甲冑鎧と雪だるま
不意に蜘蛛女の頭上に帽子のようにのった蜘蛛が口を開いたかと思うと、真正面から糸が鞭のように飛来し、モカロが立っているすぐ前の床をバシンッと激しく叩いた。
無残にめくれ上がった床の傷跡を見て、モカロはゾッとして息を呑むと後ずさりした。
だが、とりあえず糸玉にされたアメリアから蜘蛛女の興味をそらすことには成功したようだ。
目の前で蜘蛛女にアメリアが食べられるところを見せられるのだけは、まっぴら御免なのよ!
「チッ、脇目もふらずに私たちに一直線だなんて、蜘蛛女の奴、まだ食事の時間じゃないみたいね」
「それなら輝姫さまもいらっしゃらないこの部屋に、あたし達が無理に留まる必要はないんじゃありませんか?」
オペラグラスを片手に黒のジャケット姿の見習い秘書のエレナは、モップを中段に構えたメイド服のモカロに言った。
モカロは考えた。――輝姫さまは行方不明。アメリアを助け出すといっても、糸の鞭で一発叩かれただけでおしまい。なによりエレナまで危険にさらし続けるのは避けたい。このままではみんな糸玉にされてしまうのを待つだけだ。
「そうかもしれないわね。せっかくアメリアが命を懸けて確かめてくれたんだもの……。尊い犠牲を無駄にするわけにはいかないわ!」
モカロとエレナは踵を返すと、応接室の入り口扉に向かって駆け出した。
しかし、開け放たれていた扉が目の前でバタンと大きな音を立てて勝手に閉じてしまった。
モカロはドアノブをガチャガチャ捻るが、鍵はかかっていないのに扉を開けることができない。
「全然開かない! どうなってるの!?」
「アッ、上の方から糸がのびています!」
周囲を確かめると、蜘蛛女の糸が扉にまで繋がっていた。
蜘蛛女によって部屋の中に閉じ込められてしまったのだ。
ふたりが振り返ると、蜘蛛女がジリジリと間を詰めてくるところだった。
突如、部屋の奥に眩い光が煌めいた。
蜘蛛女の後方から、妖精が魔力を溜め込んだ光の矢を放った。
不意を突いたはずだが、まるで後ろにも目がついているかのように蜘蛛女の頭部の蜘蛛だけが後ろを向くと、飛んでくる光の矢めがけて迎撃の糸を吐いた。
同時にモカロとエレナは掃除カートに積んであった樽の中に飛び込んだ。
光の矢と蜘蛛女の糸がぶつかり合うと衝撃で爆発が起きた。
ダンッ! パァアァァーン!!
爆風で分厚く大きな応接室の扉が、蝶番部分から外れたように吹き飛ばされた。
掃除カートは横倒しになり、ふたりの潜り込んだ樽も廊下まで転がっていた。
樽の中で抱き合うようにしゃがみ込んでいたモカロとエレナは、お互いに目と目を合わせて頷くと一気に廊下に飛び出した。
ふたりは全速力でお屋敷の廊下を走り抜けていった。
その後ろでは、ふらつきながら蜘蛛女が応接室から廊下に出てくるところだった。
こんなところで蜘蛛女に捕まるわけにはいかない。おびき出して撒いた後にまた応接室に戻って、輝姫さまとアメリアを助け出さなければならないのだから。
モカロは口元を引き締めた。
すると、走るモカロとエレナの頭上をピューッと空気を切り裂くような音が通り過ぎていった。
前方の廊下天井にまで糸がピンと張られると、その上を滑るように蜘蛛女が伝って来た。
ふたりは全力疾走していたが、みるみる追いつかれていった。
「その交差を右に曲がって!」
モカロは叫んでエレナの手をつかむと急に進路を右に曲がった。
蜘蛛女は曲がり切れずに廊下天井上に張られた糸を滑ってそのまま直進していった。
モカロとエレナは廊下を走り続けると、やがて甲冑飾りが見えた。
ふたりはその陰にひざまづくようにして隠れると、はずんだ息を整えた。
ハァハッハァ、ハァハァー、フゥー――……。
「フォアマー騎士隊長があれだけ騒げば、お屋敷から来客の避難は完了しているはずよ。だから、蜘蛛女は獲物を求めてすぐに戻ってくるでしょうね。――エレナちゃん、甲冑を着用させるのってできる?」
「ええ、一般的な甲冑ならばうちでも扱っていますから、3分もあれば装着させることはできますが……」
「それなら、この甲冑を着けるのを手伝って!」
モカロは目の前の銀色に輝く甲冑飾りをじっと見つめて言った。
……甲冑を着てどうするつもりですか……?
エレナは何か言いたそうなそぶりを見せたが、モカロの答えは聞かないでも分かり切っていたので言葉を呑みこんだ。
それに蜘蛛女のスピードを考えると議論している暇はなさそうだ。
「無茶はしないって約束してくださるのなら……。では急いで止め金具を外しましょう! その間に、モカロさんはメイド服を脱いでください。 ――それにしても珍しい型の甲冑ですね。こんなの壁外地でも見たことありません」
「エレナちゃん、これは輝姫さまと勇者スバルさまが、その昔、迷宮で見つけてきたと言われているの」
「もしかして、魔法の品ですか!? ……あの、調整なしですから、甲冑と身体が合わないと擦れたりして痛いかもしれませんが――」
エレナは見慣れない構造に戸惑いながらも、モカロのスラリとした身体にてきぱきと甲冑を着用させていった。
いくらモデルのように身長の高いモカロといえども、自分専用でない甲冑ではサイズが合わないはずなのだが、まるでオーダーメイドでもしたかのようにすんなりと身体になじみおさまっていく。エレナは目を疑った。
まるで固い金属が伸び縮みしているかのように形状が変化することに驚きを隠せず、エレナは興奮気味につぶやいた。
「これは敵の攻撃を防ぐためのプレートというよりも、まるで身体の一部のようなつくりじゃないですか――」
昨夜からの徹夜がたたってウトウトしていた輝姫は、大きな音に驚いて目を覚ました。
半身を起して目をこする。
「うぅ~ん……。何かが爆発でもしたかのような音が聞こえたんだけど気のせいかしら……」
大きなあくびをするとまた寝転がろうとして、ソファーじゃないことに気がついた。
「ん? これってハンモックよね? どうしてこんなところに……?」
吹き抜け天井の角に糸で編まれたハンモックが吊るされてあった。
いつの間にかその上で寝ていたのだ。
上から応接室を一望するが誰もいない。
輝姫の長い銀髪がサラサラと微風になびく。
窓はすべて開け放たれ、カーテンが風に揺れていた。
入口を見ると扉が外れて大口を開けていた。周りには倒れたカートや掃除道具が散らばっていた。
「ありゃりゃ――、きっと蜘蛛女モドキと妖精の仕業ね。メイさんになんて言い訳しよう? それにしてもリアルな立体映像だけかと思っていたのに実体化まで可能だったなんて、さすが女神さん謹製のスマホ、Megamiroidというべきなのかしら」
輝姫はスマホを振袖から取り出して3Dシミュレーターで召喚した子たちを確かめた。
ステイタスを調べると、妖精は失神していたが、蜘蛛女モドキは健在で戦利品がメイド×1だった。
「なんなの、メイド×1って?」
輝姫は小首を傾げたが、すぐに天井近くの梁からぶら下がっている人の大きさくらいある糸玉を見たとたんにピンときて苦笑した。
スマホで妖精を選択すると指でタップしてからシェイクした。
すると、絨毯の上でのびていた妖精に刺激が伝わり目を覚まし、透明な羽を震わせて飛び立った。
光の粒子をひいて輝姫のところまで飛ぶと小さな拳を握り締めてさかんにアピールしていた。悔しそうな表情で頬を真っ赤に染めている。
「なになに『――失神したのは爆風によるものだから、私はまだ負けたわけじゃないんだからね! だからもう一回、蜘蛛女モドキと戦わせてほしい――』って? 分かったわ。また後でね。でも今は、あの糸玉の中に捕まっているメイドさんを外に出したいのよ」
妖精はグリーンのドレスを翻し弓を構えて糸玉を吊るしている糸の部分に狙いをつけると光の矢を放った。
吊っていた糸をプツンと矢で切られると、糸玉は紙風船のようにポフッと床に落ちポンポンと数回跳ねてからコロコロ転がった。
妖精は糸玉まで飛ぶと腰につけた剣を抜き放ち糸をサクサクと斬っていった。
そして輝姫のところに戻ると得意そうに小さな胸を張って言った。
『――中身を固定していた糸の結び目を切っておいたから、これで自由に動けるよ――』
しばらくすると、糸玉からズボッとまず手足が飛び出て、最後に頭が飛び出した。
まるで雪ダルマのようだ。
「た、助かったの!? ……奇跡……。ああ、女神さまに感謝いたします……。モカロたちはどこ? 部屋には誰もいないようだけど」
アメリアはすぐに周囲の状況を確かめるとつぶやいていた。
「ねえ、アメリアったらー!」
突然の呼びかけに、アメリアはギョッとして声のした吹き抜け天井を見上げた。
蜘蛛女の巣が張り巡らせてあった。
「こっち、ここよ―!」
輝姫は銀色の髪をキラキラなびかせながら、吹き抜け天井角に吊るされたハンモック状の網の上から、アメリアに向かって手を大きく振ってアピールしていた。
「あっ、見つけた、輝姫さまだ!! よかった、やっぱりご無事だった!」
嬉しそうな顔で見つめるとアメリアは下まで駆け寄った。
しかし、下から見ると輝姫の捕らえられている蜘蛛女の網は、アメリアの捕らえられた糸玉と比べて、ずいぶんと華奢な作りでフワフワと揺れ頼りなく見えた。
――偶然とはいえ、この糸玉だって下に落ちてしまったのだ。もしも輝姫さまが吹き抜け天井の高さから落下でもしたら――。
「輝姫さまっ、危ないですから、そこでじっとして動かないでください!」
アメリアは心配して叫んだ。
輝姫は蜘蛛女の網の上から上半身を起こして見下ろしていた。
蜘蛛女が戻ってくるより先に、応接室から逃げ出さなければならない。助けを呼びに行っている時間はなかった。
だが、下にソファーを置いて輝姫を飛び降りさせるには、吹き抜け天井はあまりに高すぎた。
「大丈夫よー。ちゃんとひとりで降りられるから」
輝姫はハンモックから身をのり出すとアメリアに言った。
「あっ、早まらないでください!」
青くなってアメリアは懸命に止めた。
しかし、ひらりと輝姫はハンモックの上から飛び降りた。
――真っ逆さまに落ちたら床に叩きつけられちゃう――!
大きく目を見開いてアメリアは立ちすくむと息を呑んだ。
すると輝姫はクルリと空中でバク転した。
何度かボヨンボヨ~ンとバウンドして宙を舞いながら、輝姫は徐々に下まで降りてきた。
張り巡らされた蜘蛛女の巣のネットをトランポリンの代わりに使っていたのだ。
スタッと着地した輝姫は、アメリアににっこりと微笑みかけた。
「輝姫さま、大丈夫ですか!? ――蜘蛛女が来ます!」
「え? ええ、もちろんよ。ちょうど今、こちらに向かっているところでしょうね」
「それならなおさら早く行かないと! ここから脱出します!」
ライトブラウンのショートヘアをふりながら、アメリアは興奮して言った。
あの時、長椅子にばかり気を取られないで天井付近にも気をつけて調べるべきだったとアメリアは悔やんだ。
上を見ていれば蜘蛛女の罠にかかることもなく、輝姫さまを見つけ出すこともできて容易に事は済んだはずだったのに……。
隣では不思議そうな顔をした輝姫が、じーっと黒い大きな瞳でアメリアを見つめていた。
アメリアは胸がドキドキと高鳴るのを感じた。
……輝姫さま、いけません。命を懸けるなんて専属メイド代理として当然のことをしたまでなのです。いくらお姫さまを助けに駆けつけた王子のポジションとはいえ、女の子同士では……。
輝姫の甘い香りがくすぐるように漂ってくると、アメリアは恥ずかしそうに真っ赤になって視線を伏せた。しかし、さらに鈴の音のような声が追い打ちをかける――。
「やっぱりその様子からすると、アメリアが一番最初に蜘蛛女モドキにやられちゃったの?」
「――ッ! そ、そんなのは大した問題ではありません! 自分で言うのもなんですが、たまたま運が悪かっただけで、みんなの為に勇敢に困難に立ち向かった結果なんです! とにかく、輝姫さま、早く!」
「へっ? ちょっとアメリアったら、いったいどこへ連れて行く気なのよ? まだ朝食もとってないし、これから面会の予定だってたくさん――――」
よりによって輝姫に失敗を見透かされた恥ずかしさでムキになったアメリアは、歯をギリッと噛みしめると糸玉から手足と頭を出した雪ダルマみたいな格好のまま、名誉挽回すべく輝姫の白い手を引きながら一緒に走り出した。




