狸寝入り
やっと普通のメニューに戻ったランチをゆっくりと食べ終わってしばらくした頃には、だんだんとアカリは眠くなってきていた。
夢見心地でうつらうつらしながら、思い出したように時たま瞼を開いた。
半分眠りこけながら、ドュスマン男爵のことを考えた。
……城門を全部閉められたら、商いができなくなっちゃうわよね……。
あの巨大馬車は、城塞都市と衛星都市との間で物資を運搬しているんだから。
男爵も言っていたっけ、本当の商人なら、城壁の外へ出るリスクは冒さないって。
でも、その通りになっちゃったなぁー。入荷も出荷もできず、流通もストップさせられたら、いくら男爵だって破産するんじゃないかしら?
そんなのは嫌だった。だが、城門を閉めずとも、モンスターに城塞都市の近くをうろつかれては、外の世界に出ることは無理だろう。
もしかしたら……。アカリとミーシャを踏み潰そうとした巨大馬車は、仕事がなくなるのを恐れた御者が勝手にやったことなのかもしれない…………。
「――アカリさま――。ベッドでお昼寝でもされたらいかがですか?」
メイさんが、チェアーでこっくりこっくりと舟をこぎだしたアカリに声をかけてくれた。
「ふぇっ? あれ? 違うの、考えごとよ――。片付け物でも、何か手伝うことはないかしら?」
「もう、アカリさまったら! お姫さまが皿洗いしているお屋敷なんて、どこにもありませんよ。どうぞリラックスなさっていてください」
「お姫さまなんて言われてもねぇ~。いいから気にしないで、遠慮しないで何でも言ってよね」
すると、メイさんはハッキリとした口調で、
「それでは――。ドュスマン男爵の方がよろしいかと思います!」
「……はい?」
意味が分からず、アカリは首をひねった。
「スバルさまはいい人だとは思います。ですが、アカリさまを放ったらかしにしすぎです。これでは、気持ちが他所に移ってしまっても仕方のないことです」
「ええと……、メイさん。どっちを彼氏にしようかとか、アカリは別にそんな浅ましいことを考えていたわけじゃないのよ!?」
「大丈夫です。絶対に誰にも申しませんから。――ちょっとした息抜きも人生には必要ですよね? 手紙ひとつよこさないスバルさまは、女の子の扱いが全然分っていらっしゃらないのです。これでは浮気されても文句は言えません!」
「もう、メイさんったら。別にそんなことを悩んでいたわけでは――。あっ、そうそう、お昼寝します」
メイさんの言うことにも一理あると思うと、アカリは言い訳する気が萎えた。
アカリはわざとらしく大きな欠伸をすると、サッとベッドに逃げ込み天蓋のカーテンまでキッチリと閉めて布団を被ってしまった。
これから始まるであろう、メイさんの好奇心からくる質問責めから逃れるために、しばらく寝たふりをしてやり過ごすつもりなのだ。
アカリは目をつぶって、狸寝入りを決め込んだ。
……………………
…………
……目を覚ますと、周りは真っ暗だった。
アカリは驚いた。
まさか、本当にぐっすり眠ってしまっていたなんて……。
お昼に寝たんだから、たぶん、今は真夜中かな。暗くて当然よね。
でも、いつもはスモールランプの明かりくらい点いているはずなのに、変なの……。
それに、なんの物音ひとつしない。シーンとお屋敷全体が静まり返っていた。
「あれ? 夜勤のメイドさん、お休みなのかしら?」
アカリだってもう15歳なんだから、夜にひとりで怖いなんてことはないはずだった。
しかし、慣れてきたはずの大きな部屋が、やけによそよそしく冷たく感じられた。
それになんだか、カビの臭いというか押し入れの中のような臭いが、どこからともなく冷気に交じって漂ってくる。
「まいったなぁ。こんな夜中に……。どこか排水パイプが詰まって漏れたりしているの……?」
明日の朝になるまで我慢しようと思ったけれど、一度気になりだすと、どんどん臭いが鼻につくようになり、とうとう我慢できなくなった。
「もしかしたら、厨房の流しが詰まって溢れているのかもしれない。それとも、トイレが――。やっぱり、それは考えたくない」
とにかく、一度、だれかメイドさんを呼んで対応を相談することに決めた。
アカリは部屋にある呼び鈴の紐を引いた。
……………………
「……遅いなぁ……。いつもなら、誰かしらすぐに来てくれるのに……」
もう一度、呼び鈴の紐を引く。これで4度目だ。
だんだんと、アカリは不安になってきた。
「まさか夜勤のメイドさんが、気分が悪くなって倒れたんじゃないでしょうね!?」
そういえばさっきから、全然、人の気配を感じないままだ。
アカリはベッドから出ると、サイドテーブルに置いてあったスマホを握りしめて、部屋の扉を開けて廊下を覗き見た。
ところどころに薄暗い非常用のランプしか灯っていなかった。
まるで、ポッカリ開いた暗闇に向けて長い廊下が永遠に続いているように見える。
「えーと、メイドさんの詰所はいったいどっちだったかしら?」
アカリは小首を傾げた。暗くなっただけで、すべてがいつもと違って感じられたのだ。
「右か左に行くしかないんだから、確率は半分よ。どうせお屋敷の中なんだし、間違っていたら戻ればいいだけじゃない!」
アカリは紺色の浴衣に白足袋、下駄を履いて、廊下を進んで行くことにした。
カラン、コロン、カラコロン、カラン、コロカラン、コロン――。
静かな廊下に下駄の音が木霊した。
知らず知らずのうちに、アカリは手に持ったスマホをぎゅっと握りしめていた。
まるで、お守りにでもすがりつくかのように。
「な、なにビビってるの? フ、フンッ! 幼稚園児じゃあるまいし、お化けが怖くてひとりでトイレに行けない歳でもないでしょうに……。高校生にもなって、笑われちゃうんだからねッ!」
――お化けって? アカリはただ、メイドさんを呼びにきただけなのに、どこからお化けの話が出てくるのよ……。
たぶん、厨房で生ごみの袋を処分し忘れただけよ。そして、ネズミが袋を食い破ってしまって臭いが漏れ出た。
夜勤のメイドさんは、ちょっと、うたた寝でもしているだけでしょ。
どう? この論理的な推理は――。アカリは十分冷静よ。こんなの本当にどうってことないんだから……。
窓から差し込む輪のある月の光が、ところどころ廊下の壁を照らしていた。
どこまでも続く廊下とそこに並ぶ部屋の扉。
アカリは、だれもいないダンジョンの中をさ迷っているような気がした。




