礼拝堂へ急げ
アメリアは輝姫を連れてお屋敷の建物から抜け出すことができた。
そして、予定通りに緑の庭園を走って礼拝堂に向かっていた。
複雑な幾何学模様を描く並木道を通り、噴水プールの脇をすり抜けた。
先を急ぎ走り続けながら、ささいな変化も見逃さぬように細心の注意を払い、アメリアの五感は研ぎ澄まされ神経は張りつめていた。
庭に立つ大理石の像からの視線までも感じ、しきりに耳を澄ませて周囲の様子を探った。
アメリアは植木の陰に身を潜めた。
しかし、目の前の枝に小さな蜘蛛の巣を発見してしまった。
――まさか、これも蜘蛛女の張り巡らせた罠なんじゃ――!?
最悪の事態を思い描き、アメリアの喉がゴクリと鳴った。
「ああッ! ココよ、襲われたの! いきなり後ろから抱きつかれたのよ、スバルのヤツにッ! 信じられる!? もし今度同じことをしたら、セクハラでとっちめてやるんだから!」
「ヒぃッ!? キ、輝姫さま、いきなり大きな声を出さないでください! 蜘蛛女が出たのかと思ってビックリしたじゃないですか!」
まるで庭園を散歩しているかの素振りの輝姫が声を出すと、驚いた勢いで頭に小さな蜘蛛の巣をひっかけたアメリアは、短い悲鳴をあげてより大きな声をあげた。
「むぅー、それにしても、あれから何も進展がないというのは、いったいどういうこと? いっそのこと、女神さんに頼んでスバルにケータイを持たせようかしら? そうすればメールだってできるし……。大体、後先考えずに突っ走るからいけないのよ!」
輝姫は小首を傾げると、かんしゃくを起こした。
一方、アメリアはどこかからか突き刺すような視線を感じていた。
「スバルさまがお持ちでない宝物なんて、まだこの世にあったんですか? ――とにかく早く先へ進みましょう。なんだか嫌な予感がします」
アメリアは身構えて言った。
「♪~♪♪~ あら……?」
振袖にしまったスマホから着信音が鳴っていた。
手に取ってパネルを眺めると、今度は、輝姫はスマホを弄るのに忙しくなった。
『――“勇者の鎧”の装着を許可しますか?――』
『Yes』
『――使用者の性別は?――』
『Female』
次々と表示されるプレートパネルのメッセージに応えて、細い指先を流れるように動かしていく。
アメリアは輝姫にこっそりと話しかけた。
「さっきから、どうもだれかに見られているような気がするんです。今のうちに素知らぬ顔をして移動しておきましょう」
「えーと、もうちょっとだけ待ってね。――次は、Strengthを上げておかなきゃ自由に動けないから……。それから使いやすい剣がいいわよね――」
だが、輝姫はスマホの操作に夢中になっていた。
「ふむふむ、あの甲冑に目をつけるなんて、モカロもやるわね。もし十分に使いこなせるのなら、騎士団よりよっぽど頼りになるんじゃないかしら」
一通りのスマホでの操作を終えると、輝姫は満足そうにつぶやいた。
「輝姫さまっ! 大変でしょうが、とにかく礼拝堂までダッシュですっ!」
業を煮やしたアメリアは、声をあげると輝姫の手を引っ張って走り出そうとした。
「キャアッ! あのね、アメリアったら、なにもそこまで焦らなくてもいいんじゃない? いまスマホで通話を――」
「そんな悠長なことを言っている場合じゃありません! いいですか、いつどこで蜘蛛女の襲撃があるやも知れないのです!」
切羽詰まったアメリアに対して、輝姫は穏やかな表情を浮かべて言った。
「とりあえず落ち着こう。ほら、髪の毛に蜘蛛の糸がついちゃってるじゃない。とってあげるから……。そうだ、メイさんに朝食を頼んでおいたのよね。後でみんなで一緒にお茶しましょうよ」
「すみません。――大変申し上げ辛いことですが、メイはすでに帰還しました。廊下で見ましたから間違いありません」
「そんな……、嘘でしょ……」
朗らかだった輝姫の笑顔が急に曇った。
この辛い状況をけなげに乗り切ってこられた輝姫さまにとって、信頼していた専属メイドのメイに裏切られるなんて思ってもみなかったことなのだろうと、アメリアは辛辣に思った。
「輝姫さま、気を落とさないで! メイの代わりに私が最後までお守りいたしますからっ!」
「ジャム入り揚げパンが…………」
「非常時とはいえ、食料の調達くらい、このアメリアにお任せください。ひもじい思いなど決してさせません。――料理は得意なんです!」
「ふえッ! お腹の具合はぜんぜん大丈夫だから心配しないで!」
慌てふためいて輝姫は言った。
また、激辛な唐辛子のリゾットを食べさせられたらたまったもんじゃない!
輝姫は逃げ出した。
「待ってください、先行したら危険です。輝姫さまー! ああっ、置いて行かないで!!」
アメリアは必死になって後を追った。




