暴走と妄想
「次のコーナー、イン側に馬車の残骸があります! アウトから大回りで!」
「ええ、そうね!」
廃墟の街を駆け抜ける白いスポーツカーの運転席には肩に小さな妖精をちょこんとのせた振袖姿の輝く銀髪の美女が、ハンドル代わりのスマホでドライブを楽しんでいた。
飛行能力があるためスピードには目が慣れているからと妖精エーセルにナビを任せ、勝手気ままに輝姫は車をハイスピードで操っていた。
スマホのパネルに表示されたブレーキとアクセルのボタンを細い指先でポンポンとリズムよく叩くと、車の後輪はキューッと横に滑るようにスライドした。ドリフト走行で縫うように障害物を避けて車は走り抜けていった。
ほんの小さな子供の頃から日本のドライブゲームで鍛え上げられた輝姫の反応速度をもってすれば、このくらいは緊急用のマージンなども十分に考慮してもまだまだ余裕の範囲内だった。
ただ、普段は馬に乗っている助手席の勇者スバルにとっては、信じられないスピードと加速のGに振り回されていた。
競走馬でもせいぜい時速60kmほどなのだから、こんな廃道で時速180kmくらい出している輝姫の感覚がおかしいのだ。それに馬はほんの短時間しか全力疾走できないが、魔法の車ならばドライバーが止めるまでずっと可能だった。
遊園地のジェットコースターなど存在しないこの異世界では、輝姫にとってちょうどいい刺激的な遊びとなった。
輝姫はゲームで覚えていたドライビングテクニックを駆使して、はしゃいでいた。
「うわっ、さすが輝姫さま! ゴースト・タウンをもう抜けちゃうなんて!」
車中の妖精エーセルは、窓の外に流れる景色を眺めながら息を呑んだ。昨日、ヘトヘトに疲れ果てるまで飛び回って歩きさ迷った廃墟の街を、一瞬のうちに通り過ぎていた。
永遠に続くかと思えた広大な廃墟の山のような迷宮は、大通りを疾走する輝姫の白いスポーツカーにはほとんど意味をなさないようだった。
「――だけどなんだか、お屋敷とは方向が逆なんじゃないか?」
助手席に座ったスバルが首を傾げながら聞いた。
「ええ、前に蜘蛛女に侵入されたワームホールは、来る時に私が通った後で女神さんがすぐに塞いじゃったのよ。だから帰りは遠回りになっちゃうわね。でも、無駄足にならずにすんでよかったでしょ?」
楽しそうにスマホでシフトチェンジしながらエンジンの回転数を上げると、輝姫は唖然とするふたりに笑いかけた。
「……抜け道が既に塞がれた後ってことは、もしかして、あのままスバルさまに道案内されて歩いて行っても、結局は行き止まりになっていたってことですか?」
「いや、ちょっと待て! この世界のどこに、さっきまで通れた道がもうなくなっているだなんて分かる人間がいるんだよ! これは不可抗力だって!」
すわった目で睨むエーセルの殺気のこもった眼力にひるんだスバルは、両手をヒラヒラさせて責任逃れに努めた。
「それにしても、なぜわざわざ輝姫さま自ら来られたのですか? メイドのアメリアとか、使用人なら幾らでもいるのに?」
「もちろん、エーセルが心配だったことが一番の理由だけど――」
「エッ……!? そんな、輝姫さまったら……」
エーセルの頬が赤く染まるとニヘラ~と緩んだ。
「ただ、私もお屋敷から出てみたかったのよ。引き籠っているより、スバルと同じように勝手気ままに外の空気を吸って景色も見たかったのよね!」
輝姫は遠く前方を見つめながら呟いた。
「あのなぁ、俺は別に風来坊ってわけじゃないんだぞ。ちゃんと目的があってだな」
「へぇー、そうなんだ。あーぁ、お屋敷で真夜中に蜘蛛女に襲われた時は怖かったなぁー。あの時、どこかの勇者さまが助けに来てくれたらなぁー」
輝姫とエーセルのジトッとした重い視線が、スバルに絡みついた。
「うう……っ、そ、そうはいってもな、蜘蛛女の一匹くらい輝姫の力なら何の問題もなく退治できただろう?」
「――ひっくッ、わ、私が、どんな気持ちだったかなんて思いもしないのね……。本当に、こ、怖かったんだからーっ!」
輝姫はいきなり顔を手で覆うと、首を振って大げさに俯いてしまった。
「ああっ、お可哀想な輝姫さま! こらからご面倒は私にすべて任せ下さい! 当てにならない勇者など放って、ふたりだけでこっそりと暮らしていきましょう!」
同情して目に涙を溜めたエーセルが、芝居がかった大真面目な顔をして輝姫を慰めだした。
「いや……。全然そんなつもりはなかったんだ。確かにお屋敷まで侵入されるなんて責任問題だよな。目を離した俺が悪かった。この埋め合わせはきっとするよ。 ――ほらっ、前、瓦礫で道が埋まってる! とにかく今は前を見て運転してくれ、頼むからさ!」
「あら、分かってるわ。心配しなくてもスマホのモニターを見て運転してるから大丈夫よ」
輝姫がポンッと軽くスマホコントローラーのボタンにタッチすると、車は障害物の瓦礫の上をジャンプして飛び越えた。
予想外の車の挙動にスバルは思わず悲鳴を上げて、輝姫とエーセルは黄色い歓声を上げていた。
「おーっ、痛ってー……」
飛び跳ねた時の衝撃で天井に頭をぶつけてしまったスバルが頭をさすった。
「もう、カッコつけてシートベルトを締めないから」
「馬車の客席に乗る時に、体を固定するベルトなんて締める方がおかしいと思うのは俺だけなのか?」
「あのね、これは馬車じゃないんだけどな……。でもよかったわね、エーセル。スバルが蜘蛛女の件のお詫びに何か考えてくれるんだって!」
「ハイ、輝姫さま、私が言質の証人です。勇者さまに二言はありませんよ!」
今までヒクヒクと肩を揺らしてむせび泣きながらうつむいていたはずの輝姫と懸命に慰めていたはずのエーセルは、今やニコニコしながら微笑み合っていた。
元々、輝姫は嘘泣きで、エーセルは涙が出る程笑いを堪えながら演技をしていただけだったのだ。
よくできましたとエーセルの頭を輝姫は撫でていた。
「お、お前らなぁ、ちょっとテンションまで無駄に飛ばしすぎなんじゃないか!?」
車内で騒いでいる間に、輝姫のスマホによって完璧にコントロールされた白いスポーツカーは、通りに点在する岩の塊や瓦礫、馬車の残骸などの障害物を、高速で水平、垂直に移動して縫うように避けながら廃墟の街を後にしたのだった。
サボテンや巨大なモンスターの骸骨を眺めながら、車はしばらく荒野を進んだ。日は高く昇っていた。
「……そろそろ休憩したほうがいいんじゃないかな? ほら、あそこの木陰で水の湧いている井戸のある建物なんてよさそうだけど」
スバルがぽつりと言った。
「運転といっても、こんなゲームみたいなのは物心ついた時からやってるから、このくらい別に平気よ」
「いやいや、そんなに細かな魔法制御なんて、いくら輝姫でも大変だろう? それに、輝姫が子供の頃は、本が好きだったって聞いたぞ」
「それは、こちらの世界での話だったかしらね。でも、スマホで車をコントロールしてるといっても、ほとんどオートクルーズみたいな感じで片手で操作できるし楽なものなの。こことは異世界でアカリのいた日本ではね、スマホで本も読めるのよ。スマホってのは、まぁ、要するにこの魔導書?のことなんだけど――」
「星の世界か……。魔導書が読書扱いになるのが輝姫らしいといえばそうだけど。……ひとまず休もうか」
スバルの言葉に従って輝姫は車を建物の側に静かに寄せて止めた。
車から降りて携帯ポットに湧き水を汲んだスバルは、ドライバーシートの輝姫に手渡した。
輝姫は喉を鳴らしながらゴクゴクと冷たい水を飲んだ。
「おいしい! やっぱり水道水とは鮮度が違うわよね。ねえ、スバルもそうでしょ?」
「それが……、実はさっきからなんだかフラフラして、気持ち悪いんだけど……」
「へっ!? スバルッ、しっかりして! ――エーセルは、妖魔から攻撃がないか周囲を警戒飛行!」
「ハ、ハイッ!」
青い顔をして倒れ込んだスバルを見て、輝姫は慌ててシートベルトを外すとドアを開けて車外へ飛び出した。這うようにして地面に横たわったスバルの元に駆けつけた。
「馬なら、一日中乗っていても平気なんだけどな……」
まるで自分を責めるような口調でスバルは弱弱しく呟いた。
「――ひどい車酔いね。ううん、あんな荒っぽい運転をしたら、誰だって酔ってしまうわ。スバルは車に慣れているわけでもないんだし、考えなしに飛ばした私がいけなかったのよ……」
さっきまでハイテンションではしゃいでいたのが嘘のように、輝姫はシュンとしてしまった。
「そんなに大げさにとるなよ。少し休めばよくなるからさ。そういえば、最近、しっかり食事をとらなかったのが悪かったのかもしれないなぁ」
「それなら、今から栄養たっぷりの魔法料理を作りましょうか! お屋敷で練習したばかりなのよ!」
「いや、悪いんだけど、さすがに今は食欲がないから後で頼む……。それよりちょっと手を貸して」
「えっ?」
酔って目が回っていたスバルは、輝姫の手を借りて、木陰のある草原に移るとやっと腰を下ろして寝ころんだ。
「同じ休むにしても、こちらの方が涼しくて快適だろう」
「――ねぇ、私って気も利かないし、浮かれて騒いだりして邪魔よね。静かに休んでいた方が体にいいから、車に戻って少し離れていようか?」
考えなしの行動に責任を感じて、ため息交じりに輝姫は言った。
「まったくそんなことないよ。輝姫がいると退屈しないからね。こうやって勇者である俺を倒したのは輝姫くらいなもんだ。だから、ずっと側にいてほしいんだ……」
「よーし、それなら、お屋敷に戻ったら勇者を完膚なきまでに叩き潰したって言いふらしちゃうんだから! 覚悟しなさいよ!」
「ちょっと、輝姫さん!? お姫さまにそんなことされたら、イメージダウンで勇者としての商売があがったりになってしまうんですが!?」
スバルの慌てっぷりに、輝姫は可笑しさを我慢できずに笑っていた。
仰向けで空を見上げているスバルにならって、輝姫も木漏れ日の間から覗く空を手をかざして見上げた。
「――何を見てるの?」
「星が見えないかなぁと思ってさ」
スバルの視線はそのままで、しなやかな銀髪にふちどられた輝姫の顔をジッと見つめていた。
「ん……?」
「今度、魔法料理を作ってくれるって約束したよな」
「任せて! そんなのお安い御用なんだから!」
「それじゃあ、コレを預けておくよ」
スバルはポケットから鍵を取り出した。
「これは?」
「俺の家の鍵だけど、いつでも来て作ってくれないかな」
「――ええッ!? そ、それって、どういう意味――?」
小さく震える手で受け取った輝姫があっけにとられてポカンとしている間に、スバルは寝息を立て始めていた。じっと彼の整った顔を覗き込んでも答えは返ってこないので、静かに口をつむぐしかなかった。
……部屋の鍵なんてもらったら、すぐにお屋敷を抜け出して遊びに行っちゃうんだからね! あぁそうよ、おいしい料理を作るには、まずは手慣れたクッキング用品が必要なんだから。ちょっと待って、一緒に食べるとなるとお皿だって同じペアになったのを買い揃えないといけないし。歯ブラシも必要よね。それから、シャンプ―やリンスだって男の人のとは違うんだから! 簡単に言うけど、準備が大変なのを分かっているのかしら? それに、枕がかわると眠れないから持っていかないと……。
「輝姫さま、警戒飛行終わりました! 周囲に異常ありません! ――あの~、輝姫さま……?」
周りの偵察を終えて帰ってきた妖精エーセルが見たのは、木陰でスバルを膝枕して真っ赤になった輝姫の姿だった。だが、なぜか手の届く範囲の草はきれいにむしりとられていたのだ……。
「――あぁッ! バカバカ、なんてことなの……。肝心なスバルの家がどこか思い出せないなんて!」
「輝姫さまッ、気を確かにもってください! ――お二人とも様子がおかしくなられた!? まさか、井戸水に毒素でも含まれていたんじゃ?」
妖精エーセルの心配をよそに、輝姫はまるで熱病にでもかかってしまったかのように真っ赤になりうわ言を呟いていた。
輝姫は、ますます妄想までもが暴走していくのだった。




