お茶会と焼き餅
スマホを手にした輝姫が覗き込む7インチのパネルには、深緑色の森の中、今にも蟷螂のような形態の妖魔に追い詰められ狩られる寸前の赤毛少女が映し出されていた。
赤毛少女はゴーレムを召喚して必死に抵抗していた。多少の魔法の心得があるようだ。
しかし、頼りの少女のゴーレムは、妖魔の鎌の一振りであっけなく崩されてしまった。
少女は最後の一撃の魔法に賭けるつもりらしくロッドを振るっていたが、スマホの画面に表示された少女の魔力はほとんど空のレッドゾーンを示していた。
見ていられなくなった輝姫は、途中で漂っていたスバルを乗せた魔法の旋風の表示を、桜色の爪がのる白く細い指先でタッチすると捕まえた。
ツツーッっと青白く輝く水晶パネルの上をドラッグして赤毛少女のところまで滑らせていった。
タップして旋風魔法を解除すると、すぐに着地したスバルと蟷螂女の戦いが始まっていた。
「……魔物に襲われている娘を助けるのは勇者のお仕事でしょ。ついでに私も助けてくれればいいのに、いつもピンチにいないんだから……」
でも勇者を吹き飛ばしちゃったのは私なんだけどねと、ため息交じりに輝姫はかすかに呟いた。
目の前のテーブルには、南瓜ひとつとスプーンが青白磁のお皿にのせてあった。
視線を上げると、その隣で出番を待ち構えていた妖精エーセルが、身振りを交えてお菓子のアピールをし始めた。
「おやつには、ぜひミネラルたっぷりの南瓜と蜂蜜のプリンをどうぞ! ビタミンもたっぷり含まれているから美肌に効くんです! 太古からの言い伝えによると育てば馬車にもなるという魔法南瓜の中に、妖精花の蜂蜜、青鳥の卵、新鮮なミルクで作ったプリンをたっぷり閉じ込めて、蒸して冷やして手間暇かけて作りました!」
エーセルは輝姫に礼をすると、南瓜に向き合った。
「――ではっ!」
気合の入った可愛い掛け声と共にショートソードを抜刀したエーセル。
剣を鞘にカチャリとおさめると、斬られた南瓜の上部が真横にスライドして蓋を開けたようにコロンと転げた。
肉厚にくり抜かれた南瓜の内部には、たっぷりとプリンが詰められていた。
「さぁどうぞ、召し上がれ~」
テーブルの上で、妖精エーセルは星のカチューシャで飾ったツインテールの髪を揺らしてニコリと微笑んで見上げていた。
ドレスのようにざっくりと背中の空いた特製のメイド服から伸びた透き通った羽が、期待にプルプルと震えていた。
「い、いただきますね」
壊れかけたロボットのようなぎこちない動きで輝姫は銀のスプーンを手に取った。
橙色の南瓜の身をスプーンで崩して黄色いプリンと混ぜると色の渦ができた。
そっとすくった。
鮮やかな赤い唇と白い歯を通り越してプリンが舌に絡みついた。
柔らかい食感は南瓜。強い甘みはプリン。
先程食べた激辛ポテトチップの後遺症でビリビリとした刺激で熱を持っていた舌が、まろやかに癒されていった。
ホッとした輝姫は、思わず頬を緩めてしまった。
「ほらっ、見た!? 見たでしょ! 今の輝姫さまの表情! だから言ったのよ、甘いものが大好きなんだって!」
エーセルは向かいのテーブルについていたアメリアの方を振り向きざま騒ぎ出したのだ。
「もう、負け惜しみばかり言って。さっき私のポテトチップが褒められたのが悔しかったのね? 南瓜プリンが自信作なのは分かったから、落ち着いてお茶でも飲みなさい。お茶会で大声出すなんてマナー違反なんだから」
一足先に自作の激辛・チリ・ポテトチップを輝姫に披露していたアメリアは、エーセルを余裕をもって制した。
アメリアの席の前にある大きなお皿には、唐辛子の赤い粉末をふんだんに振りかけられたポテトチップが山のように盛られていた。
妖精の言い分を軽くフンッと鼻であしらうと、アメリアはお皿に盛ったポテチをつまんでパリポリと食べた。
「このピリピリとくる刺激がいいのよね。止められないというか……。ねっ、輝姫さま!」
「え? ええ、そうね。まさかポテトチップが食べられるなんて思ってもみなかったわ。アメリアも作るの大変だったでしょう?」
「いいえ、全然です! 創作料理ならお手の物ですから。輝姫さまのご希望に沿うものを何でも作ってみせますっ!!」
アメリアはテヘッと照れたように舌を出すと、首を傾げると頭に右手をやってポーズまで決めたのだった。まるで挑発するかのようなあざとすぎる振る舞いに、見るに堪えなくなったエーセルは、わなわなと肩を震わせ声を張り上げた。
「私には分かるんだからっ! いいんですか、輝姫さま!? ここではっきり言ってやらないから、アメリアがますます調子に乗っちゃうんです!」
エーセルは怒ったように背中の羽をブンブン震わせて飛び上がると、輝姫の肩にのった。
「いいのよ。まさか異世界でホット・チリ味のポテトチップなんて食べられるとは思ってもみなかったし。――もちろんエーセルのデザートはとても甘くておいしかったわ」
ご機嫌をとってなだめるかのように、輝姫は頬を摺り寄せながら肩のエーセルに囁いた。
「エッ、そうかな、やっぱり? ……アッ、こんなところじゃ見られてますからぁー……」
輝姫が首を傾げて小刻みに振ると、耳がエーセルの脇腹を撫でていた。
エーセルは耳たぶを手で押しやろうとした。
すると輝姫の柔らかい頬がエーセルの小さな胸にあたっていた。
慌ててエーセルは両腕をクロスさせて胸を隠した。
輝姫の絹糸のような銀髪が、妖精の首筋や背中をくすぐるようにサワサワと流れた。
身体中を輝姫の耳や頬、髪で撫でられるうちに、エーセルは嬉しいやら困るやらまぜこぜになった惚けた表情で熱い息を弾ませていた。力が抜けたようにカクンと肩の上で膝をついておとなしくなった。
――ふぅーっ、やれやれ。魔力で繋がっているからなのか、エーセルったらやたらと私の感覚に敏感なんだから……。気をつけないと――
ひとまず騒ぎを収めて安堵した輝姫だが、すぐにメイから声がかけられた。
「さて、輝姫さま。次は新作のハーブティーをご賞味ください」
ティーポットを抱えた専属メイドのメイが、すかさず輝姫の袖からカップに熱いお茶を注いだ。
「いろいろな効能をもった数種類のハーブをブレンドしたオリジナルなんですよ。味も優れていて、とてもリラックスできるはずです!」
嬉しそうに自信を持って言うメイの瞳は、輝姫の反応を逃すまいと輝いていた。
「ありがとうメイ。――まずはお砂糖をおひとつ――」
輝姫は、下手なことは言えないとのプレッシャーのあまり、ぎこちない手つきで砂糖を入れたティーカップをカラカラと音を立ててスプーンでかき回していた。
カップを口に近づけると、リンゴのような香りがほのかに漂った。
そっと口に含むとほどよい甘さだった。
「……うん、やさしい味ね。飲みやすい……」
すぅーと嘘のように身体の強張りがとれてリラックスした気分が広がっていった。
やっぱりメイさんね、と輝姫が感心していると、妖精エーセルがピョコンと肩の上で立ち上がった。
「ホント? 私にも頂戴!」
エーセルはトコトコと腕を伝って手まで降りると、輝姫の飲みかけのカップに唇を寄せて一緒に飲んだのだった。
アメリアはギョッとして叫んだ。
「コラコラッ、野良妖精、ちゃんとテーブルマナーを身につけなさいって言ってるでしょ!」
「ベー、私は輝姫さまからの生まれで、女神さま直系の由緒正しい魔系図なんですからねーだぁ!」
あかんべーの変顔で挑発するエーセルに、ますますヒートアップしたアメリアの栗色の髪が逆立ってボブカットがブワッと広がった。
「まぁまぁ、エーセルちゃんは自由な妖精なんだから、アメリアもそんなに目くじら立てなくてもいいじゃない」
すかさずメイが言葉を挟んで間を取り持った。
「わぁ、さすが輝姫さまの専属メイドね。メイさんは分かってる! それに比べてアメリアときたらメイドの風上にも置けない……」
「もう絶対許さないっ! 借金の利子を百倍にして、ずーっとエーセルをこき使ってやるんだからっ!」
「輝姫さま、聞きましたか!? アメリアの穢れた心の内を――きっと妖魔が憑りついているに違いありません! いっそのこと退治してしまいましょうか?」
「……頭痛くなってきた……」
聞こえないような小声でコソッと言うと、輝姫はこめかみに指をあててグリグリした。
ハーブティーでほっと一息つけたと思ったとたんに始まった喧噪に、輝姫は眉根を寄せていた。
視線を落とすと膝の上にあるスマホが目に入ったので、スバルの戦果を確かめようと手に取った。
既にバトルが終わっており、先程の戦場には誰もいなかった。
パネルを親指と人差し指の腹でつまむようにピンチ・インさせて森を俯瞰すると周りに探索をかけた。
蟷螂女はさらに森の奥へと逃走を続けていた。片方の鎌を失っており戦力をダウンさせていた。
画面上の蟷螂女を指先でタップしてマーキングしておき自動追跡をかけた。
反対方向を探せばスバルがいるだろうと、パネルを指先ではらって逆へと画面をスクロールさせた。
スバルは助けた女の子と一緒に高速で森を移動し魔法学院方面へ向かっている最中だった。
なんで二人が重なって見えるのかしら? と首を傾げた輝姫は、もっとよく見ようとパネルに映るスバルと少女の上に人差し指を置きトントンとダブルタップした。
さらに詳細に画像が拡大表示された。
森を駆け抜けるスバルに背負われた少女が、はしゃぎながら右手を伸ばして行先を指し示しているようだった。
「……なによスバルったら、助けた女の子をキャーキャー言わせちゃって楽しそうじゃない……。フンっだ!」
鋭い目でギロリと視線を上げた輝姫は、南瓜のプリンを手に取ると、口元に寄せてスプーンでかきこむようにして食べ始めた。
南瓜まるまる一個をくり抜いたプリンが一瞬のうちに食べつくされてしまった。
突然の輝姫の奇行にポカンとしたように言い争いをやめて動けないメイドたち。
「――ホ、ホラ、見なさい、この食べっぷり! 輝姫さまは甘いもの好きだって証明されたでしょ! そもそも輝姫さまと私は一心同体も同じなんだからね。気持ちが根っこで通じ合っているの、分かった?」
妖精エーセルが好機到来とばかりにアメリアを責めたてた。
ぐぬぬ……と唇を噛みしめて悔しがるアメリアに輝姫は声をかけた。
「もう少し食べたいわ。ポテトチップを頂けないかしら……」
「は? ――ハイッ、少しと言わず全部どうぞっ!」
オーダーに自信を取り戻したアメリアは、すぐに大きなお皿にのった真っ赤なチリ・ポテトチップの山を輝姫の前に差し出した。
「……スバルったら、――また襲われるといけないから家まで送らせてくれ。君のことが心配なんだ――。とか言って送り狼になっちゃうんだわ、きっと……」
据わった目で輝姫はブツブツと呟きながらポテトを指でつまむと、パリパリと次から次へと口の中に放り込んでいった。
山盛りだったポテトチップが一瞬のうちに崩されて消えていった。
――突然、動きを止め、真っ赤な顔で慌てたようにカップをメイに差し出す輝姫。
「あらあら、そんなに急いで食べるからですよ」
冷えたハーブティーを注がれると、輝姫はカップにとびつくようにしてゴクゴクと喉を鳴らして飲み干したのだった。
「ふぅー、やっぱり冷たいお茶が一番おいしいっ!」
つい輝姫は、何気ない一言を漏らした。
「うふっ、うふふふっ!」
「そんなぁ。私は輝姫さまの魔力から生まれて以心伝心で、切っても切れない糸で結ばれた妖精なのに、負けるなんて……」
「まさかメイにしてやられるとは……。クッ、次よ、次こそはお気に入りの座をきっとゲットして見せる!」
ロングの黒髪を揺らして目を細め満面の笑みを浮かべながらもクールに堪えているメイがいた。
対して、羽もしょぼくれて垂れ下がり座り込んで茫然自失する妖精エーセル、悔し涙に再戦を誓うアメリアの姿が目の前で展開されていた。
「あっ、しまった!? みんなとても美味しかったわ! 違うの、つい焼け食いしたら胸焼けがして――もうっ、これも全部スバルのせいなんだからーっ!!」
パシッとスマホを手に掴んだ輝姫は、パネルに映るスバルと背負われた赤毛の少女を見た。
始めから焼き餅を焼いて失敗したと分かってはいても、ただ八つ当たり気味に声を大にして叫ばずにはいられなかった。




