ちょっとパン屋さんへ
アメリアの激辛朝食で、朝から顔に汗をかいてしまうこととなったアカリは、洗面所で顔を洗った。
冷たい水で汗を流してサッパリすると、とても気持ちがいい。
「んっと、タオル、タオルっと――」
フェイスタオルで押さえるようにして水滴を拭っていく。
銀髪を留めていたヘアバンドをとると、洗面鏡には、キラキラと輝くような輝姫が映っていた。
パッチリとした大きな目、スラリと通った鼻筋、三日月のように口角の上がった口元。
見慣れている自分で見ても、そう言われれば、お姫さまの顔のように見えないこともない……かな?
「ア~ァ、噴水公園で食べた揚げパンには、甘いジャムがたっぷりと入っていたのになぁー」
でも、お姫さまはこんなことを言わないから。
フフッ、やっぱり輝姫じゃなくて、アカリだった。
アカリは部屋の窓からぼんやりと外を眺めた。
緑の庭園の向こうには、高そうな塀が続いているのが見える。
それを越えてちょっと行くだけで、パン屋さんのある噴水公園があるんだ。
もちろんお屋敷からの出入りは自由だ。ちゃんとお目付け役のメイドさんを伴って行けばいい。
――でもそのせいで、ラートハウスでメイさんを酷い目に遭わせちゃったんだけど……。
代理の専属メイドとしてはりきっているアメリアとモカロのふたりには、そんな目に遭わせたくない。
「くっ、うんっ! えいやっとッ!」
アカリは、窓から壁に生えた蔦をつたってこっそりと部屋を抜け出した。
庭園を通り抜け、塀の側に被さるように生えた巨木に登ると、慎重にバランスをとりながら太い枝を伝って行く。
ふと気になって振り返ると、幾何学模様の緑の庭園に囲まれた壮大なお屋敷が見えた。
「あと少し――。ここまで来て見つかるわけにはいかないわ!」
姿勢を低くして、塀に被さっている枝の上を足元に注意しながら進む。
やっと塀の最上部に手が届いた。
塀の上へと足をかけて体重を預ける。
お屋敷の塀を乗り越えて、外側へと身体を出した。
後は、塀に絡まるように生えている蔦をつたって降りるだけ。
プチッ、ブッチブチブチッ、ブチィッ――――!
「な、何でッ!? そんな、キャッ、キャアァーッ!!」
お屋敷の壁に生えた肥料の行き届いた丈夫な蔦とは違い、外塀に生えたほとんど雑草のような蔦では、アカリの体重を支えるには余りに細くて弱かった。
アカリが足を掛けしっかりと手で握っていた蔦は、脆くも千切れてしまったのだ。
一瞬、フワッと宙を浮いたような感じがして、アカリはそのまま地面にストンと落下した。
「あ、う、う~ん……。あぁ、まったくもうっ! 運に見放されてるんだからッ!」
加護している女神さんが聞いたら怒りそうなことを言いながら、アカリは立ち上がると着物を手でサッサッと払った。
派手についてしまったお尻をパンパンと叩いて埃を落とす。
誰かに見つかっていないか心配になって、念のためキョロキョロと周りを見回して確かめた。
お屋敷の表通りはよく整備されていた。
馬車で直接出入りするための大通りが、一直線に街中にまで続いている。
両側に立ち並んだ重厚なバロック様式の建物と、薄いブルーに染まる空に浮かぶ白い雲。まるで絵になりそうな光景だ。
アカリは思わず振袖からスマホを取り出すと、パチリとカメラのフレームにおさめた。
でも、お屋敷の近くでそんな目立つところを歩き続けるわけにはいかない。
すぐに、出入りする人たちの間で、輝姫さまを見かけた、と噂になってしまうから。
「さてと、なんとかお屋敷は上手く抜け出せたみたいね。では、先に行きましょうか――」
アカリはスマホをタップしてマップ・ナビゲーションのアプリを立ち上げた。
パネルに城塞都市のマップが映る。
現在地のお屋敷を出発地点として、ルートをどうするか……。
マップを見ると、大通りをショートカットをして、裏通りにあたる旧市街の複雑に入り組んだ細い道を通り抜ければ公園までアッという間。
スマホのナビさえあれば、迷子になんてならないはずよ。
ナビから主要道路を選択肢から外し、近道ルートを設定した。
まずは、甘いジャム入り揚げパンのある噴水公園のパン屋さんが目的地だ。




