魔法花のベッド
糸ダルマと化したアメリアが回転しながらお花畑に落下した時の衝撃で、空に舞い上げられたハーブの花びらが、花吹雪になってひらひらと舞い落ちていた。
花粉も粉雪のように横たわったアメリアの体の上に降り積もっていく。
目が回っていたアメリアは、平らな地面がグニャグニャと歪んでいるように感じていた。たらふく花粉を吸いこんだせいか喉がカラカラだった。
「あぁ……、このまま寝ているわけにはいかないんだ。早く輝姫さまの後を追いかけないと……」
お花畑の中に仰向けに寝転がったアメリアは、起き上がろうと力を込めるが、鎮静効果のあるハーブの作用で手足や瞼は鉛のように重く感じ、もはやピクリとも動かなかった。
ふと青空を見上げると、舞う花びらの向こうに鳥のようなものが旋回しているのが見えた。
「……あれは、ハゲタカなのかな……。このまま目を瞑ったら、もう二度と覚めそうもないや…………」
上空からハゲタカが急降下してくるのを見たのを最後に、アメリアの視界はだんだんと狭く暗くなっていき、体の力は抜けていった。
花のベッドの上で、アメリアの意識は薄れていった。
「だ・れ・が・ハゲタカなのよ!? 輝姫さま直属の妖精に向かって失礼しちゃうわね、まったく!」
高い声が響いた。
空から舞い降りてきたのはグリーンのドレスを身にまといツインテールの金髪に白い花飾りを着けた美しい妖精だった。
光り輝く小さな妖精は、アメリアの胸元に着地すると顎を突き出して顔を覗き込むようにした。
「あのね、この緑のドレスも星の髪飾りも輝姫さまが選んでくれたんだから! 私を侮辱することは輝姫さまを侮辱することになるって分かって言ってるのかなぁー?」
妖精は腕を小さな胸の前で組むとプンプンとして声を張り上げた。
「……目が回って……、み、水を……お願い……………………」
「ねぇ、ちょっと、人の話をちゃんと聞いてるの?」
妖精はつぶやいた。胸元からアメリアをゴールドの大きな瞳でジーッと眺めて様子をうかがった。
降り積もる花びらと花粉の布団に潜り込むような格好でアメリアは青い顔をして目をギュッと閉じていた。その唇はカサカサに渇いていた。
妖精はため息をつくと透き通った羽を振るわせて宙に飛び上がった。
「えーと、酔い止めに効くハーブは、どこに咲いているのかしら?」
妖精は色とりどりの花が咲くお花畑の中を光の粒子の尾を引きながら飛び回った。
ツンとした小さな鼻をひくひくさせて匂いをかぎ分けると生い茂る草花の中に分け入った。
花の匂いを頼りに進むとレモンイエローの花に向かって飛んだ。
お目当てのぼんやりとした光を発する蕾を見つけると、剣でその元からスパッと切り取った。
妖精はアメリアのところまで蕾を運ぶと、カサついた唇に花の蕾をそっと添えて蜜を流し込んだ。
花の蜜がアメリアの乾いた喉を湿らせていった。
「――ンッ、ン、ンッ――……」
「具合はどう? スッキリするでしょ」
「……うん……」
ガサガサと錆のような味しかしなかった口の中が嘘のようにスゥーとしてだんだんと気分がよくなると、アメリアは答えた。
妖精は咲き誇るハーブのお花畑を見回しながら感嘆の声をあげた。
「ここは素晴らしいわ! お日様の光が届くところがすべて一面、貴重な魔法花で覆われているなんて、さすがは輝姫さまのお庭ね」
そよ風が吹くとゆっくりとピンクやホワイトの花びらがあたりに舞い上がっていた。
妖精とアメリアの周りを風に乗った花びらが撫でるようにして通り過ぎていく。
「そう……、輝姫さまのお側に仕える妖精は、このお花畑のように光り輝く者でないといけないはずよ。だから、気まぐれで生み出されたにすぎない蜘蛛女モドキが、輝姫さまに最初に生み出された妖精だなんてことがあっていいはずがない。――アメリアもそう思うでしょ?」
アメリアの周りを妖精はフワリと飛び回りながら囁くように言った。
妖精はお花畑を見渡した。色とりどりの美しい蝶々たちが花の蜜を求めて飛び交っているのが見えた。
「輝姫さまが妖魔モドキの化物を使い魔にするなんて……。きっと妖精である私に課せられた試練に違いない。あのモドキを倒しさえすれば、輝姫さまは私を認めてくださる。そうすれば、筆頭妖精としての地位と名誉……、いいえ、そんなのに興味はないわ。輝姫さまの寵愛を一身に受けることができるんだし――」
明るいお花畑のはるか先、城塞都市の城壁外のずっと向こうには、ぼんやりと霞んだ赤茶けた不毛の岩山が暗い影を落としていた。
妖精は日差しの届かない暗い岩山の影の奥を想像して背筋がゾクリとしたが、努めて明るく振舞った。
「――とか言いつつ、応接室でのモドキとの一戦は、ぶざまに気絶してひっくり返っていたところを輝姫さまに助け起こされたんだけどね。なんでか知らないけど、アメリアもさぁー、蜘蛛女モドキを倒したいんでしょ。だったら協力しない?」
妖精は真面目な顔をして言った。
「これだけ輝姫さまの魔法花の花粉を埋もれるように全身に浴びれば、後は多少のセンスさえあれば、アメリアも妖精魔法を使えるんじゃないかしら。――いい? 魔力のかなめは循環なの。星の中心から湧き上がる魔力は地ににじみ出て草木が吸収するわ。それが特に濃縮された希少な魔法花の源を体に取り込んだんだからね」
妖精が顔を覗き込むと、アメリアは目を瞑ったまま真剣な表情をして聞いているように見えた。
「でも、いいこと? これだけは絶対に忘れないで! 魔法生物は微妙なバランスの上に成り立っているの。たとえ死ぬことがあっても、その魔力は体と共に地に還って循環するわ。だから魔力を独り占めしようとすることは許されない。でも、それをしているのが妖魔……自分の魔法力を強めるためだけに、いたるところで魔法生物を襲って食べているの。そんなことをしたら、星の魔力の循環が滞って不毛の地になってしまうんだからね。――分かった?」
だが、アメリアは返事をしなかった。
「あらら……、いきなりの難しい話で驚いちゃった? そうよね、アメリアも魔力循環の輪の中に組み込まれたってことは、妖魔に食べられちゃう危険性が増したってことだもの。だからといって、そんなに深刻にならなくても、今まで逃げることしかできなかったのが、魔法で抵抗する選択肢が増えたって考えることだってできるんじゃないかしら」
――スゥーハァー……、スゥー……ハァ…………
「む、ちょっと待って! このケダモノの鳴き声みたいな変な音は何なの?」
妖精は大きな耳をピクピクさせて聞き耳をたてた。
異音はすぐ近くから聞こえているようだった。
妖精は息を呑んだ。
こんな近くまで気づかれないように接近するなんて並大抵の相手ではない。
妖精は気を引き締めて腰の剣に手をかけると周りに目を走らせた。
ウゥン……、きら……り、さま…………、スゥー――……
「まさか、今の声は!」
妖精は透き通った羽を振るわせて飛び立つと、仰向けに寝転がったアメリアの顔を宙から眺めた。
気持ちよさそうにスヤスヤと眠りこけたアメリアがいた。
降下して頬をツンツンと指でつついてみるが目を開く気配はまったくなかった。
「もう、せっかく大事な話をしていたのに、ずぅーと寝ていたの? でもまぁ……、その方がメイドであるアメリアには、幸せかもしれないわね」
アメリアは魔法花をベッドにして寝返りをうつと花びらが舞った。妖精の処方した酔い止め薬が効いてきたのか、顔色も良くなり唇も艶のあるピンク色に染まっていた。




