輝姫のストラップ
シンクのお風呂から上がった妖精エーセルは、流しに置かれたお皿に向かって飛んだ。
お皿の中には、エーセルが着ていたドレスが、魔法花と一緒に漬け込まれてあった。
エーセルはお皿の中を覗き込んで様子を見ると、頷いてそのドレスを取り出した。
真夜中、お風呂に入った後に、ドレスを着てどうするつもりなのかとも思うが、小さなエーセルには、この一張羅のドレスしかない。そもそも他に寝間着など持ってきていないし、いざ寝る時は裸でも全然かまいやしないのだった。だがさすがに、スバルの前ではそうもいかない。
とりあえず、微量の魔力をドレスに流す。すると、シューッという音と共に立ち上った蒸気にドレスが包まれた。
「あれぇ? 桜色のショートミニの浴衣になっちゃった。――花の魔力で色が染まったのかな?」
エーセルは浴衣を掲げて形状変化の出来を確かめた。入浴する前まではあちこと破れ汚れていたドレスだが、魔法花の効能によって綺麗な浴衣に再生されていた。
二コリと微笑むと、真新しくなった浴衣を身に着けた。パンプスにも同じ工程を通して変化させ、可愛くなった雪駄を履いた。
エーセルは、背中の羽を広げてシンクから飛び立った。ゆっくりとしたスピードで、浴室代わりにしていた広い厨房を出た。
この建物は古くて豪華な造りの廃屋だったが、暴走した旋風魔法の副作用で吸い込まれ、今は埃ひとつ落ちてはいない。
薄暗い廊下を通り過ぎると、明かりが漏れている部屋に入った。
調度品や家具などなにもない広々とした空き部屋には、ただ、暖炉の火が灯っていた。
スバルは、拾ってきた薪をくめて火の具合をみていた。火に照らされてスバルの顔がよく見えた。
ぼさぼさ頭の髪、眉毛、睫毛、伸びかけた無精ひげから瞳の色までが全部、真っ黒だった。
日焼けした肌に、スッキリとした輪郭、目鼻立ちは整って精悍な顔立ちをしていた。
――ちゃんとした身だしなみさえすれば、ベースはイケメンなのに……、とエーセルは思った。
「スバル、上がったよ。お風呂、最高だった!」
お風呂でリフレッシュできたエーセルは、元気に声をかけた。
スバルは、薪を暖炉に投げ入れてから、振り返った。
はっとしたようにスバルは黒い目を大きく見開くと、エーセルの浴衣姿に目を奪われた。
ほっそりとした体を包み込む薄い桜色の浴衣は、ストロベリーブロンドの髪と共にエーセルをより一層ひきたてていた。
ふわりと舞う羽が、妖精少女の妖しい魅力を漂わせた。
「……輝姫…………」
スバルの呟きにエーセルが首を傾げた。
慌てて気がついて誤魔化すように笑ったスバルだが、その頬は赤くなっていた。
「何、笑ってるのよ。おかしいかな? これは浴衣といって、輝姫さまの普段着なんだよ」
「いや、とても似合ってると思ってさ」
「もうっ、スバルったら、ふざけるのは止めて……」
妖精エーセルは、正面からの強力な視線から逃れるようにして、スバルの肩に舞い降りた。ここなら見つめられることはない。
スバルを落とす気で使った魅了魔法が、あっけなく効果がでなかった後だったせいもあり、発言に不意を突かれたエーセルは、軽く頭を振って髪を揺らすと目を伏せた。
「ふざけてなんかいないよ。エーセルは自信がなかったのか?」
「そんなことないけど――。浴衣を着たのが、は……初めてだったから、いきなり褒められてびっくりしただけよ」
魅了魔法をスルーしたスバルのせいだ、とも言えず、つい、とっさに本音が口をついたエーセルは、しまったという顔をしてスバルの横顔を見た。社交辞令のお世辞だったかもしれないのに本気にしてしまった。頭に入っているのがデータばかりで何の経験もないことがバレたら、お子様扱いされかねない。
「へー、エーセル初めての浴衣姿を見ることができたなんて光栄だ。俺は他のみんなから妬まれるかもしれないな!」
スバルは横目にエーセルを見ながらおかしそうに言った。
もし、古木カフェの女子店長に浴衣姿を見せればいくらでも褒められそうだが、それだけは避けたいとエーセルは思った。
「別に、あなたの為に浴衣を着たわけじゃないんだからね! これは寝間着にもなるんだから。――それより、輝姫さまの落し物について教えなさいよ!」
また変なことを言われる前に、エーセルはスバルの耳たぶに手を伸ばして引っ張ると、大きな声を張り上げた。
肩をすくめたスバルは、ポケットから細い糸によって飾り細工が繋がれた星の形をした宝石を取り出した。
「これってアクセサリーよね……イヤリングかしら? あっ、ケータイ・ストラップに間違いない!」
輝姫に創られたエーセルは、あらかじめインプットされたデータと照合することで、それが何であるかすぐに判別した。
だが、すぐにエーセルは首を傾げた。
今、輝姫が愛用しているのは、女神さまのスマホだ。スマホには魔導書のようなカバーが掛かっているだけだった。
「これは輝姫のアクセサリーのひとつだ。魔導書にいつもぶら下げていたのをよく覚えている……」
「ちょっと待ってよ。輝姫さまはケータイ・ストラップを使ってないんだけど?」
「もっとよく確かめて見れば、疑いは晴れるんじゃないかな」
エーセルはストロベリーブロンドの髪をかき上げて、ジッと目を凝らした。
ストラップにはかなりの経年劣化がみられた。白かったであろう絹糸は黄色く変色し、ビーズ玉も傷がつき色も褪せていた。
だが、唯一、末端の星型の魔石からは微弱な魔力が感じられた。――輝姫と全く同じ美波動の魔力だった。
「……これは……そうね。輝姫さまの持ち物で間違いないわ。でも、おかしいわ。だって古すぎるんじゃない?」
「まあね、15年以上は経っているだろうな」
「なによ、トレジャーハンターのくせに贋作で儲けるつもりだったの? でも、よく輝姫さまの魔石を手に入れられたわね。お屋敷に泥棒に入ったんじゃないのでしょう?」
「もちろん違うよ。これは魔石以外も全部ホンモノさ。この区画は古戦場跡だから、探せばいろいろな物が出てくるんだ」
「ということは……、輝姫さまが転生するずっと前に使っていた物だったのね!」
どうりでデータにないはずだとエーセルは納得した。
私と同じように、輝姫さまは転生前の記憶はあやふやなはず。ということは、このストラップを落としたということさえ覚えていない可能性が高いだろう。
――これでは、落し物のストラップを見つけたと輝姫さまに持って帰っても、ジャム入り揚げパンの代わりにはなりそうもないじゃないか。
「廃墟の中からこの宝石ひとつを探し出すのは、結構な手間も時間もかかってね。地下室へ下りようとしたら階段が腐っていて落ちたり、閉じられた門扉を蹴破ったら崩れてきたり、天然の罠は人為的な物よりよほどたちが悪いよ……」
スバルは大げさな溜息をついて笑った。
「そうよね。落し物には宝の地図なんてないわけだし。でも、私がそれを輝姫さまに届けても、たぶん喜んではくださらないわ。まぁ、トレジャーハンターのスバルは、闇市にでも王族の秘宝として流せば高値が付いて満足でしょうけど!」
「それなら、エーセルにこれはあげるよ。揚げパン代の足しにでもしてくれればいい」
エーセルは探るような目つきでスバルを見つめた。
相当な苦労をしてやっとお宝を見つけ、後は換金するだけで大金が手に入るというのに、揚げパン代と交換で終わらせる気だというのだ。……どうせ冗談に違いない。
「本当に、いいの? 私がこっそりオークションに流して億万長者になっちゃうかもしれないよ!?」
からかうような口調でエーセルは言った。
スバルは腕をのばすと、エーセルの首にストラップを、指先で優しくかけたのであった。
星の形をした魔法石が薄紅色に輝くと、まるで国宝級の宝石を身に着けているようだった。
「うん、最高だ!」
スバルは得意そうな目で、とまどうエーセルを見た。
「さっきから冗談ばっかり!? 浴衣姿に首からストラップを下げたって、コーディネートが出鱈目なんてこと分かり切ってるんだからね!」
「まるで、輝姫……。いや、輝姫がもういらないなら、エーセルが貰っちゃいなよ。魔石を宝石として再加工すれば、ネックレスでもペンダントでも、いっそのこと指輪やイヤリングにもなるからね」
スバルは照れたように言うと、薪を拾い上げて暖炉の中に放り投げた。
「ハァー、まさか損得勘定ができないんじゃないでしょうに……。訳が分かんないんだけど?」
「いい思い出になった。とにかく、揚げパンを勝手に食べてしまったのは俺が悪かったんだから、これで許してくれよ」
エーセルには、スバルが何を考えてこんなことをしたのかさっぱり見当がつかなかった。
しかし、胸にかけたストラップの魔石からは、優しい美波動の魔力が流れ込んできて、もはや突き返してやろうという気は起きなかった。
スバルの肩に腰かけた妖精エーセルは、首筋にもたれ掛ると彼の顔を見ようとしてのけ反った。
暖炉の火を見るスバルの黒い目は、どこか遠くを見ているように感じた。




