応接室の後片付け
城塞都市の中心に位置するコア・エリアにそびえたつお屋敷、数多の部屋がある中、その応接室では洒落た吹き抜け構造の天井付近の垂木に腰かけた妖精エーセルが、天窓から望む景色に見とれていた。
青い空に何物にも捕らわれない白銀に輝く雲が、ふわりと浮いて風にゆっくりと流れていく。視線を落として下界を望むと城下街の屋根瓦が色とりどりに反射して光っていた。
応接室の外と内とを隔てるための壁面全体を埋め尽くすクリスタルのウィンドウのせいで、部屋全体がが大きな宝石箱にでもなっているかのようだった。
「ねえっ、ちょっとエーセルったら、さっきから手が止まってる!」
ジトッとした目で睨みつけながら、メイド服に身を包んだアメリアが下から見上げていた。
「はぁい……」
気のない返事をして小刻みに透き通った羽をはばたかせると、妖精エーセルは細身のショートソードを器用に振って天井付近から垂れ下がる蜘蛛女の糸の残りかすを取り除いては落としていった。それを下でアメリアが拾い集めてふたりで応接室の掃除をしていたのだ。
以前、蜘蛛女モドキと妖精エーセルとで模擬戦をして散らかし放題だったお屋敷の応接室は、その後、メイドたちによって一通り片付けられてキレイに掃除もされていた。しかし、吹き抜けの天井付近だけは高さのせいもあり、掃除するにしても足場を組んでの大掛かりなものになってしまうため、未だ手つかずのままだったのだ。
「アレアレー? ちょっとエーセルちゃんったら元気がないんじゃないかしら? 心ここにあらずって感じ? ま、気持ちは分かるけどね」
厚手の絨毯の上に落ちてくる糸屑を、ローラー型のモップをコロコロと転がして集めながら、アメリアがからかうような声を出して言った。
「もう、アメリアから借りてたお財布を落として失くしちゃったのは、本当に悪かったわよ! こうやって、ちゃんとメイドの仕事を手伝って返してるんだから勘弁してよ」
「ち・が・う・でしょ! そんなことじゃないし、ここには二人しかいないんだから本当のことを話しなさい。そうしたら、エーセルの胸のつかえが取れるかも」
「えっと……、本当のことって何?」
「勇者スバルさまに、さ迷っているところを助けてもらったって本当なの!?」
アメリアは猫目を大きく見開いて興味深そうに聞いた。
「うん。でもまぁ、実際は、輝姫さまに助けてもらえなかったら、ふたりともずっと迷子のままだったかもってところなんだけど。というのも、スバルさまが知っていた秘密の抜け穴が塞がっていることに気がつかないで向かうところだったから――」
廃墟の街での遭難から無事お屋敷に戻ってきた今、一応、事件のあらましについてお屋敷の皆がいったい何があったのか興味津々なことは十分に気がついていた。しかし、妖精であるエーセルとメイドとでは接点がなかったから、今までつっこんだ話をするようなこともなかったのだった。
「――と、まぁそんなわけで、輝姫さまに拾ってもらって車で帰ってこれたんだけど」
「変にはしょって隠さないで、全部話しなさいよ! 遭難してひとりぼっちでさ迷っている時に、スバルさまがさっそうと助けに現れた時はどんな感じだった? かっこよかった? まさか惚れちゃった?」
「あのね、現実は厳しくて、スバルさまは蜘蛛女の糸に巻かれた糸ダルマ状態だったの! まるで庭園で転がっていた、だれかさんみたいな恰好で……」
勇者に対する乙女の夢を壊してしまうのはどこか気が引けて、エーセルは肩をすくめた。
しかし、アメリアはショックを受けた風でもなく、ますます興味を魅かれたかのように、食いついて身を乗り出してきたのだった。
「それが囮だったってことくらいメイドの私にもちゃんと分かってるって! ねえ、エーセルったら大事なことを誤魔化そうとしてない? 誰にも言わないから心配いらないし!」
「まったく、アメリアったらしょうがないんだから。――輝姫さまに頼まれたジャム入り揚げパンを買った後、飛んで帰る途中に魔法障壁にひっかかってゴーストタウンに不時着したの。急いで帰ろうとしたんだけど、障壁の影響で魔法が干渉されて上手く働かないから、歩いて帰ることにしたのよ。そうしたら、本物の蜘蛛女と出くわしちゃって必死になって倒したわ。そして、たまたま探し物をしていたスバルさまと出会って、一緒に帰る途中で輝姫さまが車で迎えに来て下さったのよ。たったそれだけの話なんだけど――」
チッチッチッとアメリアは舌打ちして不満を表していた。
「エーセルったら、一晩、スバルさまと一緒にひとつ屋根の下で過ごしたわよね。そこんところを詳しく!」
「ただ廃屋の一部屋で雑魚寝しておしまい。えっと、いつも一緒に組んでいる背の高いメイドの~、モカロさんだっけ? 今日はどうしたの?」
「騎士団のところに用事があるんだって。なにげなく話をすり替えようとしたところが怪しい……。いきなり抱きしめられたりしたのかなぁ?」
「グッ――!」
まるで犯人の取調べをするかのような勢いのアメリアに痛いところをつかれたエーセルだったが、唇を噛みしめて声を堪えると平静を装った。
けれども、僅かな変化を見逃すアメリアではなかった。
「へぇー、勇者さまに抱きしめられちゃったんだ!!」
「お屋敷の中で大きな声で変なこと言わないでったら! もし輝姫さまの耳にでも入ったらどうするつもりなのっ!」
妖精エーセルは天井からダイブするように急降下すると、アメリアの目の前で静止しムキになって言った。
しかし、その顔は怒ったというよりも、隠し事を見抜かれた恥ずかしさで頬を真っ赤に染めていたのだ。
「うわぁ、これはヤバイ! 輝姫さまを差し置いて!」
「だから違うんだってば! 旋風魔法が暴走した中を、彼が身を挺して守ってくれたのよ!」
口角を吊り上げてアメリアはニヤリと笑った。すべてを見抜くような鋭い眼差しを向けていた。
「やっぱりいろいろあったんじゃない! 私に隠し事をしようだなんて十年早いわ。健康な男女がひっそりとしたゴースト・タウンにふたりっきりでいたんでしょ。それも小さな妖精とはいえ、どことなく輝姫さま似のエーセルとよ。口説かれたりしたんじゃないの?」
「アメリアが考えているようなことは何も起こらなかったわ! だって、魅了魔法だって全然通じなかったんだもの!」
自分の口走った言葉に気がつき、エーセルは慌てて口を両手で押さえた。
「ちょっと、いくら妖精だからってエーセルったら本気!?」
気軽に噂話のネタにするつもりだったアメリアは、聞いてはいけない言葉を耳にしてしまいあっけにとられた。
昔の約束とはいえ輝姫さまの婚約者である勇者スバルさまに家臣がちょっかいをだすなどということは、常識ではあり得ないことだからだ。
「違うの! だから、会った時にスバルさまは糸ダルマ状態だったって言ったでしょ。はじめは彼が誰だか分からなかったんだってば!」
エーセルはストロベリーブロンドの髪の毛を逆立てるくらいの勢いでがぶりを振って全否定した。
「というと、会った男性はだれかれかまわずチャームをかけて虜にしてるってわけ? それはそれで倫理的に問題があるような気がするんだけど」
「そんなわけないじゃない! 遭難した上に魔法まで満足に使えなくなってしまって、とにかく助けが必要だったのよ。それで言う事を聞いてくれるシモベが欲しかっただけだったの。魅了魔法だからと言って別に恋愛感情なんかじゃないんだから勘違いしないでよね!」
エーセルは苛立ち唇を噛みしめると、さも心外だと言わんばかりの態度を示した。
けれどもアメリアは納得できずに、もどかしそうな眼差しでエーセルを見つめていた。
「それじゃあ聞くけど、スバルさまに抱きしめられたときはどんな感じだったのよ?」
「どんなって――」
暴走して荒れ狂う旋風魔法に吹き飛ばされて壁に叩きつけられそうなところを助けられ、そのまま強く抱きしめられ守ってもらった時の胸がポカポカと温かくなるような気持ちは、確かに安堵だけではなかった。思い出すと、なんとなく気恥ずかしいような気持ちがムクムクと頭をもたげてきたので、エーセルは急いで頭を切り替えることにした。
「――鉄壁の防御ってヤツ。守りが固くて、確かに勇者だけのことはあるわ。ねぇ、そうこうしているうちに、もうすぐお昼よ。ひとまず区切りのいいところまで応接室の掃除を終えちゃいましょう」
「守りが固いのはエーセルも同じみたいねぇ。結局、はぐらかすんだから」
「そんなつもりは全然ないのだけれど」
エーセルは苦笑いをすると、またヒュィンと天井に向かって飛んだ。
「でさぁ、今度、スバルさまに会ったらどうするつもりー?」
「どうするもなにも普段通りよ。質問の意味がさっぱり分からないんだけど」
素早くサクサクッとショートソードを振って天井から垂れ下がった糸を切り刻んでいく。
フワフワと蜘蛛の糸が雪のように絨毯に降り積もっていった。
それを待ち構えていたアメリアがローラーを転がして回収していく。
「もしかして、俺と一緒に来てくれって、誘われたりしたんじゃない?」
「それはっ! そ、そんなことあるわけないじゃない! もし万が一、輝姫さまのところをクビになったら、来ればいいって言われただけなんだし!」
「うひゃぁ! 本当なのね!? これは問題発言だわ!」
「あーもう、だからそれは、ジャム入り揚げパンを全部食べた責任をスバルさまに取ってもらう為に、そういう流れになっただけなんだってば!」
「でも、理由はともかく、気に入らない女の子を自分のところへ誘ったりはしないわよね」
「あの時は、お使いクエスト失敗で路頭に迷うかもってところまで追い詰められて弱気になっていたから、ついスバルに泣きついたって訳よ!」
「呼び捨てっ!?」
「だからぁ、違うんだってば――!」
応接室の掃除が終わるまでの間、ふたりは飽きることなく話し続けていた。
妖精エーセルが一生懸命に言い訳をするごとに、揚げ足を取るメイドのアメリアが面白そうな顔をするのが憎ったらしかったが、かといってやり込めることはできそうもなかった。
でも、話しているうちに勇者スバルと過ごした時のことを思い出すと、どこからともなく心にぬくもりを感じて、エーセルは柔らかい微笑みを漏らしてしまうのであった。




