古木カフェの妖精
公園の中央に立つ奇妙な形に捻じ曲がった枝が神秘的な雰囲気を醸し出す老木。それと少し離れた噴水広場に建つ古木カフェは、洒落ていて明るかった。
昼時の時間帯には訪れる客が多いのは当たり前のことなのだが、今日は常連客以外にも物見がてらによる人々で溢れ返っていた。
オープン・カフェ名物の外まで延びた大きな日傘のついたテーブルの先には、輝姫からお使いを頼まれた妖精のエーセルがついていたからだ。
近年になって、妖精の姿が城塞都市で目撃されたことは、一度たりともなかった。
店長が暴走して迷惑をかけてしまったお詫びとして出された、チョコラテやケーキなどのたくさんのお菓子に、妖精のエーセルは囲まれていた。
輝姫にジャム入り揚げパンをテイクアウトするならば、冷えた残り物よりも揚げたての出来立てホヤホヤがいいだろうと、今は揚げ終わるのを待っているところだ。
まるで、デコレーションされた宝石のように綺麗な色をしたお菓子の山に加え、精巧なフィギュアのように整ったルックスのエーセルに魅了されたのか、公園にいた多くの人々がカフェに集まって来てしまっていた。
しかし、大勢に遠巻きに注目されていたエーセル自身は、輝姫さまの使者なのだから当然のことだと、たいして気にもしていなかった。
エーセルがキレイな包み紙を開けてお菓子をひと口摘まみちょっと小首を傾げると、それと似たようなお菓子は瞬く間に売り切れとなっていった。
取り囲んだ人々には、緑のドレスに身を包んだ妖精が、まるでお菓子のおいしさを深く堪能しているように見えてしまうからだ。
――だが実のところ、エーセルにとっては、どれも魔力がまるでない残念な味にガッカリして首を捻っていたにすぎなかったのだ――。
「もしこれが輝姫さまの魔法料理だったら、きっとおいしいに違いないのに……。アッ、そういえばモドキったら、食事中だって言ってたじゃない! それも輝姫さまとご一緒だなんて、まさか手料理をご馳走になっていたんじゃないでしょうね!?」
別におかしな話ではなかった。蜘蛛女に変態した筆頭妖精であるモドキは、応接室でのエーセルとの演習において勝利を収めていたのだから。
メイドの出す普段の食事ならいざ知らず、ご褒美として輝姫の魔力率100パーセントの手作り魔法料理を食べている可能性だって十分あり得た。その魔力に酔いつぶれてしまいそうな程の濃厚な味つけを想像すると、思わず喉が鳴った。
しかし、演習でぶざまに負けてしまったエーセルには、残念ながらその資格がなかった。
プルプルと金髪のツインテールを震わせて悔し涙を流すまいと必死に耐えながら、目の前の魔力味ゼロの旨味のないケーキを代わりに食べていたのだった。
「きっと――、この揚げパン・クエストは達成してやるんだ!」
成功した暁には、輝姫さまが抱擁してくれるかもしれない。けっして、カフェのニンフォマニア女子店長の束縛などではなく…………。
何かを口に入れておかないと、あまりに残酷な現実に嗚咽が漏れ出そうだった。エーセルはそっと小さな口にケーキを運んだ。
周りでその様子を興味深げに見ていた人々は、妖精が感動のあまり泣き出しそうな程の味のするケーキとは、いったいどのようなものかと、またもや奪い合うようにして買い求めるのであった。
そんなことを何度か繰り返すうちに、ウエイトレスがエーセルに声を掛けに来た。
「本当に先程はうちの店長が失礼いたしました。でも、エーセルさまのおかげでお店は大繁盛です! 店内にあった商品もほとんど売り切れてしまいました」
エプロン姿の女の子は、黒髪を揺らしてにこやかにお礼を述べた。
「ただこうして、ジャム入り揚げパンができあがるのを待っているだけよ。――ところで、店長の具合はどうなの?」
「御心配には及びません。無事、意識も戻りました。今は大事を取って奥のベッドで横になっています。あの……、店長が謝罪したいとのことなんですが……」
エーセルはドキリとして思わず後ずさった。摘まんでいたお菓子がポロリと指先から転がり落ちた。
「べ、別にたいして気にもしていないから、ゆっくり休んで寝ていなさいよっ!」
「エーセルさまはお優しいんですね。――前から店長は妖精が訪ねて来たとずっと言い張っていたんですよ。今まで誰にも信じてもらえなかったんです。だから、妖精のエーセルさまがお見えになられて、きっと嬉しかったんだと思います」
まるでお人形遊びで使うような小さなティーセットを準備すると、ウエイトレスは紅茶をカップにそっと注いだ。
「ありがとう。これなら飲みやすいわ」
エーセルは小さなティーカップの取っ手に繊細な指先を絡めて紅茶をひと口飲んだ。
おいしいハーブティーだった。エーセルはホッと一息つくことができた。
「――でも、私はこのカフェに初めて来たんだから、何かの見間違いじゃないのかしら?」
「フフ、実は私も店長の夢じゃないかと思っています。なんでも、真夜中に妖精と一緒にケーキを作ったって言い出すくらいなんですから」
「あぁ、それはお気の毒に……、いえ、その……。ま、まぁ、あなたも大変だけど頑張りなさいよねっ!」
エーセルがためらいがちに言うと、ウエイトレスはクスクスと笑った。
しばらくおしゃべりしているうちに、ジャム入り揚げパンが出来上がった。
「お菓子のおかわりはいかがかしら?」
「急いでお屋敷まで戻らなくちゃいけないんだから忙しいのよ。お茶をごちそうさま、それじゃあね!」
ウエイトレスから出来立てジャム入り揚げパンの入った袋を受け取ったエーセルは、すっかり魅了されてしまった人々の歓声の中を、背中の透き通った羽を振るわせて大空へと舞い上がった。
「結局、お代はサービスしてもらっちゃた、せっかくアメリアからお財布まで借りて持ってきたのに……。でもまあ、女子店長のお人形遊びにつき合ってあげたようなものだからいいか」
――公園の老木に別れを告げたエーセルは、買い物袋を両手でぶら下げながら低空を慎重に飛んでいった。
急いでロケットのように飛んで大事なジャム入り揚げパンを台無しにしては元も子もない。
できるだけ風の影響を受けないようにスロースピードで進んだ。そのため、来るときは一瞬に思えた道のりがやけに長く感じた。
まるで精密な地図のように全体を見渡せた高空を飛んで来た時とは違い、低空から周りを見ても畑や街など似たような景色が延々と広がっているだけだった。
「……お屋敷はまだ見えないの? そんなに距離があったっけ……」
輝姫の喜ぶ顔を見るために、一刻も早くジャム入り揚げパンを持ってお屋敷に帰りたいエーセルは、回り道となる幹線道路に沿って飛ぶのをやめ、旧市街地を一気に抜けるルートをとることにした。
街の上空にさしかかると、高さのある建築物の吹き上げる乱気流が、荷物を抱えて飛ぶ小さなエーセルの体を揺らした。念のため高度を下げたエーセルは、旧市街地の街中を進むことにした。
とりあえず、首を長くして待っているであろう輝姫に連絡を入れようとするが、なぜか通じなかった。
しかたなく、妖精部屋にアクセスして「輝姫さま、エーセルです。古木カフェでジャム入り揚げパンをゲットしました。旧市街地を抜ければ、すぐに帰ります」と、ヴォイスメッセージを残しておいた。
もうお屋敷の近くまで来ているのだから、後は地名や道路標識に従って街中を進んだ方が確かだろうと、エーセルは思った。




