メイの復職
男爵ったら、お屋敷まで送ろうかって、ちょっとアカリの都合を聞いてくれればよかったのに……。
お屋敷の玄関ホールの前に横付けされた男爵の巨大馬車から、アカリは降りた。
ヘラッと口元が少しだけ歪んでしまった。
バレてしまったのだ。卑屈になってもしょうがない。
ピカピカに磨かれた大理石の階段を上ると、大きく開け放たれた扉からロビーに入っていく。
「――お帰りなさいませ、輝姫さま――」
「ただいま……」
アカリは、メイドさんたちが十人くらい出迎えに並ぶお屋敷の広い玄関ロビーを見渡した。
別段、問い詰められはしないが、アメリアとモカロからのまるで棘のあるような視線が、突き刺さるように痛い。
やっぱり、お屋敷を無断で抜け出たのは、かなり不味かったのかしら?
こっそりとバレずに帰ってくるつもりが、まさかこんなことになってしまうなんて――。
でも、アカリだって、メイドさんの身の安全のためを思ってしたことなんだから。
そこだけは、分かってほしいわ。
――と言っても無理よね。それこそ本末転倒だと怒られそう……。
ふと、玄関の方を見ると、巨大馬車が出発するところだった。御者の少年と、秘書制服の少女が手を振っているのが見えた。
アカリは小さく手を振って微笑んだ。
ロビーを抜けて廊下を奥へと進み、自分の部屋へと向かった。
扉を開けて中に入ろうとすると、いきなり目の前で扉が勝手に開いてドキッとした。
「――お帰りなさいませ、アカリさま」
「あー、ビックリした!」
部屋の中でメイドさんがひとり、頭を下げた。
――メイさん――!
しばらく療養しているはずじゃなかったの……?
ラートハウスでミーシャの電撃を浴びて、長い髪を床にばらけさせ辛そうにしていたメイさんの血の気の引いた青い顔を、アカリは思い出した。
そういえば、メイド服までもところどころ破れたり煤けていたんだっけ。
今、新しい黒いメイド服と白いエプロンに身を包んだメイさんは、顔色もよく艶のある黒髪ロングも綺麗にセットされていて、いかにも健康的に見える。
スカートが短くなったのか、黒いオーバーニーソックスを履いてスラリと伸びた脚が妙に色っぽかった。
メイさんはアカリをジッと見たままこちらに近づいてきた。
「メイさん、もう大丈夫なのね? 元気そうでよかった。ラートハウスではメイさんが守ってくれたおかげで命拾いできたのよ――」
「おかげさまで絶好調です。――ところでアカリさま、今日はおひとりで、どちらへお出かけでしたか?」
メイさんは、ちょっとだけ口先を尖らせて機嫌の悪そうな顔をした。
アカリはチラリとメイさんを見ながら傍のチェアーに腰かけると、長い脚を投げだした。
「だって……、アメリアったら朝から唐辛子のリゾットを食べさせるんだもの。なんでも健康に良いからって。気持ちは嬉しいんだけど……。だから、噴水公園においしいパン屋さんがあるでしょ? 甘~いジャム入り揚げパンでも食べてこようかなぁって思って、ちょっと足を伸ばしたってわけ」
「エェエッ、朝食が唐辛子のリゾットなんですか!? それは辛かったでしょうに――」
「途中でドュスマン男爵と会っちゃって、お茶に誘われたのよ」
「あら、それはよかったですね! 男爵といえば社交界でも有名な大物ですから」
ドュスマン男爵の名前を出したとたんに、メイさんは笑顔になっていた。
ム……、イケメン恐るべしってところかしらね。こんなところで男爵に助けられるなんて……。
ここは一気に畳みかけておきましょう!
「さっきから気になっていたんだけれど、そのエプロンドレスって新作なの? 他のよりスカートが少し短めで、メイさんにとてもよく似合ってるわ! アカリも欲しくなっちゃうくらい」
「ありがとうございます! これは慰謝と褒美を兼ねて、わざわざ国主さまからいただいたものなんです。なんでも特別にあつらえた服だそうですよ」
メイさんは両手でスカートの裾を軽く持ち上げると、膝を軽く曲げてお辞儀をした。
ちょっと、ミニでそんなセクシーポーズをすると、もうパンツまで見えそうになっちゃってるじゃない!
アカリは思わず身を乗り出したが、メイの指先が離れるとミニスカートの裾はフワリと戻り、上品なお辞儀が下品に変わることはなかった。
ズッコケそうになりながら、ついでに脇に置いていた包みを手に取った。
「これはね、男爵からメイドさん方にもどうぞって、お茶菓子をお土産にいただいたのよ」
アカリは貰ったお茶菓子のセットをテーブルの上に置いた。
「――まあ、わざわざ私どもに、こんな素敵なお茶菓子まで――」
「うん。さっそくメイドさんみんなでお茶にしたらどうかしら?」
「このようなものを本当によろしいのですか? まず、アカリさまにすぐご用意いたしますので」
「あっ、アカリの分もメイさんが食べちゃって。だって、今、食べてきたばかりなんだから」
「そうでしたね。つい、高級お菓子に舞い上がってしまいました」
メイさんは照れていた。
アカリは元気になったメイさんを見て微笑んだ。
ドュスマン男爵が言ってたっけ……。これはとても珍しいお菓子だって。
だからアカリにとっては和菓子でも、この世界ではメイさんが舞い上がるほど価値があるものなんだわ。
フフン、どうよ。アカリには幸運の女神さんがついているんだから!
女神さんに対する思いは猫の目のようにクルクルと変わったが、メイさんの喜ぶ様子を見て、アカリのちょっとした冒険は報われたような気がした。




