奇術団の夜
ユーキャンの童話講座最終課題作品です。
「添削前の作品の転載については問題ない」との回答をいただいています。
青年がまだ少年だったころ、この村には豊かな暮らしがありました。
……今は何もありません。
*
最初の不幸は戦さでした。兵士が畑を何往復もし、木々や建物が燃やしつくされました。
次は大雨でした。豊かな土や落ち葉、少しは残っていた建物もみな押し流されました。
そして疫病でした。薬や医師のためのお金もなく、次々と村人は数を減らしてゆきました。
最後に日照りでした。大地はカラカラに乾いて、カチコチに固くなりました。
最初はたび重なる不幸に負けまいとしていた村人たちも災害が積み重なるたびにその数が減り、今この村に残るのは他の土地では生きていけぬ老いた者や彼らを見捨てられぬ数人と、この青年ぐらいのものでした。
まだ青年が幼かったころには畑にも作物が実り、秋には収穫を祝う祭りに近くの村々からも人が来ていたはずなのですが、この数年のうち総ての思いでは塗りつぶされて、青年にはまったく思い出せないものになっていました。……もう、過去のことでした。
そんなある日のこと。
ひび割れた土の道を数台の馬車がやってきて、ただ広いだけで何もない広場に「大奇術団」の垂れ幕を掲げました。
「タネも仕掛けもございます。
わずか硬貨数枚で、後々の語り草となるような、すばらしい幻をごらんにいれましょう」
団長さんの口上に青年や村人は、数枚の硬貨で夢が買えるならと、当夜奇術団のテントへと向かいました。
*
テントの中に一歩足を踏み入れた時、青年が見たのはテントの外の姿でした。
間違えた、と戻ろうとした時、青年は奇妙な物音と聞きました。それが湿気を含んだ風で何かがザワザワとたてる音であることに気がついた時、青年はその音の正体に気づきました。これは、まだ青々とした葉をいっぱいに茂らせた木々のそばを風が通り過ぎる時の音だ! この干ばつで木々は一枚残らず葉を落としてしまったというのに!
歩みを進める青年の足には豊かな下草がまとわりつき、風に含まれている花の香りと夕食のにおいをかぎました。
「おい、こんなところで何をやっているんだ? 」
暗がりの中いきなり声をかけられ、青年は目を凝らしました。そこにはまだ若い頃の父の姿がありました。 父はとうに疫病で亡くなっているというのに。
「今日はこれから大変なんだ。こんなところで呆けていてどうする。手伝え」
青年は亡くなったはずの父に導かれてふらふらと村の方へと歩みを進めました。
何もなかったはずの広場はいつのまにか立派な建物に取り囲まれ、その隅々から中央に向かって張られた綱には無数の灯りがつけられておりました。その下には割れもひびもない無数の皿が、そしてそのまた上にはすっかり忘れさられていたこの土地の産物や名物料理がずらりと並べられておりました。
この村だけではなく近くの村からも人が来ているのでしょう。どこからか誰かが弾く楽器の音に合わせて手拍子や歌が聞こえてきました。
「ああ、うちの村の祭りはたしかにこうだった」
青年がそう思った時、脇を通り過ぎた妙にうそ寒い風が身をふるわせ、はっとそれに気が付きました。
これは、奇術団で見ている幻なのだと。
この一夜が終われば、あの荒れ果てた村に帰らなくてはならないのだと。
気がつくと青年はまるで子供のように泣きじゃくっておりました。
「どうした、いきなり泣き出して」
心配する若い姿の父に、青年は訳を話しました。
「たしかにこの祭りはもうすぐ終わる。だがな、またやればいいじゃないか」
青年の話を聞いた若い姿の父はそう力強く言いました。
「たしかにまた干ばつは来るかもしれんな。そしたらまた立て直せばいいじゃないか」
「そうとも。この村はこれまでにだって何度もひどい目にあったこともある」
若い姿の父を始めとして他の村人もやってきてやさしく語りかけました。
「だがな。じいさんやそのまたじいさんたちががんばってここまでにしたんだ」
そう言って若い姿の父は家に掲げられた祖父の肖像画を見上げました。それは青年が見たこともない絵でしたが、じっとこの村と青年自身を見守っているかのように見えました。
「お前はそのじいさんたちの血をひいてるじゃないか」
「お前たちにも出来なくはないだろう? 」
青年は泣きじゃくっているうちにも自分の中にあたたかい力が沸き上がってくるのを感じました。
*
青年の涙にぬれた顔に朝の光がさしました。
青年の前には元の、掘立小屋が数個の、緑の欠片もない、人の姿すらまばらな、今の村の姿がありました。だが青年の心の中にはまだ、あの夜の村の姿が息づいています。
「ありがとうございます。やっとかつての村のよいところを思い出すことができました」
「おやおや、それは違いますぞ? 」
団長さんは礼を言う青年に言いました。
「あれはあなた方がこれから作り上げる、この村の未来の姿なのですからな」
そう言われて青年はやっと気がつきました。
あの奇術団が見せた幻の中、家に掲げられた肖像画、その「祖父の肖像」とは。
……まぎれもない、年老いた、青年自身の肖像であったということに。
(終)