食べ放題で変態
蜘蛛女モドキは、輝姫を揺り籠に乗せて並木の間に張られた糸を伝うリフトのように礼拝堂まで進んだ。
着くやいなや、輝姫は糸で編まれた揺り籠から降りると礼拝堂の扉を開き中へと急いだ。
広々としたアーチ状のホールや改装された神殿と女神の巨像も目には入らなかった。
壮大な神話を描いた壁画の横を素通りして磨きこまれた大理石の床の通路を奥へと駆け抜けていった。
お腹が減ったわ! もう何が起ころうと我慢できないんだから。だってペコペコなんだもの!
だからといって、またもやアメリアの激辛メニューを食べさせられるのだけは勘弁してもらいたかった。
礼拝堂に備え付けられた厨房に行けば、何かしら食べ物があるかもしれない。いや、きっとあるに違いない!
輝姫は振袖からスマホを取り出した。
指で軽くパネルをなぞりマップアプリを開くと進路を確認した。
だが、そんなことをするまでもなく、会食場の奥にあった厨房は意外と簡単に見つかった。
輝姫はホッと胸をなでおろすと、扉を開けて厨房の奥へと進んだ。
まあ、いくらなんでもインスタント食品はないでしょうから、サンドイッチでも作って食べようかな~。
大小さまざまなお皿やたくさんの綺麗な飾り絵の描かれた陶器や銀の食器などの入った戸棚を通り過ぎると調理場があった。
しかし、そこにステンレス製のシステムキッチンはなかった。
――これは、カ、カマドなの!? どうりで部屋が煙臭いと思ったわ。そりゃそうよ、当然よね。だって中世文化なのでしょうから――……。
まるで陶芸でもして焼くのかと思うような立派なレンガ作りのカマドが、厨房には備え付けられていた。
ピザの専門店にあるようなオーブンをもっと大きくしたようなものだった。
いやいや、そんなことは始めから分かり切っていたわ。でも、私だって学校のキャンプでバーベキューをしたこともあるのだから、こんなの簡単!
銀髪をなびかせて輝姫はかぶりを振ると、とりあえず火を起こそうとライターやマッチを探した。
だが、棚から出てきたのは火打石だけだった。
――カチッ・カチ・カチ・カチッ・カチッ・・・――
カマドにしゃがみこみ両手に持った火打石どうしを何度も打ち鳴らす。しかし、いつまでたっても手が痺れるだけで火花はまったく起きなかった。
ひとりカマドの前で顔をしかめて空かしたお腹を鳴らしながら必死になって火打石を打つ輝姫の姿は、たとえ振袖を着た銀髪の美しい姫で聖女の立場であろうが、とてもじゃないが惚れられている勇者スバルにも見せられたものではない。
しばらくして火打石で自分の手をしこたま打った輝姫は、涙目になって石を投げ出すと、綺麗な唇を突き出して怒っていた。
どうなってるのよ!? 全然ダメじゃない! だいたい、この火打石は不良品じゃないのかしら? あぁ、このままじゃ飢え死にしちゃうかも……。
こうなったら、スマホで火の起こし方やカマドの使い方を一から調べるしかないかと、ひとまずテーブルにつこうとして立ち上がると振り返った。
すると、部屋の隅で蜘蛛女モドキが控えている姿が目に入った。
輝姫はジッとモドキを見つめるとピンときた。
――そうだ、スマホがあったんだ!
ん~と、モドキに料理を作ってもらえばいいんじゃないかしら。……いえ、ちょっと待って……、蜘蛛女モドキを造りだしたのがこのスマホなんだわ。だったら電磁波で火を起こしたり調理するどころか、きっとこの女神製のスマホなら料理だって簡単に作れるはずよ!
輝姫は椅子に腰かけるとスマホのパネルを操作した。
食のタブをタップすると思った通りズラズラとメニューが並んでいた。もちろん日本食も含まれていた。
いろいろと迷った末に懐かしさに魅かれた輝姫は、指先で魔法陣を描くようにパネルをなぞると、ファーストフードのアイコンをタップして選択した。
たまに、学校帰りにファーストフード店に寄り道して買い食いした思い出があったのだ。
するとテーブルの上に光の結晶が集まり、ハンバーガーとコーラが現れたではないか。
輝姫がそっと手を伸ばすとハンバーガーに触れることができた。ただの幻ではなく、蜘蛛女モドキや小さな妖精と同じように実体化していたのだ。
ジューシーなソースと程よく溶けたチーズや口の中で弾ける炭酸を思い出して喉がコクリと鳴った。
前に女神さんがウエディングケーキを実体化するのをこの目で見たのに、なぜ今までこんな簡単なことすら考えつかなかったのかと悔やむと、輝姫の目から涙がスッと流れ落ちた。
こんな異世界の果てまで来てお姫さまを気取っていながら、食べ物ひとつで泣き出す自分がおかしくなってくる。
泣き笑いの表情で輝姫は大きく口をあけるとハンバーガーにかぶりついた。
今はテーブルマナーなど関係ない。どうせこの部屋には蜘蛛女モドキしかいないのだから。
ムシャムシャと、お姫さまとは、いや、もはや女の子とは思えない有り様でハンバーガーを口一杯にして食べてはコーラを飲んだ。
――美味しい――かなぁ? アレ、でも、ずいぶん覚えていた味と違うような気がするのだけど?
どちらかというとハッキリ言って、ハンバーガーはパサパサして不味かった。
コーラはしっかりと炭酸は入っていて泡も立っていたが、なぜか気の抜けた砂糖水というありさまだった。
やっぱりファーストフードは健康の為にあまりよくないって言われていたせいなの? それじゃあ、何か別のモノにしましょうか。
パネルを押し間違えないように確認しながら、今度はパスタを選択した。
湯気を立てて大きなお皿に山盛りになったパスタが現れた。
う~ん、このいい匂い! これならきっと大丈夫ね。
粉チーズとタバスコを少々振りかけるとフォークにパスタを巻いて口に放り込むようにして食べた。
しかし、輝姫はすぐに首を傾げた。
ゆで時間を間違えた上に塩を入れ忘れたような味気ないパスタに加えて、トマトソースなのになぜかトマトを入れ忘れたような味しかしなかったのだ。
まさかとは思うけれど、女神さんって味覚音痴なのかしら?
スマホに並んだ料理のメニューを眺めながらフッと恐ろしい考えが頭をよぎった。
しかし、前に食べた女神さんのウエディングケーキは美味しかった。
た……、たまたまよ。偶然、選んだメニューの味付けが私の口に合わなかっただけなんだから。まだまだメニューはたくさんの種類があるし、魔法で幾らでも作れるんだから何の心配もいらないわ!
輝姫は次から次へと料理をスマホで実体化すると試食していった。
どれも見栄えは立派だった。だが、信じられないことにどれもこれも満足できる味ではなかった。
それに一番肝心なことだが、もはや厨房の部屋一杯に料理は並んでいて、不味くて一口ずつとはいえかなりの量を食べたはずなのに、満腹にもならなかった。
「いくらなんでもおかしいわ。やっぱり、すべての料理はただの幻なのかしら……。ねえ、モドキはどう思う?」
振り返って見ると、まるでお預けをくらった犬のようになった蜘蛛女モドキがいた。
「ちょっと涎たれてるわよ。モドキに期待させちゃったみたいで悪いんだけど、実はただの罰ゲームだから……。申し訳ないのだけれど、ちょっとだけ味見してもらえる? いいこと、ムリして食べなくていいから、気分が悪くなったらすぐに吐き出すのよ」
「……ソンナコトナイ……。デ、デハ、遠慮ナク、ソノ揚ゲタオ肉ヲッ!」
ゴクリと唾を飲み込んだ蜘蛛女モドキは、お皿に並んでいたフライドチキンを投げ縄のような早業で糸に絡めると、サッと手にとってガツガツと食べ始めた。ちゃっかりと帽子のような蜘蛛もおこぼれにあずかっていた。
「どうかしら、やっぱり味が変でしょ? 見た目はジューシーでいい匂いまでするのに、肝心の中身はパサパサで味もそっけもないんだから……。もうここまでくると、女神さんの味覚音痴は確定よね。今度、スマホアプリの更新をする時は、私も絶対に口を出させてもらわなくちゃ!」
「――アアッ、ソレガイイ、ウン――」
嬉しそうに満面の笑みを浮かべ夢中で次々と食べ物に手を付けるモドキがいた。
蜘蛛女モドキのはずだが、蝋人形のようだった青白い肌は、赤みが差し血色が見る間によくなって滑らかな色白な肌になっていた。なぜかボロボロだった紅いドレスまでもが真新しくなっている。
「スープモ イイノダロウ? ドレモ カワッタ レシピダナー」
「ええ、これは日本食のお味噌汁ね。なぜか見た目は味噌があるはずなのに、入れ忘れたような味しかしなかったけれど……」
さっきまでは確かに蜘蛛女モドキだった少女を見ながら、輝姫はあっけにとられた。
美味しそうにお味噌汁をすすり終えると、モドキの体がフラッシュのように光を放った。
すると、蜘蛛女だった外見が、輝姫の出した料理を一口食べるごとに次々と変化していった。
ついには、花の冠を被った可憐な妖精少女となって食卓についているではないか。
頭の蜘蛛はどこへ行ったのかと探すと、まるでハエトリグモを大きくしたような格好で妖精少女の膝の上にちょこんとお行儀よく乗っていた。
「主ノ命令トアラバ 全部タベルノモ ヤブサカデハナイ」
モドキは化けの皮が剥がれたことにまだ気がついていないようだ。
口の周りにソースをつけてフンスと鼻息も荒くハンバーグを頬張って食べていた。
――まさかとは思うけれど、スマホの中に妖精が住んでいて動かしているとかじゃないでしょうね。だから、食べたことのない異世界の日本食の味を正確に再現できないとか?――
衝動的に大事なスマホを分解して中身を確かめたくなってしまい、輝姫は頭を抱えた。
「ねぇねぇ、輝姫さまの三ツ星魔法料理をもっとおかわりしてもいい?」
恥ずかしそうに頬を染めながら上目遣いで輝姫をチラリと見ると、妖精少女は言った。
まるで芋虫から蝶に変態したかのような蜘蛛女モドキのあまりの変わりように、輝姫はおかしくなっていつの間にかクスクスと笑っていた。




