旧市街の蜘蛛女
旧市街に立ち並ぶ廃墟の影から姿を現した蜘蛛女が、大通りからこちらへ向かって、ユラユラとした足取りで歩いて来た。その後ろには、糸で巻かれた人の形をした糸玉のようなものを引きずっていた。
巨大馬車の残骸の陰に身を隠しながら、輝姫の妖精エーセルは、蜘蛛女の動向を鋭く睨みつけていた。
……後ろの糸玉は、犠牲者か……。となるとやはりアイツは、輝姫さまを襲った妖魔・蜘蛛女に間違いない。
確か警備隊の報告では、市民はだれも襲われていないはずだったのに……。旧市街の浮浪者までは、把握できなかったのね?
でも、こんなところに隠れていたんじゃ、警備隊には荷が重すぎる。
――いま見逃したら、きっとまた輝姫さまが危険な目に――。いつ何をされるか分かったもんじゃないしっ!
夜の廃墟の街を背に、人の形をした糸玉を引きずる蜘蛛女は、まるで棺桶 を引きずる死霊のように見えた。
エーセルは決心すると、馬車の屋根の上にふわりと飛び乗った。
蜘蛛女に向けて、強く握りしめた拳を前に差し出してパッと開いて構え、光矢の魔法を心で唱えた。
『ライトニング・アロー』の呪文と共に光の粒子が集まり弓矢が実体化、魔力がチャージされて射撃体勢を整えると、瞳でロックオンした敵をミサイルのようにどこまでも追いかけて焼き尽くす魔法の光の矢を、エーセルは発射した。
眩しく輝く光矢が、妖精エーセルの金髪ツインテールと緑のドレス姿を一瞬照らし出し、一直線に飛び暗闇を光で切り裂いていった。
光矢が標的を破壊するのを確かめる間もなく、エーセルは蜘蛛女の反撃に備えて、足に力を込めると、その場を離れるために巨大馬車の屋根からひらりと跳び下りた。
すぐに蜘蛛女が糸のムチで反撃してくるのは、モドキとの模擬戦で分かり切っていたからだ。
その直後、今まで隠れていたところに、蜘蛛女から繋がった長い糸のムチがしなり叩きつけられていた。巨大馬車の残骸が、宙に飛び散った。
もっと距離を取ってムチの射程圏外に出るために、思い切って羽を広げたエーセルは、通りに崩れ落ちた建築物の瓦礫の間をくぐり抜けるように飛んだ。
蜘蛛女はすぐさまそのあとを追ってきた。
「ひぇ~! かんじんの私の撃った光矢は、いったいどこへいったのよ!?」
ムチの衝撃で夜空に巻き上げられた破片の落下から身を守るように、エーセルは両手で頭を抱えながら慌てて叫び声をあげた。そもそも、発射地点がばれる危険を冒しても光矢を撃ったのは、爆発的な破壊力を当てにしたからなのだ。
確かにロックオンしたはずの蜘蛛女を、光矢がまったく見失っていたのは想定外だった。標的である蜘蛛女に達する途中、大通りで急に交差点を曲がるとせまい横道へとそれて、見えなくなってしまったのだ。まるで、お屋敷を探して旧市街をさ迷い歩いていたエーセルと同じようだった。
エーセルの後方で、蜘蛛女の頭上にのった蜘蛛が糸を吐いた。その先端が通りに並ぶ高層建築物の上階にまで達した糸に、蜘蛛女は手をのばしてつかみ腕を振ると、数十メートル上へと体が跳んだ。すると、振り子のような動きをとって着地した。
蜘蛛女は一瞬のうちに、エーセルとの間を詰めてきた。
エーセルのすぐ真横を蜘蛛女の放つムチがかすめた。糸のムチは激しく路面を叩き、爆発したように破片が飛び散った。
実戦ではもっと慎重になるべきだったのに、とエーセルは悔やんだ。
さんざんモドキと模擬戦をしての最善手のつもりが、逆に仇となってしまった。
それに、お屋敷に忍び込んだ蜘蛛女を簡単に撃退した輝姫の話を耳にして、どこか相手を甘く見ていたのかもしれない。輝姫は鎧ゴーレムを使った肉弾戦で勝利した。しかし、もちろんエーセルには使えるゴーレムなどいないし、体の小さな妖精の魔力強化なしのか細い手足では、とてもそんな真似はできなかった。
だからといって、こんなところでやられるつもりはもちろんなかった。
蜘蛛女が吹き飛ばした残骸が巻き起こす土煙の中を、エーセルは通りに放置され壊れた荷車や馬車の間を縫うようにして飛んだ。しかし、振り返ると、糸を伝って追ってくる蜘蛛女との距離が、少しずつ縮まっていた。
このまま蜘蛛女に捕らえられて、糸玉のデザートにされるわけにはいかない。
両側に廃屋が立ち並ぶ通りに差し掛かった。
エーセルは魔法地図を唱えた。『マジック・マップ』の呪文に応えるように、旧市街の地図が目の前にイメージとなって表れた。
「この近くで立てこもれそうなところは、どこ? ――嘘でしょ、野戦築城があるっていうの!?」
目的地が赤く点滅すると、イメージのマップ上にルートが示された。ナビの指示に従って道を急ぐ。
古戦場でもある旧市街地には、敵の侵入を阻み防御するための拠点として、昔使われた野戦築城が存在した。目立たぬように外見は民家に似せて作られているが、分厚いレンガや石の壁で囲まれ頑丈に作られていて抜け道も掘られているから、強大な敵に追い詰められても抵抗することができた。
エーセルは、猛スピードで脇道へと入り魔法地図が指し示した目的地の廃屋の中へと飛び込んだ。
急いで扉を閉めたが、それは敵の侵入を妨げる程に分厚く頑丈な作りではなかった。なぜかとても薄く軽かったのだ。外面は擬装用の飾りかもしれないと思い奥へと進むが、壊れたテーブルやソファーのあるリビングルームだった。
だが、考える間もなく、追ってきた蜘蛛女のムチの一撃によって、ドォー――ン、と大きな音を立て、数本もの柱ごと横壁の一面が吹き飛ばされた。
飛ばされた土壁が崩れ落ちて床で粉々に砕けると、巻き上げられた土埃で視界が遮られた。
風圧に煽られてバランスを崩したエーセルは、クルクル回って埃まみれのソファーに落下した。
コホッ、ケホッ、と咳き込みながらエーセルは、埃のクッションの中から顔を出すと、再び羽ばたいて飛んだ。
調度品が倒れ荒れ果てた部屋の扉を抜けると、ミシミシと嫌な音が響く中、床板の抜けた廊下を通り出口を探し飛び回った。
――だが、焦っているのか、妖精の視力をもってしても、なかなか埃と暗闇に遮られ見つからなかった。
やっとひび割れた壁の裂け目を見つけた。しかし、いくら体の小さな妖精エーセルでも、通り抜けられそうもなかった。
エーセルは剣を振りかざすと、壁の亀裂に振り下ろした。ザクッ、とパンでも切ったかのように土壁が切り裂かれて穴が開いた。
頭から小さな体を開けた穴に突っ込むと、エーセルは慌てて外へと抜けて飛び出た。
直後、ただでさえ脆くなっていた廃屋は、さらに柱を折られて支える力を失うと、その自らの重さに耐えかねて、潰れるように天井屋根が抜け落ちて一気に崩れた。
通りの脇まで転がったエーセルは、驚いた顔をして、土煙と轟音をあげながら崩壊した廃屋を眺めていた。
「これのどこが、野戦築城なのよ? こんなの、どこにでもありそうな廃屋のひとつじゃない。全然、頼りの魔法が当てにならないなんて……」
不安そうな声で言うと、エーセルの背筋は寒くなった。魔法障壁の影響がここまでひどいとは思わなかった。
だが、蜘蛛女は、廃屋の崩壊に巻き込まれて瓦礫の下敷きとなったのだ。もう脅かされる敵はいない。
「なんだかんだ言いながら結局は、魔法障壁の干渉のせいで滅茶苦茶になった魔法地図を頼っていたから、ずぅーっと道に迷い続けていたんだわ。……あり得ないんだけど、輝姫さまに頼まれたジャム入り揚げパンの入った袋を、置き忘れてきちゃった…………」
すっかりプライドを打ち砕かれたエーセルは、まったく何をやっているのか、と自分に腹が立ってふくれっ面になった。これも経験値が足りないからだと自分に言い聞かせながら、大事な袋を取りに戻ることにした。
戦いのときは必死で忘れていた夜の寒さがぶり返してきた。緑のドレスはあちこちひっかけたせいで破れていた。
魔法の加護が薄いために、代わりに酷使された体中の筋肉が軋んでいるようだった。
エーセルは夜空の下を月明かりに照らされながら、大通りに沿って歩いていた。




