深夜のお屋敷
アカリはそっとお屋敷の薄暗い階段を下りていく。
「キャッ!」
ランプの下を通り過ぎるたびに現れる自分の影に息を呑む。
分かっていても、不気味な歪な姿に見えて驚かされてしまうのだ。
「おかしいな……。いくら真夜中だからって、お屋敷ってこんなに寂しかったかしら?」
でも、考えてみれば当然なのかもしれない。
夜中まで起きていたって、異世界にテレビやコンビニがあるわけではない。
それに、そんなに不安だったら、屋根裏部屋には住み込みのメイドさんたちだっているのだから、アメリアの部屋でも訪れて、ついて来てもらえばいいのだ。
「ダメダメ……。ひんしゅくを買うだけよ。メイドさんだってそれぞれ都合ってものがあるんだから。だいたい、夜にひとりでいるのが怖かったからなんて理由じゃ、呆れられるわ……」
長い廊下の先に人影が見えた。
アカリはホッとして足早に近づくが、まったく動く様子もなく人の気配もしなかった。
そこには、中世の甲冑が飾ってあったのだった。
中身が空っぽの銀色の甲冑を見ていると、なんとなく今の自分の立場と似ているんじゃないのかなと思った。
この異世界で、アカリのことを、輝姫でなくアカリと認識しているのは、女神さんくらいしかいないのではないだろうか?
お屋敷ではみんなよくしてくれるし、一人っ子のアカリは幼い時からひとりでいることには慣れているから、そんなに気にするようなことでもなかった。
――そういえば、日本の夏祭りの仮装盆踊り大会はどうなったんだろう? すっぽかしたことになるから、友達のタマちゃんは怒ってるんだろうな。
それとも、アカリがいなくなっても、だれも気にもしていないのかもしれないけれど……。
お父さんが亡くなってから、仕事の都合でお母さんは海外赴任でアカリを日本において外国へ行ってしまい、ずっと長いこと会ってもいなかった。
深夜に誰もいないお屋敷の廊下で甲冑と向き合っていると、異世界でひとりぼっちの自分を否応なく感じさせられた。
それに、まるで力が入らないような空腹感……。
「――えっ、空腹って?」
そういえば、まだ夕飯を食べていなかった。
「こんなことをしている場合じゃないわ。お腹がすいているから、柄にもなくセンチメンタルなことを考えちゃうのよ」
夜食のことを考えてしまうと、もう、我慢ができなくなってしまった。
お屋敷の中で、さ迷い歩いている暇はないのだ。
アカリは浴衣の振袖からサッとスマホを取り出す。
マップナビのアプリを起動しようとして、チカチカとパネルが点滅していることに気が付いた。
“コネクト シルバーナイト”
「冗談でしょ、女神さん?」
と、アカリは呟いた。
パネルにタッチすると、コントローラーに切り替わった。隣にはAIのボタンまで用意されている。手動でも自動でもお好きなようにということらしい。
とりあえず、AIのボタンにタッチしておく。
さっきまで甲冑の置物だったシルバーナイトは、ガチャガチャとアーマーを鳴らしながら、大きな体を跪いた。
……どうやら、命令を待っているみたいね? まあ、ちょうどいいや。
「アカリをメイドさんの詰所まで連れて行きなさい」
シルバーナイトはアカリを大事そうに腕に抱えてその肩に座らせると、薄暗い廊下を歩き始めた。
ガチャリ、ガチャリと金属質の音をたてながら、長い廊下を進んで行く。
目線によって見える世界も変わるというのは本当だった。
シルバーナイトの肩に腰掛けながら見える眺めは普段とは違っていた。
今まで気にもしなかったが、窓から差し込む月明かりの中、壁にかかった風景画や肖像画が並んでいるのが目についた。
もしかしたら、肖像画は輝姫のご先祖さまなのかもしれないが、アカリには分からないことだった。
何度か曲がって交差している角を通り過ぎると、だんだんと、アカリは進路が正しいのかどうか自信がなくなってきた。
スマホを取り出して時計を見ると、午前2時になろうとしていた。
「アッ、あの明かりがそうじゃないかしら!」
メイドさんの詰所のカウンターに灯る明るいランプの明かりを見て、アカリはやっと一息つけた。
「フゥー、ようやくたどり着いた。こんばんわー! 輝姫です。部屋の呼び鈴を鳴らしたんだけど、聞こえなかった? ねぇ、誰かいないのー?」
アカリはシルバーナイトの肩から降りると、だれもいないカウンターから部屋の中を覗き込むようにして声をかけた。
さんざんビクビクと余計な心配をして気疲れした上に、お腹の減り具合は我慢の限界に達していた。
すると、部屋の奥から
「ん、んー! むうぅう! むーっ!!」
と、うめき声が聞こえた。
アカリはドキリとして、急いでシルバーナイトに駆け寄った。
訝しんで怪しい声を聴くうちに、どうやら、うめき声は女性の声だと分かった。
アカリはカウンターに手をついて軽く飛び上がりお尻を乗せると脚を上げクルリと回転して乗り越えた。
奥の扉をそっと開けて控え室の中を覗く。
メイドがひとり椅子に座ったまま、ガタガタと身体を揺すっていた。
目を凝らすと、どうやら猿轡をかまされた上に縄で椅子に縛りつけられているようだ。
「しっかりして! ケガはない? いったい、何があったのよ?」
「んー! ん、んー! うー!」
アカリはメイドに駆け寄って猿轡をとった。
「プハッ! ハァハァー。き、輝姫さま! ああ、助けて!」
「だれかと思えば、メイド長じゃない!? もう大丈夫だからね。落ち着いてッ!」
メイド長を縛りつけている縄は、固く結ばれていて簡単にはほどけそうもなかった。
それに縄というよりも、粘着性の糸の束が巻き付けられたような感じなのだ。
しかし、アカリは肌を傷つけないように、絡みついた縄を慎重に取り除いていった。
「い、急いでください!」
「こんなひどいこと、いったい誰にやられたのよ?」
「早く、逃げないと――! アレが戻ってきたら、やられてしまう……」
「メイド長は不意を突かれたのかもしれないけれど、ここはお屋敷なのよ。いざとなれば警備隊だっているし、もう何も恐れる必要なんてないわ」
「そんなの役に立ちません! 輝姫さまが、一番よくご存じのはずです!」
「――輝姫が?」
突如、ゾッとするような冷気で背筋が寒くなるのを感じた。




