こるのかも知れませんね。」と鞍地大悟が言った。

「地中海のどのあたりに沈んでいるのでしょう?」と太郎が訊いた。

「播磨灘は淡路島と小豆島の間の海域です。瀬戸内海で古代船が通過する海域を考えると、明石海峡の緯度を想定することになります。淡路島は地中海ではキプロス島に相当しますから、キプロス北部からエーゲ海までの海域の何処かでしょう。北緯36度近くラインでキプロスとロードス島の間の何処かでしょう。これ以上の推理は無理です。」とヨーロッパの地図を見ながら鞍地研究員が言った。

「キプロス北部からエーゲ海までの北緯36度の海域にカノープスノ壺があるのですか・・。」と太郎が呟いた。

「誰かの手によって引き上げられていないならばね。」と鞍地研究員が付け加えるように言った。



大和の光陰11;

2016年2月1日(月) 午後4時ころ  毎朝新聞・東京本社・社会部


「おい、姫子。ちょっと来い。」と事務机に座ったままの向山部長が事件記者の鮫島姫子を呼んだ。


「何でしょうか?」と姫子が部長机の前に来て訊いた。

「名古屋支社の社会部から調査協力の要請が来た。おまえ、調べて来い。」と向山が言った。

「何を調べるのですか?」

「三重県伊勢市で殺人事件があり、その被害者の周辺での聞き込みだ。」

「で、被害者の名前は?」

「三鷹市にある国立T天文台の天文博士で中村健一郎と云う人物だ。」

「中村健一郎?何か聞いた覚えのある名前ですね。ああ、それって、伊勢の二見が浦の事件じゃないですか?確か、大学の先生だった方ですよね。」と姫子が訊いた。

「おい、姫子。中京地方版にしか載せなかった事件の事を知っているのか?」

「先日、正月休暇で実家の旅館に帰った時に、知り合い刑事が訊き込みに来ました。その時は傷害致死事件で処理するみたいなことを隆くんは言っていましたが、殺人事件扱いで帳場(捜査本部)が立ったのですか・・・。」

「なんだ、その隆くんと云う奴は?」

「私の中学時代の同級生で、三重県警の捜査一課の刑事です。やぐらたかし(矢倉隆)と云います。」

「なに、やぐらが高い。面白い名前の奴だな。」

「部長、ダジャレを言っている場合ですか?弓矢の矢に、倉庫の倉。そして西郷隆盛の隆です。」

「そうか。矢倉刑事か。すまん。」

「傷害致死事件で所轄の伊勢署に一任することになるだろうって、矢倉刑事が居ていましたが、捜査本部ができたのですか・・・。」と姫子が考えるように言った。

「名古屋支社の話だと、三重県警本部長が独断で捜査本部の設置を決定したそうだ。表札は『天文博士殺人事件捜査本部』となっているようだ。」

「5月にG7首脳による伊勢志摩頂上会議サミットが行われると云うのに、警察による警備が手薄になってもいいのですかね・・・?」と姫子が言った。

「いいか、姫子。管理職はな、如何に人員を有効に使い、成果を挙げるかを常々考えているものだ。県警本部長も俺もな。」と向山部長が自慢げに言った。

「有効にね・・・?」と姫子が首を傾げながら呟いた。

「サミットのテロ対策警備には日本全国から数万人規模の警察官が三重県警に協力する。そうするといろいろな情報が県警本部には入ってくる。また、テロ対策の大義名分の下でいろいろな組織への聞き込み調査も容易になる。殺人事件の捜査で質問をすれば犯人は警戒したり逃亡したりするが、テロ対策と言って聞き込みをすれば、犯人は安心して隙をみせる。すなわち、捜査本部をかまえて、テロの情報収集と殺人事件の情報収集が同時におこなえる。また捜査のための人員が豊富に使え、犯人検挙に手間がかからない可能性がある。おまけにサミット前の短期間に犯人を検挙できたら、三重県警としては鼻が高くなると云うものだ。ここが県警本部長の狙いだと俺は思うがな。」と向山が言った。

「なるほど、一石二鳥と云うことですか。ところで、被害者先生の大学はどこでしたっけ?」と姫子が訊いた。

「三鷹市にあるキリスト教系のK大学だ。まだ知らなかったか・・。」と不安そうに言いながら向山は姫子を見た。

「その時は事件に首を突っ込む気はありませんでしたから、深い話は聞きませんでした。」

「それから、朝読新聞・京都支局の事件記者・中山隼人が動いているぞ。三重県は朝読新聞では京都支局の管轄地だ。朝読・京都支局の管轄地域は京都・滋賀・三重・奈良の4県だ。姫子、覚えておけよ。」

「はい、判りました。うちの社では三重県が名古屋支社。京都・滋賀・奈良・大阪・兵庫・和歌山の6県が関西支社の管轄地でしたね。朝読京都の中山隼人が動いていますか・・・。」と姫子が朝読新聞社と毎朝新聞社の支局構成の違いに思いを寄せ、考え深げに言った。

「『神武東征伝説連続殺人事件』では痛い目に会わされた中山隼人には注意しろ、姫子。」と向山部長が言った。



大和の光陰12;

2016年2月2日(火) 午前11時ころ  キトラ古墳


朝読新聞の事件記者・中山隼人と写真カメラマンがキトラ古墳や阿倍山周辺の写真を撮っている。

「ここは、このくらいでいいでしょう。」と中山が言った。

「では、次は石舞台ですね。そして、猿石、亀石、酒船石遺跡などの石造物めぐりですね。それから、最後が高松塚古墳でしたね。」とカメラマンが言った。

「最後に飛鳥資料館にも寄ってください。東京本社が同僚の博士から聞いたという情報では、殺された中村博士は飛鳥時代の遺跡巡りをしていたらしい。そして、奈良で誰かに会って古代の天文情報を聞く予定だったらしい。中村博士が何を求めていたのかを推理出来れば、犯人像が浮かび、特種スクープにあり付けるかも知れないからね。写真の方はよろしく。」

「まかせてください。でも、昨日の夜の中山さんからの急な撮影依頼に対応できたのは文芸部のおかげですね。」

「どういうことです?」と中山が訊いた。

「ここ明日香村にある国立飛鳥歴史公園の遺跡や建造物の写真撮影と紙面掲載に関しては飛鳥管理センターへの事前申請による許可が必要なのですよ。文芸部の依頼で事前申請してあり、撮影許可が下りていましたからよかったです。文芸部からも、しっかり撮影しておいてくれと言われています。」

「文芸部が何か特集を考えているのか?」

「ええ。来週の日曜版で飛鳥時代特集を考えているみたいですよ。その記事に乗せる適当な写真が欲しいそうです。」

「文芸部の誰に頼まれたの?」と中山が訊いた。

「清家女史です。」

「そうですか。飛鳥時代ね・・・。」中山が考えるように呟いた。


その後、二人は路上に止めてあった自家用車に乗り込み石舞台古墳へ向かった。



大和の光陰13;

2016年2月2日(火) 午前11時30分ころ  石舞台古墳


※石舞台古墳;

 奈良県高市郡明日香村島庄にある総重量230トンと推定される巨大な花崗岩の石群で造られた遺跡。

一辺の長さが55m、高さ2mの方形の墳丘の上に巨大な石群で造られた石室がある。石室の大きさは、全長19.2m(玄室7.7m+羨道11.5m)、幅3.4m(羨道幅2.4m)、玄室高4.8m(羨道高2.6m)である。天井は2個の巨石で構成されて、77トンあると推定されている。

祭祀用の金銅製金具や須恵器、土師器などが出土している。蘇我馬子の墓と云う意見もあるが定かではない。考古学上は古墳とされている。古墳なら土に埋もれていたはずだが、発見された当初から盛土がなく、土に埋もれていた形跡もなかったようである。玄室とされる場所から凝灰岩の破片が発見され、凝灰岩製の家形石棺があったのではないかと推論されている。しかし、某氏の意見によれば、石舞台は高天原の精奇城さごくしろに直結しており、神々が地上に舞い降りる時の通り道であるらしいが、真偽は不明。

石舞台の名がつけられているのは、昔、女に化けた狐がこの大きな石の上で踊ったと云う伝説や旅芸人が石を舞台代わりに使ったという伝承に由来するらしい。



でかい石ですね。」とカメラマンが写真を撮りながら言った。

「確かに舞台みたいな石だね。しかし、何の舞台かだ。古墳では無いとする意見もあるようだからな。」と中山が呟いた。



大和の光陰14;

2016年2月2日(火) 午前12時30分ころ  吉備姫王墓


吉備姫きびつひめ王墓の猿石;

 奈良県高市郡明日香村平田

 『女』、『山王権現』、『法師(僧)』、『男』と呼ばれる高さ1mくらいの4体の花崗岩石像(猿石)が王墓墳丘の裾に北から南へ順に置かれている。何故か、4体は王墓墳丘の西側に面して南北に並べられているのである。吉備姫王墓の東側、欽明天皇陵古墳の南側にある池田の水田からこの4体の石像は1702(元禄15)年に発見された。一時期は吉備姫王墓墳丘から100m離れている欽明天皇陵に置かれていたが、明治時代初期に吉備姫王墓のある小さな森に遷されたらしい。

『女』、『山王権現』、『男』、の3体の猿石には人の顔、または動物が彫られている。

『法師(僧)』は立て膝に腕組をしており、底部には円柱状の?(ほぞ)が作り出されていて、他の台座石と組み合わせる構造になっていると推論されている。

『男』像の前面は笑顔の男顔、後面は邪気のような女姿?の二面石像である。

『女』像の前面は馬面、後面は獣面の二面石像である。

『山王権現』像の前面は男像、後面は女の獣像で二面石像である。

池田の水田付近からはこの猿石の他にもいくつかの石像が発見されているようである。例えば、橘寺の二面石、高取城跡の猿石、光永寺の人頭石(顔石)。

これらの石像の用途が何であったかは不明である。

因みに、吉備姫王は陰陽寮を創設した天武天皇の祖母であり、欽明天皇の孫である。



「鉄柵の中に入らなくても写真は撮れるか?」と中山が言った。

「大丈夫です。しかし、こんな場所に殺された天文博士が来たのですかね?」とカメラマンが言った。

「まあ、そう言わずに、写真を撮ってください。中村博士はキトラ天文図に関する謎を研究していたと思うのです。」

「キトラ天文図のどんな謎ですか?」

「例えば、天文図の描かれた場所は中国の長安とされているが、実はここ明日香村だったとか・・・。長安と明日香村は同じ緯度、北緯34度27分にありますからね。飛鳥時代には天文観測のための占星台が677年に設立されたそうです。」と中山が事前に調べて置いた陰陽寮に関する事柄をカメラマンに教えた。

「学者の意見を否定する大胆な推理ですね。さすが、スクープ王の中山さん。」と感心したようにカメラマンが言った。

「あくまで私の想像です。中村博士はその証拠資料などを見せてくれる人に奈良で会ったのではないかと、私は想像しているのです。その線を追いかける為に、明日香村の石造物が何を意味しているのかを考えたいのです。そこから、博士の会った人物を絞り込んで、私も会って見ようかと考えています。」と中山記者が言った。

「中山さんは考古学探偵になれますね。はっはっはっは。」とカメラマンが皮肉った。



大和の光陰15;

2016年2月2日(火) 午後2時30分ころ  亀石


※亀石;

 明日香村川原

 善悪の両面を表しているとされる高さ1.2mの二面石がある橘寺の西門を出て200mくらい行くと亀石がある。

長辺4.3m、短辺2.7m、高さ1.9mの花崗岩製で亀がうずくまるような格好で南西を向いている。亀石が西を向くと飛鳥が泥の海になると云う伝説がある。



「亀はね古代に現れたアダムスキー型の空飛ぶ円盤(UFO)を表現したと云う知人もいる。」と中山が言った。

「亀がUFOですか?」とカメラマンが驚いたように言った。


「浦島太郎の昔話では、そして、浦島は亀に乗って竜宮城へ連れて行かれ、故郷に戻った時には時代が進んでいて、玉手箱を開けた浦島は瞬時に老人に変化してしまう。これは、亀と云う宇宙船に乗って高速移動するタイムトラベルを意味しています。アインシュタインの相対性理論では光速で移動する物質は静止物質に比べて時間の経過が小さいとされています。」

「亀はタイムマシンですか・・・?」とカメラマンが呆れたように呟いた。


「お椀の船に乗って現われた一寸法師は大国主命(大巳貴命)と国土統一に奔走した少彦名すくなひこな命です。少彦名命は桜井市にある三輪神社に祭られている薬やお酒の神様です。少彦名神は国土統一前に大国主命を残して天空へ飛び立って行きました。」

「小人の一寸法師は宇宙人で神社に祭られている神様でしたか・・・?」とカメラマンが言った。


「また、竹取物語ではかぐや姫が月に帰って行きます。」

「かぐや姫も宇宙人ですか。昔話には宇宙人がたくさん出てくるのですね・・・。」とあきれたようにカメラマンが呟いた。

「因みに、かぐや姫に求婚した5人の貴族の中に、安倍御主人あべのみうしと云う政府の用人がおり、中国商人から手に入れた『火鼠の皮衣』と云う珍しい物をかぐや姫にプレゼントしたようです。」



大和の光陰15;

2016年2月2日(火) 午後3時ころ  酒船石遺跡 


※酒船石遺跡;

明日香村岡

湧水わきみずを水槽状の小判型石造物(長さ1.4m、幅1m、高さ0.2m)に導き、そこから亀型石造物(長さ2.4m、幅2m、背中部円形窪み直径1.6m)に流し、さらに溝へと流す導水施設である。湧水は南から北に向かって流れる。7世紀半ばから9世紀にかけて水にまつわる祭祀が行われたと考えられている。7世紀半ばは天武天皇の時代である。天武天皇は伊勢神宮の祭祀を重要視した人物である。また、仏教にも関心が強く薬師寺などを建立している。

酒船石遺跡から坂を登って行くと酒船石(花崗岩製)のある丘陵に至る。

酒船石(長さ5.5m、幅2.3m、高さ1.0m)は表面に様々な円形窪みとそれらを結ぶ溝が彫られている。飛鳥坐あすかにます神社の酒殿説があり、そこから酒船の名が付いたと思われるが、現在では何らかの祭祀のための導水施設であると推測されている。



「何の祭祀を行ったのでしょうね?」とカメラマンが言った。

「天文博士ならこの施設をどのように利用するかを考えてみたいな。カメラマンとして、夜空の星をどう思う?」と中山が訊いた。

「星ですか。難しい質問ですね。宇宙の星であるUFOね。亀形石がUFOと考えると、亀に酒を注ぐのは燃料を注入することですかね・・?」とカメラマンが言った。

「なるほど、お酒が燃料ね。面白い考えですね。」

「確か、お酒の神様は三輪神社に祀られていましたよね。」とカメラマンが言った。

「大神神社の祭神を祀ったとして、何のために・・・・。」と中山は考えたが答えが思いつかなかった。


その後、二人は高松塚古墳から飛鳥資料館に立ち寄り、京都に帰って行った。



大和の光陰16;

2016年2月2日(水) 午後6時ころ  朝読新聞社京都支局・文芸部 


奈良から戻ってきた中山隼人が文芸部の清家女史の事務机の前に来た。

中山と清家女史は朝読新聞入社が同期であり、顔見知りで会った。

朝読新聞京都支局の前身は京都の地方新聞社であった京洛新聞社である。

大阪や京都・奈良の歴史・芸能や映画関係の記事がユニークで人気のあった京洛新聞を発行していたのが京洛新聞社であった。しかし映画産業の衰退やTV番組キー局の東京集中で記事の脆弱化が進み、読者が減り、経営が悪化して、昭和50年頃に朝読新聞社に吸収合併され、朝読新聞社京都支局として再出発したのであった。そのため、地方の支局でありながら本社と同じ規模の文芸部が存在するユニークな支局であった。中山と清家は朝読新聞京都支局になってから地元採用で新人採用されての入社であった。


「今度の日曜版で飛鳥時代特集を掲載するんやて?」と中山が言った。

「誰から聞きはったん?」と清家女史が言った。

「写真カメラマンの堂上さんから。」

「堂上さんか・・・。しょうがない人やね・・。丸秘扱いやって云うてんのに、もう・・。」

「清家のことやから、もう記事は書き終えたんやろ?」

「いま、推敲を重ねてるとこやから、邪魔せんといてね。」


話しながら、中山は女史の机上の端に重ねて置かれている奈良関係の雑誌や書籍の中の何冊かを手に取り符箋ふせんが付けてあるページを開いて見た。

書籍群の中の『月刊アライ』1月号・12月22日発売と云う雑誌のひとつのページに中山の目が止まった。

古墳の前で手を合わせている人の写真の下に書かれているコメントに中山の目が止まったのである。


「安倍文殊院か・・。『先祖の墓参りをしている土御門・倉橋家の子孫』ですか・・? この雑誌、明日あしたまで借りとくで。」と言って雑誌を手に持ったまま、中山は女史の机を離れて行った。

「ちょっと、やめて。ちょっと、待ってよ。うーん。中山のアホ、うちもう知らんわ。」と、去っていく中山の後姿を目で追いながら、清家が諦めたように叫んだ。



※安倍文殊院;

 奈良県桜井市阿部645(桜井市;明日香村の北東に隣接した町)

 安倍一族の菩提寺であり、本殿には快慶作と謂われる4体の脇侍を従えた、獅子に跨った高さ7mの本尊・文殊菩薩坐像がある。文殊菩薩像の眉間にはイボのような白毫びゃくごうは無く、その代わりに5cmくらいの大きさの黄金の文殊菩薩像が埋め込まれていると云う。

 また、境内にある金閣浮御堂(仲麻呂堂)には安倍仲麻呂像や安倍晴明像が安置されている。

その他、境内にある西古墳には安倍文殊院を創建したとされる安倍倉橋麻呂が葬られている。

安倍倉橋麻呂は大化改新政府の左大臣であった。

そして、陰陽寮天文博士・安倍晴明は境内展望台で天文観測を行ったとされる。

因みに、安倍倉橋麻呂くらはしまろ安倍御主人みうしも大化改新以前は布施姓であり、御主人の父親とされる倉橋麻呂くらはしまろは布施麻呂古臣として古文献には登場しているらしい。しかし、宮内省所蔵の安倍氏(天文家)系図では安倍晴明の先祖の筆頭には倉橋麻呂が記述されている。


大化改新で中臣鎌足が藤原姓を賜わったと同じように、蘇我入鹿暗殺に協力した布施麻呂古臣も安倍姓を賜わったのかもしれない。(著者推理)



大和の光陰17;朝読新聞のスクープ1

2016年2月5日(金) 午前9時ころ  毎朝新聞東京本社・社会部 


出社してきた毎朝新聞東京本社・社会部記者たちが朝読新聞朝刊の社会面を見ながらざわついている。


「おい、KとTKとは誰なのだ?この記事から想像できるか・・・。」

「古代天文図と祭祀が関係する人物だな・・。」

「どこかの古代文化研究所の研究者かな・・・。」

「いや、陰陽師かもしれないぞ。」

「今どき、陰陽師など存在するのか?」

「そうだな・・。」

「祭祀が関係しているから天文学者ではなさそうだが・・・。」

「日曜版・飛鳥時代特集を読めと云う訳か。この調子では、今度の日曜の店頭売りは朝読新聞に取られるな。」

「被害者の中村博士が訪問したと思われる古代天文図の描かれているキトラ古墳か。意外と小さな古墳ね。」と記事に付加されている写真を見ながら鮫島姫子は思った。


『中村建一郎氏は伊勢で死体が発見された三日前の1月10日に奈良市内でK氏に会っていたことが本紙記者の調査で判明した。K氏の証言では、中村氏から古代天文図の質問を受けた日の2週間前の12月28日にTKと名乗る人物にも会って、同じ様に古代天文図の質問を受けたそうである。更に、TK氏からは祭祀に関する質問もあったそうである。なお、K氏から聞いた古代天文図と祭祀の話の内容については、明後日の本紙日曜版・飛鳥時代特集第一部に記載されます。』と朝読新聞・朝刊社会面には《伊勢二見が浦での天文学者殺人事件に新事実》の大きな見出しで記事が書かれていた。


「おい、みんなこっちに集まってくれ。」と向山部長が記者たちを部長机の前に集めた。

「皆も承知しているように、今日の朝刊で朝読新聞にスクープを出し抜かれた。三重県伊勢市で発生した殺人事件だ。我社は中京地方版にしか事件の掲載をしていなかったが、朝読は事件後の三重県警記者発表の翌日から全国紙扱いで記事を書いていた。朝読の三重県管轄部署は京都支局だ。そこの中山と云う敏腕記者がこの事件を担当しているらしい。先ほど、専務からお叱りを貰ったところだ。今後、我社も全国紙扱いで事件に臨む。被害者・中村建一郎氏の周辺に気を付けておいてくれ。なお、本社での主担当者は伊勢市が郷土の鮫島姫子に決めるが社会部一丸となってこの事件に取り組んでいきたい。姫子、頼むぞ。」

「まかして下さい、部長。中山隼人を出し抜いてやりますよ。」

「その意気だ、姫子。」



大和の光陰18;

2016年2月5日(金) 午前10時ころ  三重県警察本部・捜査一課室 


秋山捜査一課長と矢倉刑事が話している。

「京都に行って朝読新聞から情報を取って来てくれ。この記事は京都支局の中山とか云う記者が書いたらしい。朝読新聞の社会部部長にはアポイントを入れてあるが、現在、中山記者の所在は不明らしい。追って情報が入り次第に携帯に電話を入れる。今すぐ、京都へ飛んでくれ。」と秋山課長が言った。

「KとTKと云う人物を確認し、K氏が奈良在住の人物なら、奈良県にまわることになります。その場合、宿泊することになりそうですが、良いですか課長?」と矢倉刑事か訊いた。

「奈良県警本部には私から連絡を入れておく。近くの所轄署の宿泊施設を利用してくれ。またTKが中村博士を殺害した犯人だとしたら、顔を知っているKを殺害するかもしれんから、Kの居住する所轄署にはKの身辺警護を怠らないように依頼しておいてくれ。」と秋山課長が言った。

「かしこまりました。では早速、京都に向かいます。朝読新聞京都支局の場所は烏丸御池でしたよね。」と矢倉刑事が言った。

「そうだ。」



大和の光陰19;朝読新聞日曜版(カラー写真付き)

2016年2月7日(日) 朝読新聞日曜版・飛鳥時代特集 


          《日曜版特集・飛鳥時代 第一部 陰陽寮の世界》


飛鳥時代。それは、朝鮮半島の百済より来日した僧・観勒かんろくが暦本、天文地理書、遁甲方術之書を朝廷に献上した第33代・推古天皇10年(602年)に始まり、第43代・元明天皇4年(710年)の藤原不比等の主導による平城京遷都で終わる108年間を云う。

その後、712年に古事記、720年に日本書紀が完成している。


645年・大化の改新で蘇我氏の専横を排した中大兄皇子は朝鮮半島の百済から多くの文化人をひきつれて来て、水時計の漏刻(漏剋)など大陸文化の導入に力をそそいだ。


その後、中大兄皇子の異母弟の大海人皇子が第40代・天武天皇として即位したのが672年。その3年後の天武4年(675年)に陰陽寮は設置された。

陰陽寮には陰陽頭かみ一人、陰陽助すけ一人、陰陽権助ごんすけ一人、大充だいじょう一人、小充一人、大属だいさかん一人、少属しょうさかん一人、陰陽師六人、陰陽博士一人、陰陽権博士一人、陰陽生十人、暦博士一人、暦権博士一人、暦生十人、天文博士一人、天文権博士一人、天文生十人、漏剋博士一人、漏剋権博士一人、守辰丁しゅしんちょう二十人、使部しぶ二十人、直丁じきちょう二人がいたようである。

陰陽博士は陰陽生十人を、暦博士は暦生十人を、天文博士は天文生十人を教育する役目も担っていた。

漏剋博士は守辰丁を率いて漏剋(水時計)の目盛を観察し、時刻を知らせる鐘鼓しょうこを守辰丁が打ったと云う。(漏剋写真参照)

天武6年(677年)には天文観測のための占星台が設置され、渾天儀を用いて天体の位置を観測していたようである。渾天儀は写真にあるように外側に六合儀と呼ばれる3種の、内側に三辰儀と呼ばれる3種の環、その内側に四遊儀の環、地球と月がある。

三辰儀は天球の赤道、黄道(天球上で太陽が移動する道)、白道(天球の地平)を表している。

四遊儀は天の北極と南極結ぶ軸と星を除く筒がある。

陰陽師は天体の変化や暦を参考にしながら国家に起こる異変・事件などを占ったと云われています。



次に、土御門家の子孫・K氏から聞いたお話をいたします。

明治3年の陰陽寮が廃止した後、京都・梅小路にあった土御門邸も縮小されて行ったようです。

そして、飛鳥時代から土御門家にあった天文資料はそれぞれの子孫に分け与えられ、分散してしまったそうです。

K氏の自宅の蔵から出てきた古代資料の中に古代天文図があったそうです。それは、飛鳥時代に占星台で観測された星座を基にして描かれたものと思われます。そして、その天文図はキトラ古墳の天井に描かれたものに類似しており、賀茂家より拝領と記されているそうです。

キトラ古墳・天文図は中国の長安で書かれた可能性があると云うことですが、長安と明日香村はともに北緯34度27分にあり、同じ星空が見られます。


土御門・安倍家には東宮学士で陰陽師でもあった吉人と云う人物がいました。吉人はキトラ古墳の被葬者ではないかと云われている安倍御主人の孫にあたる人物です。

その吉人が時の天皇のために属星祭と云う延命長寿・招福の陰陽道祭祀を古代からある祭祀場の大きな岩の上で星空に向かって行ったと云う事です。その祭祀場は石舞台(写真参照)ではないかと云うのがK氏の言葉です。安倍晴明の子である吉平がその祭祀場で古代の巫女が舞う姿を霊視した記録も蔵から出てきたそうです。

その他、招魂祭(寿命を支配する神や魂の行方をしる神に魂を呼び戻す祈願をする陰陽道祭祀)の祭文(神を称える言葉)や泰山府君祭(冥界の神々12座を祀り、魂・寿命の書換え・取換え、甦りなどを願う陰陽道祭祀)の都状(神へ伝える手紙文)が残されているそうです。


飛鳥時代の陰陽寮のお話はここまでです。次週の第二部では奈良県高市郡明日香村の古代遺跡を巡ります。ご期待下さい。 (文責・清家和子)



大和の光陰20;朝読新聞のスクープ2


2016年2月8日(月) 午前9時ころ  毎朝新聞東京本社・社会部 


向山部長と鮫島姫子が朝読新聞朝刊の記事に目を通しながら話している。


「何々。『伊勢の天文博士殺人事件に新たな事実が判明した。本紙記者が中村博士と会っていたTK氏より新証言を聞いてきました。某神宮の副主管であるTK氏はカナダのT財団のKK氏より多額の奉賛金を受け、その人物から泰山府君祭の祭祀方法を質問されたそうです。その祭祀方法を知らなかったTK氏は知り合いであった土御門家の子孫・K氏から祭祀方法を聞き、KK氏に教えたとのことでした。弊社のカナダ支局がKK氏の名刺に書かれていたT財団の所在地を確認したが架空の住所と電話番号でした。謎のT財団KK氏が殺人犯と限らないが、泰山府君祭の祭祀方法に興味がある点に中村博士との共通点が見出せるかもしれません。それは、K氏の談話では、キトラ古墳の古代天文図は陰陽寮の天文博士が描いたものかも知れないと云うことです。泰山府君祭については昨日の日曜版をご覧下さい。』ですか。」と姫子が新聞記事を読んだ。

「姫子。お前、名古屋支社に行って来い。このままでは朝読にやられっぱなしになりそうだからな。」と向山部長が言った。



大和の光陰21;

2016年2月8日(月) 午後4時ころ  三重県警・天文博士殺人事件捜査本部


捜査会議で矢倉刑事が報告している。

「朝読新聞の中山記者と同行で奈良と富山に行ってきました。朝読新聞に書かれていたK氏とは、倉橋保良と云う人物で、奈良市陰陽町在住です。ご先祖が明治時代に京都の土御門邸から奈良の実家に戻ってきたそうです。TK氏と云うのは富山県滑川市に在住の竹内清人と云う人物で、天地神人一神宮と云う神社の神主兼副主管をされているようです。12月25日にカナダにあるトォーレ財団から神社に来たカール・クリューガーと云う人物から一億円の寄付をする代わりに陰陽道の泰山府君祭の祭祀方法を教えてほしいと頼まれたそうです。もちろん、男性の日本人通訳が一緒に着いて来ていたそうです。スクリーンに映っているのがカール・クリューガーの名刺です。泰山府君祭の祭祀方法を知らなかった竹内氏は福井県にある土御門本庁関連の知り合いから倉橋氏を紹介してもらい、昨年の12月28日に奈良市内のホテルの会議室を借り、そこで面談したとの事でした。そして、1月30日、東京品川にあるプリンスホテルで祭祀方法をカール・クリューガーと云う人物に教え、その場で一億円の寄付を小切手で貰ったそうです。小切手はMS銀行のもので、小切手の名義人はアラビアン・ビークル東京本社のプトレマイオス社長となっていたそうです。すでに、銀行で換金して、神社の奉賛金を貯蓄しておく銀行口座に入金してあるそうです。朝読新聞の調査ではトォーレ財団という法人は実在しないようです。カール・クリューガーとアラビアン・ビークル社については警視庁総務部に調査依頼を出しています。現在、空港税関などの入国審査などを調査してもらっています。」と矢倉刑事が報告した。



大和の光陰22;

2016年2月8日(月) 午後5時ころ  池袋駅西口広場前の弁慶寿司


有線放送から荒木一郎の歌う『今夜は踊ろう』が店内に静かに流れている。


♪青い星の光が遠くに またたく浜辺には ♪

♪今宵も、今宵も 波の飛沫しぶきが騒いでいるぜ ♪

♪星の光が素敵な 夜空のシャンデリアさ ♪

♪夜明けが、夜明けが 来るまで踊ろう ♪

♪Yes,I’m dancing baby. Yes,I do ・・・♪

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・♪

♪明日が、明日が やがてやって来る ♪

♪・・・・・・・・・・・・・・・・♪


北辰会館本部で空手の稽古を終えてきた大和太郎が弁慶寿司に入った。

まだ、夕方前なので店内に他の客はいない。

有線放送を聞いていた板前が太郎を迎えた。


「いらっしゃい。だんな、久しぶりっすね。」と板前が言った。

「ちょっと外国へ旅行をしていたのでね。板さん、いつものやつでお願いします。」と太郎が言った。

「へい。上握り、2人前でしたね。それで、だんな。外国は何処へ?」

「地中海のエーゲ海へちょっとね。それからエジプトとイタリアまでね。」

「へーえ。ヨーロッパでげすか。羨ましいっすねえ。あっしも、一度くらい海外へ行きたいでやんすよ。」

「外国で寿司店でも開いたらどうです。今や、寿司は世界の共通語ですからね。板さんの腕前ならきっと繁盛しますよ。」

「いや、外人好みの味と、日本人向けの味は違うって謂いますからね。味は難しいっすよ。たで食う虫も好きずきっていうでしょ。それっすよ。」

「そんなもんですかね・・・。」と太郎が言った。


カウンターに出された寿司をつまみながら太郎は考え事をしていた。

「若井良夫氏が誰に殺されたのか。若井氏は何を見てあのダイイング・メセージを残したのか。殺された時間帯から考えて、たぶんデルフォイのアポロ神殿遺跡で行われている神事を見たのだろう。イタリア・シシリー島のパレルモに潜入しているナンシーからの情報と比較して、神事を行っていたのはブラック・クロスに間違いないだろう。夜中にアポロンの神託を請けていた訳か。しかし、パレルモのアラブ風邸宅は魅惑的な建物だったな・・・。海に面した大桟橋。そこは軍艦でも停泊できる大きさがあった。シシリーにはヨーロッパ、アフリカ、アジアを表すテラモーネが見つかっている。シシリー島、それは日本では瀬戸内海に浮かぶ大三島に相当する訳だ。大きな三つの島とは、ヨーロッパ島、アフリカ島、アジア島を意味する訳だ。

しかし、あの美しいエーゲ海に魂を残したアレキサンダー大王が復活する場所は何処なのかだが・・・。復活、それは生まれ変わると云うことだろうか・・・。生まれ変わりか・・・。イスラエルの美少年予言者ダニエルの生まれ変わりと云われる占星術師のルル・アラブ女史がいたな。古代ペルシアのスーサの王であり、そのスーサで死んだアレキサンダー大王。そして、ダニエルの墓もスーサにある。スーサ、それは現代のイラン・イスラム共和国のシュシャーンだったな。明日、アラブ師に電話してアポイントを取ることにするか・・。」



大和の光陰22;

2016年2月10日(水) 午後2時ころ  東京・麹町  ルル・アラブ師事務所


「電話でのお話では、アレキサンダー大王の復活の場所について知りたいと云うご質問でしたね。」とアラブ師が言った。

「そうです。」

「1999年、7の月の予言はご存知ですね。」とアラブ師が言った。

「ええ。ノストラダムスの予言ですね。アンゴルモアの大王の復活予言。」と大和太郎が答えた。

「アンゴルモア(D‘ANGOLMOIS)はモンゴリアス(MONGOLIAD’S)のアナグラムです。モンゴリアス、それはヨーロッパ人にとって、中国大陸から中近東までを征服したげん王国のチンギス・ハーンの恐怖イメージを意味します。そして、大王とはアレキサンダー大王のことです。アンゴルモアの大王とは、アレキサンダー大王の魂を肉体に宿した中国人と云うことでしょう。それは、スーサの王の復活です。出口王仁三郎が戦前に中国大陸で馬族に扮して活動しましたが、それは中国大陸でスサノオが復活すると感じていたからです。」とアラブ師が言った。


「中国の何処で復活するのですか?」と太郎が訊いた。

「ここに、ブラジル人の夢予言者が見た予知夢の書物があります。この本によると2008年9月13日に日本か中国でマグニチュード9.1の大地震があり大津波が発生すると云うことでした。」

「しかし、その日には大地震は発生しませんでしたよね。」と太郎が言った。

「予言の日時は予知した人間が直感や理屈で考え、導き出したもので、神が示した日時ではありません。この予知夢で重要なのは地震発生そのものではなく、どの場所で被害が発生していたかと云うことです。予知夢は神からの黙示ですから、予知夢の意味を解き明かさかなければなりません。その地は、中国の東京湾とんきんわん近くの海南島か南寧なんにんと云うことでした。そして、違う日にも同じ地震の被害夢を見ています。いずれの地震も2008年9月13日と計算出来たようです。どのように計算するのかは判りませんが・・・。1990年に見た夢では中国語の会話が、2007年の夢では日本語の会話が聞こえていたそうです。2007年の夢の時は愛知県岡崎市での大地震の被害夢でした。そして、地震の被害地からは東京に向かって一直線に衝撃が走ったそうです。この衝撃がどういったものなのかは書物には述べられていません。それが地震波だったのか、もっと違う何かだったのか。それは夢予言者の感覚なので何とも言えません。しかし、岡崎市と云えば江戸幕府を開いた徳川家康の生まれた地ですから、東京の江戸城があった場所、すなわち現在の皇居のあるに衝撃は向かったと考えられます。たぶん、服部半蔵が霊的結界を結んだ半蔵門に衝撃は向かったのでしょう。岡崎と皇居を結ぶ直線上には富士山と鹿島神宮があります。鹿島神宮には地震を起こすナマズを抑え込む要石があります。また、岡崎から西向きでは三重県の津市、奈良県の橿原市、桜井市があります。橿原市には神武天皇を祀る橿原神宮、桜井市には三輪神社があります。」

「それらの事がどのようにスサノオと関係するのですか?」と太郎が訊いた。


「日本は世界の縮図説によれば、中国の北部ベイブー湾ことトンキン湾は日本の東京とうきょう湾に相当します。そして、東京湾の品川沖は江戸時代には天王洲と呼ばれていました。天王とは牛頭天王のことです。牛頭天王とはスサノオ命でもあります。一方、三輪神社の祭神は大物主命、大巳貴命、少彦名命です。大巳貴命こと大国主命の義父はスサノオ命です。また、三重県の津市近くには香良洲神社があります。この神社の御神体はからすですが、この烏は朝鮮半島の高麗国に居るスサノオ命の恋人であるワカヒメギミ命から日本に居るスサノオ命に宛てた恋文を運んできたが、伊勢の地で力尽きて死んでしまいました。スサノオ命からの返事がないのでワカヒメギミ命は日本に渡ってきますが、スサノオ命に会えず、紀州の和歌の浦で死んでしまい、玉津島明神として祀られました。

ちょっと余談になりました。私の推理では、スサノオ命が復活する地は中国のトンキン湾近くの広西壮こわんしーちょわん族自治区の南寧なんにんでしょう。南寧なんにんの場所は日本ではスサノオ命を祀る武蔵国一の宮・氷川神社がある埼玉県さいたま市大宮区に相当します。」

「スサノオ復活の地は南寧なんにんですか・・・。」と太郎が呟いた。

「1999年7の月生まれの人物の肉体にスサノオ、すなわちアレキサンダー大王の魂が宿った時、アンゴルモアの大王は蘇生するのです。それが、陰陽師が『陰陽カンカツ金烏玉兎集』に記したスサノウ復活伝説です。」


「そう云えば、前回に一緒にここに来た藤原教授によると、日本の雄略天皇はアレキサンダー大王に比定できるそうです。岡崎市の亀山2号古墳から三重県の大王崎近くの古墳から出土した画文帯神獣鏡や埼玉県稲荷山古墳から出土した画文帯神獣鏡と同型のものが出土しており、この古墳は雄略天皇の親衛隊長か側近の墓だろうということです。また、雄略天皇の出身地は吉備国、今の岡山県である可能性が推論できるそうです。日本が世界の縮図説では、吉備はマケドニアとギリシアあたりになりますし、岡崎市はアレキサンダー大王が火の海にした古代ペルシアの首都ペルセポリスに相当します。」と太郎が言った。

「なるほど、面白い発想ですね。面白い発想と云えば、岡崎城には徳川家康が生まれた時に使った産湯の水を汲んだ井戸があります。この井戸には岡崎を護る龍神が住んでいます。そして、その龍神は岡崎城内にある龍城たつき神社に祀られています。その龍神が江戸城すなわち皇居が危機に見舞われる時、東京に向かって一直線に飛んで行く姿がブラジルの夢予言者が謂うところの衝撃なのでしょうかね・・・。」とアラブ師が言った。

龍城神社の龍神の話を聞いた太郎は、以前にあった事件、岡崎に爆弾テロを仕掛け、岡崎を火の海にすると云うブラッククロスによるナンバーファイブ計画を思い出していた。

「あの時は青山深雪こと宝達奈巳さんに頼んで龍城神社の龍神に祈りを捧げ、呪文を唱えたな・・・・。やはり、ブラッククロスはアレキサンダー大王の復活を考えているのか・・・。」


「ところで、電話で事前にお願いしていましたが、日本でアレキサンダー大王の復活を祈願する神事を行うと仮定して、その場所は何処になるでしょう、 判りますでしょうか・・・?」と太郎が訊いた。

「その件について、本日の午前0時に水盤でスサノオ復活に関する儀式を透視しました。儀式は未来の話ではなく、すでに実行されてしまっています。場所は不明ですが、水盤面に浮かんだ映像は大きな岩の上でした。そこで西洋の巫女が四隅に置かれた篝火に囲まれて『飛鳥ひちょうの舞』を舞っていました。飛鳥とは火鳥フェニックスであり、日本では鳳凰ほうおうです。」

「大きな岩の上で、西洋の巫女ですか。その地名は判らないのですか?」と太郎が訊いた。

「ええ、判りません。しかし、白いドレスを身にまとった白人女性が舞っていたその時刻を水盤上に浮かびあがったホロスコープから推測しました。場所が日本、すなわち東経135度での星座配置が水盤上に描かれたとして仮定しますと、2016年1月10日の新月の日の午前0時ころです。新月ですから夜空に月は出ておらず、夜空の星がはっきりと見えていました。そして、その女性は舞の途中で何かに気が付いた様にある方向を見つめました。それがどの方角で、何に気が付いたのかは、私には判りません。」とルル・アラブ師が言った。



大和の光陰23;

2016年2月12日(金) 午後4時ころ  三重県警察本部・天文博士殺人事件捜査本部


「中村博士の自家用車の座席のシートと背もたれの間の溝からSDカードが見つかったらしいな。」と秋山捜査一課課長が訊いた。

「はい。二見が浦での現場調査の時点では見つからなかったのですが、昨日、伊勢署内に保管してある車庫で後部座席シートをはがしたところ、シートと背もたれの間に埋もれていたSDカードが見つかりました。誰かが故意に押し込まないとそこまで届かないと云える深さに隠れていました。たぶん、危険を感じた中村博士が殺される前に隠したのではないかと思われます。」と寺山刑事が言った。

「それで、そのSDカードから何か新しいことが判ったのか?」

「天体望遠鏡を通して写真撮影した星の映像や明日香村周辺の景色などが映っていました。景色と星空の映像のあと、最後に撮影された一枚だけ違った映像が映っていました。それが、この映像です。」と言いながら寺山刑事が100インチスクリーンの映像を指差した。


「周辺が暗くてはっきりしませんが岩の輪郭や大きさから推理して、この場所は明日香村の石舞台古墳と思われます。岩の周辺の四隅に篝火が置かれています。白いドレス着た女性と思われる人物が岩の上で舞っているように見えますが、顔などは判りません。ただ、髪の毛は黒ではなく金髪のように見えますから、髪を染めていないならば写真の女性は西洋人かと思われます。教授の持っていた天体望遠鏡越しに撮影したとして、石舞台の見え方から撮影した場所は甘樫丘あまかしのおかの展望台ではないか思われます。甘樫丘と石舞台の直線距離は2km強です。ちなみに、中村教授の天体望遠鏡は倍率が100倍でしたから、石舞台から20mくらい離れた場所から撮影したのと同じ大きさの映像に写っています。石舞台の周辺にも数人が立っていますが石舞台の高さから背丈を推測しますと一人は1メーター90センチ前後あると思われます。」

「この写真が殺人と関係するのか?」

「それは判りませんが、この1枚の続きの写真が撮影されていてもおかしくないと思われます。舞を踊っている姿を撮影するのに1枚だけと云うのはおかしいです。もっといろいろな場面を撮影しているはずです。しかし、残されていたカメラに残っていたSDカードは新品で何も映っていませんでした。誰かが続きの映像が記録されているSDカードをカメラから抜き取り、新品と入れ替えた可能性が考えられます。」と寺山刑事が自分の推理を話した。

「SDカードを入れ替えた奴が殺人犯と云う事か・・・。犯人は石舞台の上で踊る女の姿を秘密にしておきたかったのかな・・・?」と秋山課長が言った。

「まあ、そのように推理できるのではないかと・・・。」と寺山刑事が言った。

「この女と石舞台の周辺に立っている人物たちの素性は調べられないのか?」

「後ほど、石舞台を管理している部局を調べて問い合わせてみます。」

「そうしてくれ。」


「それから、この映像のプロパティでは撮影日時の項目から日付と時刻が記録から消えています。この写真の以前に撮影された星空映像のプロパティでは作成日時は2016年1月10日、23時から24時の間で記録が表示されるのですが、何故か、この石舞台の写真だけはプロパティでの表示が横棒になっており、日時が確認できません。鑑識の話では、誰かが故意に消した可能性は考えられないらしいです。被害者のカメラに内蔵されている時計カウンターが動作不良を起こし、何故か、リセットされた可能性があるそうです。今日の正午現在、そのカメラの時刻表示は1999年02月02日、12時11分20秒の表示になっており、その後は順次、時計カウンターは正常に時刻を刻んでいるようです。何故そうなったのか、不思議です。」

「あらかじめ設定されていなかったと云うことはないのか?」

「カメラにはプロパティ設定を変更する機能ボタンは付いていません。カメラメーカーに問い合わせてみましたが、自動的に記録は残される仕組みになっているそうです。外部から異常な電磁波がカメラに照射された場合にはこのような現象が発生する場合があるそうです。」

「異常な電磁波ね、そうか・・・。しかし、それ以外にも何か手段があるのだろう。たとえば、パソコンでSDカードに何か操作を加えるとか・・・。」

「その通りです、課長。しかし、パソコンがあっても、プロパティが改ざんできる専用ソフトウェアがそのパソコンにインストールされている必要があるとのことです。」


「そうか・・・。それはさておき、聞き込み班からは何も新しい情報が上がってこないが、どうした?」と秋山課長が訊いた。

「はい。現在のところ中村博士を見かけたという目撃情報などには出会っていません。」と寺山刑事が言った。

「宇治山田駅に現れたサングラスの二人の素性は判ったのか?」

「まだ、不明です。近鉄電車のどこの駅から乗車したのかを各地域の警察署の協力を得て奈良県、大阪府、愛知県、三重県内の近鉄電車各駅の監視カメラの記録映像を調べましたが、二人が乗車した駅は判明しませんでした。」と寺山刑事が言った。

「そうか。御苦労だが引き続サングラスの二人の素性を追跡してくれ。」と秋山課長が言った。

「課長。」と矢倉刑事が手を挙げた。

「なんだ、矢倉。」

「宇治山田駅には特別の乗降口があります。」と伊勢・二見が浦出身の矢倉刑事が言った。

「特別の乗降口?」

「はい。団体客を乗せた観光バスが横付けできるプラットホームがあるのです。ここからサングラスの男二人が駅に入り、そのまま改札口に降りて来たとすればどうですか?」と矢倉刑事が言った。

「なるほど。サングラスの男たちが乗ってきた自家用車が宇治山田駅近くの有料駐車場に止めてあった可能性がある訳か。」と秋山課長が言った。

「はい。有料駐車場の監視カメラを調べれば、何かが出てくるかも知れません。」

「よし、宇治山田駅周辺の駐車場を調べろ。」と秋山課長が指示を出した。



大和の光陰24;

2016年2月12日(金) 午後3時ころ  東京溜池のアメリカ大使館会議室



CIA日本支部のジョージ・ハンコックから呼び出された大和太郎がアメリカ大使館を訪れている。


「パレルモの大邸宅の所有者であるビットリオ・ルッジェーロが日本に来ていたようだ。」とハンコックが言った。

「税関からの情報ですか?」と大和太郎が言った。

「いや、末世立法・オメガ教団を監視している国防総省ペンタゴンのテロ対策部門の報告書が情報源だ。オメガ教団の副教祖・伊周天明これちかてんめいを尾行していて出会った人物だ。伊周これちかは彼が宿泊しているホテルの部屋に入ったそうだ。その部屋番号の宿泊客を調べたら、イタリア国籍のルッジェーロだったと云う訳だ。これが報告書にあった写真だ。」と言いながら、ハンコックは2016年1月11日の日付が入っている数枚の写真を太郎に手渡した。


「この写真のホテルの場所は、どこですか?」とホテルのフロント前を歩いている外国人男性の写真を示して太郎が訊いた。


「奈良市下三条町の三条通りに面している『ホテル・ワシントン』と云うことだ。伊周天明とルッジェーロが会っている写真はないし、二人がどのような話をしたのかは不明だ。伊周天明はルッジェーロが宿泊している部屋に入って行ったそうだ。」

「この写真の女性は誰ですか?」と太郎が訊いた。

「カナダのバンクーバーに住んでいる霊能者でキャサリン・ヘイワード。宗教団体や企業などの社会的な団体と顧問契約を結び、霊的な側面からその団体のあるべき姿・方向性について助言を行う事を生業なりわいにしている女性で、ルッジェーロの知り合いのようだ。ルッジェーロが所有している企業と顧問契約を結んでいる可能性もある。キャサリンは関西空港の税関で入出国手続きをした記録が残っているが、ルッジェーロの通関記録は無かった。どこかの海岸から密入国したと思われる。オメガ教団の手引する漁船で富山県辺りの漁港から日本に上陸したのだろう。まだ、日本に潜伏している可能性も考えられる。ナンシーからの報告では昨年の12月から邸宅の主人は姿を見せていないそうだ。」とハンコックが言った。


「キャサリン・ヘイワードは霊能者ですか・・・。」

「自分の数メートル前を歩いている人物に意識を合わせ、気を配ると、その人物が何気なく振り返ったという経験はないかい、太郎?」とハンコックが訊いた。

「ああ。あるよ。あれは不思議だね。」

「霊能者でない我々でも、霊的な能力が潜在している証拠だ。気を発すると云う事は、何らかの電磁波を頭脳から発するということで、その脳波を相手の頭脳は感受する潜在的能力をもっていると云うことだ。霊能者とはその能力を自分の意志でコントロールすることができる人物、あるいは脳波を強く感じることができる人物と云うことだろう。

太平洋戦争以前の大正13年ころに朝鮮半島西北部・中国大陸東北部吉林省の内蒙古国境付近で『大本ラマ教』を標榜する馬賊として活動をしていた大本教教祖・出口王仁三郎のボディガードをしていた植草盛平という合気道の創始者は、銃から鉄砲玉が飛んで来る前に白い光球が飛んでくるのが見え、それを避けると、その後から鉄砲玉が飛んで来たので敵の兵士が撃つ銃で殺されずに済んだと言っている。白い光球は敵兵が銃の引金を引く動作に先立つ殺気の電磁波であり、その気が狙っている標的に向かって飛んで行くということだろう。慣れてくると、今度はこっちから、今度はあっちからと云う具合に直感・直覚が働いて敵の撃ってくる方角を感じるようになったらしい。植草盛平は霊能者ではなかったが武道の達人の域に達していた人物だろう。現在では、戸隠流忍者の初見良昭という武道の達人が相手の気を手玉に取ったり、自分の気を消したりする能力を持っているようだ。これは、神が人間に与えた能力を訓練によって開花させた例だ。

パレルモの邸宅に潜入しているアメリカ海軍のナンシー・イーストウッド中尉も東野流合気道場で気をコントロールするすべを会得したようだ。」とハンコックが自説を展開した。


「なるほど、気を感じることは神様が人間に与えた能力か。ジョージはそういうふうに考えるか。やはり、ジョージは神を信じる秘密結社・ビッグストーンクラブの会員であるのかな・・・・?」と太郎は思いながら、

「ところで、この写真では赤い鳥居がある小さな祠をこの女性は見詰めるように眺めていますね。この場所はどこですか?」と太郎はキャサリンが見詰めている小さな社祠の写真を示しながら訊いた。


「JR奈良駅近くにある三条通りを挟んでホテル・ワシントンの向い側にある月日神社と呼ばれる祠らしい。」とハンコックが言った。

「月日神社ですか・・・。ところで、この写真のルッジェーロはドイツ人の顔立ちをしていますね。」と太郎が言った。

「このルッジェーロの顔とナンシーから贈られてきたパレルモにある大邸宅の主人の顔が似ているから、この写真の人物はビットリオ・ルッジェーロ本人に間違いないだろう。」とハンコックが言った。

「この顔は、藤原教授に1億円の寄付をしたトォーレ財団のカール・クリューガーに何となく似ているな。D大学の守衛所で見せてもらったビデオ映像に映っていたクリューガーの顔はややピントがボケていたから断言はできないが・・・。」と太郎は思ったが口には出さなかった。


「パレルモの主人はビットリオ・ルッジェーロで、イタリア人でしたよね。」と太郎が言った。

「そうだが、イタリア国籍と云うだけで、イタリア人とは限らない。歴史上の人物で、神聖ローマ帝国の初代の国王の父とイタリアのナポリ・シシリー両王国の娘とのハーフだったと云う例もあります。イタリア人のビットリオ・ルッジェーロがドイツ人の顔をしていても不思議はないのです。」とハンコックが言った。

「神聖ローマ帝国の2代目国王はフリードリッヒ?世でしたよね。ドイツの神聖ローマ帝国の国王を息子ハインリッヒに譲り、自分は誕生地イタリアのシシリー島に帰った人物。そして、ローマ教皇から破門された男。更には、イスラム国王と交渉してエルサレムをイスラム教徒から奪還した人物。フリードリッヒのイタリア語読みはフェデリーコ。フリードリッヒ?世はパレルモに住んでいて、『モーゼ、キリスト、マホメットは世界三大詐欺師』と放言したとされる人物ですよね。」と太郎が言った。

「その放言は16世紀の歴史家のでっち上げと云われている。」とハンコックが太郎をたしなめた。


「それで、私に対する依頼の内容は?」と太郎が訊いた。

伊周天明これちかてんめいとビットリオ・ルッジェーロが何を話したのか。それを知りたい。」

「ええっつ。」と太郎は呆れたように言った。

「まあ、難しい事ですが、何とか調べてほしいのです。ナンシーからの情報にあった、ブラッククロスがデルフィの神託を受けて日本で実施する計画に関係しているはずです。」

「やはり、泰山府君祭によるアレキサンダー大王の復活ですかね・・・。」と太郎が言った。

「そうかも知れないが、もっと他のテロ計画かも知れない。」

「オメガ教団がテロを実行するかもしれないと云うことですかね。オメガ教団は国防総省ペンタゴンのテロ対策部門が監視しているのですね?」と太郎が訊いた。

「まあ、テロの可能性も含め、事実を調査し確認して欲しいのだ。」とハンコックが言った。

「判った。しかし、何処から調査を開始するかだが・・・。」

「まずは現地に行って何かを感じて来ればどうかな。奈良は太郎の出身地だろ。」とハンコックが言った。

「そうするか・・・。写真の日付は1月11日、MONDAYか・・・。1月10日は十日戎の日だが・・・。関係ないかな・・。」と大和太郎は考えた。


別れ際にジョージ・ハンコックが言った。

「今年の1月9日の正午、日本時間では10日の午前0時にリオ・デ・ジャネイロのキリスト像の前で11人目の東洋人が殺された件だが・・・。」

「それが、何か・・・?」と太郎が訊いた。

「殺された男の素姓が判った。中国共産党の秘密工作員で秦明丁しんみょんちょうと云う男だ。ブラジルの中国大使館では中国国防省の武官として活動していた。ブラジルの軍隊との軍事交流を担当していたようだ。まあ、一種の情報部員だな。11人目の情報部員が殺されたと云う事が確定した。」

「白い石板には『YOU ONLY LIVE TWICE』と『泰山府君祭』と書かれていたのだったな。『君だけが二度生きる』のと『死者の蘇りを祈る呪文』という訳か・・・。そして11の数字の意味は・・・?」と太郎は思った。



大和の光陰25;

2016年2月15日(月) 午後5時ころ  奈良市下三条町の月日神社とその向い側にあるホテル・ワシントン


大和太郎が月日神社に来た。

幅3mくらい、高さ2mくらい、奥行き1mくらいの横長の小さい社祠の1mくらい前には幅1.5m、高さ2m強の赤い鳥居が立っている。

社祠の左側面が三条通りに面しており、そこには小さな由諸書の立札がある。

太郎は、その由諸書を読んでいる。


「祭神は与止日女よどひめ神、旱珠日かんずひ神、満珠月まんずつき神か。神宮皇后の妹である与止日女よどひめは、三韓遠征の時、旱珠・満珠の日月の神の力を借りて難を逃れた訳か。旱・満の大波が起きて敵の船を沈めることに成功したということかな・・・。なるほど、それで月日神社と云う訳か。しかし、キャサリン・ヘイワードは何故にこの神社を見詰めていたのだろう。何か、神霊でも見えていたのだろうか。旱珠・満珠の月日明神は陰陽道の暦つくりに関係する神様ということか・・・・。陰陽道ね・・・。しかし、旱珠・満珠とはどういう現象なのだろう。珠とは朱色の玉と書くが、赤い玉でも飛んだのだろうか?海の潮の満ち引きを起こすのは月の引力だが、日である太陽は旱魃かんばつを引き起こす訳か・・・?それにしても、キャサリン・ヘイワードには月日神社の何が見えていたのだろう・・・?」と太郎は思った。


その後、太郎は食事をするために『ホテル・ワシントン』の一階にある和風レストラン『金座』に入った。

そして、キャサリン・ヘイワードとビットリオ・ルッジェーロの写真を従業員に見せて話を聞いた。


「この外国人の男女の方はご一緒に食事をされていました。その隣の席に後から来て座った日本人の男性と短い時間でしたが、何かお話をされていましたよ。奈良の観光名所のパンフレットを外国人女性の方が日本人男性に見せていましたね。観光名所の質問でもされていたのでしょう。日本人男性が先に食事を終え出て行かれました。その後、外国人のお二人が出て行かれましたね。」

「その男性はこの人でしたか?」と太郎は伊周天明の写真を見せた。

「この人ですか・・・? いえ、違うと思いますよ。もう少し若い男性でした。そう、40歳くらいの方だったと思います。ああ、フロントで聞いてみてください。その方はロビーにある監視カメラに映っていたそうですよ。警察の方も監視カメラの記録映像をご覧になったようです。」と伊周天明の写真を見ながら従業員が言った。

「警察が来たのですか?何か事件でもあったのですか?」と太郎が訊いた。

「フロントの人の話では、三重県であった殺人事件の調査だったそうです。この方が関係しているのかどうか、詳しいことは知りません。」と従業員が言った。


食事を終えた太郎は近畿日本鉄道、通称・近鉄電車の奈良駅から橿原神宮駅近くにあるホテルに向かい、そこに宿泊した。



大和の光陰26;

2016年2月16日(火) 午前10時ころ  明日香村・石舞台古墳


「アラブ女師が水盤面上に映し出されている映像を見た西洋の巫女が踊っている大きな岩とは、たぶん、この石舞台だろう。『飛鳥ひちょうの舞』とは飛鳥あすかの舞とも読める。そして、舞を舞っていた白人女性が霊能者のキャサリン・ヘイワードとすれば、誰かの気を感じたということかもしれない。そして、キャサリンが見た方角とは何処かだが・・・。」と思いながら、太郎は石舞台古墳の周囲を見回した。

「新月の夜だから周囲の風景は見えなかったはずだが、霊能者のキャサリンには見えたのだろう。と、すると・・・。あそこに見える丘の上か?甘樫あまかしの丘か・・・。」と思いながら、太郎は遠くに見える木々が生えた小さな丘陵を見据えた。

「ここから甘樫丘までの距離は2kmくらいありそうだな・・・。さて、もう10時過ぎか。10時30分に奈良県警の方と待ち合わせだったな。飛鳥歴史公園内にある飛鳥歴史公園館まで2kmくらいだから、10分もあれば十分間に合うだろう。」と、手帳サイズの地図帳ハンドマップを見ながら太郎は飛鳥駅前のレンタル業者から借りた原付バイクを止めておいた駐車場に向かって歩き始めた。



大和の光陰26;

2016年2月16日(火) 午前10時30分ころ  明日香村大字平田の国営飛鳥歴史公園館前


「失礼ですが、奈良県警察本部の刑事さんでしょうか?」と言いながら国営飛鳥歴史公園館の建物入口に立っている二人のコートを着た男性に近づいた。

「大和探偵ですか?」と一人が言った。

「はい、そうです。わざわざ、恐れ入ります。」と太郎が言った。

「警察庁の半田警視長の依頼であなたの手伝いをするように指示をうけました、太田と申します。こっちの者は竹中です。」と言いながら身分証明書を提示した。

「奈良県警察本部警務部情報管理課の竹中と申します。よろしくお願いします。」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」と太郎が言った。


太郎は、飛鳥管理センターで石舞台でのイベント申請者の名簿を見せてもらうために、知り合いの警察庁刑事局長補佐である半田警視長にCIAの要請で活動している旨を伝え、警察の協力を依頼していたのであった。


「石舞台でイベントを行った人物を確認するのでしたね。早速、近畿地方整備局飛鳥管理センターのある事務所へ行きましょう。」と太田刑事は言いながら、飛鳥公園館の隣りにある事務所棟に向かって歩き始めた。



大和の光陰27;

2016年2月16日(火) 午前10時40分ころ  国営飛鳥歴史公園事務所応接室


「1月10日の深夜のイベント実行者ですね。これがそうです。」と男性事務員が許可申請名簿を大和太郎と二人の刑事たちに見せた。


『申請日:平成27年12月7日。許可申請者:トォーレ財団東京出張所・橘建一郎。住所:東京都豊島区池袋二丁目○○○・東光ビル301号。行為の種別:占用。目的:映像撮影。内容:巫女舞。日時:平成28年1月10日午後10時〜1月11日午前2時』と太郎と太田刑事はメモを取った。


「ところで、この日の同じ時間に甘樫丘で占用申請者は居ませんでしたか?」と太郎が訊いた。

「その前のページを開いてください。」と男性事務員が言った。


『申請日:平成27年12月4日。許可申請者:K大学客員教授・中村建一郎。住所:東京都三鷹市野崎○○○。行為の種別:利用。目的:写真撮影。内容:天文観測。日時:平成28年1月9日(土)午後9時〜1月12日(月)午前3時』と太郎と太田刑事は再びメモを取った。


メモを取った後、太朗が事務員に訊いた。

「他の誰かにもこの記録名簿を見せましたか?」

「三重県の刑事さんが来られて確認されていました。2月13日でした。『1月10日から11日の夜だな。中村建一郎と橘健一郎か、同じ名前だな。』」と呟いておられました。

「その刑事の名前とかは覚えていますか?」と太田刑事が訊いた。

「ええ。名刺を頂きました。確か、三重県警察本部捜査一課の寺山刑事さんでした。」

「何か殺人事件の話はされていましたか?」と太郎が訊いた。

「いえ。ある事件の参考に調べているだけだとは仰っていましたが、事件の内容については何も聞いていません。ちょうど、大阪天満橋の合同庁舎に居る近畿地方整備局長から電話があり、私がその電話に対応している間に寺山刑事は帰って行かれましたので、それ以上のお話はしていません。」と男性事務員が言った。


「ああ、今思い出しましたが、こんなこともありました。」と事務員が付け加えるように言った。

「どのような事ですか?」と太郎が訊いた。

「石舞台占用者の橘建一郎様が月曜日の午前中に来所され、1月10日の日曜日深夜に飛鳥歴史公園での利用者はいなかったと云う質問をされました。甘樫丘での天体観測のための利用者があったことをお伝えしましたら、その利用者の名前を教えて欲しいとのことでした。個人情報保護のため名前はお教えできないと申しましたところ、その利用者に連絡を取って、面会許可を要請して欲しいとの申し出でした。そこで、中村建一郎様の連絡先である携帯に電話しました。そして、橘様のお名前と所属団体名、面会希望の理由をお伝えしたところ、現在は自家用車で移動中なので夕方以降に携帯へ電話してもらっても良いとの返事でした。それで、中村様の携帯電話の番号を橘様にお教えいたしました。」

「橘建一郎さんの面会目的は何だったのですか?」と太郎が訊いた。

「トォーレ財団と云うのは世界的な慈善団体だそうで、社会に有用な研究を行っている研究機関や個人の研究者に対して高額の寄付金や補助金を提供する行為を行っているとの事でした。天文研究の内容次第では研究に寄付金を出しても良いとの申し出でしたので、中村様も二つ返事の対応でした。」と事務員が言った。


「トォーレ財団か・・・。カール・クリューガーとビットリオ・ルッジェーロが同一人物かどうか・・・? そして、霊能者のキャサリン・ヘイワードはブラッククロスの一員なのかどうか・・・? しかし、オメガ教団副教祖の伊周天明これちかてんめいとビットリオ・ルッジェーロが何を話したのかをどのように調べれば良いのか・・・?」と太郎は思った。



大和の光陰28;

2016年2月16日(火) 午前11時20分ころ  国営飛鳥歴史公園館前


天文博士殺人事件でスクープを狙う鮫島姫子が飛鳥歴史公園館で展示物を見学し終え、建物から出て来た。

すると、飛鳥歴史公園管理事務所の方から歩いて来た大和太郎たちと出くわした。


「あれは、大和太郎。」と姫子が呟いた。

「あ痛!姫子さんだ。やばいなー。何でこんなところで出会うんだろう・・・。」と太郎は思った。

「また、意外なところでお会いしますわね。」と姫子が言った。

「ほんとですね。でも、鮫島さんは何の用事で此処へ来たのですか?」と太郎が訊いた。

「ハハハハハッ。大和探偵と同じです。」と姫子はヤマを張った言い方をした。

「誘導尋問は止めましょうよ。私と同じ用事と云う事はないでしょう。」と太郎が言った。

「ハハハハハッ。大和探偵と同じように仕事で来たと云う事よ。」と姫子が言った。

「お仕事と云うと?」と太郎が訊いた。

「伊勢の二見が浦であった殺人事件を知らないの?」と姫子が言った。

「二見が浦の殺人事件とは?」と太郎が訊いた。

「ん、もう。天文博士の中村建一郎さんが殺された事件よ。」


「えっ。」と太郎は一瞬思ったが、口には出さなかった。

しかし、姫子は太郎の表情が一瞬、緊張したのを見逃さなかった。

「中村建一郎の名前を聞いて一瞬、太郎の表情が変わったね。」と姫子は思った。


「大和さん、お知り合いですか。それでは、我々はここで失礼します。」と間が開いたタイミングを見はからって太田刑事が言った。

「そうですか。本日はありがとうございました。お気を付けてお帰り下さい。」と太郎は二人の刑事に礼を言った。


二人の後ろ姿を目で追いながら、姫子が訊いた。

「あの人たちは何方どなたですか?」

「いや、ちょっとした昔の知り合いです。」と太郎がごまかした。

「そう。」と姫子はそっけなく言って、深く追求はしなかった。

「ところで、東京の事件記者の鮫島さんが何故に関西地方の事件にかかわっているのですか?こちらの支社には事件記者は居ないのですか?」と太郎が訊いた。

「それなのよ。朝読新聞の中山記者にスクープを取られたのよ。それで、名記者である私に名古屋支社への協力命令が向山部長から下された訳よ。」と姫子が自慢そうに言った。

「朝読新聞京都支局の中山記者がスクープね・・・。」と太郎が言った。

「あれ、中山を知っているの?」

「まあね。以前、九州であった殺人事件に関係した時に出会った記者さんですよ。」

「ふーん、そう・・・。」と姫子は考えるように言った。


「それでは、このあと歴史公園館の展示を見たいので、これで。」と太郎が言った。

「ええ。じゃあ、ここでお別れしましょう。」と姫子も言った。


太郎が飛鳥歴史公園館に入って行くのを見届けて、姫子は公園管理事務所棟に向かった。

「太郎の野郎、すっとぼけやがって。しかし、管理事務所なんかに行って、中村建一郎の何を調べていただろう? 先に分かれた二人は、たぶん刑事。しかし、刑事が同行しないと教えてもらえない事か・・・。管理事務所の守秘義務ね・・・。中村建一郎に関する個人情報が管理事務所にあると云う事かしら・・・。どうも、中村建一郎が死んでいるのを知らなかったようだが・・・。まあ、行ってみるか。しかし、どのように切り出すかな・・・。」と、対応の仕方に考えを巡らせながら、姫子は管理事務所棟へ入って行った。



大和の光陰29;

2016年2月16日(火) 午前11時30分ころ  国営飛鳥歴史公園事務所受付


「私、婦人警察管の鮫島と云いますが、今しがた、こちらを訪問していました私立探偵などの3人の男性に確認を頼まれたのですが、先ほどの資料をもう一度見せていただけますか?」と姫子が受付の前で事務所内の机に向かっている事務員に向かって言った。

すると、先ほどの男性事務員が反応した。

「ああ、先ほどの刑事さんたちのお知り合いですか。」と言って男性事務員が立ちあがった。


「これが、そうですが、何を確認されたいのですか?」と言いながら男性事務員が申請許可名簿を開いた。

そこには、橘建一郎の名前があった。

「いえ、住所などを書き間違えたかどうかを確認したかったようです。先ほど発生した事件で呼び出しが掛ったので、急いで署に戻って行きました。間違いがあってはいけないので、偶然出会った非番の私に再度メモを取ってきてほしいと伝言して帰って行きました。後で照らし合わせすることになっています。」

「そうですか。このページが石舞台古墳の橘様です。」

「中村建一郎さんは?」と姫子が訊いた。

「次のページです。メモが取れたらお声掛けください。」と言って、事務員は事務机に戻って行った。


姫子は日時、名前、住所、目的などの名簿に書かれている内容をハンドバックから取り出した手帳にメモした。

そして、好奇心からどのような人物たちがどのような目的で許可申請をしているのかと思い、申請許可名簿をパラパラとめくって見た。

「朝読新聞京都支社のカメラマン・堂上武文か・・・。目的が新聞掲載の為か・・・。あの日曜版にあった写真と中山の特ダネ記事にあった写真はこの男が撮影したのか。今度は毎朝新聞の番よ、クソッタレ・・・。」と姫子の負けん気に火がいた。



大和の光陰30;

2016年2月16日(火) 午後3時30分ころ  京都市烏丸御池の朝読新聞京都支局の受付ロビー


大和太郎は、中山記者が書いた特ダネ記事を確認するために朝読新聞京都支局を訪問していた。

新聞社の受付に自分の名刺を出して社会部の中山隼人に面会を求めた。


「連絡を取ってみますから、そちらの椅子にお掛けになってお待ちください。」と受付嬢が言った。

5分くらいして、受付嬢から太郎の名刺を受取った女性が太郎に近づいて来た。


「大和様、お待たせいたしました。中山のアシスタントをしております谷村と申します。あいにく中山は外出中でございます。どのような御用件でしょうか?」と女性が言った。

「三重県の二見が浦での殺人事件に関する中山記者のスクープ記事を読みたいのですが、当時の新聞を閲覧できますか?」と太郎が言った。

「左様ですか。それでは、受付で手続きをして閲覧室を利用いたしましょう。」と言って、谷村は太郎を受付に案内した。


受付で閲覧室の利用手続きを終えて、太郎と谷村はロビー横にある閲覧室に入った。

そして、谷村が閲覧室にあるパソコンを操作して、天文博士殺人事件の記事を画面に出した。

「この記事の部分をプリンターで印刷しますので、お待ちください。」と谷村が言った。

そして、2月5日と2月8日の記事をA4サイズ2枚に印刷して太郎に渡した。


「この記事によると、日曜版にも関連記事があるようですね。」と記事をザーと読んで太郎が言った。

「判りました。その記事も印刷します。」と言って谷村はパソコンを操作した。

そして、2月7日の日曜版をA3サイズの用紙に印刷して太郎に渡した。



大和の光陰31;

2016年2月18日(木) 午後1時30分ころ  東京都・警察庁近くの国会前庭


噴水池の周辺に置かれているベンチに座り、大和太郎と半田警視長が話している。

太郎はCIAから依頼された調査への協力のお礼に奈良土産の『奈良漬』を半田に渡すのが目的であった。


「三重県警察本部からの要請で警視庁総務部の人間が池袋二丁目の雑居ビルの301号室を調べたが、部屋の中に什器などは何もなかったようだ。空き家同然のままだったそうだ。オーナーから管理を依頼されている不動産屋の話では、一年分の家賃を前請けして昨年の12月1日に橘建一郎と賃貸契約を結んだらしい。新しく東京で事業を始めるとの触れ込みだったようだ。事業の倒産で家賃の不払いが発生しないように、1年分の家賃を前請けするのが不動産屋の習慣らしい。また、橘建一郎の連絡先住所の確認で免許証のコピーを取っていたが、その住所には別人が住んでいたそうだ。免許証も偽造だったようだ。それから、三重県警からの情報では、12月にトォーレ財団が飛鳥古文化研究所に一億円の寄付をしており、飛鳥古文化研究所からトォーレ財団・橘建一郎による石舞台古墳の占用申請許可に対する口添えがあったようだ。」と半田が言った。

「橘建一郎の連絡先住所は何処だったのですか?」と太郎が訊いた。

「確か、富山市内だったが、住所の詳細は覚えていない。必要ならあとで教えるが、どうするかね。」と半田が言った。

「何かの発想が思い浮かぶかも知れないので、お願いします。」と太郎が言った。


「ところで、CIAの依頼の件で何か判ったことはあるのかね?」と半田が訊いた。

「守秘義務がありますので、その件はご容赦ください。勝手を申しまして、すいません。」

「これは、失礼しました。それでは、警察への捜査に協力をお願いできますか?」と半田が言った。

「もちろんです。何なりとお申し付けください。」と太郎が答えた。

「それでは、現在までの捜査状況を説明します。」

「お願いします。」

「今年の1月13日から14日に掛けての深夜0時前後に中村博士は死亡したと思われます。したがって、犯人には13日、水曜日に後頭部を撲打されたと推定できます。その場所は死体が発見された二見が浦の観光者向けの駐車場とは限りませんが、被害者の前歯2本が折れていますので、アスファルトなどの床面が堅い場所で襲われたのでしょう。衣服に付着していた砂利は駐車場のアスファルトのもの以外にもありましたが、その場所は不明です。当然ですが、殺害場所ではない可能性もあります。

問題は、被害者の自家用車の中に残されていた天体望遠鏡とその望遠鏡に取り付けて使用したビデオカメラです。カメラに残されていた映像データが記録されるSDカードには何の映像も映っていなかったのです。ところが、その車の後部座席のシートの隙間の奥から1枚のSDカードが発見されました。誰かが故意に押し込まないとその場所にSDカードが入り込むことはない場所でした。」

「そのSDカードには映像が残っていたのですか?」

「ええ。天体望遠鏡を通して写真撮影した星の映像や明日香村周辺の景色などが映っていました。景色と星空の映像のあと、最後に撮影された一枚だけ違った映像が映っていました。その映像は夜間に石舞台と思われる岩の上で踊る白いドレスを着た女性の映像でした。篝火のほのかな明るさに照らされた石舞台の2大岩石の南側部分の一部が確認できる写真でした。昼間に奈良県警の刑事が確認したところ石舞台の岩石のほとんどが樹木の影に隠れていると云う事です。天体望遠鏡の倍率が100倍として、映像の拡大サイズから甘樫丘展望台からの撮影と推定できました。本来、石舞台に上がることは禁止されているのだが、飛鳥古文化研究所の口添えがあったので石舞台の上で巫子舞を踊ることを特別に許可したそうだ。どのような巫子舞を踊ったのかは不明だが・・・。」と半田が言った。

「写真映像ということは静止画ですか?」と太郎が訊いた。

「そうですが、何か?」と半田が訊いた。

「SDカードのデータはすべて静止画だったのでしょうか?」と太郎が確認するように訊いた。

「ええそうです。そのSDカードの映像はすべて静止画だったそうです。」

「と云うことは、ビデオカメラでも静止画を撮影できますが、その写真映像はデジタルカメラで撮影された可能性もありますね。中村博士の自家用車からはデジカメは発見されていないのですか?」

「デジカメが残されて居たという話は聞いていませんが・・・。盗まれた可能性があると云う事ですかね・・・。」と半田が考えるように言った。

「映像のプロファイルデータを見れば残されていたビデオカメラによる写真撮影かどうかが判断できると思います。」と太郎が言った。

「この件は三重県警察本部に確認することにします。」

「あと、車の中などにはどのような遺留品が在りましたか?」と太郎が訊いた。

「中村博士の車内からはキトラ古墳の天井に描かれていた古代天文図のA2サイズの修正写し図面とB4サイズの世界・日本地図帳が発見されています。そして、世界・日本地図帳のあるページには鉛筆で水平線ラインが引かれ、その線上に北緯34度27分と書かれていたようです。その水平線の近傍にある奈良県の菟田野うたのと明日香、三重県の伊勢、淡路島の一宮、瀬戸内海の播磨灘、岡山県の玉野、そして、中国の西安シーアンの地名に鉛筆で丸印が施されていたようです。」と半田警視長が言った。

「明日香村と中国の西安を結ぶ北緯34度27分のラインですか・・・。」と太郎は何かを考えるように呟いた。

「それから、飛鳥王国パスポートと云う手帳サイズのスタンプノートには中村博士の筆跡で『陰陽師の神道秘符・発露』の文字が残されていました。『発露の神道秘符』とは道教の道士が自分の体から神を呼び出す時に用いる儀礼符らしいですな。どのように使うのか、私には判りませんが・・・。」と半田が言った。

「神道秘符・発露ですか・・・。」と太郎が呟いた。


「ところで、この事件に関する朝読新聞の記事は読まれましたか?」と半田が太郎に訊いた。

「ええ。朝読新聞京都支局で読みました。」

「新聞記事に書かれていたK氏とは、倉橋保良と云う人物で、奈良市陰陽町在住です。先祖が土御門家の陰陽師をしていたそうです。」

「土御門家の陰陽師と云う事は、安倍晴明に繋がる家系と云うことですかね。」

「まあ、そういうことでしょうね。」

「それで。」と太郎が話の続きを促した。

「それから、倉橋氏は中村博士にキトラ古墳の古代天文図に関する明白な資料は無いと答えたそうです。しかし、先祖が残した資料の中には天文観測に関する資料があり、その資料は賀茂一族が飛鳥時代に天文博士をしていた時に作成した天文図だったそうです。その天文図を中村博士に見せたと云うことです。」

「平安時代に土御門家の基礎を築いた安倍晴明に天文道職を譲った陰陽師・賀茂保憲の先祖が飛鳥時代に作成した天文図が現代に残されていると云う訳ですか・・・。日本人が作成した古代天文図があることを中村博士は知った訳ですか・・・。なるほど。」と太郎が考えるように言った。

「倉橋氏の話では、明日香村に接する桜井市にある安倍文殊院の近くにある丘の上で安倍晴明が天文観測をしたと云う昔話も残されているそうです。その丘も賀茂一族の遺産だったのですかね・・・?」と半田が自信なさそうに自分の思いを言った。

「安倍文殊院ですか・・・。」と太郎が呟いた。


「また、記事に書かれていたTK氏と云うのは富山県滑川市に在住の竹内清人と云う人物です。竹内氏は天地神人一神宮と云う神社の神主兼副主管をされているようです。竹内氏は福井県にある土御門本庁から倉橋氏を紹介され、二人は奈良市内のホテルで面談したようです。その時、竹内氏は倉橋氏から泰山府君祭の祭祀方法を教えてもらい、その内容をトォーレ財団のカール・クリューガーと云う人物に伝えたようです。」と半田が説明した。

「カール・クリューガーは泰山府君祭の祭祀方法を知ってしまった訳ですか・・・。ふーむ。」と太郎は石舞台の上で踊る白いドレスを着た女性の姿を思い出していた。

「泰山府君祭と石舞台は何か関係があるのだろうか・・・?」と太郎は考えを巡らせた。


「因みに、その礼として天地神人一神宮には一億円の寄付がなされたようです。その支払い小切手の振出名義人はアラビアン・ビークル東京本社のプトレマイオス社長でした。」と半田が付け加えた。

「アラビアン・ビークル社は池袋に事務所がありますね・・・・。」と太郎が呟いた。


「それで、私は何をすれば良いのでしょうか?」と太郎が訊いた。

「橘建一郎について、その正体を明らかにしてほしいのです。できますか?」と半田が言った。

「追跡調査してみます。橘建一郎が偽名ではなく、本名であれば調査しやすいのですがね・・・。」と太郎が答えた。

「それでは、橘建一郎の富山市内の住所を確認したら電話で連絡します。虚偽の住所ではなく、実在の住所地であればいいのですがね・・・。」と半田が言った。

「そう願いたいですね。それでは連絡を待っています。」と太郎が言った。


そして、太郎との別れ際に半田警視庁が言った。

「ああ、そうそう。余談になりますが、3年前に横浜の山下公園でC国大使館付き武官を刺殺した熊井恵太が所属していた三重県津市に本拠を置く右翼・極龍愛神会の会長が昨年の12月1日に死亡した様です。」

「確か、犯人は極龍愛神会の青年構成員で熊井とか云う青年でしたね。結局、単独での偶発的な犯行で極龍愛神会からの指示はなかったという結論でしたね。」

「ええ、そうです。津市の極龍愛神会本部を家宅捜索しましたが、事件に関連すると思われる証拠は何も見つかりませんでした。まあ、予想した通りでしたがね。当時、脱税などの証拠が見つかればと思い会計帳簿なども差し押さえたのですが、何も出ませんでした。」

「極龍愛神会幹部の愛人などに裏帳簿は預けてあるから、何も出ないのでしょうかね・・・。」

「まあ、そんなところでしょう。」

「会長と云う人は何歳だったのですか?」

「81歳です。体調不良で入院中に急性肺炎になって、そのまま死んだそうです。」

「遺産はたくさんあったのでしょうね。」と太郎が言った。

「独身だったから、屋敷を含め、全部を極龍愛神会に寄付すると云う遺言だったそうです。」と半田が言った。

「親戚からクレームが付かなかったのですかね?」と太郎が言った。

「親戚筋に右翼団体へ文句を言う度胸があればね・・・。あっはっはっはっは。」と半田が笑った。

「殺されたC国武官が持っていた小さな白い石板については何か判ったのですか?」

「いえ、まったく不明のままです。犯人の熊井は初犯で偶発的行為と云う事で、懲役5年で結審しました。CIAもこの事件には興味を示していましたが、その後CIAが調査を継続しているかどうかですが・・・。大和探偵は何かご存じないですか?」と半田が訊いた。

「いえ、私は何も知りません。」と太郎は答えた。



大和の光陰32;

2016年2月22日(月) 午後2時10分ころ  富山県警察本部長室


「大和探偵ですね。半田刑事局長補佐から聞いております。お待ちしておりました。」と県警本部長の高崎慶一郎が言った。そして、太郎を応接ソファに座わらせ、報告書を手に持って本部長もソファに座った。


「よろしくお願いします。早速ですが、橘建一郎の住所は実在しているのでしょうか?」と太郎が訊いた。

「住所は実在しています。しかし、橘建一郎という人物はそこには住んでいません。住所地には賃貸マンションがあります、橘建一郎が住んでいるという部屋は昨年から橘京子と云う女性が一人で住んでいるということです。橘京子の部屋は富山市内にあるデパートの社宅です。橘京子さんは短大を卒業して昨年そのデパートに就職した新潟県上越市出身の21歳の女性です。橘建一郎と云う人物は親族にはいないということです。それまでその部屋に住んでいた人物は高岡研二と云う人物だったようですが、現在の所在地は不明です。橘建一郎がそのマンションに住んでいたという記録はないようですね。橘建一郎という人物は橘京子がそこに住んでいるのを確認して、橘の姓を偽名に使ったと思われますな。」と本部長が部下からの報告書を見ながら言った。

「高岡研二・・・。どこかで聞いたことがある名前のような気がするが・・・。」と太郎は記憶をたどった。

「富山県の高岡研二・・・。そう、2009年6月にイタリアとスイス国境であったキアッソ事件。その、第3の日本人が高岡研二だった。岡上正一、大崎隆弘は13兆円相当のアメリカドルの国債を運んでいたのでイタリア当局に拘束されたが、ブラッククロスの連絡係のハンス・マルクスと列車に乗って居た高岡研二は拘束を免れた。ドイツ・ケルン大聖堂に眠る東方の三博士に届ける宝物の13兆円。13とは今なお有効であることを意味する数字。ブラッククロスは東方の三博士を甦らせるつもりだったのだろうか・・・?そして、橘建一郎は高岡研二と同一人物なのかどうか・・・。それが意味するものは何か。高岡研二の正体を見極める必要がありそうだな・・・。」と太郎は考えを巡らせた。


「その高岡研二と云う人物はいつ頃からその賃貸マンションに住んでいたのですか?」と太郎が訊いた。

「そこまではこの報告書にはありませんな。賃貸マンションの管理会社へ行って確認しますか?」と本部長が訊いた。

「ええ。それから富山市役所に行って高岡研二の住民票も調べてみたいのですが・・・。」と太郎が言った。

「それでは、この調査報告を作成した青木刑事を同行させます。」と言って、本部長は事務机の電話の受話器を取った。



大和の光陰33;

2016年2月23日(火) 午前11時ころ  富山県高岡市内


高岡研二が2009年7月から2014年12月まで富山市内の賃貸マンションに住んでいたことを管理会社で確認し、富山市役所では高岡研二が賃貸マンションに転入する前に住んでいた住所と本籍地を確認した。

そして、大和太郎は高岡研二が転入前に住んでいた富山県高岡市の住所地に来ていた。


「ここが、以前に高岡研二が住んでいた住所地だが・・。5階建てのマンションか・・。あれれ、マンションの名前はオメガ・パレスとなっているな。オメガ教団と関係があるのかな・・?表通りにはオメガ教団高岡支部の建物があったな・・・。」と太郎は思った。

ちょうど、通り掛かった近隣住民と思しき中年女性に太郎は訊いた。

「このマンションはオメガ教団と関係がある建物ですか?」

「ええ。オメガ教団の信者さんが住んでいる寮ですよ。玄関扉の横にオメガ・パレスと書かれたプレートがあるでしょ。」と中年女性が指を差しながら言った。

「ありがとうございました。」と、太郎は礼を言って再び建物を見た。


「高岡研二もオメガ教団の信者なのだろうか・・・。本籍地は石清水八幡宮のある京都府八幡市だったな。実家が川崎市に在った大崎隆弘は鶴岡八幡宮のある鎌倉市に住んでいたが、本籍地はどこだろうか・・・。それと、岡上正一が福岡県北九州市に住んでいたころの住民票を確認してみるか。2004年にオメガ教団に潜入したイスラエルの諜報機関モサドのスパイだった岡上正一は本籍地を何処にしていたのだろう。まさか、本名の田中義一の出身地である東京都調布市ではないだろうな・・・。

2009年6月のキアッソ事件でドイツのケルン大聖堂に向けて運搬中の13兆円相当のアメリカ国債がイタリア税関に押収された後、岡上正一は日本に帰国した。そして、オメガ教団の指示で2007年に北九州市小倉区に立ち上げていた聖武・祇園連合会と云う新興暴力団組長を演じ続けた。オメガ教団が岡上正一に福岡県北九州市へ派遣したということは、岡上正一の本籍地が北九州市近辺にあり、土地鑑があると考えたからではないだろうか・・・。この時、岡上正一はモサドとの連絡場所として京都市内に賃貸マンションの一室を岡上正一名義で借りた。その保証人が大崎隆弘。


それに、岡上正一は2011年にブラッククロスのアポロンの御子を誕生させる『オリオンの暗示』計画の生贄としてサラシスターズ社から命を狙われた4人のうちの1人でもあった。『オリオンの暗示』計画とはエジプトのギーザにある三大ピラミッドを破壊するのが目的の計画だった。何故にピラミッドを破壊する必要があるのかは不明だったな・・・。生贄の4人が死ぬことによってアポロンの御子が誕生する場所が確定すると云う岡上正一の話だった。その場所は岡山県のどこかと云う事だったな。岡山県の何処になる予定だったのだろう・・・?

『オリオンの暗示』計画は『ナンバーセブン計画』とも謂われていたが、ナンバーセブンの七の意味は北斗七星ではなく、オリオン座の外枠をなす4つの星は赤いペテルギウス、青白いリゲル、女戦士の異名を持つベラトリックス、オリオンの右ヒザにあたるサイフ。4つの星に四角に囲まれた中心にあるオリオンのベルトにあたる3つの星をあわせた7つ星であった訳だが・・・。

オリオン座の三ツ星は古代エジプト神話では冥界を統治・君臨するオシリス神を意味した。

日本では黄金の三ツ星、あるいは住吉三神の表筒男命、中筒男命、底筒男命の海神とされる。

古代中国では28宿星座の『しん』と命名され、それぞれ、左将軍、大将軍、右将軍と呼ばれ、戦いの神が宿るとされた。

そして、ギリシア神話ではオリオンは海神ポセイドンの御子で弓矢に優れた猟師。

予言の神・アポロンは音楽と弓矢に優れた神でもあり、全宇宙を守護する天空の神ゼウスの御子あったな・・・。

ブラッククロスは『ナンバーセブン計画』何を考えていたのだろう?


東方三博士の復活を願って日本人三名を派遣したのがブラッククロスとすれば、八幡大神をヤハウェと同一神と考えている可能性があるからな・・・。救世主のイエス・キリストはイスラエルの地ベツレヘムで生まれ、エルサレム市街の10キロ南方にあるナザレで育ったユダヤ人。ユダヤ人の神であるヤハウェ。イスラエルの情報機関モサドの日本支部の情報部員である岡上正一の本籍地が宇佐八幡宮のある大分県宇佐市となっているのかどうかだが・・・。半田警視長に調べてもらうかな・・・。高岡研二が石清水八幡宮のある京都府八幡市が本籍地。後一人、キアッソ事件で岡上正一とイタリア当局に拘束された大崎隆弘の本籍地が鶴岡八幡宮のある神奈川県鎌倉市かどうかだな・・・。」と太郎はいろいろと考えを巡らせながらオメガ教団のマンション建物を眺めていた。



大和の光陰34;

2016年1月10日(日) 午前0時 頃  

淡路島・南あわじ市津井の法華宗本門流・大乗山法王寺


ヘッドライトをアップにした一台の乗用車が播磨灘に面する石積みの突堤に守られた津井港湾から緩やかにつづく暗闇の坂道をゆっくりと登って行く。


坂を登った小高い丘にいくつもの瓦工場が点在する村里の中に法華宗大乗山法王寺がある。

瓦の製造技術は588年に日本に伝来し、598年ころの瓦窯跡が淡路島で発見されている。

南あわじ市津井地区は1626年ころ法華宗隆泉寺本堂の建立時に製造が始まった『あわじ瓦』の中心地で、あわじ瓦は法華宗の援助を受けて日本に広まったとも謂われている。

瓦の製造技術は588年に日本に伝来し、598年ころの瓦窯跡が淡路島で発見されている。

江戸時代、津井港から日本全国に向けて『あわじ瓦』は帆船で運ばれて行ったようである。

法王寺の瓦屋根には鯱鉾しゃちほこの形をした瓦や、魔除けの鬼瓦が取り付けてある。


法王寺の横に止まった白塗り乗用車のニッサン・サニーから中年の尼僧が降り立った。

澄み切った夜空の天頂から少し南南西寄り位置にはオリオン座が、少し北北東寄り位置には北斗七星が輝いている。

西北西に向いている法王寺山門の前で北方向の上空にある北極星に向かって立ち、白袴と黒い法衣に身を包み、褐色の5条袈裟を身に着けた尼僧が法華経の題目を十回唱えた。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、・・・・・・、南無妙法蓮華経。」


そして、その尼僧は東南東方向に開いた法王寺山門に向き直って立ち、調伏印業を始めた。

「臨、兵、闘、者、皆、陳、裂、在、前」と言いながら両手で九字を結び、

「ノーマクサーマンダ バーザラダンセンダ マカロシャーダ ソワタヤ ウンタラ タカンマン。 ノーマクサーマンダ バーザラダンセンダ マカロシャーダ ソワタヤ ウンタラ タカンマン。 ノーマクサーマンダ バーザラダンセンダ マカロシャーダ ソワタヤ ウンタラ タカンマン。」と不動明王様を呼び出す真言を三回繰り返した。

そして

「臨、兵、闘、者、皆、陳、裂、在、前」と言いながら右の手で四縦五横符の印を切り、左の手で作った印刀鞘に右の手の印刀を納めた。


次に、加持真言を三回唱えた。

「オン アビラウンケン ソワカ。・・・・・。・・・・・・。」

「オン キリキャラハラハラ フタラン バソツ ソワカ。・・・・。・・・・。」

「オン バザラド シャコク。」

そして、

指を鳴らす弾指たんじを行い、左の手で作った印刀鞘から右の手で作った印刀を抜いて、印業を終えた。

最後に、尼僧は体を北向き変え、「南無妙法蓮華経」と法華経の題目を1回唱え、夜空を見上げた。


尼僧が何の調伏を祈願したのかは不明である。


           大和の光陰

      〜キトラ古墳・天文図殺人事件〜 

            前編 完了  (2016年7月21日)

            後編に続く



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