逆賊だったの?
このままいつまでも廃墟の街で迷子になっているわけにはいかない、と妖精エーセルは自分の立場を振り返った。
ジャム入り揚げパンを待っている輝姫は、帰りが遅いことを気に病んでいるかもしれないのだ。もしかしたら、誘拐などの事件に巻き込まれたと勘違いして、捜索願を出されて救助隊が組織されているかもしれない。
未練がましくスバルと一夜を過ごした廃屋を振り返って感傷に浸っている暇などないのだ。
「私の面倒をみてやった気になっているのなら、大間違いなんだからね! たまたま昨日、スバルと出会わなくたって、ひとりで全部できたんだから。今だってそう!」
エーセルは強がってスバルの前に飛び立つと、顔を覗き込むようにして言い放つと余裕ぶってにっこりと笑ってみせた。
「まあ、俺としては、冒険者ギルドにいって迷子妖精エーセルの捜索願の依頼が出ているのか確認させてもらうつもりさ。で、事後報告して報酬をガッポリといただければそれでいいよ。お姫さまの依頼ならば、相当な高額が見込めるんじゃないかな?」
スバルはからかうような顔をして言い返した。
「――実はそれ、私も心配していたの。輝姫さまって、ギルドに迷子の捜索願なんて出してないわよね? 迷子妖精なんてふたつ名がついたら、もうお屋敷にいられないんだけど……」
青空の下で、エーセルの瞳に影がさした。
「うーん、確かに、たかが菓子パンのお使いも満足にこなせずに迷子になるような妖精が、輝姫のお供としてお屋敷においてもらえるのか疑問だ。リストラされてもしょうがないかもしれないなぁ」
「あ、あんたのせいでもあるでしょ! 揚げパン食べちゃったんだから、絶対、責任取んなさいよっ!」
「そうだな……。もし輝姫に許してもらえずに暇を出されたら、うちにくるかい?」
「でも、ホントにいいの、スバル? 私、弓ならともかく、盗賊なんてやったことないんだけど」
まるで人生を諦めたかのように、エーセルはけだるそうに頭を振った。
「盗賊? さっきまでは、トレジャーハンターって言ってくれてたのに。そもそも、俺の本業は勇者なんだぜ」
「あ、ハイハイ、分かりました。それでは勇者スバルさま、妖精エーセルに何かあった際には、身元引き受けをお願いいたしますわ」
「任せろ! その昔、勇者の末裔だからと国主さまに呼び出されて、こん棒ひとつ渡されてモンスター退治を押し付けられた俺にできないことなんてないんだぜ」
「え~、そんな貧乏勇者の従者になるくらいなら、迷子妖精でいるほうがまだましなんだけど。でも、安心してよね。警備隊に盗賊スバルが宝物を盗んでるなんて密告する気はさらさらないから。どうせモンスターや妖魔の出没する場所なんて、はなから無法地帯なんだし」
「――いや、そもそも俺は、何も盗んだ覚えがないんだけど――」
エーセルは、大げさにあきれたような苦笑いをした。
スバルと知り合ってから、実際はまだそんなに時間もたっていなかったのだが、いろいろなことを協力して乗り越えたことで打ち解けていた。
「さあスバル、どんどん進むわよ! 一刻でも早くお屋敷に帰らなくちゃいけないんだからね!」
――それから大通りを何キロ歩こうとも、廃墟の街は続いていた。いけどもいけども、終わりは見えなかった。
そういえば、昨日もひとりでくたくたになるまで一日中歩き回ったが、結局、街の外に出られなかったことを、エーセルは思い返していた。
だが、スバルは道を知っているとのことなので、任せていればいいのだろう。
ひとつ気になることがあった。
「ところで、あの蜘蛛女だけ、どうして迷路の道を間違えずに、お屋敷までたどり着くことができたのかしら?」
「もちろん、それは蜘蛛女だからさ。ほら、あそこを見てごらんよ」
スバルは、建物と建物の空間を指し示した。一見何もなさそうだったが、ヒューと風が鳴るような音が微かに聞こえた。エーセルが集中して目を凝らすと、透明な糸が張られていることに気がついた。
「あれは……、蜘蛛の糸ね!?」
「いくら通りを複雑な迷路状にしようとも、命綱を張りながら全パターンをしらみつぶしに試されれれば、いつかは解かれてしまうのさ」
「妖魔の奴ら、いくら廃棄されたエリアだからって、城塞都市の中でそんなことまでしていたなんて信じられない……。警備隊や騎士団は今まで何をしていたのよ!」
「だけどなぁ、あいつらで蜘蛛女一匹でも抑えられたのかというと、ちょっとな――。それを考えると、逆に、被害が広がらなかっただけよかったとも思えるんだ」
「でも、蜘蛛女のせいで、輝姫さまが危ない目にあったじゃない!?」
エーセルは興奮して声を張り上げていた。
「お屋敷には防衛用に魔動鎧も配備しておいたし、いくら妖魔といっても蜘蛛女クラスじゃあ、どうあがいたところで輝姫には対抗できやしない。お付きの親しいメイドの中には、輝姫の影響で才能が開花し始めている者もいるんじゃないか?」
「まぁね、そりゃそうなのかもしれないけど……。スバルって、輝姫さまやお屋敷のことまでよく調べているのね。もう宝石の営業でもしたの? アハハッ、もしかして、お屋敷に忍び込んだことがあるんじゃないでしょうね? いくら魅力的だからって、輝姫さまを狙ったりしたら、ダメなんだから」
「――――――――」
エーセルは冗談交じりに笑って言ったが、スバルの反応を見て、噛みしめるようにゆっくりと聞いた。
「ねぇ、スバル? なんで、黙ってるのよ? もしかして、既に……」
「そんなに怖い顔して睨むなよ。いや、国主さまが取り次いでくれなかったから、つい、裏庭からな」
「ゲッ! 何やってるのよ、それじゃあ、あんたって盗賊どころか逆賊じゃないっ! だから、こんな廃墟に隠れていたのね! あぁ、どうしよう、一緒にいたら、私まで共犯にされちゃうかもしれないわ!?」
エーセルは当惑すると、身を引きぎみにした。
「とりあえず落ち着け! ちゃんと輝姫の許しは得たから大丈夫のはずだ」
「えー、本当なんでしょうね? でも、お屋敷の警備ってどうなってたの? そんなに簡単に侵入できたはずないんだけど」
「お姫さまが城を抜け出して城下町に遊びに行くなんて、よく聞く話だろ。逆もその程度ってことさ」
「まったくもう、そんな時は誰かしらこっそりと輝姫さまの警護についてるに決まってるじゃない」
妖精エーセルはスバルの肩に座ったまま、大きなため息をついた。
もしスバルがお屋敷に忍び込んだことが本当で、指名手配された逆賊であったならば、お屋敷までの道案内は途中で止めてもらった方がいいだろう。もしも、捜索隊が警備隊員で組織されていたら、盗賊というスバルの正体が一目でバレてしまうかもしれないのだから。
そんなことになったら、スパイ容疑もかけられて、自白するまで拷問された後、地下牢に一生投獄されかねない。
――ついさっき昇ったばかりと思っていた太陽が、今は眩しく真上から照り付けていた。もはや朝靄の冷気が嘘のようだった。
直射日光の中、遮るものもない大通りを何度も角を曲がりながら歩き続けた。
体は熱を持ち始めた。
スバルはジャケットを脱いで、もう片方の肩にかけていた。
エーセルは振袖から取り出した扇子で顔を扇いでいた。それでも額に汗をかいて髪がまとわりついていた。
「ふぅー、飛んでいる時は風が吹いて、暑さなんてたいして感じたことないんだけどね」
「今日は特に暑いからな。仕方ないさ」
スバルが差し出した携帯ポットの冷たい水を、エーセルは両手ですくうようにして受けると、ジャブジャブと顔を洗った。
水が火照った頬を冷やして気持ちよかった。
体の小さな妖精であるエーセルにとっては、暑さ対策を怠っただけでゴリゴリと体力を消耗されかねない。
――ヴォヴォヴォヴォ――……
遠くで地響きのような音が聞こえた。
「あー、スバル、ちょっと木陰に入って休憩しようよ。耳鳴りがするから、ヤバいかも……」
「フム、奇遇だな。俺にも聞こえるぞ」
機械的な遠吠え、唸るような音が、しだいに大きくなっていった。
「モンスターかしら? どうする、戦う? 私は魔法があてにならない状態だから、選択肢がたいしてあるわけじゃないんだけど」
「あの音は確か――」
エーセルが手を帽子のつばのようにかざして見ると、メタルのような白く輝く物体が、大通りを土煙をあげながら猛スピードで近づいてくるところだった。
「これは、ヤバい……、ヤバいって!! あんなのに狙われたら逃げられるわけないよ! 変異種のモンスターなんて!?」
さっきまでの暑さが嘘のようにサーッと一瞬にひいて、エーセルは冷や汗を流し始めていた。
「あれは馬なしの馬車だな。ということは、輝姫だ!」
目を細めて土煙をあげ向かってくる物体を見ながらスバルは言った。
「ああ、そうなの? それなら安心ね。それじゃ、今までありがとう、ここでお別れよ。――スバル、早く逃げなさい!」
エーセルは震え声で言った。
輝姫が来たと言う事は、遅かれ早かれ警備隊や騎士団も来るという事だろう。ということは、お屋敷に侵入し輝姫を狙い逆賊として指名手配され廃墟に隠れていたスバルの正体がばれてしまうことになる。上手く城塞都市を脱出しさえすれば、地方都市に下って生き残ることができるかもしれない。スバルはイケメンで、パトロンとして匿ってくれそうな地方貴族のご令嬢はごまんといるのだから。
「いやいや、礼には及ばないよ、当然のことをしたまで――。ええっ! なんで俺が逃亡しなきゃならないわけ? 一緒の馬車には乗せてもらえないのかよ?」
「当たり前でしょ! スバルがやってしまったことは、今更どうしょうもないじゃない。でも、私はあなたの味方だからね。なんとかして、時間は稼いでみせる! だから早く行って!」
エーセルは涙目になりながらも一生懸命にスバルを説得した。今までスバルはこんな寂しい廃墟にひとりきりで、蜘蛛女にまで襲われたのだから、神経がすり減り逃亡生活にも疲れ果てて自暴自棄になっているのかもしれなかった。
だが、命には代えられない。
「いや、俺は逃げる必要なんてないんだからここに残るよ。というより、頼むから俺も乗せて連れていってくれ」
「バカぁ! 私だってこんなお別れなんて嫌よ、こっちも辛いんだからね!」
ほんの短い間だけだったが、それだけでもスバルが善人であることをエーセルはよくわかっていた。
感極まったエーセルは、ひらりと舞うようにしてスバルに唇を重ねていた。すぐに唇を離すと、驚くスバルの目をジッと覗き込むように見つめた。
体中の血が沸騰したようになっていたが、エーセルは自分の気持ちを伝えたかった。
「――な、なんで――」
「説明なんてしてる暇ないわ! 私は後悔なんてしていないもの!」
そんなことをしているうちに、ふたりの想定を超えた圧倒的なスピードで、白いスポーツカーは、爆音を上げながらすぐそこまで近づいてしまっていた。
「ああ、そんな……。もう、間に合わない……」
妖精エーセルは、顔をゆがめると絶望のあまり泣き出していた。




