救出劇
「あれが妖精なの? 生まれて初めて見た……」
アメリアは応接室の吹き抜け天井を見上げると驚いた声をあげた。
「蜘蛛女も、でしょ?」
モカロは頷くと、そっと呟いた。
「蜘蛛女の注意が妖精に向いているうちに、急いで輝姫さまを探しましょう!」
じれったそうにエレナは頭上を一瞥するとメイドのふたりを促した。
「でも、輝姫さまはいったいどこに消えたのよ?」
アメリアは必死になってキョロキョロと薄暗い部屋の中を見回す。
鍵穴からのぞいた時と同じように応接セットがあるだけで、肝心の輝姫さまの姿がどこにも見あたらなかった。
つい最悪の事態を考えてしまったモカロは、青い顔をして立ち尽くしていた。
「光の妖精が守っているくらいだから、輝姫さまはまだ無事なはずです!」
秘書制服のエレナは、はっきりとした言葉で言うと、ジャケットのポケットからオペラグラスを取り出した。
蜘蛛女に食べられてしまっていなければ、逃げ遅れた輝姫さまは、この部屋のどこかにまだ取り残されているはずなのだ。
エレナは目にオペラグラスをあてがった。
入ってすぐ横のところに扉が見えた。
……ただの収納扉か。後で中を確かめておきましょう。
――カチッカチカチッ――
オペラグラスのダイヤルを指で回すと倍率が上がり、部屋の奥まで拡大して見通すことができるようになった。
壁際に並んだ棚には人の隠れられそうなスペースはなかった。
窓にはカーテンがかかっておりすべて閉じられていた。
応接セットには誰もいなかった。
――次の場所を探そうとして動きかけたエレナの手が止まった。
応接セットにある長椅子の背もたれの端からキラッと何か光っているものが、オペラグラスに映ったのだ。
エレナがさらに倍率を上げると、スコープに肘掛からシルバー・ヘアのようなものが少し垂れ下がっているのがアップになって映し出されていた。
背もたれの陰になって見えなかったが、どうやら輝姫さまは長椅子に横たわっているらしい。
「見つけました! 応接セットの長椅子のところです。輝姫さまは失神して倒れているのかもしれませんが」
「ハァ……、よかった。一時はどうなることかと思ったわ」
モカロは大きく息を吐くと膝の力が抜けたようにしゃがみ込んだ。
「まだ安心するのは早すぎるって! まず、私が行って様子を見てくるわ。三人で行ったら目立ってしょうがないから気づかれるでしょ?」
アメリアは上を指しながら言った。
応接室の吹き抜け天井では、張り巡らされた巣の上から蜘蛛女が吐き出す糸を妖精が光の矢を飛ばしながら撃ち落としていた。
遥か頭上から糸屑と光の粒子がパラパラと降り注いだ。
「何を言ってるの、アメリアったら!? 部屋の様子を確かめに来ただけのはずだったじゃない!」
「蜘蛛女がいる部屋になんて、このまま輝姫さまを残しておけるわけないっ! モカロも平気な顔で逃げられるくちなのね?」
「そんなはずないじゃないの。ただ、準備を整えて安全を確保してから救助すべきだと言いたいだけで――」
モカロはアメリアを説得して戻った後は、救助活動を騎士団に任せるべきだと思っていた。
しかし今の言葉で、フォアマー騎士隊長が逃げ出したのを思い出して言い淀んでしまった。
「あの……、入ってすぐ横の収納スペースにこんな物がありましたけど」
すると、エレナが掃除道具などを載せているカートを引いてきた。
「それだ!」
アメリアは声に出すとカートをあさり、中からロープを取り出した。
「このロープを命綱代わりにするから、万が一、何かあったらふたりで引っ張り戻して! これならモカロも文句はないでしょ?」
復活から今まで輝姫さまの面倒を見てきたのはメイドである自分たちだという自負がある一方で、親友のアメリアを危険な目には遭わせたくないモカロは判断に迷いながらも渋々と頷いた。
「よしっ、準備完了。それじゃ、行くよ!」
ロープの端をベルトのように腰に巻き付け、残りは巻いて肩にかけるとアメリアは応接室の奥へと踏み込んで行った。
三人の中で一番小柄なアメリアは、はるか頭上にいる蜘蛛女を避けるように壁際に沿って足早に進んだ。
だが、実際に部屋の中に入り近付いて見ると、ところどころに蜘蛛女の糸が垂れ下がっていた。
特に、これらの糸には気を付けなければならない。
もし少しでも糸に触れることがあれば、とたんに蜘蛛女に察知されてしまうと思われるからだ。
腰を落としてしゃがみ込み絨毯の上に腹這いになったアメリアは、匍匐前進で部屋の中を進んだ。
「いつもモデルみたいに背が高いことを自慢していたモカロには、とてもじゃないけどこんな真似はできないでしょうね」
蜘蛛女の糸と床の隙間を潜り抜けながらアメリアは呟いた。
いつ蜘蛛女の気が変わって床に降りてきてもおかしくはない。
騎士隊長でさえ逃げ出すくらいなのだから、もし襲われたら対処のしようがないのは分かりきっていた。
だからといって、輝姫さまを見捨てて逃げ出していい理由にはならなかった。
アメリアは応接用のソファーを目指して慎重に床の上を進んで行った。
複雑に交差している糸の下を抜けると長椅子は目の前だ。
アメリアは立ち上がると走った。
――早く輝姫さまの無事を確かめないと!
輝姫さまっ!!
アメリアは心の中で叫んでいた。
やっとのことで応接セットの場所までたどり着くと、背もたれに手をかけて覗き込むように長椅子を見た。
――クッションが数個置いてあるだけだ。
お目当ての輝姫さまの姿はどこにもなかった。
「そんな……、確かにエレナはここだと言ったはずなのに――!?」
肘掛から垂れているシルバー・ヘアのように見えたものを手に取ってみた。
――それは、蜘蛛女の糸の束だった――。
束から繋がり天井に向かって延びた細い糸が揺れていた。
「ああっ、しまった!」
ゾッとしたアメリアは、入り口扉のふたりを振り返ろうとすると、突然、上方から大きく口を開いた網が落ちてきた。
蜘蛛女の糸でできた網だ。アメリアは頭からつま先まで全身に網を被っていた。
――事前に仕掛けられていた蜘蛛女の罠にかかってしまったのだ――。
「キャアァーッ!! い、イヤッ!! こんなものー!! アアゥ、くぅっううっぅぅっ――――――…………」
アメリアは網から抜け出そうと懸命にもがくが、いくら手に力を込めても蜘蛛女の網は決して破れることはなく、ますます体にまとわりついていった。
網がきつく縛りつけるようにして身動きを封じられると、アメリアの全身を覆い尽くし糸玉のようになり空中にぶら下げられてしまった。
そして下の異変を察知した蜘蛛女は、妖精の相手をやめた。
アメリアだった糸玉に向かって蜘蛛女は糸を吐くと、その上を滑るようにして向かって行った。
「クッ! まさかこんなことになるなんて――。アメリアが食べられちゃうわ!! 絶対にそんなことはさせないっ!!」
遅まきながらモカロとエレナは、アメリアに結び付けてある命綱を力任せに引っ張った。
吊るされた糸玉から延びている命綱が張り出すと、途中に張られた蜘蛛女の警戒用の糸をブチブチと断ち切っていった。
アメリアの糸玉はブォンブォーンと大きく揺れた。
巣を揺すられた蜘蛛女は逆さ吊りになり天井から下に降りてきた。
ばらけた緑青色の髪の上には、まるで帽子のような大きな蜘蛛がのっていた。
床に降り立った蜘蛛女はモカロとエレナに向かって振り向くと赤い目で睨んだ。
「ここはあたしに任せて早く逃げてください! このままだとみんなやられてしまいます!」
秘書制服のエレナは、掃除モップをまるで剣のように構えたモカロに言った。
「逆でしょ! エレナちゃんが逃げなさい! お客様をおいて逃げるメイドがどこにいますか。秘書のあなたに何かあったらドュスマン男爵に申し開きが立たないわ!」
「……いいえ、もともとこれは男爵家の内部問題だったんです。とんでもないご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」
「ちょっと、こんな時になに訳の分からないことを……? 今は、そんなこと言ってる場合じゃないの――」
蜘蛛女はボロボロの赤いドレスを翻してふたりを狙い向かってきた。
青ざめた顔色をした、まるで蝋人形のように生気のない肌だった。
ふたりの目前では、緑青の前髪に隠れた奥で蜘蛛女の赤い瞳がボーッと冷たく灯っていた。




