はじめてのクエスト
食卓につき、桜色のほっぺたにご飯粒、愛らしい唇の周りにケチャップをつけて美味しそうに魔法料理を頬張る妖精少女を見て、輝姫はたいへん微笑ましく感じながらも内心しくじったかなとも思っていた。
そもそも、モドキは日本食なんて食べたことがない。だからいくら美味しいって言われたって、はじめから味見なんてできるわけがなかったのよ……。
まぁ確かに、似たようなメニューはこちらの世界にもあるかもしれないけれど、異世界には存在しない日本での食事を完璧に求めたことにムリがあったんだわ。
う~ん、それなら代わりといっては贅沢だけど、ここでは日本食にこだわらないで現地の料理をスマホで再現するだけでよかったんじゃないかしら?
それでよければ、ジャム入り揚げパンがいつでも好きな時に食べられるッ!
異世界にコンビニやスーパーがあるはずはなく、ちょっとしたお菓子を頼むのでさえ結構な手間暇がかかっているのは輝姫にも分かっていた。これからはだれにも遠慮せず何の気兼ねもいらなくなると浮き立って喜んだ。
――しかし、異世界だからといって世の中そう思った通りに上手くはいかないのが常だ。案の定、またもや何か足りずどこか味の違うジャム入り揚げパンを、細い指先でパネルに魔法陣を描くようにして作りだしてしまった輝姫は、夢破れてがっくりと肩を落としていた。
「さっきから、なぜ姫さまはどの料理もひと口ずつしか食べないのだ? 体調はよさそうだし、全然ダイエットも必要ないように思うのだが」
あまりに気落ちした様子を心配して、妖精少女が声をかけた。
「アハハ……そうね、何かしら食べないとね。たぶんスマホが壊れてるか、きっと女神さんが味覚音痴のせいに違いないわ…………」
輝姫は力なく笑って言った。
もはや、お腹が空いた輝姫の目の前で、妖精少女に旨そうに料理を食べられるのを指をくわえて見ているのは拷問に近かった。
とにかく不味い魔法料理を我慢して食べるなんて嫌。だからといって、お屋敷に戻ったところで料理人たちは蜘蛛女の騒ぎで避難してしまったはずよ。いっそ宅配ピザみたいなサービスはないのかしら?
魔法料理の芳ばしい香りで徐々に朦朧とする意識の中、輝姫はスマホのボイスチャットボタンをタップすると妖精部屋でエーセルをコールしていた。
『ハイッ、輝姫さま、お呼びですか。エーセルです!』
「お願い! 急いでジャム入り揚げパンを買ってきてくださる? 噴水公園の売店の……」
『エッ? でも、お花畑でメイドの――』
「はぁー、ダメかぁ。――ねぇ、モドキ。お食事中に悪いんだけどお使いを頼み――」
『絶対行きますっ!! 何事であろうと、すべてエーセルにお任せくださいっ!!』
「へ……。そ、それじゃあ、お願いするわね」
輝姫はチャットから落ちると、力尽きたようにテーブルに突っ伏した。
「まさかエーセルったら、姫さまからのクエストを断ろうとするなんて」
「ううん、そんなことないわよ。お花畑で何かしていたみたいだけれど、ちゃんとお使いに行ってくれるって」
「たぶん、魔法花の蜜を摘み食いしていただけかも……。筆頭妖精としてお詫びします」
「決めつけるのはどうなのかしら、確かメイドがどうとか聞こえたような? それに、モドキだって今、ご飯を食べているでしょう」
「むー、食したのは姫さまのクエストに従ったからで、それをまるで食いしん坊のように言われるのはいかがなものかと思うの」
プクリとふくれっ面となった妖精少女は、いかにも心外だと言わんばかりの表情をして見せた。しかし、蜘蛛女への変態魔法が解けた幼げな少女が、今さら闇に生きる妖魔のような真似をしたところで渋みが出るはずもなく、愛らしさが増しただけだった。
「はぃはぃ、私がリクエストしたから仕方なくマズイ料理を一生懸命に食べてくれたんだよね。――ムリさせちゃったかなぁ」
輝姫は微笑みながら言うと、手にしたナプキンでケチャップのついていた妖精少女の口元をそっと拭う。
「……そんなこと……、全然ないけど……」
グッと恥ずかしさと照れを懸命に隠したつもりの妖精少女だったが、その頬は緩んでポーッと赤く染まっていた。
お花畑でアメリアの具合を看ていた妖精のエーセルは、輝姫からのクエストを受けるとすぐにロケットのように光跡を引きながら青い空に舞い上がった。透き通った背中の羽が輝きながら振るえるとスピードがさらに増した。7秒ほどで高度400メートルに達していた。
輝姫から受けたクエストの内容は、噴水公園の売店でジャム入り揚げパンを買ってくることだった。それも急ぎで!
そんなに難しいクエストってわけじゃなさそうだわ。ちゃんとお金も持ったことだし。
ちゃっかりとエーセルは、メイドのアメリアの懐から拝借したお財布を胸に大事そうに握りしめていた。
……泥棒したわけじゃないんだからね、ちゃんとアメリアにはことわったんだから! まだちょっと寝ぼけてたみたいだったけど……。
輝姫さまが欲するくらいなのだから、ジャム入り揚げパンというのはさぞ美味なのだろうと勝手に味をいろいろと想像してしまう。
それに手際よくクエストをこなして経験値が上がれば、モドキとの演習で負けた分を少しでも補うことができる。もしかすると、輝姫さまに褒めてもらえるかもしれない!
その時を思い描いてドキドキとエーセルの心は沸き立った。
……でも、もう少しでモドキに割り当てられちゃうところだったんだから。もっと受け答えには気をつけないと……。
反省して少しうつむくと眼下にお屋敷が見えた。城門の周りを警備隊が取り囲んでいた。
大通りをラートハウス方面から騎士団の隊列もお屋敷に向かってくるようだけど、街でお祭りのパレードでもやってるのかな?
興味をそそられてフラフラとそちらに方向転換しそうになるが、慌てて本来の依頼を思い出した。
「ダメダメ、今は輝姫さまの揚げパン・クエストが最優先でしょ!」
輝くツインテールの金髪を揺らしてかぶりを振った妖精のエーセルは、両手でお財布を握りしめて気合を入れなおすと、打ち上げられたロケットのように空に弾道軌道を描いて噴水公園を目指した。
――お屋敷からしばらく飛ぶと、大きな老木のある公園に到達した。節くれて奇妙な形にねじまがった老木は見ようによっては不気味だが、妖精であるエーセルにとっては最高にいい眺めだった。まだ生まれたばかりでちっぽけな自分と比べると、老木はまるですべてを知る巨大な歴史の生き証人を見るかのようだったからだ。自ずと神秘的ないにしえの時代に思いをはせることができた。
エーセルはこの大きな老木を中心に旋回しながら目印の噴水と売店を見つけると徐々に高度を落としていった。
噴水広場の側にあったお洒落なオープンカフェに到着すると、店の外にまで広がった客席を通り抜けて店内のカウンターに飛んだ。
小さな妖精のエーセルが通ると、人々はみな驚いたような声をあげて脇に避けて道をあけてくれた。
フーン、身の程をよくわきまえているのね。輝姫さまの使者なのだから当然よ。
カフェ店内のショーケースには、おいしそうな苺のホールケーキや輝く宝石のようなお菓子がたくさん並んでいた。
だが輝姫さまに頼まれたのは、あくまでジャム入り揚げパンなのだ。雑魚には目をくれるな。
気を抜けば目移りしそうになるのを懸命に堪えて
「ジャム入り揚げパンをちょうだいな」
妖精のエーセルは唖然とする店員の女の子に向かって小さな胸を張って毅然とした態度で言った。
しかし、しばらく目を見開いて固まっていた店員は「ハ、ハヒィ~、て、店長ー、よ、妖精ですぅ!!」と情けない声を上げて叫ぶやいなや店の奥に引っ込んでしまったではないか。
まったく、輝姫さまの使いになんて失礼な応対なの!? いくら相手が庶民とはいえ、ここは強くでるべきねっ!
――いや、待って。やっぱり店長が応対に出てくるのが礼儀なのかもしれない。うん、考えてみれば確かにそうよ。
「なんなのよー。妖精が来たって? どうせお菓子目当ての子供がコスプレしてるんでしょう。かぼちゃ祭りはまだ先なのよ~」
エプロンを身に着けメガネをかけてウエーブのかかった赤毛の女性が、奥の扉を開けて店内に出てきた。
どうやら彼女が店長のようね。雑事に追われて忙しそうだから、さっさと注文を済ませてしまいましょう。
「お屋敷から来ました。私は輝姫さま直属の妖精、エーセルです。堅苦しい挨拶は結構ですから、とにかく早く、ジャム入り揚げパンを――……」
エーセルは最後まで注文を伝えることができなかった。
気がついた時には店長の腕の中に抱かれて頬ずりをされていたからだ。
「カワユイ~~!! ちっちゃいよ! ホンモノだよっ!? 古代樹の妖精ちゃんが、やっと会いに来てくれたんだよね!!」
「アワワッ、な、な、なにを……、いったい……?」
「はぁはわぁわっ、お姉さんね、ずっと待ってたんだよ。だから、いいよね!」
「こっ、この人、おかしいっ!?」
「だって、お菓子屋 さんですもの!」
状態異常の女子店長がいったい何を言いたいのか、妖精のエーセルにはまったく訳が分からなかった。
エーセルの身に着けた緑のドレス・スカートが、女子店長の頬に擦れて捲り上がり白い太ももがチラリとのぞいた。
そうこうするうちにペロリと舌なめずりする女子店長の赤い唇が、まるで獲物を狙うようにエーセルに迫ってくる。
得体のしれない恐怖から逃避するように目をそらすと、ショーケースのデコレーションケーキの上には、どれも砂糖で固められたような小さな妖精がのっているではないか!?
エーセルは総毛立つと悲鳴を上げた。
「――ヒエッ!!」
ケーキのトッピングにされて食べられちゃうの!? こんなところで、それも妖魔にではなく人間にっ!!
エーセルはなんとかして小さな手で押し付けられる頬を押し返し、足をジタバタさせて抜け出そうともがくが、女子店長にしっかりと抱きしめられるばかりで身動きがとれなかった。
それどころか、店長の指先が触手のようにワシャワシャと蠢いているように感じる。
クッ、瞬間移動に拘束の触手といい、実は妖魔かも!? もしかして人が操られているだけかもしれないけど、やむを得ないわ! こうなったら光の矢で一気に――――!
エーセルの体が魔法をチャージしてキラキラと輝き、ついに反撃に出ようとしたところ、不意に拘束していた腕の力が抜けてほどけると女子店長の体が揺れてパタリと床に倒れた。
「て、店長ぉー!! しっかりしてくださいっ!」
慌てて駆けつけた店員が、倒れた女子店長を仰向けにさせると真っ赤になって幸せそうな寝顔で鼻血を吹いていた。どうやらエーセルの魔力にあてられたのか、興奮しすぎたせいで血圧が急激に上がり過ぎて目を回したらしい。
……やっぱり、ただの人じゃない……。
落ち着いて見ると、ケーキにのっていたのも砂糖菓子でできた飾人形だった。
とりあえず、この混乱に乗じて超危険地帯のフィールドから撤退すべく、エーセルはそ~っと静かにお店から飛び去ろうとした。
しかし、店長を介抱していたはずの女の子の店員にエーセルは呼び止められてしまった。
「――待ってください、妖精さん! 店長がこんな大それたことをしでかしてしまったからには、もう二度と姿を現さないおつもりですよね? もし、このまま帰してしまったら、我に返った店長が後悔のあまり取り返しのつかないことをしそうで怖いんです。――誠に勝手なお願いですが、お詫びに少し落ち着くまでの間、お茶でも飲んでいただけませんでしょうか」
「だ、だけど、大事な用事があって……」
……そうだった、まだジャム入り揚げパンを手に入れてなかったじゃない。
もちろん、このまま手ぶらで輝姫さまの元へ帰るわけにはいかない。こんな簡単なクエストひとつ達成できないでどうするの……。
「もう、しょうがないわね! 特別にお茶してあげるから感謝しなさいよ。まったく失礼しちゃうんだから!」
あちこち乱れたドレスを直した小さな妖精エーセルは、フィギュアのような可愛らしく整った顔をプイッと背けて言った。




