ギャップ
輝姫を連れたアメリアは、警戒しながらお屋敷の廊下を進んで行った。
助けに来たはずが、不覚にも今まで蜘蛛女の糸玉に捕らわれてしまっていたのだ。
アメリアはできるだけ安全にお屋敷から抜け出すルートをとり、モカロたちと早く合流したいと考えた。
しっかりと手をつながれたままの輝姫は、アメリアの誤解を解こうと話しかけていた。
「――始めはリアルなホログラムのつもりだったのだけど、女神さんのスマホ・アプリの3Dシミュレーターで創り出した仮想のモドキが、実体化までできていたのは想定外だったわ。だから、本当にちょっとだけフォアマー騎士隊長でテストしてみようかなと思っただけで、メイドさんたちまで巻き込むつもりは全くなかったのよ。妖魔の蜘蛛女の襲撃が昨夜あって徹夜したじゃない。だから、つい、うたた寝しちゃったのよね。その間に、こんなことになっちゃって――つまり、その……ごめんね」
輝姫は申し訳なさそうに弁解した。
「私はメイドなので魔法については全然分かりません。でも、命に代えて輝姫さまはお守りします!」
聞いたこともない魔法の言葉だらけの輝姫の説明にチンプンカンプンのアメリアだったが、同じように蜘蛛女に捕らえられていた割に元気そうな輝姫の様子に、安堵した顔で答えた。
「もう、アメリアったら大げさなんだから……。蛇に睨まれた蛙みたいになって、蜘蛛女モドキに糸玉にされちゃったんじゃないのかな?」
「ち、違いますったら! この糸玉は不意に天井から落ちてきた網に絡まれたからなんです! 遠くから見ただけで、まだ蜘蛛女と対峙したことすらないんです。とにかく、私がついていれば輝姫さまは何の心配もいりません!」
階段で足を止めたアメリアは、輝姫に向き直ると顔を真っ赤にして鼻息も荒く身にまとった糸玉を押し付けながら言った。
輝姫は浴衣の帯を締めているために、ほっそりとしたウエストの下の方から糸玉が身体にあたってしまう格好になってしまった。
まるで雪ダルマのコスプレ状態になっているアメリアは、興奮して輝姫を押し倒しそうな勢いだ。
糸玉が輝姫の豊かな胸元に当たってグイグイと押し上げてきた。
「アッ――、アメリア、落ち着きなさい。気持ちはよ~く伝わったわ。アメリアが一緒にいてくれるだけで心強いから、ね? だからもう、お部屋に戻りましょう」
「ダメです。もはやあそこは蜘蛛女の巣になってしまいました」
アメリアは真剣な顔をして言った。これからなんとかして汚名返上しなければならないのだ。
「ハァ……。それじゃあ聞くけど、これからどこへ行く気なの?」
「庭園に建つ礼拝堂しかありません。女神さまのご加護のある神聖な場所ならば、穢れた魂しか持たない蜘蛛女ごときは、近寄ることさえできないはずです!」
慎重に考えを巡らせていたアメリアは、大きな目で輝姫を見つめながら言った。
「あぁ、女神さんにケーキを貰ったチャペルね。さっきも言った通り、蜘蛛女モドキは女神さんのスマホ・アプリで創り出したのよ。だから礼拝堂は効かないわ」
「……輝姫さまがおっしゃるならば、その通りなのかもしれません。でも、騎士隊長が逃げ出してしまった今となっては、奇跡的に私が罠の糸玉から助かったように女神さまにおすがりする以外に助かる道は考えられません……」
思いつめたような表情のアメリアに、輝姫は詳しく状況を説明しようとして、やっぱりやめた。
どうやら蜘蛛女モドキの説明も全然分かってもらえていなさそうだったから、また説明しても同じことの繰り返しになるだけだろう。
考えてみれば、どこか中世と似通った迷信深い時代に、スマホや3D、AIなどの話が通じるわけがなかったのだ。
こちらの目線で分かってもらえないのならば、相手の目線に話を合わせればいいのだと輝姫は気がついた。
「そうね、分かったわ、アメリア。女神さんの力を借りて輝姫が魔法のシールドを張るから――」
「魔法のですって!? やっぱり輝姫さまは魔力を取り戻されていたんですね!」
「えっと……、ええ、まだ完璧という訳ではないけれど……。みんなに魔力が戻ったことが知られたら大騒ぎになってしまうでしょう? だから秘密にしておいたのよ。――この説明なら納得してもらえたかしら? さあ、礼拝堂に急ぎましょうか」
アメリアの糸玉からのびた均整の取れた細い足が、ちょこまかと素早く階段を駆け下りる。
輝姫も浴衣の裾の合わせ目から引き締まった太ももから膝下までのぞかせながら、一段飛びでその後に続いて走った。
その頃、お屋敷の廊下ではエレナがモカロに甲冑を着用させていた。
一見した時のいかつい甲冑飾りとしての大きさは、筋骨隆々とした成人男性である騎士が着けることを想定してある代物だった。
しかし、魔法の鎧とのモカロの言葉通りに、着用させるたびにスレンダーなモカロの身体に合わせて形が変化していった。
なにより驚いたのは、胸の形にまで合わせてブレストプレートが大きな丸みをおびたことだった。
「これでよしっと。モカロさん、苦しくないですか?」
「ん、大丈夫よ。ボディラインがそのまま鎧に出てしまっているのかと思えるくらいにフィットするわね」
「では、動いてみてください」
甲冑姿のモカロは、重さでバランスを崩して転ばぬように気をつけながら、ゆっくりと一歩一歩踏み出した。
もしも甲冑を着けて派手に転んだりしたら、それだけで大きなダメージを負ってしまうかもしれないからだ。たぶん非力なモカロひとりでは起き上がることすらできないだろう。
しかし、モカロの予想は良い方向で大きく裏切られた。
とにかく動きが軽いのだ。信じられないことに、普段身に着けているメイドドレスと変わらないと感じたくらい。
それに甲冑の内側はサラサラとしているようで絹のように滑らかで柔らかく、どこか擦れて痛くなるようなこともなかった。
下手に合コン用のパーティードレスを無理やり着込んだ時よりも自由に動くことができた。
モカロはそのまま廊下の飾り鏡に近寄り、ミラーに映る自分の姿を見て確かめた。
ダークブラウンのボブカットの髪が卵形の輪郭を縁取っている内側に、いつもと変わらない自分の顔がそこにあった。
しかし、首から下はメイドドレスとは全く違う甲冑姿だった。
モカロのスタイルに合わせたかのように、メタルプレートよってヒップまわりが広がっているのに比べて、ウエストは細く絞られていた。
腰につけられた剣までもが以前の大きな幅広のガッチリとしたものから、細身で装飾の施された剣へと変化していた。
ブレストプレートのまるみによって胸が強調されて見えた。
「どうですか、モカロさん? 見た感じはバッチリです」
「……さすが迷宮の魔法の鎧ね。さっきまでの飾られていた時と違って、もはや完全に女性専用の甲冑になってるじゃない」
この鎧ならば蜘蛛女の糸の鞭にも耐えられるはずだ。
モカロはそっと頭部にヘルムを被るとバイザーを下した。
「蜘蛛女はどこかしら?」
モカロがつぶやくとその声に反応して、バイザー内にマップが映し出され赤く点滅した。
「えっ、これは何? まさか、庭園にいるっていうの……? 魔法の鎧が教えてくれた!?」
『――ハァ、ハァ――、モ……モカロ、聞こえる? ちょうどよかったわ。礼拝堂に来て、早く――』
するとどこからか、輝姫の苦しそうに息を切らせている声が、ヘルム内に響いた。
「これはまさか、輝姫さまっ!? ――ハイ、いますぐ参ります!」
『――結界から出たら危険です! こちらへ』
『ちょっと……ア、アメリア、待ってったら、今、スマホで通話を――キャアァ―ッ…………。ツー・ツー……』
「アメリア? 輝姫さま、待っていてください! モカロが今、助けに行きますからっ!!」
57話 10万文字
2015/01/31




